日御碕神社:出雲詣 その8
島根半島のほぼ西端にある日御碕神社に到着。
神の宮鳥居(東)
東北東を向いて石製の明神鳥居が建っている。
陽が高くなって徐々に気温が上がって、日傘なしでは厳しくなってきました。写真を撮ってもいちいち眩しくて困ります。
『出雲国風土記』には百枝槐社と美佐伎社、『延喜式』に御崎神社と記される古社で、出雲地方では珍しい朱色に染まった神社である。素戔嗚尊を上社(神の宮)に、天照大御神を下社(日沉宮)に祀っている。『古事記』の姉弟喧嘩の話は広く知られているところで、この二柱を一緒に祀っている神社は全国的にも珍しいのではないだろうか。
鎮座についての逸話が上社、下社それぞれに伝わっている。上社の元となる「美佐伎社」については、素戔嗚尊が「吾が神魂はこの葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げところ「隠ヶ丘」に落ちたと伝わっている。下社の元となる「百枝槐社」は、以前日御碕神社にほど近い経島(ふみしま)にあった。天葺根命(あめのふゆきぬのかみ)が浜にいた時に天照大御神の神託を受け、島上に奉斎した事に由来する。その御、村上天皇天暦二年の勅命で現社地に遷座され、後「神の宮」と共に日御碕大神宮と称せられるようになったと伝わっている。
ただし、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と「百枝槐社」の御祭神にまつわる記述はなく神格としての扱いも重くはないことから、当初から素戔嗚命を祀っていたとは考えにくい。
社殿建築物の多くが徳川家光の幕命による寛永期の建立で国の重要文化財に指定されている。
和布刈神事レリーフ
鳥居をくぐり参道を少し進んだところに木彫りのレリーフがある。
成務天皇6年(136)1月5日の早朝、一羽のウミネコが海草を日御碕神社の欄干に3度掛けて飛び去った。不思議に思った神主がそれを水洗いして乾かしたところ、ワカメになった」という故事にならって行なわれる神事です。毎年旧暦1月5日に行われ、裸役の地元青年団員数人が赤い下帯姿で海に飛び込み、島から港まで寒中水泳する。日御碕神社の神職が宇龍港から権現島まで大漁旗を立てた漁船で行き、ワカメを日御碕神社の末社・熊野神社(権現島に鎮座)にお供えしてワカメの豊作と魚の大漁を祈願する祭。
日御碕神社案内板
歴史の足跡
日御碕神社の所在の浦は、『出雲国風土記』にみえる「御前浜 広さ一百二十歩あり」とみえる御前浜にあたる。
その「百姓」の「御埼の海子」が採集する鮑は名品であったという。
『風土記』には現・日御碕神社の祖形とされる「美佐伎社」「御前社」「百枝槐社」がみえる。「美佐伎社」が素戔嗚尊を祭る上の社(神の宮)、元は経島にあったと思われる「百枝槐社」が天照大神を祭神とする下の社(日沈宮)とされ、「御前社」は不明である。「伊勢神宮は日の本の昼を守り、日御碕大神宮は日の本の夜を守る」との伝承を受け止めれば、夜を治める「月夜見命」も鎮座していることに注目したい。
祭礼としては毎年八月七日の夕方日沈みの宮の旧社地に鎮座する経島神社での「夕日の祭」、旧暦一月五日に宇龍港の権現島に鎮座する熊野神社で行われる和布刈神事、そして秘祭として大晦日に行われる神劔奉天神事がある。
社務所
楼門
左手前が社務所、右に手水舎、中央石垣の上に回廊と楼門がある。朱塗りの材が緑に映える。
茅葺き切妻屋根の手水舎。朱塗りの材で四方転び開け放ち。中央に天然石の手水鉢が置かれている。楼門に続く階段脇に社号標があり「出雲日御碕大神宮」と刻まれている。
