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古代出雲歴史博物館:出雲詣 その9

出雲大社の東にある古代出雲歴史博物館に行きました。

摂社命主社に寄った後だったので、裏の広い庭園をながめながら建物に向かいます。
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山々の緑と赤い鉄板のコントラストが美しい。
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たたら製鉄を象徴して壁面に鉄を使っているそうです。

正面側はガラスの壁面です。
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太古から変わらない緑、文明の始まりを連想させる赤、そして、現代を象徴するガラス。建物からも歴史が伝わってくるようです。

 

展示室に入ってすぐの中央ロビーに《出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱》がある。
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鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿の柱であると推定されている。

出雲大社と神々の国のまつり

古事記 奈良時代(712年)成立 明治3年(1870)刊》
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出雲大社創建の物語が記されている。

天之御巢而。於底津石根。宮柱布斗斯理(此四字以音)於高天原。氷木多迦斯理(多迦斯理四字以音)而治賜者僕者於百不足八十坰手隱而侍。亦僕子等。百八十神者、卽八重事代主神。爲神之御尾前而、仕奉者。違神者非也

天之御巣に如きて、底津石根(そこついはね)に宮柱布斗斯理(ふとしり)。高天原に氷木多迦斯理(たかしり)て、治め賜へば、僕は百不足(ももたらず)八十坰手(やそくまて)を隠りて侍らむ。
また僕の子ら百八十神は、即ち八重事代主の神、神之御尾の前に為して仕へ奉らせば、違ふ神は非ざり也。

 

出雲大社并神郷図 複製 原品:出雲大社所蔵 鎌倉時代(13~14世紀)》
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(部分拡大)

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杵築大社(現在の出雲大社)ととその周辺を描いた絵図。神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まったことで、大社の北にある禁足地の八雲山よりも、鰐淵寺のある東の山が大きく目立つように描かれているのが面白い。

(4倍に拡大した複製)
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朱塗りの柱の本殿は現在のものよりも一際高く描かれている。

 

《古代本殿復元模型》
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建築史家5名による、1/50の出雲大社境内遺跡出土本殿遺構復元建築模型。左から、三浦正幸(広島大学教授)、浅川滋男(鳥取環境大学教授)、黒田龍二神戸大学工学教授)、宮本長二郎(東北芸術工科大学教授)、藤澤彰(芝浦工業大学教授)によるもの。

 

平安時代出雲大社本殿1/10模型》
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福山敏男(京都大学名誉教授)が戦前に想定した設計図を元に作られた。
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代表的神社建築模型のコーナー
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《大社造 出雲大社本殿 模型》
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建築の特徴
正面2間×側面2間、切妻造り妻入り、檜皮葺。千木までの高さは約24mを測り、国内随一の高大な本殿建築です。江戸時代前半、1667(寛文7)年の造替時、中世以来の仏教色を排除し、当時の考え方としてより古い形式に「復古」した建築でもあります。

 

《神明造 豊受大神宮伊勢神宮外宮)正殿 模型》
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正面3間×側面2間、切妻造平入り、茅葺き。独立する棟持柱が特徴的です。伊勢の神宮では、7世紀以来、20年に一度、社殿とその殿地、奉る神宝装束類など全てをあらためる式年遷宮(定期的な造替)の制度を現代に伝えています。

 

《住吉造 住吉大社本殿(第一本宮) 模型》
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正面2間×側面4間、切妻造妻入り、檜皮葺。第一から第四宮が縦に並んでいます。殿内は前後二室に分かれています。伊勢神宮と動揺に直線的にな屋根形態をもち細部も簡素な造りですが、柱、壁とも彩色されています。年数は必ずしも一定しませんが、20年ごとの定期造替の制度が伝えられています。

 

《八幡造 宇佐神宮本殿(第一之殿) 模型》
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内院正面3間×側面2間・外院正面3間×側面1間。切妻造平入り、檜皮葺の建物が前後に二棟並びますが、共に本殿でひつの住まいと夜の住まいになっています。曲線的な屋根には千木、鰹木を置かず、二棟の間に雨水を受ける樋が設けられています。第一から第三之殿が並列し、柱、壁ともに彩色されています。古代から中世にかけては30年ないし33年に一度の定期造替の制度があったとされています。

 

《流造 賀茂別雷神社本殿 模型》
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正面3間×側面2間、檜皮葺で切妻造平入りの正面側の屋根(向拝)を曲線的に前方に延ばした形です。亀腹基壇上の井桁上の土台の上に柱が立ちます。造替の間隔は一定せず、定期造替の制があったかどうかははっきりしません。本殿と並立する同大同形の権殿は造替時に仮殿の機能を果たしたとされます。一般的な流造は、神社本殿の最も普通の形式で全国に分布していますが、上・下鴨神社の流造は独特の伝承形式です。

