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春日大社 千年の至宝展(前期)@東京国立博物館 平成館

1月の末、東京国立博物館に行きました。その後の忙しさにかまけて、ずっと放置してしまいましたが、記事として残しておかないと忘れるだけなので、遅ればせながら投稿。

行き先は平成館なのですが、この日は荷物が重かったので本館のロッカーを使ってから連絡通路を抜けて平成館に向かいました。
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平成館で開催されているのは、春日大社 千年の至宝展です。
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kasuga2017.jp

本展に入場する前に、平成館一階のガイダンスルームで春日大社展のビデオを鑑賞。
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私は春日大社に行ったことがないので、展示物を見る前にあの辺の自然環境を空からの映像で一望できたのがよかったです。今回は、予習もしていないし、予備知識もなにもなし。久しぶりにまっさらな状態で挑みました。

 

以下に気になった展示物をずらずらとメモ代わりに残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵先なしは東博所蔵)。

 

第一章 神鹿の杜

春日大社の草創は、武甕槌命が鹿に乗り、常陸国鹿島から春日の地に降り立ったことに始まります。本章では、春日大社の創祀を物語る歴史資料や絵画作品、そして神々しくも親しみにあふれる「神鹿」に関わる美術を展示します。

1《鹿島立神影図 一幅 南北朝室町時代 14~15世紀 春日大社
春日連山に月、その手前に御蓋山。華やかな姿の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が巨大な鹿に乗って、春日の地に降臨した様子を描いています。神木の榊は地面に根を張って弓形に幹を伸ばしている。枝先から藤の花が下がり、結ばれた垂(しで)が風になびく。樹上の円相の中に本地仏が描かれている。衣冠姿の中臣時風(なかとみのときふう)と中臣秀行(ひでつら)を伴う(左の笏を持っているのが時風)。
いきなり御神体です。これは、博物館だから見られるのであって、春日大社に行っても見せてもらえないものだということは、私にでもわかります。

5《◎春日鹿曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 京都・陽明文庫》
現存最古の鹿曼陀羅。かなり色が褪せてしまっているが、5本の垂がよく見える。

8《春日鹿曼荼羅 一幅 室町時代 15世紀》
春日講の御本尊 。春日講は奈良を代表する信仰行事で、町々に春日講(しゅんにちこう、かすがこう)と呼ばれる春日信仰の講社がある。

10《神鹿鞍 一具 江戸時代 19世紀 春日大社
神様が乗られた鹿用の鞍。馬用と細工は同じで鐙もついているがそれと比べると二回りも三回りも小さい。これを実際に鹿に乗せたら重そうだと思った。

16《◉ 延喜式 巻一 一巻 平安時代 11世紀》
平安時代中期に編纂された格式。春日大社の縁起の資料として展示されていた。

18《◎ 春日神鹿御正体 一軀 南北朝時代 14世紀 京都・細見美術館
独立してガラスケースに展示されていた。春日大社の使いである鹿を象ったもの。白雲の上に立ち、鞍に立てた榊に円相があり、その中に春日の本地5体が線刻されている。

19《春日厨子 一基 室町時代 15世紀 大阪・藤田美術館
木彫りの神鹿を収める厨子の中に春日山。扉に鹿を誘導する4人の神官が描かれている。榊には藤花が絡んでいる。神鹿といえど綱をつけて誘導しなくてはいけなかったのか。

20《金銅鹿像 一軀 江戸時代 17~18世紀 愛知・徳川美術館
鞍をつけていない神鹿の像。口に茎葉を咥えている。

21《白鹿 森川杜園作 一軀 江戸時代 慶応2年(1866) 春日大社
座り込んだ穏やかな顔の鹿。シカの横広の瞳孔が鮮明に表現されていて虹彩が金色のためヤギの顔のようにも見える。背中の模様がハート型なのが愛らしい。体内に卵形の生玉を持っていて、長寿を願う祈りが込められているそうです。

22《鹿図屛風 六曲一双 江戸時代 17世紀 春日大社
金地に様々な姿の鹿の群れが描かれている。鹿だらけ。ロバっぽくも見える。人間の目のように白目が描かれているので、それぞれ何か思惑のある表情をしているかのよう。どうも日本画では馬にしても鹿にしても白目を描くのが一般的らしい。

第二章 平安の正倉院

神々の調度品として奉納された古神宝。春日大社には平安時代に奉納された本宮御料と若宮御料伝わり、「平安の正倉院」とも呼ばれています。本章では、王朝時代の雅と美を今に伝える国宝の品々をご紹介します。

58《◉ 金地螺鈿毛抜形太刀 一口 平安時代 12世紀  春日大社
柄や鍔は金無垢に想像上の植物、宝相華(ほうそうげ)が彫金されている。細やかな文様を打ち出して描いている。握りやすいように柄に透かしがあり、その形が古代の毛抜き(鑷子)に似ていることから毛抜形と呼ばれている。柄の部分を単眼鏡で覗くと無数の点(魚子)が見える。鞘は螺鈿で竹林で雀を追う猫が描かれている。雀や猫の目は琥珀
今回は、まさにこれを見に来たわけです。竹雀は珍しいモチーフではありませんが、雀を捕らえる猫はかなり特殊な絵柄なので、実物を見れば何か意味がわかるかと思いましたが、やはり、奉納者がよほどの猫好きだったんだろうなあとしか。

64《◎ 藤花松喰鶴鏡 一面 平安時代 12世紀  春日大社
松喰鶴。鶴の描写がしなやか。松鶴の組み合わせは多いが藤花は珍しい。 

第三章 春日信仰をめぐる美的世界

草創以降、貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げてきました。また、神と仏が一体であるとする神仏習合の思想を背景に、仏法を守護する春日の神々への信仰も広がりをみせていきます。本章では、春日の神々への祈りを表わした選りすぐりの名品を展示します。

83《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀》
春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山春日山若草山を配す。聖地・春日野かすがのを一望にする礼拝画の大作

86《春日宮曼荼羅 一幅 室町時代 14~15世紀 奈良国立博物館
色紙に成唯識論(じょうゆいしきろん)と春日講の伽陀(経文)が書かれている。

88《◎ 春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・南市町自治会》
春日曼荼羅の様式を踏まえ、社殿と山並みの間に浮かぶ円相に、一宮(釈迦如来)、二宮(薬師如来)、三宮(地蔵菩薩)、四宮(十一面観音)、若宮(文殊菩薩)が描かれている。さらに若宮社の神楽殿童子姿の若宮神が姿を現し(影向:ようごう)、烏帽子をかぶる男性貴族と対面する場面が描かれている。

