常温常湿希望

温度20℃湿度50%が理想です。

狩野派 ─画壇を制した眼と手@出光美術館

最近ご無沙汰していた出光美術館へ行きました。
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狩野派 ─画壇を制した眼と手(リンクはキャッシュ)を観ます。f:id:Melonpankuma:20200219213441j:plain
2019年度の出光美術館の展覧会は焼き物と水墨画が多くて極彩色のキラキラしたものに飢えていたので、とても楽しみにしていました。

前情報によると、2020年度はオリンピックイヤーを意識してか賑やかになりそうなテーマが続いています。大いに期待しています。

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四谷須賀神社で蘇民将来の茅の輪守

お守りを貰いに四谷の須賀神社へ行きました。f:id:Melonpankuma:20200229121457j:plain
男坂を登ります。

こちら『君の名は』のラストシーンの舞台だそうで、聖地巡礼されている方もちらほらいらしてました。
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階段を登りきったところに駐車場と賃貸住宅須賀の杜がある。その先に、もうひとつ階段。
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開山堂(両大師)で角大師護符

一ヶ月ぶりの上野公園。観光客がいないので、人出は今までの三割程度でしょうか。ここ数年ではみたことがないくらい閑散としておりました。

現在、新型コロナウイルスの感染防止のため東京国立博物館は閉館中。
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出雲と大和展、もう一回ぐらい観に行きたかったんだけどなあ。

本館前のユリノキに飾り付けがしてあり、反射してキラキラ輝いていました。
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形代でも貼って呪術系展示でもしているのかと思って単眼鏡を覗きましたが、そういう風なものではありませんでした。あたりまえです。二週間後のお楽しみですね。

 

本日のお目当ては、トーハクのお隣の開山堂です。
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天台宗、開山堂は東叡山寛永寺の開山である慈眼大師・天海と、天海が尊崇していた慈恵大師・良源の二人の大師をお祀りしていることから、古くから両大師と呼ばれています。ちなみに東京で唯一の門跡寺院でもあります。

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出雲と大和@東京国立博物館 平成館

1月中旬を過ぎてようやく2020年初の東京国立博物館です。正月早々に風邪を引いて、半月を引きこもりで過ごしてしまいました。
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この日、本館には特別公開「高御座と御帳台」に並ぶ列ができていました。
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私は平成館の方に向かいます。
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本館の賑わいとは打って変わって、こちらは平和なものです。
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平成館、玄関脇のパネル。
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銅鏡と銅鐸のかっこよいこと。

www.tnm.jp

令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。
「幽」と「顕」を象徴する地、島根県奈良県が当館と共同で展覧会を開催し、出雲と大和の名品を一堂に集めて、古代日本の成立やその特質に迫ります。

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ミナ ペルホネン/皆川明 つづく@東京都現代美術館

東京都現代美術館を訪れたのは何年ぶりでしょう。2019年3月にリニューアルオープンして初めての訪問です。
f:id:Melonpankuma:20200215234840j:plainミナ ペルホネン/皆川明 つづくを観ました。

mina-tsuzuku.jp

ミナ ペルホネンは、デザイナーの皆川明(1967-)が設立し、ファッション・テキスタイルを中心に、且つデザインの領域にとらわれない活動をしています。
皆川がミナ ペルホネンの前身となる「ミナ」を立ち上げたのは 1995 年。一過性の流行ではない普遍的な価値を持つ「特別な日常服」をコンセプトとし、日本各地の生地産地と深いコミュニケーションを重ねながらものづくりをつづけてきました。(中略)本展覧会では、多義的な意味をもつ「つづく」をキーワードに、ミナ ペルホネンの独自の理念や世界観を紹介するとともに、現代におけるものづくりの意味や、デザインの社会における役割を考察します。 

一番最初の部屋は撮影可でした。美しくデザインされた様々な表情の布が壁に貼られています。
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他にも何部屋か撮影可でした。

洋服の森。ここが一番楽しかった。
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どの服も素敵なものばかりです。あれが良いこれが好き、あの人が着たところを見たい、生まれ変わったらこれが着たいと想像が膨らみます。

趣味とは違うけど、なぜか気になった服。
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近づいたら、目があった。
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これは着てみたいと思った服。
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やっぱり、これも目があった(笑)
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こういうのも好き。
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気に入って一番長く見たのは新聞の挿画の部屋でした。日本経済新聞川上弘美著の連載小説『森へ行きましょう』の挿画が並んでいました。あれくらいのサイズ感が私はとても好きで、いつまでも見ていたい気分になりました。

 

