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四谷須賀神社で蘇民将来の茅の輪守

お守りを貰いに四谷の須賀神社へ行きました。f:id:Melonpankuma:20200229121457j:plain
男坂を登ります。

こちら『君の名は』のラストシーンの舞台だそうで、聖地巡礼されている方もちらほらいらしてました。
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階段を登りきったところに駐車場と賃貸住宅須賀の杜がある。その先に、もうひとつ階段。
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階段脇に東京四谷総鎮守 須賀神社の案内板がある。
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 御 祭 神

主祭神 建速須佐之男命宇迦能御魂大神
 相殿   櫛稲田姫命
 右(御子)五男神 天忍穂耳命天穂日命天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根
 左(御子)三女神 多紀理姫命市杵島姫命多岐都姫命
 相殿 大鳥神社
  御祭神 日本武命・天日鷲大神・大鳥連祖大神
 相殿  大国主神
 摂社  天白稲荷神社
   主祭神 倉稲魂大命
 相殿 天照大御神・應神天皇神功皇后大山祇神・別雷神・天之水分神国之水分神・高龗神・火之迦具土神・大宮賣神・大年神・御年神・菅原道真公・疱瘡神・天之児屋根命・猿田彦神大物主神

 由 緒

須賀神社はもと稲荷神社であった、稲荷社は往古より今の赤坂一ツ木村の鎮守で清水谷にあったのを、後、寛永十一年に江戸城外堀普請のため当地に移されたものである。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年島原の乱日本橋、大伝馬町の大名主馬込勘由なる者幕府の命により兵站伝馬の用を勤め、その功績により、現在の四谷中心部商地一円の支配権を拝領した機に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってあった日本橋大伝馬町の守護神を地元氏の総発意により、四谷の氏神様として勧請し、翌寛永二十一年六月十八日に稲荷神社に合祀し、以後御両社として祀るようになった、通称四谷の天王様として明治維新まで親しまれて来た、明治元年須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度改正により旧社格は撤廃された。
戦災前の御社殿は文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をかけ、文政十一年十二月に竣工、社殿は権現造りの比類なき立派な建物であったが昭和二十年五月二十四日の東京大空襲の折、御本殿並びに御内陣と摂社天白稲荷社を残し、外一切の建物が焼失した、然し戦後氏子崇敬者の赤誠により今日の復興を見るに至った。

 宝 物

戦前は多くの社宝があったが戦災により殆どが焼失した、その中で幸いにも御内陣の金庫に納められていた三十六歌仙のみが辛うじて焼失を免れ、今日新宿区の指定有形文化財絵画に指定されている。
 画は四谷南蘋と称された高芙蓉の高弟大岡雲峰(当時七十三歳、天保七年の作)書は千々逎舍と号し、正三位中納言で公家の千種有功郷の書である

 神社の年中行事

一月一日 元旦祭
二月三日 節分祭
四月二十一日 稲荷祭・戦没者慰霊祭
六月四日 (前後四日間)恒大例祭
六月三十日 夏越大祓式
七月二十五日 大黒神
十一月十五日 七五三祝祭
十一月酉の日 大鳥神社大祭(酉の市)
十二月三十一日 年越大祓式
十二月三十一日 除夜祭

 御 神 徳

須賀神社 暦神・土木建築・悪魔退散・八方百難除・諸病退散・除災招福・身体健全・社業繁栄・生業満足・
大鳥神社 開運招福・商売繁昌・交通安全・旅行安全・学業成就・必勝合格・延命長寿・家運隆昌・
大国主神社 縁結び・夫婦和合・招福繁栄・家内安全・安産守護・無病息災・厄災消除・工事安全・

 

二の鳥居は朱塗り扁額付きの明神鳥居で、大根注連が掛かり、目立つ三つの〆の子が下がっている。
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二の鳥居をくぐったところに阿吽の岡崎現代型狛犬(通称しょうわ)。
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昭和二十五年、四谷青果商組合の奉納です。

神輿庫

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扉についているのが神紋で抱き稲に左三つ巴紋。

楽殿

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手水舎

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手水鉢と龍口

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柱にフリーWi-Fiスポットの案内が貼ってあった。
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さすがアニメの聖地。SNSの活用が盛んなのだろう。

手水舎の横には、火消し「く組」の梯子塚。
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祖霊社

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社務所入口の狛犬東大寺南大門型の護国で、両方が口を開いた阿阿形であった。
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飯塚正兵衛翁顕彰胸像と慰霊碑

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飯塚正兵衛は丸正食品チェーンの創業者で、この神社に大きな貢献があることが台座に刻まれていました。

社殿

社殿は東向きで、拝殿・幣殿・本殿が一体化した権現造り。拝殿の構造が虎ノ門金刀比羅宮に似ている。
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拝殿母屋は平入り入母屋造りで千鳥破風と唐破風向拝が付いている。両脇に軒高が低い妻入り切妻造りが組み合わさって、それぞれ札守授与所になっている。