91《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉~南北朝時代 14世紀 春日大社
参堂廻廊は通常金泥で描かれるが、これは雲母で描かれているため白く光っている。春日山の上に五社の神々に対応する本地仏が円相に描かれているが、これも雲母が使われているようで光っている。

95《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 14世紀 愛知・徳川美術館
一宮の本地仏を釈迦如来にする例が多いが、この曼荼羅では三目八臂の不空羂索観音として描いているのが珍しい。藤原摂関家を中心とする興福寺南円堂本尊(藤原氏の氏寺)への崇敬を背景として、春日社一宮本地仏不空羂索観音とする説は古く摂関家を中心に一定の流布があった。

100《春日社寺曼荼羅 一幅 鎌倉時代 14世紀 奈良国立博物館
春日社と興福寺を俯瞰的に描いている。本地仏は立像で、左に本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏が、それぞれの殿社から立ち上る雲に乗って現れている。空の部分に下書きの円相が見え、途中で変更した様子がわかる。

107《◎ 春日浄土曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・能満院》
画面中心に円相の本地仏五尊が大きく描かれて、画面下方に春日山春日大社が配置される構図。

109《◎ 天狗草紙 興福寺巻 狩野晴川院(養信)筆 一巻 江戸時代 文化14年(1817)》
天狗草紙は鎌倉時代末ころの仏教諸大寺・諸宗派僧侶の慢心や行いの乱れを天狗にたとえて風刺し、その天狗らがついには発心成仏するという物語を描いたもの。山の中にいる三体の天狗に甘露を与えて手なずけている。

110《◎ 春日本迹曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・宝山寺
まるで本地仏図鑑。春日大社に祀られている10の御祭神とその本地仏をわかりやすく図示している。

123《春日千体地蔵図 一幅 鎌倉時代 14世紀 奈良国立博物館
広々とした山水景観の中に、千体近くを数える地蔵菩薩が集まる様子を描いている。画面上方左寄りに御蓋山春日山および春日大社の朱塗り社殿が点在していることから、地下に地獄があると信じられた春日野を表している。地獄道、餓鬼道、畜生道阿修羅道、人道、天道をそれぞれ描き、春日野の地が六道輪廻の苦しみに満ちた穢土に見立てられている。六道の各々に一群をなして集まった地蔵たちが、今まさに衆生を救済するために影向した光景と考えられている。
びっしりと描かれた地蔵菩薩に、若冲の石峰寺図の五百羅漢を思い出しましたが、あのたらこみたいなのと違って、こちらの地蔵は非常に細やかに描写されている。

127《春日赤童子像 一幅 室町時代 16世紀》
岩座上に立ち、右手に棒を持ち左手で頬杖をつくポーズ。法相宗を護る春日明神の姿として興福寺僧を中心に盛んに礼拝された忿怒相垂髪赤肉身の童子像。制叱迦童子の姿に基づくと思われる。 

130《◎ 地蔵菩薩立像 善円作 一軀 鎌倉時代 延応2年(1240) 奈良・薬師寺
端正なお顔立ちが印象に残る。内衣を着けた法服地蔵。 

136《◎ 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 康円作 五軀 鎌倉時代 文永10年(1273)》
獅子に乗った文殊菩薩に4人の侍者が従う渡海文殊の作例。中国五台山で信仰された組み合わせで中世以降流行した。海を渡る表現は日本独自のもの。獅子に乗った文殊菩薩、手綱を引く于闐王(うてんのう)、振り返る善財童子、大聖老人、インド僧の姿をしているのが仏陀波利三蔵。それぞれ興味深い形をしています。
文殊菩薩は結跏趺坐で右手に宝剣、左手に蓮の花を持ち、髻を五つ結ってそれぞれの上に化仏の姿が見えます。舟形光背(実に細やかできれい)の左右に迦陵頻伽が彫られています。私は迦陵頻伽モチーフが好きなので、こういうところで目にするとうれしくなります。

143《古社記断簡 一巻 鎌倉~南北朝時代 14世紀 春日大社
春日御正躰事として御祭神10体について俗形の詳細が記されている。一宮と二宮は老体、三宮は僧形、四宮は吉祥天女、若宮は童子形、率河は男体、水屋は毘沙門形、氷室は若者、一言主吉祥天女、榎本は老体。

150《鹿座仏舎利および外容器 一具 江戸時代 慶安5年(1652) 春日大社
御神体の円相舎利容器を背負う白鹿がとてもかわいらしい。外容器正面には月のかかる春日山と蓮が蒔絵で描かれている。天面に龍、裏面には霊鷲山(りょうじゅせん)と珠取龍が描かれている。

151《獅子座火焰宝珠形舎利容器 一基 南北朝時代 14世紀 奈良国立博物館
通常鹿のところを獅子の背に火焔宝珠形舎利容器を乗せているのが珍しい。獅子は右前脚を踏み出して立ち、前を見据えて咆吼している。春日杜の舎利信仰と文殊菩薩信仰の融合とみられる。

154《春日権現験記絵 巻二十 [詞書]鷹司冬基筆[絵]高階隆兼筆 一巻 鎌倉時代 延慶2年(1309)頃 宮内庁三の丸尚蔵館
春日の神々の霊験を描く全二十巻の絵巻。春日本は松平定信の指示で制作された。近年大掛かりな修復と調査が行われ、外装の修復に皇室で飼育されている古代種繭の小石丸が用いられた。この巻では嘉元神火事として火の玉を指差して驚く人々が描かれる。

157《春日権現験記絵(春日本) 巻一 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
承平託宣事

159《春日権現験記絵(春日本) 巻七 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
知足院が春日社に参拝した時気高い姿の童子から神託を受ける。大勢の僧侶に見守られて童子が舞っている。弁髪帽らしい中国僧の姿もある。右に弊殿。松に藤の花が絡みつく。

161《春日権現験記絵(春日本) 巻十二 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
鹿に囲まれる牛車には春日三宮が黄衣神人姿に化身した地蔵菩薩の姿が見える。右下の黒衣の僧は恵珍。入場すぐのビデオに鹿が出てきて、側対歩で歩いていたのを覚えていたので、つい鹿の足並みに目が行く。