楼門は初層、上層とも桁行三間梁間二間の三間楼門で、茅葺き入母屋屋根。初層・上層共に緑の連子窓がついている。
境内から楼門を振り返ったところ。
これは上の宮がある高台から楼門を見下ろしたもの。手前は右の門客人神社。
寄木狛犬
楼門の両脇に巨大な木製の狛犬が鎮座している。欠損が激しく、寄木造りなのがよくわかる。阿形吽形のどちらにも角があるのでダブルの狛犬らしい。
歯は雑食性。舌までよく作り込まれています。
日御碕神社御由緒案内板
日御碕神社御由緒
下の本社(日沈の宮) 主祭神 天照大御神 村上天皇天暦2年 勅命により現在の地に移し祀る
上の本社(神の宮) 主祭神 神素盞鳴尊 安寧天皇13年 現在地に移し祀る
古来、両本社を総称して日御碕大神宮と称す日沈の宮の遠源は、神代の昔 素盞鳴尊(スサノオ)の御子神・天葺根命(アメノフキネ、また天冬衣命と申す宮司家の遠祖)が現社地に程近い経島(ふみじま)に天照大御神(アマテラス)の御神託を受け祀り給うと伝えられる。
また「日出る所 伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り、日の本の昼を守り、出雲国日御碕の清江の浜に日沈宮を建て、日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らむ」、天平7年乙亥の勅に輝く日の大神の御霊顕が仰がれる如く、古来 日御碕は夕日を餞(はなむ)け鎮める霊域とされ、また素盞鳴尊は出雲の国土開発の始めをされた大神と称えられ、日御碕の「隠ヶ丘」は素尊の神魂の鎮まった霊地と崇められた、「神の宮」は素尊の神魂鎮まる日本総本宮として「日沈宮」と共に出雲の国の大霊験所として皇室を始め あまねく天下の尊崇を受け、現在に至っている。
然して その御神徳は天照大御神の「和魂(ニギミタマ)」、素盞鳴尊の「奇魂(クシミタマ)」の霊威を戴き、「国家鎮護」「厄除開運」「交通公開の安全」「良縁・夫婦円満・安産」「家業繁昌」の守護神として御霊験あらたかである。
現在の社殿は、徳川三代将軍・家光公の幕命による建立にして、西日本では例のない総「権現造」である両社殿とも内陣の壁画装飾は極彩色で華麗にして荘厳の至である。社殿のほとんど および石像建造物は国家重要文化財である。
日沈宮
下の宮。南東を向いて建っている。3代将軍徳川家光の命で幕府直轄工事として日光東照宮の建設と平行して寛永11年から21年(1634-1644)までの期間を掛けて造営された権現造様式である。
拝殿
御祭神は天照大御神。相殿神として、正哉吾勝尊、天穂日命、天津彦根、活津彦根命、熊野櫲樟日命を祀る。
朱塗り桁行五間梁間六間の檜皮葺入母屋造で一間の唐破風向拝がついている。注連縄の撚り始めは左である。
木鼻の獅子がやたらと可愛い。
日光東照宮社殿群とほぼ同時期に進められた工事であったと知ると、なんだか細部の彫刻が気になります。
やけに凝ってるし。
同じ職人が手掛けているところがあるのかもしれません。
あまりに暑いので、屋根の日陰に鳩が集まっていました。
本殿
日沈宮の本殿は石垣のある拝殿よりも一段高いところに建てられ、朱塗り檜皮葺の玉垣で囲われている。
朱塗り桁行正面三間背面五間梁間五間、檜皮葺の入母屋造。
手前の拝殿と奥の本殿の間に通路のように見えるのが幣殿で、朱塗り桁行三間梁間一間の檜皮葺両下造。前面が拝殿と接続し後面が唐破風造になっている。
