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美保神社:出雲詣 その5

出雲国意宇郡のある島根県南部丘陵山地から、島根半島の突端美保関エリアに向かって中海沿いを走ります。
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景色が青くて気持ちがよい。

鳥取県との県境、江島大橋(ベタ踏み坂)を渡ります。
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下りは実によい眺め。
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左に延びる山が美保関。正面に美保湾が望めます。

島根半島の突端、美保関漁港。
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突き当たりを左に行くと、事代主神系えびす社3千余社の総本社である美保神社です。

mihojinja.or.jp

 

美保神社の本殿では、右殿に大国主神の子の事代主神(ことしろぬしのみこと)、左殿に大国主神の后である三穂津姫命(みほつひめのみこと)を祀る。古来の習わしでは左をより上位とするので、古い文献には三穂津姫命の方を主体とし、併せて事代主命を祀っていたような記述を散見する。

出雲国風土記』の嶋根郡美保の郷には、御穂須々美命(みほすすみのみこと)がこの郷に鎮座されているから美保と書かれている。つまり、風土記成立時において美保神社に祀られていたのは御穂須々美命御であったことになる。それが、国譲り神話が知られるようになって三穂津姫命に変わったと推定される。

一方の事代主命はというと、『古事記』の国譲り神話で登場するのみで『出雲国風土記』には記述がない。

元は地方神を祀っていた美保神社が、本来何の関わりのない事代主命主祭神とするようになった背景には、国譲り神話と中世に大流行したえびす信仰が大きく関わっているのだろう。

 

 

一之鳥居を撮り損ねました。石製の明神鳥居で扁額がついています。

廻船御用水

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その昔、長い干ばつが続いたためにどの井戸も干上がってしまい、民衆は暮らしに困窮していました。
そこで、時の宮司が美保大明神に雨乞いしたところ、お告げがあり、この場所を掘ってみたところ、こんこんと水が湧き出てきて、人々は難を逃れたと言われています。あまりのありがたさに「おかげの井戸」と名付けられました。
掘削には東筑の廻船問屋はもちろんのこと、廻船の用水として欠かせなかった諸国の北前船の船頭や船主も浄財を寄進しました。そのときの記録が美保神社に残されています。
平成十九年には、美保関灯台とともに文化庁登録有形文化財になりました。

 

 二ノ鳥居

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石製の明神鳥居で、脇に社号標がある。鳥居の目地が相当緩んでいるので、何かの表紙に落下するんじゃないかと気を揉みます。

 

こちら参詣後に撮ったものです。
私が美保神社に着いた時、すぐ横でモデルさんを囲んでの屋外撮影会が開催されていました。彼ら、被写体のモデルしか見えていないらしく鳥居の周りに荷物を置いたり、通りを塞いだり、私の撮影したい狛犬の前に溜まったり。心穏やかに境内を回りたいのにタイミングが悪かった。残念です。

狛犬

鳥居をくぐり階段を上がったところに出雲蹲踞型狛犬があった。銘に嘉永3年(1850)とあり、ほぼ幕末の作品。
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逆光で碌な写真がない。金属の象嵌でやたらと眼力があるのが、忘れがたい。

 

大造営中

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手水舎

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銅板葺切妻屋根に猪の目懸魚がつく。四方転び四方吹き放ち。礎石の上に隅柱に控柱が二本ついて足元貫が二本で固定された、大きさの割に重厚な造りである。

手水舎の先にある階段を上がる。参道が東向きなため夕方には思いきり逆光。
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境内は立派な神門と回廊で仕切られている。

社務所

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昔は拝殿だったのかと思うような造りです。入母屋造りの錣屋根で、玄関は切妻屋根一間。

神門

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檜皮葺切妻屋根を持つ三間一戸の八脚門で、中央に扉があり、左右の門柱の間は壁で仕切られている。特に随神等は置かれていない。
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大きな注連縄が飾られている。撚り始めは出雲大社と同じく左である。

木製の釣燈籠。清涼殿型。
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火袋には木瓜型の窓がある。方形の傘で四隅の柱が延長して足として広がる。