164《春日権現験記絵(春日本) 巻十八 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大》
明恵上人が笹置寺の貞慶上人から仏舎利二粒を貰い受ける。同じ建物の左の部屋にはその前夜の対話の様子が異時同図法で描かれている。よく見ると着物や襖や畳の模様が同じであることがわかる。

165《春日権現験記絵(春日本) 巻十九 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
成安3年、大和国の悪党(朝廷軍)に神鏡14個を奪われた。興福寺の衆徒が追討し、敵将池尻家政を討ち取って神鏡三面を取り返した宇治栗駒山の戦いの場面が描かれている。霧の途中から馬に乗った武士が唐突に現れるような描き方になっているのがドラマチック。捕まえた敵将池尻家政は足を切り落とされ、流血の中腕を足で踏みつけて押さえつけられている。胴丸をつけた兵士が取り返した三鏡を片手に持っている。当時の合戦の様子が詳細にわかる貴重な資料。

166《春日権現験記絵(春日一巻本) 伝冷泉為恭筆 一巻 江戸時代 19世紀 春日大社
寛治御幸事。白河院が乗った牛車を鶴が迎えている。日本画で鶴は白く描かれることが多いのでてっきりタンチョウヅルだと思い込んでいたが、この場面の鶴は灰色で目の周りが赤いのでマナヅル。今後は鶴の書き分けにも注意してみてみよう。

167《春日権現験記絵(陽明文庫本) 巻一 [詞書]近衞家𠘑筆[絵]渡辺始興筆 一巻 江戸時代 享保20年(1735) 京都・陽明文庫》
竹林に貴女姿の四宮が現れて、子孫繁栄を約束する土地との神託を藤原光弘が受ける。

169《春日権現験記絵(徳川美術館本) 巻十 一巻 江戸時代 19世紀 愛知・徳川美術館
南都教懐上人の夢。高野山にて教懐上人は腰の病になり立ち上がれなくなった。昔を思い出して回復を春日明神に祈ったところ、貴女が現れて西の空に飛び去る夢を見た。目が覚めると病が癒えていた。貴女(四宮)の顔が描かれていない。次の場面は、癒える或る人の夢。維範阿闍梨入滅時に、教懐が来迎聖衆の先頭で腕を広げ、維範を迎え入れる様子が描かれる。一般的な来迎図であるが、阿弥陀の姿がない。ジブリかぐや姫の物語に描かれる来迎のシーンを思い出して胸が熱くなった。

170《春日権現験記絵(紀州本) 巻十一 [詞書]林康満筆[絵]冷泉為恭ほか筆  一巻 江戸時代 弘化2年(1845)》
地獄観光。興福寺の舞人であった狛行光が病死し、閻魔様の前で裁かれることになったのを春日明神が救った。地獄からの帰りに春日明神に案内されて地獄巡りをする。狛行光はダンサーにしては貧相な体つき。色地獄には緑色の着物の美女が描かれている。

173《春日権現験記絵(帝室博物館本) 巻十三 永井幾麻筆 一巻 昭和2年(1927)》
盛恩が居眠りしていたら四宮がやってきて学問所を見学にきたと語る。

第四章 奉納された武具

春日大社には多くの武具が奉納されています。こうした奉納品が伝わったのも、春日大社が公家・武家をはじめ多くの人々の深い祈りに支えられてきたことを物語っています。本章では、春日大社に伝わる国宝の甲冑や刀剣などを一堂にご覧いただきます。

178《◉ 金装花押散兵庫鎖太刀 [刀身]伝長船兼光 一口 [刀装]南北朝時代 14世紀[刀身]南北朝時代 貞治4年(1365)春日大社
柄、鞘ともに鑢地の鍍金銀板で包んだ兵庫鎖太刀。墨書の花押は足利一門のものとみられ、社伝では義満奉納とする。刀身も備前兼光一派の刀工の手になる優品である。切先大きめで腰高。

185《◉ 赤糸威大鎧(梅鶯飾) 一領 鎌倉時代 13世紀 春日大社
梅や鶯などを透彫にした金物の華やかさが、兜や胴の力強さと見事に融合した日本甲冑の傑作。

192《◉ 籠手 一双 鎌倉時代 13世紀 春日大社
源義経所用と伝えられる著名な籠手。もと興福寺勧修坊に伝わった。保存状態がよく華麗を極めたつくりは他に類がない。波に枝菊を高彫りし蝶の金物を据える。

第4章の後に記念撮影コーナーがありました。
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春日大社では節分万灯篭として、節分の夜に境内3000基の灯篭が灯されるのだそうです。火が灯される前に舞楽が奉納されます。

 

第五章 神々に捧げる芸能

春日大社では数多くの神事、祭事が執り行われていますが、その中でも12月に行われる若宮おん祭は国の重要無形民俗文化財に指定されています。本章では、こうした祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品をご紹介します。

195《春日若宮祭宵宮詣図屛風 六曲一隻 江戸時代 18世紀 春日大社
図中、石灯篭や太刀がやたらと大きく描かれている。

202《◎ 舞楽面 納曽利 一面 平安時代 12世紀 春日大社
納曽利は龍が舞い遊ぶ様を表わしたとされる舞。舞楽面は平安時代にさかのぼる作で、大きく見開いた眼や顎を別材で作り、舞の動きに合わせて表情に変化が出る仕組み。

215《鼉太鼓(複製) 一基 昭和51年(1976) 春日大社
展示室によく入れたなと思うほど巨大。 

第六章 春日大社の式年造替

春日大社では社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行われ、平成28年(2016)に迎える式年造替は60回目を数えます。本章では、式年造替に関わる記録とともに、今回の式年造替で撤下され注目を浴びた獅子・狛犬などをご覧いただきます。

243《御間塀 二枚 昭和50年(1975) 春日大社
四つの本殿の間にある御間塀(おあいべい)に描かれた壁画で、絵馬の源流とも言われる。昭和50年、58回目の式年造替の際に新調されたもの。春日大社の参拝は幣殿の前、特別拝観を申し込んだ場合は中門の前なので、中門の内側にある御本殿は本来見ることができないものである。

244《瑠璃灯籠 一基 鎌倉時代 13世紀 春日大社
春日大社に約一千基ある釣灯篭の中で最も古いとされる瑠璃釣灯篭。通常紙で張られる部分に青緑のガラス玉がすだれのように連なっている。展示品はくすんで黒くなっているが、明かりを灯すと青く光る。