拝所には欄干付きのスロープが設けられている。
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向かって左の授与所の脇にさらに軒唐破風があり、そこに大国主命が祀られている。
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中には大黒天の姿の大国主像と俵が置かれている。

脇に由来の案内板。
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由来
官弊大社日本最古の神社であります出雲大社及びその他全国至る所に奉祀されています大国主の命は、大国(神道)と大黒(仏教)と相通ずることから七福神の中にも奉られるに至っていますが大国主命須佐之男命(須賀大神)の御子であり、幼少の頃は諸兄にいじめられていましたが、常に良く忍耐して道を守られ、後に出雲に国家開発の大業を成され、山陰、山陽、北陸、東山の一部を平定されたと伝えられています。又良く部下民衆を愛され、その身分を隠さんがために頭巾をかぶり、暮夜財物を入れた袋を背負って、貧民に施しを行われ、その人々の喜ぶ様子を見て、自分もまたニコニコされるのが常であったとも云われています。今日の大黒様の袋と頭巾とニコニコ顔はその時のお姿を写したものと伝えられています。又その后であります須勢理姫命は貞節で良夫であります大国主命に仕えられ、命も又良く后の言を入れて、夫婦相和し、家庭円満であったことから、鏡とし縁結びの神様として今日も広く尊崇されています。後に大義名分によって折角経営された国土も惜しげもなく、今の皇室に献じられ(国譲り)、隠退されてからは少彦名命と力を合せ教育宗教、療病の法等を研究され、又民衆の生活、商法等の指導もなされ、常に国利民福を図ることに努力せられました。詳しくは神代記にかかれていますが、真に施福神国家国民道徳、医薬の祖神、宗教、道徳の開祖、商法開拓の祖とも称せられ、畜類の治病、禁厭の法まで創建されたと云われ、人々は爾来今日に至るまでその恩沢を蒙っているのであります。
どうか厚い御信仰の上、前の俵を手でおなでになって、御参拝戴き大神の深いご加護とご恩恵に浴されより良き幸福な日々を送られますようご祈念申し上げます

拝殿前の石灯籠。
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四谷三業と刻まれていた。三業とは料亭、芸妓置屋、待合のことで、要は花街である。四谷荒木町周辺では明治から昭和中期に花街が栄えた。

社殿左脇に回って本殿を見る。コンクリート製の切妻造りで、銅板葺の屋根には外千木と5本の鰹木がついている。
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拝所から拝殿内部がよく見える。天井画や三十六歌仙絵や獅子のコテ絵が飾られていた。
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天白稲荷社

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鳥居の両脇に溶岩がある。左側のには溶岩洞穴らしき穴があった。
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一時期富士講があったのかもしれない。

一対の狛犬がある。右が阿形獅子、左が吽形で頭に角の痕跡がある。
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亨保十三年六月鮫川橋氏子会奉納。300年近い年月を経て、この保存状態はすばらしい。鮫河橋というのは、須賀神社男坂登り口近く、現在は暗渠になっている桜川支流鮫川にあった橋と周辺地域を差すらしく、明治の頃は東京市下最大の貧民窟だったという。これだけの谷だから湿地だったのだろう。開発が遅れるのは当然である。そんな中でこれだけ立派な狛犬を作るのだから、当時の信仰の篤さがわかるというものだ。

茅の輪守

社務所蘇民将来の茅の輪を貰いました。初穂料1000円です。
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茅の輪(茅の輪守り)の由来

茅の輪は、当須賀神社主祭神の一つ「スサノオノミコト」にとても縁があり、その由来は備後風土記からきております。備後風土記によりますと、「スサノオノミコト」が姫を捜しに出かけられ、彼の地で日が暮れてしまったのである兄弟のところへ一夜の宿を求められました。すると大富豪の弟は断りましたが、貧しい兄の「蘇民将来」は「スサノオノミコト」を真心こめてもてなしました。
その後「スサノオノミコト」は再び訪れ、「汝の真心に感銘した」と言われ、茅の輪を授け「この茅の輪を祀れば子孫を疫病、そして災いから守る」と言われました。
その故事から茅の輪の守が頒布されるようになったと言われる尊いお守です。
この茅の輪守は、玄関にお祀りし、神の尊い御恵とお教えによってご家族の除災招福・生業満足・無病息災をご祈願ください。

 

須賀神社の帰りに、すぐ近くの鯛焼きわかばの行列に並ぶ。
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最初日陰でとてつもなく寒かったが、途中から職人さんが鯛焼きを焼く様子を眺めていたら時間を忘れた。
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焼けた鯛焼きはベルトコンベアで売り場に流れていく。
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店内の席で出来たてを一匹食べました。
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餡の甘じょっぱさが体に沁みました。

JR四ツ谷駅の料金表案内板で「高輪ゲートウェイ」の文字を発見。
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駅名が長いので収まりが非常に悪い。どうせ将来「高輪」になるんだろうから、とっとと短くすればいよいのにね。