 

《春日造 春日大社本殿 模型》
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正面1間×側面1間、檜皮葺で切妻造妻入りの正面に屋根(向拝)を付けた形です。井桁状の土台の上に柱が立ち上がります。第一から第四殿が並列し、柱、壁をはじめ全体が彩色されています。約20年に一度の定期造替の制度を今に伝えています。一般的な春日造は、流造に次いで多く見られる小規模な形式で、奈良県をはじめとする近畿地方を中心に分布しています。春日大社の春日造は独特の伝承形式です。

 

《杵築大社近郷絵図 複製 原品所蔵:北島建孝氏 江戸時代(17世紀)》
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古い建築物が撤去・移築されるなかで、従来の境内の様子を詳しく伝えるために作成された資料。三重塔や鐘楼がある一方、一九社がない。背後にある八雲山が強調されて描かれている。現在の御宮通や神迎の道沿いに民家の賑わいがあるのがわかる。
勢溜の南、現在の神門通りのあたりが山のように描かれているけれど、地形としては下っていたはず。はて?

 

 《出雲大社復元模型 縮尺1/150 江戸時代 慶長14年(1609)》
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1609年頃の本殿と境内の様子で『杵築大社近郷絵図』などをもとに復元したもの。戦国大名である尼子氏の意向によって、三重塔や鐘楼が建ち並び、仏教色が強い。

 

 《出雲国大社之図 江戸時代》
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出雲大社に集まった神々が、木の札にそれぞれ男女の名前を書いてカップルを決めて「縁結び」をしている。

 

《十六島海苔(うっぷるいのり) 江戸時代(19世紀)》
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奇跡的に伝わった実物。他国に出かけ、信者から御初穂を受けるかわりにお札を授けた出雲大社御師(布教担当の神官)は、出雲の名産も持参していた。

 正月元旦雑煮の上に乗せて食べれば、その年の邪気を祓い難病から逃れられると言い伝えたと。

 

出雲大社本殿の千木と鰹木》
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長さ、千木が830cm、鰹木が545cmという大きさ。いかに巨大な建築物なのかがわかる。

青銅器と金色の大刀

《◉35号銅鐸 雲南市加茂岩倉遺跡 弥生時代(紀元前2 - 1世紀)文化庁
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高さ47.4cm、銅鐸の身は網目状の斜格子文が田の字型に配置してある袈裟襷文と呼ばれるもので、上の区画に鹿や猪と思われる四足獣(反対面は羽を広げたトンボ)が描かれている。吊り手中央に鋭い刃先を持つ工具で刻まれた「×」がある。

 

《◉荒神谷遺跡出土品》
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国宝を含む銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個の展示(複製品を含む)。昭和58年(1983)の広域農道の建設中に発見された遺跡は、三宝神社が祀られていることにちなんで荒神谷遺跡と名付けられました。全国で最も大量の銅剣を出土し、当時の日本古代史学、考古学界に大きな驚きをもたらし、全て国宝に指定されました。出土した358本の銅剣のうち344本に「×」印が刻まれている。

 

《◎金銅装双龍環頭大刀 かわらけ谷横穴墓出土 古墳時代(6 - 7世紀)》
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 大正14年(1925)、考古学愛好家らが発見した。発見時には鞘から刀身が引き抜けたと記録にのこされているように、まれにみる良い保存状態で出土した。太刀は研ぎ直された。双龍環頭大刀は新羅などの影響を受けて6世紀に古墳の副葬品として登場した。

 

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出雲大社の後に行ったら、思ったよりも展示量が多くて半分くらいでバテてしまいました。最後、総合展示室では疲労ですっかり集中力を欠いて、ほぼ流し見。惜しかったけど、この後『出雲と大和』でまた見られるはず。

 

なんて思ってたら、公式サイトに11/18から来年4月まで休館とアナウンスが。

www.izm.ed.jp

どうやら、想像していた以上に東博『出雲と大和』展に出品があるようです。予習のつもりが、もしかして、見すぎちゃった?

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博物館を出たのはちょうど昼時というタイミングの悪さで、神門通りのお店はどこも行列ができていました。

ここは甘味に走るしかないと、日本ぜんざい学会 壱号店で縁結びぜんざいを頂きました。
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甘さが体に染み入りました。