247《獅子・狛犬(第一殿) 二軀 鎌倉時代 13世紀 春日大社
本殿を護っていた獅子・狛犬で、今回の式年造替で撤下された。穏やかな顔をしている。

 

今回も東博は物量で仕掛けてきましたね。一巡りするのに途中、缶コーヒー分の休憩を入れて4時間半かかりました。つい先日、出光美術館源氏物語に浸ったばかりだったので、春日権現験記絵がとても楽しめました。しかし展示替の後、再訪するかは微妙なところ。

 

本館18室で春日大社展に関連した作品をいくつか鑑賞しました。

《竹林猫 1幅 橋本雅邦筆 明治29年(1896)》
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竹林と猫。

《神鹿 1基 竹内久一作 大正元年(1912)》
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ちゃんと雲に乗ってる。

《牝牡鹿 1対 森川杜園作 明治25年(1892)》
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動物好きの性としてお尻チェック。

トーハクからの帰り道、水でお絵かきされている方に遭遇。
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畳んだ傘の中に水が入っていて、先端につけたスポンジから垂れる水でパンダを次々に描いています。お見事。

消耗したので、上野駅構内で家に帰るためのエネルギーを補給しました。
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日本刀の科学

先日、静嘉堂文庫美術館で私は無事に日本刀鑑賞デビューを果たしました。

melonpankuma.hatenablog.com

もちろん、私がよく行く東京国立博物館にも刀剣が展示されているのですが、今までは素通りしていたわけです。なぜなら、あそこはあまりにも広大で、興味が薄いところにまで時間を避くわけにはいかないんです。それにも関わらず、夫が日本刀の鑑賞ができるようになりたいなんて言うから、夫に付き合う形で日本刀鑑賞を始めてしまったという。ずっと避けてきたのに。

日本刀を鑑賞する時に地鉄や刃文を観察しますが、私の場合、下手に金属材料としての鉄の知識があるばかりに、鏡面研磨された鉄を見るとつい金属組織へ思いを巡らせてしまって、観察の方向性が変わってしまうのです(この気持ち、材料屋ならわかるでしょ?)さらに言えば、日本刀を神聖視しすぎる方の発言に非科学的なものを感じ取って、自分の中にある科学的真理の追究を第一とする部分と美術を愛する者としての立ち位置がなかなか両立しずらくなることもあるわけで。

逆に、先入観から色々な誤解が生じていた部分があったことは、上記の展覧会に行ってよくわかりました。例えば、刀身の形(長さ、細さ、厚み、切っ先の形、反り)などは刀の重さや強度に関わってくるものだから、使用感の良さがひとつの指針なんだろうと思っていたし、刀文(じんもん)や鍛え肌はその製法によって生まれるものなんだろうと思い込んでいました。でも、違いました。日本刀は美術品だといわれますが、それはその言葉どおりの意味で、あれは造形物なんですね。刀身は実用性を備えつつ美しさをより求めているし、刀文も鍛え肌も反りもそれを作り手が意図して作るものだということです。

 

前置きがとても長くなりましたが、そんなこんなで、日本刀を科学で切ってみたらどうなるかという本を読みました。物づくりをする視点から日本刀をみる本です。こういうの、大好き。

日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る (サイエンス・アイ新書)

日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る (サイエンス・アイ新書)

とても面白かったです。図表もわかりやすくて刀剣入門書としても優れていたし、私の知りたいところにしっくりはまるという感じでした。焼入れによる刀身の残留応力によって鋼を超える強化機構が成り立っているとか、樋の有無での曲げ強度の比較検証、衝撃応答実験など、実験好きならやってみたいことが網羅されています。これは、たまりません。日本刀を科学の刀でバッサバッサ切っていく筆者の姿はまさに侍のよう。

こんなに爽快な読書感を得たのに、こちらの本の定価は1000円。もっと取っていいんじゃない?

 

かくして、明らかに美術鑑賞の視点から外れたままですが、静嘉堂文庫美術館の展示とこちらの本で日本刀の魅力に触れることができたので、次回トーハクに行ったら刀剣の展示室も素通りせずに見てみようと思います。

超・日本刀入門 ~名刀でわかる・名刀で知る~静嘉堂文庫美術館

静嘉堂文庫美術館に行きました。
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お目当ては、この日から始まった展示会、超・日本刀入門 -名刀でわかる。名刀で知る-です。
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武士の魂“日本刀”は、1000年におよぶ歴史のなかで、武器として武人を鼓舞し、美術品としても鑑賞されてきました。近年ブームに沸きながら、しかし道具としても美術品としても身近ではない日本刀。「全部同じに見える」「どこを見ればいいのか分からない」「専門用語が難しすぎる」といったさまざまな疑問やお悩みを徹底的に解決します!

まさに、私のようなこれから日本刀を見ようとする人向けの企画です。しかし、初心者以外には物足りないのないかというと、決してそんなことはなくて、今回、静嘉堂所蔵の刀剣約120振のうちから、国宝1件と重要文化財8件を含む厳選の30振を一堂に展示したそうで、そんなことは美術館開館以来初めてだという程の大盤振る舞いらしいです。むしろ、日本刀ファン必見の展示だそうな。

入場すると、本展のちらしと展示品リストの他に日本刀鑑賞の手引きがもらえます。
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鑑賞の手引きには、日本刀の形態による分類、製作時代による分類、刀の部位の名称、刀のみどころ(刀文、肌、造り込みの種類、沸と匂)が丁寧に解説してあります。

そして、展示室の入り口にも、鑑賞のコツがパネルにしてありました。普段、展覧会で説明文をあまり読まない私ですが、今回ばかりはじっくりと読みました。ふむふむ、自分が上下に動いて視点を変えて見るのがポイントなんですね。

展示室はこんな雰囲気です。
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通常展示室内の撮影は禁止ですが、今回私はブロガー内覧会に参加し、特別に美術館から撮影の許可を頂きましたことをお断りしておきます。

以下、気になったものを以下にあげます(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

《◉手掻包永太刀 包永 大和国 鎌倉時代(13世紀)拵 江戸時代(18~19世紀)》
鎬(しのぎ)が高く反りも高い。鍛え肌は板目肌が流れて柾目交じり。刀文は中直ぐ調で部分的に乱れる。