巻き貝を構造とするシェルハウス。建築家中村好文の設計。
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「簡素で心地よい宿」のプロトタイプだという。

それほど混雑していなかったこともあり、一時間程度で見終わりました。
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日本画と違って凝視するものが少なく、私にとっては気軽に見られる展示でした。

 

帰り、MOTの近くにあるスペシャルティコーヒー屋さんに行きました。ザクリームオブザクロップコーヒーさんです。
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ピエール・マルコリーニの焼菓子と一緒にホンジュラスを。
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大変居心地のよいカフェでした。

宮崎神宮:日向三代を巡る旅 その15

帰りの飛行機の時間が迫るわずかな時間で宮崎神宮へ向かいました。

 

宮崎神宮の鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ場所とされる。主祭神神日本磐余彦尊神武天皇)をとし、配祀として神鸕鷀草葺不合尊と神玉依姫命の2柱を祀る。

以後神武天皇に対する崇敬から、歴代の領主により深く崇敬された。

 

宮崎県護国神社側から敷地に入り、宮崎神宮西神苑駐車場に車を止めて境内を歩く。

車祓所

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玉砂利が敷き詰められた清浄な参道が伸びる。
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参道脇に建つ50基の立灯籠は神武天皇崩御2600年の記念事業の一環として2017年に設置されたもの。
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竿までが石製、中台以上は木製の銅版切妻造り。火袋に十六菊紋がついている。この手は出雲大社でもよく見かけた。

三の鳥居

金属製の神明鳥居が立つ。
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一風変わった石灯籠がある。
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基台から竿部にかけての重厚さが面白い。宮崎市内の平和台公園にある平和の塔(八紘之基柱)にも通じる。こんな変わったのを作るのは、もしかすると。

 

宮崎神宮略記案内板
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宮崎神宮略記

 当神宮は神武天皇神日本磐余彦尊主祭神とし、 相殿には鵜葺屋葺不合尊(御父君)と玉依姫命(御母君)が奉斉されている。 天皇は四十五歳の御時、天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、 数々の苦難の末に大和地方を平定され、第一代の天皇として即位された。後に皇子神八井耳命の御子(建磐龍命)により、 天皇の御神霊が当地(皇居高千穂宮の霊地)に鎮祭され今日に至っている。
 古来より神武天皇宮域は神武天皇廟と称されて歴代領主の尊崇篤く、明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で、特に注目、重視された。明治十八年官幣大社に昇格、社名も同十一年に宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正二年に現在の宮崎神宮となった。その間の明治三十一年、神武天皇御降誕大祭会(総裁侯爵二条基弘、会長伯爵島津忠亮、幹事長男爵高木兼寛)が発足し、社殿の造営・境内地拡張等の大工事が進められた。特に明治天皇には御内幣金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。 同四十年に竣工、遷座奉告祭が斎行され、更に同年十一月、嘉仁親王殿下(大正天皇)の御参拝を給わった。以後皇族方の御参拝が続いた。殊に昭和天皇には皇太子裕仁親王殿下の御時、大正九年を始めとして六度の御参拝を給わった。 又皇太后陛下には大正一二年、久邇宮良子女王陛下として御成婚御奉告を始めとして陛下と共に二度の御参拝を給わっている。

祓所

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手水舎

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参詣者休憩所

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授与所

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儀式殿

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元は社務所として使われていたものだという。

儀式殿前の狛犬
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遠吠えしているような阿形の表情がよい。吽形の頭がやけに平ら。元は角があったのかもしれない。

 

いよいよ正門を通る。
宮崎神宮社殿群は明治40年(1907)に造営。設計は日本建築史学の創始者伊東忠太である。国の登録有形文化財として、神殿・幣殿・渡殿・神饌所・透間垣・拝所・正門・玉垣・石柵および徴古館が登録されている。左右対称の配置と復古的で端正な社殿形式に特徴がある。

本殿は方3間の切妻造妻入。前面に桁行4間の両下造の渡殿が接し、正面7間側面4間の幣殿に続く。幣殿の前面には桁行3間の向拝が付き、左右には渡廊を経て御料屋と神饌所が結合されている。御料屋と神饌所はそれぞれ妻を正面に向けた正面3間側面4間の切妻造。

正門

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国指定文化財等データベース

拝所の南方、参道正面に位置する。間口5.5mと規模の大きい四脚門。切妻造銅板葺。本柱・控柱とも円柱で、冠木や貫で固め、控柱上には舟肘木を置く。一軒疎垂木とし、豕叉首組、中備に束を建てる。菊紋の大きな金具を飾る板戸両開をたてる。簡明で重厚な門。