本殿を妻側から見る。
細やかな彫刻が入った豪華な造り。
猪の目懸魚が三つもついている。蟇股には波、虹梁の間には雲や太陽と月の彫刻がある。
上の宮のある高台から見下ろしたもの。
眩しくて、何がなんだか。
日沈宮禊所
朱塗りではないが、これも寛永時代の建物で重要文化財に指定されている。
桁行六間梁間四間の檜皮葺入母屋造、配膳所を含む。
神の宮
日沈宮を見るように南西を向いている。こちらも3代将軍徳川家光の命で寛永11年から21年(1634-1644)に造営された権現造様式である。
神の宮(上の宮)の御祭神は神素戔嗚尊で、相殿神として宗像三女神(田心姫、湍津姫、厳島姫)を祀る。
神の宮への階段に並行して楼門から檜皮葺切妻の回廊が伸びている。
拝殿
朱塗り、桁行三間梁間三間、檜皮葺入母屋造に一間の唐破風造向拝がつく。幣殿は桁行二間梁間一間の檜皮葺両下造で前面が拝殿と接続し後面に唐破風造がつく。
本殿
朱塗り檜皮葺の玉垣越しに、本殿を仰ぐ。
朱塗り桁行梁間共に三間の檜皮葺入母屋造。
境内摂末社
門客人神社
楼門を抜けると左右に門客人神社が祀られている。寛永21年(1644)建立。一間社、檜皮葺入母屋造、向拝一間。
読みは、かどまろうどじんじゃ。御祭神については不明。
韓国神社
御祭神は五十猛命(いそたけるのみこと)。素戔嗚命の子で、林業の神。『古事記』の大屋毘古神と同一神とされる。
石塔を転用したような石組みの基礎の上に、銅板葺一間流造の社である。小さな社ながら、梁に注連縄があり、欄間に龍、木鼻には獅子や象鼻の凝った彫刻がある。
下の本社(日沈の宮)社殿の右手(北側)。左から蛭子社、奥に見える石垣脇の小さな祠が荒魂神社、中央右より木立に隠れているのが宝庫である。
宝庫は、檜皮葺寄棟造、桁行正面三間背面二間梁間二間で一間の向拝がつく。神社建築の中で寄棟がやけに目立っていた。
蛭児社
御祭神は蛭兒命。伊奘諾尊と伊奘冉尊との間に最初に生まれた手足のなえた子。船にのせられて流された。
なお、蛭子と恵比寿を同一視するようになるのは室町時代からで、恵比寿神を祭神とする神社は、恵比寿=事代主とすることが多い。
一九社
日和埼社、曽能若姫社、秘臺社、意保美社、大山祇社、大土社、波知社、中津社、立花社、宇賀社、窟社、眞野社、大野社、加賀社、問社、坂戸社、大歳社、若宮社、八幡社。
稲荷社
神の宮本殿脇の階段を登ったところにある。
境内外末社
宗像神社
祓所の前を抜けて廻廊を出て右に向かったところにある。
天照大神との誓約の際に素盞鳴が生んだ宗像三女神(田心姫、湍津姫、厳島姫)を海人族宗像氏が祀っている神社。
宗像三女神は神の宮でも相殿して祀っているのに、なんでまた境外でもと思ったが、詣でる人によってはやはり意味が違うものなのだろうし、神の宮の遥拝所みたいな趣もあるのかもしれない。
神の宮鳥居(西)
宗像神社のすぐ前、海に向かって西の鳥居がある。
これも寛永21年造成の重要文化財。石製の明神鳥居である。
鳥居の先にある港から経島(ふみしま)が見える。
天照大神が日御碕神社に祀られる以前には、経島に鎮座していた。面積約3000平方メートルの無人島で、神域として神職以外の一般の立入りは禁止。
柱状節理の石英角斑岩からなり、その形状が「経典」を積み重ねたように見えるためその名がついた。ウミネコの繁殖地としても知られる。
陽射しが強くて、神社を一回りした後は疲労で頭が痛くなるほどでした。
冷たい甘酒とサザエのつぼ焼きで、なんとか生き返りました。
出雲旅行の記録、もう少し続きます。