《◎新藤五国光太刀 國光 相模国 鎌倉時代(13~14世紀)》
まず、国光の作が生ぶ(切り詰められないままの姿)で残っているのが珍しい。小切先で鳥居反り(反りの中心が刀身の中程。全体が鳥居の笠木(上の水平に渡している木)のような形をしたもの)。

《◎古備前高綱太刀(号 滝川高綱)高綱 鎌倉時代(12~13世紀)附 朱塗鞘打刀拵 桃山時代(16世紀)》
《伝 長船兼光刀(号 後家兼光)大磨上げ無銘 南北朝時代(14世紀)附 芦雁蒔絵鞘打刀拵 明治時代(19世紀)》

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二子玉川駅から静嘉堂文庫美術館に向かう玉31系統のバスの中にも目立つところに、後家兼光の写真に「秀吉から愛の武将、直江兼続に送られた」のコピーがついた広告が貼ってありました。そういえば、堺雅人あさイチ真田丸で妻にするなら直江兼続と即答してたな、秀吉と真田信繁で取り合いかあなんて変な妄想してしまいましたよ。 

《津田助広刀 「津田越前守助廣」ト有 摂津国 江戸時代(18~19世紀)附 黒蠟色塗鞘打刀拵 江戸時代(19世紀)》
今回の特別展示品。静嘉堂文庫の刀剣コレクションは三菱第二代社長、岩崎彌之助明治20年(1887)頃から本格的に収集したものです。岩崎は若い頃に私塾で同級生と争いになり、切りかかってきた相手の刀を受けて逃れたという事件があったそうで、その時のキズがこの刀の棟に生々しく残っていました。

 

刀装小道具・鍔の展示も多くあります。

《藤蔓巻柄黒研出鮫印籠刻鞘合口拵(佐吉貞短剣刀 付属) 江戸時代(18~19世紀)》
黒の鮫肌に金で松毬模様が描かれている。

《石黒是美作 花鳥図大小鐔・三所物 - 江戸時代(19世紀)
石黒派は花鳥を題材とし、高彫りで各種の色金により象嵌を施した絢爛華麗な作風が得意。黒地に錦鶏と大輪の牡丹を描いている。緋色銅が鳥の腹や尾羽に使われていて華やかでした。

《京透し(大五郎)文字透し鍔 無名 江戸時代(18世紀)》
暮、幕、墓、蟇、慕、募の文字が図柄を残し地を抜いた、地透で作られている。

 

本展では日本画の展示も二点あります。

《◎平治物語絵巻 信西巻 紙本着色1巻 鎌倉時代(13世紀)》
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平治物語絵巻は、1160年に起きた平治の乱のおよそ100年後の鎌倉時代中期に描かれたと考えられ、本品の他に《三条殿夜討巻 ボストン美術館》と《六波羅行幸東京国立博物館》の合わせて3巻が現存している。今回展示されているのは、追われた信西は自害し従者に埋められたが、掘り返されて首実験をされた後、なぎなたの先に首を刺した騎馬隊が都大路を進んで晒されたという場面。NHK大河ドラマ平清盛では阿部サダヲ信西を演じていたので、つい、あのお顔が晒し首になっているのを想像してしまいました。上の写真に見えるのは待賢門の戦いの場面。

 

帰り二子玉川駅近くで、冬の具だくさんしっぽくうどんとミニ天丼。
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体が暖まりました。

結玉 二子玉川店

食べログ 結玉 二子玉川店

 

NODA・MAP 足跡姫~時代錯誤冬幽霊@東京芸術劇場

野田秀樹作・演出によるNODA・MAPの足跡姫~時代錯誤冬幽霊を観ました。
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キャストは、宮沢りえ妻夫木聡古田新太佐藤隆太鈴木杏池谷のぶえ中村扇雀野田秀樹と豪華です。

 

場所は東京芸術劇場

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池袋は土地勘がなくて、南口に出るのに迷ってしまいました。地元からは山手線でぐるっと回るので、方向感覚なくして南北逆に歩いてしまいましたよ。
プレイハウスのS席でしたが、くじ運悪く二階席だったので舞台から遠く、役者の表情が見えずに残念でした。オペラグラス持ってくればよかった。舞台には桜の木が描かれた幕が下ろされていて、歌舞伎の芝居小屋のような花道(しかもスッポンつき)が作られていました。芝居中、花道を役者が行き来するシーンがとても多いので下手が楽しいと思います。

本公演は、2012年12月に亡くなられた十八代目中村勘三郎へのオマージュとして「肉体の芸術、残ることのない形態の芸術」について書かれた戯曲です。野田戯曲の特徴である言葉あそびが随所に入り、多くの物語が重なり合って出てきますが、ん十年前の野田戯曲と比べたら格段に本歌取りも少なく平易で、ちょっと拍子抜けしたくらいです。

個人的には万歳太夫の着物が扇柄だったのにクスッときました。こちら、先日東京国立博物館で見たばかりの《万歳図 1幅 宮川長春筆 江戸時代・18世紀》です。
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万歳(まんざい)は太夫と才蔵が一組になって新年のお祝いをして全国を回る伝統芸能です。現代の漫才の元。太夫は烏帽子をかぶって素襖(単の着物)に平袴で扇子を持ちます。ちなみに才蔵は大黒頭巾をかぶり、袋を背負って手には小鼓を持っています。

 第一幕80分の後に15分の休憩が入って第二幕65分という時間構成でした。

本公演の最大の見所は、なんといっても三、四代目出雲阿国を演じる宮沢りえ。贅肉なんてこれっぽっちもない美しい体が舞台で翻ります。舞台演出もとても見ごたえありました。 

 

以下、後半はほとんど覚えていませんが、本戯曲に含まれるネタの解説をメモとして少々。あらすじにも関わってきますので、これから観に行かれる方は読み飛ばしてください。

 

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岩佐又兵衛と源氏絵@出光美術館

出光美術館で開催中の岩佐又兵衛と源氏絵展に行きました。昨年、山種美術館で《◎官女観菊図》に心奪われて以来、岩佐又兵衛の展覧会を待ち焦がれていました。

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まずは、出光美術館に行くときの定番コース。スペシャル・サンドゥイッチで腹ごしらえ。
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 満腹になって出光美術館に向かうと、美術館の前に結構な人だかり。