社殿

昭和3年造営。設計は伊東忠太で、檜皮葺檜造り。東向き。
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船庫を模した独特な造りで壁がなく、梁がむき出しで天井がないのが特徴。向拝部分の切妻屋根にも横に広がる庇も向拝柱がなく、広い空間が取れるように工夫されている。

 

たいへん見ごたえのある拝殿でした。にも関わらず、写真はこの一枚きり。撮影会の方々がわらわらとやってきたので、後回しにしようと思ったのが失敗で、結局撮り直すのを忘れました。雑音に弱い自分を悔やむ。伊東忠太設計なのに!!絶対他にもたくさん面白いところがあったはずなのに!

陶製狛犬

拝殿の階段上両脇にある備前焼狛犬
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文政13年(1830)と読めた。蹲踞型で向かって右が阿形の獅子、左が吽形の狛犬である。

拝殿を横に回った時、中に木彫の構え型狛犬が見えた。
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式中で回り込んで覗くこともできず、結局キュートな臀部だけ。

 

檜皮葺の灯篭、竿は石製。
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火袋に社紋の亀甲に三の字が入っている。

本殿

拝殿から左に回って横から別号二御前を眺める。
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本殿は、寛政12年(1800)の火災の後、文化10年(1813)に再建された。

玉垣を回り込んで背後から。向かって左が別号大御前で三穂津姫命、右が別号二御前で事代主神を祀る。そして、両殿の中央装束の間に末社三社を祀っている。大后社には事代主神の御母神である神屋楯比売命と御穂須須美命の御母神である沼河比売命、姫子社には事代主神御子神の媛蹈鞴五十鈴姫命と五十鈴依媛命、神使社には国譲りの使い神である稲脊脛を祀っている。
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重要文化財。檜皮葺の比翼大社造(美保造)。二棟の前室付大社造を相の間で連結し、木階を覆う向拝(こうはい)を片流れに二棟通しに設けている。千木がそれぞれ内削ぎ、外削ぎになっている。破風飾板が赤いのは弁柄のチャン塗りが施されているから。

別号二御前の千木が変な形をしているなと思ったら、トビがいた。
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神饌所

日々の神饌を調整する場所。
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切妻造りで切妻屋根の玄関が一間ついている。まだ改修が入っていないので、檜皮葺に苔生してよい雰囲気になっていた。

若宮社

本殿の裏、山際の一段高いところにお社がある。若宮社、今宮社、秘社の合祀。
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切妻造。御祭神は若宮社に恵比寿様の様の御子神天日方奇日方命(あめひがたくしひがたのみこと、今宮社に太田政清霊、秘社は神号不詳とのこと。

お社の両脇に一対の石製狛犬がある。
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たれ耳、顎なし、立ち尾、おかっぱ、平らな頭が特徴の蹲踞型狛犬。この笑い顔、どこかで見た顔だけど思い出せません。牛嶋神社かなあ。

笠目立ってがキノコのような石灯篭が目に入りました。
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遠州灯篭というそうです。

宮御崎社

本殿の北、山際の一段高いところにお社がある。宮御前社、宮荒神社、船霊社、稲荷社の合祀。
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宮御前社は土の神様の埴山姫命、宮荒神社は食事・調理の神様の奥津彦神と奥津比売命、そして土の神様の土之御祖神、船霊社は船の神様の天鳥船神、稲荷社は倉稲魂命を祀っている。

お社前に小さな石製狛犬。右が吽形、左が阿形の立尾蹲踞型。
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ほとんどお顔が損なわれているが、おかっぱで見上げた顔がかわいらしい。

御霊石

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玉垣に切り妻の屋根がついている。

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中を覗くと大小の丸い石があった。

かつて地元漁師が漁をしていると、偶然まん丸い2つの石が海中(地之御前付近)から採れ、珍しいと奉納されました。文化の造営(1813)の際、夢のお告げがあり1つは海へお返ししたと古書にあります。
丸い石を触るとお腹の子が健康に育つ、という「安産信仰」から多くの妊婦が撫でた為、御霊石の上部はすり減っています。