拝所

拝所の先は木製の玉垣で仕切られているためこの先には進めない。一般参拝者はここで詣でる。
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国指定文化財等データベース

幣殿の南方、正門との中程に位置する。桁行三間梁間三間、切妻造銅板葺。礎石上に円柱を建て、内法貫で固め、舟肘木を置き、桁や梁を支持。小壁を板壁とし、一軒疎垂木。四方吹放ちで、石敷、化粧屋根裏とし、各梁間に豕叉首を組む。大規模で、開放的な拝所。

幣殿

正式参拝の申し込みをすると、幣殿に入ることができる。
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国指定文化財等データベース

幣本殿の南に位置する、東西棟の切妻造銅板葺。桁行七間梁間四間、正面に三間向拝を付け、四周に組高欄付榑縁を巡らす。円柱で、舟肘木を置き、一軒繁垂木。中央三間に双折両開板戸、両端二間に蔀を装置。妻は豕叉首で、棟木筋にも豕叉首を組む独特の構法を示す。

神殿

神殿(本殿)がまったく見えなかったので Google Map で確認する。
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国指定文化財等データベース

境内の後方、船塚古墳を背に南面して建つ。切妻造妻入銅板葺で、千木と堅魚木を付ける。桁行三間梁間三間で高く床を張り、周囲に組高欄付の榑縁をまわす。正面中央に幣軸を構え両開戸をたて、他は横板壁。軒の深い緩やかな屋根をもち、安定感のある外観になる。

御料屋

木立に隠されて屋根の一部しか見えない。
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国指定文化財等データベース

幣殿の東方に、桁行五間単廊の渡廊で繋がる。桁行四間梁間三間、南北棟の切妻造銅板葺で、神饌所と同じ規模、形式になる。舟肘木で、妻は豕叉首組とし、軒は一軒疎垂木。平入の幣殿を中心に切妻を正面に見せる二棟を東西に配し、対称性の強い正面をつくる。

神饌所

こちらも、木立に隠されて屋根の一部しか見えない。
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 国指定文化財等データベース

幣殿の西方に位置し、単廊の渡廊で繋がる。桁行四間梁間三間、南北棟の切妻造銅板葺。基壇上に円柱を建て、地覆や貫、内法長押で固め、柱上舟肘木。妻面は板壁で、平側に連子窓や妻戸を装置する。内部は一室で、北面に奥行の浅い神棚などを設ける。神饌所の好例。

大鳥居

宮崎神宮からの帰路、神宮参道と国道10号との合流地点に大鳥居があった。
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レンタカーの返却時間が迫る。日向三代を巡る旅はこれにて終了。時間があれば皇宮神社や都農神社にも足を伸ばしたかった。またいつか機会があれば、行ってみたい。

江田神社:日向三代を巡る旅 その14

江田神社

江田神社は、黄泉国より帰還した伊耶那岐命が禊を行った場所と伝えられる神社で、御祭神は伊邪那岐尊伊邪那美尊。『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日壬辰朔条に「日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並預官社」、『日本三代実録』天安2年10月22日己酉条(858)に「授日向国従五位上高智保神。都農神等従四位上従五位上都万神。江田神。霧島神並従四位下伊予国正六位上布都神従五位下」、『延喜式神名帳』には「宮崎郡一座江田神社」とあり、日向式内四社の一つに位置付けられている古社である。

一の鳥居

一対の石灯籠と石製の明神鳥居が立つ。
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鳥居には松飾りがありました。
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正月の準備のようです。もしや大賀玉の木

二の鳥居

参道途中に新しい石製の明神鳥居がある。扁額付き。
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両脇に門松が飾られている。南天や葉牡丹が加わり、東京で見かけるものより華やかである。