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私と同じ又兵衛ファンかと思いましたが、そんなわけはない。すぐ横が帝国劇場なので入り待ちでしょう。出光美術館は帝劇ビルの9階にあるのです。

 

出品リストをもらって、いざ展示室へ。
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 桃山時代から江戸時代はじめに活躍した画家・岩佐又兵衛(いわさまたべえ 1578-1650)。実感豊かな風俗画や絢爛豪華な絵巻群のほか、あらゆるテーマに貪欲に取り組んだ又兵衛ですが、画業の全体を見渡せば、その軸足は常に〈古典〉を描くことに置かれています。今展では、古典中の古典である『源氏物語』を描いた絵画(源氏絵)に大注目!又兵衛芸術に通奏低音のように流れる、優雅にして野卑な魅力を紹介します。

 

以下、気になったものを記します(◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵先のないものは全て出光美術館蔵)。

第1章 〈古典〉をきわめる ―やまと絵の本流による源氏絵

2《源氏物語画帖 伝 土佐光吉 室町- 桃山時代(16世紀)》
色彩豊かなやまと絵で、玉蔓、藤裏葉、柏木、梅枝、若菜上、胡蝶、若菜下、初音、常夏、蓬生が描かれている。

3《◎源氏物語画帖 土佐光吉 慶長18年(1613)頃 京都国立博物館
美しく繊細な筆遣いのやまと絵。色鮮やかに、若紫、末摘花、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨が描かれている。
紅葉賀では、若紫が人形遊びをしている。実に豪華なシルバニアファミリーです。
花宴は、廊下を扇を手にした六の君(朧月夜)が歩いているのを光源氏が目にする場面が描かれている。本来は夜更けのシーンだが、襖や御簾の模様まで明るく描かれている。

第2章 ひとつの情景に創意をこらす ―又兵衛の源氏絵の新しい試み

又兵衛は、工房の弟子たちを動員して数多くの源氏絵を手がけました。ただし、興味深いことに、又兵衛のサインや印章をそなえる源氏絵は、どれも一枚の画面にひとつの情景だけを描くという趣向を示しています。物語の全体像を俯瞰的にとらえるよりも、個々の特徴的なエピソードに向き合い、その内容を深く理解することこそ、源氏絵の制作に臨む又兵衛の基本的な姿勢だったといえます。この章では、又兵衛による単一場面の源氏絵を通じて、その斬新な表現の核心に迫ります。

4《○源氏物語 野々宮図 岩佐又兵衛 桃山 - 江戸時代(17世紀)》
本展覧会のポスターに使われた絵。元は福井時代に描かれた代表作の旧金谷屏風を軸装したもの。
江戸時代の福井の豪商金屋家に伝わっていた「旧金谷屏風」は、竜や虎、源氏物語、中国の故事など幅広い題材と技法の12枚の絵でできていた。元は、右から順に、虎図、源氏物語 花宴図、源氏物語 野々宮図、龐居士図、老子出関図、伊勢物語 鳥の子図、伊勢物語 梓弓図、弄玉仙図、羅浮仙図、唐人抓耳図、官女観菊図、雲龍図となっていた(近年、官女観菊図も源氏物語六条御息所斎宮が下向する一場面であると判明した)。
野々宮図は賢木を描いたもので、晩秋の頃、下向しようとしている六条御息所に再び気持ちを伝えに行く場面を描いている。物語で野々宮は、小柴垣を大垣にして連ねた質素な構えで、神々しい丸木の鳥居、篝火を炊いた番所が浮いて見える、人の少ない湿っぽい空気と書かれている。光源氏の顔は、又兵衛の人物描写の特徴である特徴豊頬長頤(ほうきょうちょうい)と呼ばれる、ふっくらとした頬と長い顎の顔。着物の柄も実に細やかで美しい。小柴垣や小菊、鳥居の紙垂を揺らす風がこの先の不安な場面を予感しているかのよう。
官女観菊図を初めて見たとき、自分が絵に吸い込まれていくような気がしましたが、この絵も同じ。又兵衛の白描はとても透明感があって美しく感じます。

5《和漢故事説話図 須磨 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)福井県立美術館》
和漢故事説話図は旧岡山藩主池田家に伝来したもので、和漢の物語や故事などを題材にした12の絵でできた巻物だった。今は絵ごとに分けられて軸装されている。
須磨は、三月一日、海に禊に行った光源氏は突然の嵐に合い急いで帰宅した。美しい人に心惹かれた海の竜王が嵐を起こしたのだった。荒れ狂いふくらむ波、雷鳴と雷光、斜めに走る雨。木々はしなり、桜が散る。風に膨らんだ御簾越しに光源氏も強い風を受けている。

7《和漢故事説話図 浮舟 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)福井県立美術館》
浮舟は、薫が宇治に匿っていた姫を、深い雪の日の夜、匂宮が連れ出して宇治川を小船で渡る場面。左の木々が繁茂している場所が舟をつけようとしている橘の小嶋だろう。空には黒い有明の月が浮かぶ。
二人に想われて困惑した浮船は、後に思い悩んで川に身を投げる。

8《源氏物語 総角図屏風 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)細見美術館
総角の宇治川での紅葉狩りを描いた屏風。紅葉の枝を厚く屋根に葺いた舟は川を上り下りしながら奏楽をし、その音は山荘へも届いている。音楽をする人は紅葉の枝を冠に挿して海仙楽の合奏をしている。
左の橋の下に柴のようなものを運ぶ小舟が描かれている。又兵衛は身分によって顔を描き分ける。舟の上の彼らの顔はふくよかでないことから、身分が低い者だとわかる。紅葉といえば、紅葉賀の場面で、試楽にも関わらず光源氏が真剣に美しく舞うのを見て「もの見知るまじき下人などの、木のもと、岩隠れ、山の木の葉に埋もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落としけり」とある。紅葉賀の艶やかな場面の演出をここに追加したのかもしれない。

第3章 さまざまな〈古典〉を描く ―又兵衛の多彩な画業

12《三十六歌仙・和漢故事説話図屏風 伝 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)》

屏風の上に三十六歌仙が並び、下には源氏物語伊勢物語、飲中八仙図などの日本、中国の故事説話を画題に様々な画風の絵が並んでいる。
旧金谷屏風にしても和漢故事説話図にしても、小さく描いて大きな作品に仕立てるやり方が多いのは、分業で作る側として効率的だからだと想像する。画題当てをするのは確かに楽しいけれど、屏風そのものとしてはどうだろう。

14《○在原業平図 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)》
光源氏と並ぶ古典名作、伊勢物語の色男。
野々宮図の光源氏と共通するところが多い美しい立ち姿です。何度も行ったり来たりして見比べました。

15《○伊勢物語 くたかけ図 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)》
伊勢物語十四段陸奥の話。朝早く、従者を伴い女の元から帰ろうとする男。田舎の女はそれをくさかけ(鶏)が早く鳴くからだと不満げ。屋根には番の鶏。夜明けの薄暗さを薄く掃いた墨で表している。

第4章 単一場面から複数場面へ ―又兵衛の〈型〉とその組み合わせ

22《源氏物語図屏風 伝 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)大和文華館》

上段右から若紫、蓬生、澪標、下段右から、明石、絵合、若菜上が描かれている。金雲は厚みがあり文様が入って豪華である。

23《源氏物語図屏風 伝 岩佐又兵衛 江戸時代(17世紀)高津古文化会館》
右から、桐壺、紅葉賀、澪標、絵合、玉蔓、胡蝶が描かれている。 

第5章 物語のながめ ―いわゆる54帖屏風にみる〈古典〉と創造

54帖をすべて書き込んだ屏風です。屏風の豪華さはもちろんですが、目を凝らして物語を読み取るかと思うと、あまりの量に絶望のため息が出ました。後半にこれはきつい。

27《源氏物語図屏風 伝 土佐光吉 桃山時代(17世紀)》
54帖がみっちりと描かれていて、すさまじいです。面積の半分は金雲ですが、54場面が細やかに描かれているので、単眼鏡を使って観ようとするとあまりに多すぎて気が遠くなりそうでした。お顔はやや固い表情。道順ではこの屏風のすぐ前にこの屏風から絵を抜き出して、源氏物語54帖のあらすじが描かれたパネルがあります。

28《源氏物語図屏風 岩佐勝友 江戸時代(17世紀)》
岩佐勝友は又兵衛の弟子。六曲一双の屏風で、左隻右隻にそれぞれ源氏物語の二十七帖を並べて描いている。色彩鮮やかで金雲も輝きが残り、とても保存状態が良い。又兵衛と比べて顔の表情がきつめ。

30《源氏物語図屏風残闕 葵 伝 俵屋宗達 江戸時代(17世紀)》
描かれているのは、賀茂祭の日見物に出かけるため、光源氏自ら若紫の髪そぎをする場面。俵屋宗達は大好きな絵師の一人なのだけれど、又兵衛の後に見ると単純化された顔の描き方に笑いが出ます。

第6章 江戸への展開 ―又兵衛が浮世絵師に残したもの

34《石山寺紫式部図 菱川師宣 江戸時代(17世紀)》
当時一番の人気絵師だった菱川師宣紫式部は、源氏物語石山寺で琵琶湖上の月を眺めていて着想したという伝承を絵画化したもの。

36《十帖源氏 野々口立圃 江戸時代(17世紀)早稲田大学図書館》
絵入りの版本で全十巻。130の挿絵に源氏物語のあらすじが書かれ、親しみやすいものとなっている。内容をさらに簡略したのが横に並べて展示されている《おさな源氏》である。

 

とても気持ちのよい時間をすごしました。文学としての源氏物語が優美で面白いのはもちろん、岩佐又兵衛が読者の想像の世界を損なうことなく清らかに美しく描いていて、鑑賞している間ずっと夢心地でした。これから行かれる方は、多少なりとも源氏物語を頭に入れて行ってください。本展示は話を知っていると知らないとでは大きく感じ方が違うものなので、予習が大事だと思います。もちろん、会場にも大きく場所を取ってあらすじの展示がありますけども。

先日のDavid Bowie is から日を空けずに源氏物語で、美しい方の一生を辿るような展示が続き、なんだか少女時代に戻ったような気分になりました。

休憩室から望む皇居。
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今にも雪が舞いそうな空でした。

休憩入れた後にも野々宮図の前に戻り、今度はソファに座って長く眺めました。本展示のポスターになっているので何度も目にしていますが、やはり、これが一番素敵です。又兵衛の白描もっと見たいなあ。

源氏物語の余韻がさめず、売店で紋かるた 源氏香図を買いました。
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源氏香とは、五つの香りからどれとどれが同じだったかを5本の縦線をつないだ52通りの模様で表し、その回答が「源氏香の図」のどの物語に該当するかを当てる遊び(源氏物語五十四巻だが、桐壷と夢浮橋の巻を除いて五十二巻としている)。このかるたは、その源氏香図にちなんだもので、歌札、下の句札、巻名札としてそれぞれ52枚ずつの香図入りの絵札が入っています。百人一首のように上の句を詠んで下の句を引いたり、神経衰弱のように模様あわせをしたりと遊び方いろいろ。このかるたで遊びながら、うろ覚えの源氏物語をしっかり覚えたいと思います。

寿ぎの品々を読み解く(前期)@三の丸尚蔵館

今日は寒風吹きすさぶ中、三の丸尚蔵館観へに行きました。今にも雪が降ってきそうな空でした。

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現在「寿ぎの品々を読み解く」展を開催しています。

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明治期以降,皇室の御慶事に際しては,各方面からお祝いの品としてめでた尽くしの掛軸や置物など,美術品の数々が献上され,現在,その一部が当館に引き継がれています。本展では,これらの品々に示された伝統的な吉祥の主題が,新しい時代の感覚によってどのように表現されたか,その造形美に注目して紹介します。

三の丸尚蔵館 - 宮内庁

 

5《青年画帖 日月 池田真哉 明治27年(1894)》
青年画帖は、明治天皇昭憲皇太后の銀婚式を祝って日本青年絵画協会が献上したもので、複数の画家の絵を台紙に貼って一帖の折本にしたもの。
池田真哉は柴田是真の次男。日月は、色紙の上に白地の紙で月を赤地の紙で太陽を表した。

5《青年画帖 徳若五万歳 庄司竹真 明治27年(1894)》
庄司竹真は柴田是真の弟子で山水、花鳥画に秀でた。積み重ねられた5匹の亀が赤い紐で結わえられており、その紐の房を蟹が引っ張っている絵。蟹の行いを非難しているかのような亀のユーモラスな顔が面白い。徳若に御万歳(とくわかにごまんざい)は、いつも若々しく長寿を保つようにという祝いの言葉。