由緒案内板
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江田神社由緒記

社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ

本神社ハ太古ノ御創建ニシテ其ノ創立ノ年代ハ詳カナラザルモ此ノ地一帯ハ古来所謂日向ノ橘ノ小戸阿波岐原トシテ伊邪那岐ノ大神禊祓ノ霊跡ト傳承セラレテ縁起最モ極メテ深キ社ナラム禊祓ノ際天照皇大神素盞鳴尊住吉三神ノ神々ガ御誕生アラセラレタル霊域ノ地ト傳ヘ即チ上代ニ於ケル中ツ瀬ト稱セル御池本社ヲ去ルコト約五丁ノ東北ニ現在ス後、世人入江ヲ開墾シテ江田ト稱シ里人俗ニ當社ヲ産母様ト稱ヘテ今日ニ至ル
仁明天皇承和四年丁己八月官社ニ列セラレ文徳天皇仁壽元年辛未正月従四位下ヲ授ケラレ清和天皇貞観元年己酉十月従四位上ニ進メラレ其後丹融天皇天録元年二月迄ニ天変地妖兵革等ノ年母ニ敍位八回ニ及ビ正一位ニ昇階アリシト云フ醍醐天皇ノ延喜年間ニ於テ延喜式内社日向四座ノ一社トシテ神明帳ニ登載セラレ祈年新嘗ノ奉幣ヲ承ケ居リシガ後西院天皇寛文年間ニ神社ノ制度ニ変革ヲ来シ遂ニ一村落ノ産土神ト同様ノ取扱ヲ承ケルニ至レリ
明治維新ニ際シ明治六年五月二十五日ニ社格縣社ニ列サレ同四十年二月九日神饌幣帛料供進ヲ指定サレテ今日ニ至ル

拝殿

社殿は素木の権現造り。拝殿は銅板葺で、流れ向拝がある部分は妻入り切妻造り、その奥にある棟高がやや低い平入の入母屋造りと組み合わせて、棟を丁字に納めている。寺院建築に見られる撞木造りである。
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鬼瓦の鳥衾は経の巻が三本。妻飾りに鏑懸魚が付き、虹梁や蟇股には彫刻が施されている。

木鼻は獏。
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水引虹梁の蟇股には雲龍が彫られている。
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本殿

一段高く基礎が作られた上に建つ。
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本殿は銅板葺流造りで、外削ぎの千木に5本の鰹木がついている。

 

みそぎ池

市立の阿波岐原森林公園市民の森内、北駐車場近くにある御池(みそぎ池)は、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命が禊をした場所との伝承がある。

 

禊を行なった場所について、『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記されている。

『古事記』上巻
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是以、伊邪那伎大神詔吾者到於伊那志許米上志許米岐此九字以音穢國而在祁理。此二字以音。故、吾者爲御身之禊而、到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音而、禊祓也。

故、於投棄御杖所成神名、衝立船戸神。次於投棄御帶所成神名、道之長乳齒神。次於投棄御囊所成神名、時量師神。次於投棄御衣所成神名、和豆良比能宇斯能神。此神名以音。次於投棄御褌所成神名、道俣神。次於投棄御冠所成神名、飽咋之宇斯能神。自宇以下三字以音。次於投棄左御手之手纒所成神名、奧疎神。訓奧云於伎。下效此。訓疎云奢加留。下效此。次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音。下效此。次奧津甲斐辨羅神。自甲以下四字以音。下效此。次於投棄右御手之手纒所成神名、邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。

日本書紀 神代上巻一の第五段
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伊弉諾尊、既還、乃追悔之曰吾、前到於不須也凶目汚穢之處。故、當滌去吾身之濁穢。則往、至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉、遂將盪滌身之所汚、乃興言曰上瀬是太疾、下瀬是太弱。便濯之於中瀬也、因以生神、號曰八十枉津日神。次將矯其枉而生神、號曰神直日神、次大直日神。又沈濯於海底、因以生神、號曰底津少童命、次底筒男命。又潛濯於潮中、因以生神、號曰表中津少童命、次中筒男命。又浮濯於潮上、因以生神、號曰表津少童命、次表筒男命。凡有九神矣。其底筒男命中筒男命表筒男命、是卽住吉大神矣。底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣。

阿波岐原は祓詞冒頭にも出てくる。

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す

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御池案内板
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御池(みぞぎ池)

古来よりこの地は筑紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、伊邪那岐大神が禊祓されたと伝えられています。我が国最古の歴史書である古事記には、伊邪那岐大神が禊祓をされ、天照大御神をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。

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御池の側に自然石の碑がある。
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御池(みそぎが池)

古来より、この池は竺紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、伊耶那岐大神が禊祓されたと伝えられています。我が国最古の歴史書である古事記には、伊耶那岐大神が禊祓をされ、天照大御神をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。


古事記 上巻

 是以伊耶那岐大神 到座竺紫日向 橘小門之阿波岐原而 禊祓也

 於是洗左御目時所成神 名天照大御神 次洗右御目時所成神 名月讀命 次洗御鼻目時所成神 名建速須佐之男命

(現代文)

 イザナキノオオカミは、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原においでになって、禊ぎ祓いをなさった。

さてそこで左の目をお洗いになると、アマテラスオオミカミという神がお生まれになりました。次に右の目をお洗いになると、ツクヨミノミコトという神がお生まれになりました。次に鼻をお洗いになると、タケハヤスサノオノミコトという神がお生まれになりました。