8《天壤無窮(内宮・外宮・二見浦旭日図) 中村左洲 3幅対 大正14年(1925)》
中村左洲は三重出身で漁業に従事するかたわら山水や魚の絵を得意とした。地元伊勢では写実的な鯛の絵の名手であることから 「鯛の左洲」 と親しまれている。天壤無窮の三幅対は、両脇にそれぞれ伊勢神宮の内宮、外宮の風景を描いたもの、中央に二見浦の夫婦岩の上に昇る赤い陽が描かれたもので構成されている。静かで清らかな空気が感じられる作品。

18《瓦片鳩 山田宗美 1点 明治38年(1905)》
鉄の一枚板を叩き出したもの。この造形のすさまじさには狂気を感じてため息が出ます。社頭図を念頭においた製作だったとされている。

他に山田宗美の作品は、「驚きの明治工藝展」で《兎》を見ています。 

melonpankuma.hatenablog.com

 

21《金烏玉兎図花瓶 1対 大正4年(1915)》
金烏玉兎(きんうぎょくと)とは日月であり太陽と月のこと。金烏は太陽に棲むとされた3本足の烏で、玉兎は月に棲むとされた兎。この一対の大きな花瓶には、それぞれ胴に赤で金烏と玉兎が、頚に干支の動物が描かれている。

22《鉄衣不老之図 大河内正質 1幅 明治10年(1877)》
大河内正質は幕末から明治時代を生きた大名。鳥羽・伏見の戦いに敗れて官位も領地も没収されるが、後に子爵となり、貴族院議員であった。鉄衣とは鎧のこと。鉄衣不老之図は、墨で松と霊芝が描かれ、不老長寿を願っている。

23《霊芝置物 1点 明治期(20世紀)》
よくできているなあと思って真剣に見た。説明文にマンネンタケと書いてあって、最初意味がわからなかったのですが、よくよく考えてみたら、そのものということで、作り物じゃありませんでした。そりゃあ、よくできているはずだ。

 

帰りはますます気温が下がり、自転車を漕いでいると足先が凍るような気分になってきたので、途中で温かいものを摂取することに。

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生き返った。

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レオナールフジタとモデルたち@DIC川村記念美術館

行きはJRで佐倉駅まで行きました。これが失敗。この日はとても冷えて9時の気温は2度。駅に止まるたびに風が入ってきて車内が全く暖まらず、ずっとガタガタ震えっぱなし。千葉の気温を舐めてました。網走に行ったときと同じコートにすればよかったと後悔したけれど、後の祭り。

 

駅からは無料の送迎バスがあります。駅から美術館まで約20分。f:id:Melonpankuma:20170108204923j:plain

園内は広大です。白鳥のいる池のほとりを歩いて美術館へ向かいます。
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入館してすぐ特別展の「レオナール・フジタとモデルたち」へ。

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美術館側の案内的には常設展を見てから特別展を回る順番だったのだけれど、疲れる前にと思って特別展を先に見ました。しかし、体が冷え切っていたため、心が開かれていないというか、やはり芸術品の鑑賞は精神的な余裕がないと難しいですね。初期の頃の作品は、流すように眺めてしまいました。

 

以下、気になったものを羅列。

073《ジャン・ロスタンの肖像 1955年 カルナヴァレ博物館》

074《カルチエ・ラタンのビストロ 1958年 カルナヴァレ博物館》

075《誰と戦いますか? 1957年 ミュゼ・メゾン=アトリエ・フジタ、エソンヌ県議会》

086《花の洗礼 1959年 パリ市立近代美術館》

087《君代のプロフィール 1938年頃 目黒区美術館

 

私は、今回の展覧会でポスターにもなった婦人像や評判の高い裸体画よりも猫や犬の絵、カフェなどの雑貨がぎっしり書き込まれたものだったり衝立やお皿などの細々としたものにむしろ魅力を感じました。
前半は婦人像や裸体画が多くて、なかなか心に残るものがなく、これは困ったという気分にさせられましたが、途中《ジャン・ロスタンの肖像》のあたりで、自分がもっている常識が鑑賞の妨げになっていると気づきました。今回はフジタの描くヌードの手法が、日本画でよく見る鉤勒法や胡粉をふんだんに使った表現(常設展にあった橋本関雪の木蘭の馬なんて、まさに)に近かったことが多分に影響したのだと思います。フランスでは異国的で特別なものと感じられただろうフジタの特徴が、私には格別なものに見えなかったし、逆に、私はフジタのフランスの香りがする絵に心動かされたというわけ。晩年、レオナール・フジタとなってから「日本びいきのフランス人」と評されたと知って腑に落ちました。

普段ほとんど西洋画を見ない夫も熱心に観ていたので、結構刺さるものがあったみたい。ランチ時に話をしたら、ダリみたいだと。確かに、セルフプロデュース能力抜群なところが共通していますよね。

 

お昼は園内のレストランへ。パスタランチのアマトリチャーナ

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園内を散策した後、改めて美術館に戻り、今度は常設展へ。

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西洋画がほとんどなのですが、日本画も一室だけ。 

《◎長谷川等伯 烏鷺図屏風  1605(慶長10)年以降》
長谷川等伯の屏風に会えたのは僥倖。カラスが黒々としていて、争うように飛び回っている姿が印象的でした。カラスが屏風に描かれているのを見るのは初めてです。八々鳥と比べてあまり描かれていないように思います。八咫烏とか神の使いをするくらいですから、古来不吉なイメージはなさそうですけど、不思議です。

上村松園 桜可里 1914-15(大正3-4)年頃》
上村松園の桜可里がかわいらしかった。これを見るのに初めて単眼鏡を手にして、そこで初めて西洋画を見るのには単眼鏡っていらないんだなあ気づきました。

橋本関雪 木蘭 1918(大正7)年》
六曲一双の屏風。画題は北栄で編纂さらた楽府詩集にある五言古詩、木蘭辞。ディズニーアニメのムーランもこれによる。二頭の馬を伴う男と木の根に座って休む男装の女。穏やかな表情です。

 

暖房が効かない電車で帰るのは懲り懲りだったので、帰りは東京駅までの直行バスを利用しました。
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一眠りしたら東京駅に着いていました。案外近い。