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温度20℃湿度50%が理想です。

新春特別公開@東京国立博物館 本館

正月三が日が過ぎ、改めて平日に東京国立博物館の新春特別公開を含め常設展を回りました。

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全て書き出しておきたいものだらけだったのですが、厳選して紹介します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 2室 国宝室

《◉ 松林図屏風 6曲1双 長谷川等伯安土桃山時代・16世紀》

霧がみえる。すごい。圧倒されます。
しっとりとした霧の中に浮かぶように見える松林。近づいて見ると驚くほどに荒々しい筆遣いで松が描かれています。遠景としてぼんやり山が描かれていますが、こんなにもけぶると本当なら山なんて見えないはず。稜線が見えるのは近いところに光があるからなのでしょう。のぼせ上がって写真撮るのを忘れました。

本館 3室 仏教の美術―平安~室町

《◎ 紺紙金字法華経 巻第四 1巻 平清盛平頼盛筆 加賀前田家伝来 平安時代・承安元年(1171)書写奥書》
撮影禁止なので、隣の《紺紙金字無量義経》の写真を撮りました。このように、紺紙に金字でお経が書かれています。平清盛が最初の十数行を書いて、残りを異母弟の頼盛が書いたようで、途中で筆跡が変わります。

《紺紙金字無量義経平基親願経) 1巻 平安時代・治承2年(1178)》

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本館 3室 宮廷の美術―平安~室町

《◉ 扇面法華経冊子 1帖 平安時代・12世紀》
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扇型の紙面に装飾を施し、法華経を書写して中央で綴じた冊子本。文字の下には経典の内容とは無関係な貴族や庶民の営みが描かれている。
写真は赤くなってしまいましたが、実物は金色です。

《扇面雑画帖 1帖 室町時代・15~16世紀》
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合計12面の扇面画。主題は物語絵、花鳥、風景とさまざま。

本館 3室 禅と水墨画―鎌倉~室町

《山水図屏風 6曲1双 「秀峰」印 室町時代・16世紀》
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一息ついて、この屏風の前のソファで長々と眺めました。こう大きいと山頂から山々を見渡しているような気になって、実に爽快です。説明に「瀟湘八景のうち七景が見出せる」とありましたが、月がないのかな。

本館 4室 茶の美術

《建水 1口 仁清 江戸時代・17世紀》
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野々村仁清は色絵とともにろくろの技に定評がある。この作品はそのろくろの技を遺憾なく発揮した秀作。内面に白釉をかけている。

本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸

《雪景山水図(旧 帰雲院障壁画) 4面 円山応挙筆 江戸時代・天明7年(1787)》
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応挙54歳、絶頂期の作で、もと京都。帰雲院(南禅寺塔頭)の障壁画の一部。仙人たちが雲に乗り、雪山の間を浮遊している。金の背景に描き残すことで雪と雲を描いている。

《◎ 西湖春景・銭塘観潮図屏風 6曲1双 池大雅筆 江戸時代・18世紀》
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右隻が西湖春景図、左隻が銭塘観潮図。西湖は中国浙江省杭州にある湖。古来名勝の地として知られている。銭塘観潮は、同じく浙江省の銭塘江で旧暦8月18日に河を遡ってくる満潮を見物すること。
これ面白かった。離れてみると細やかなグラデーションでぬめりのあるような風景画だが、近づいてよく見るとボツボツと点描で描かれていて、墨の色も様々。ひょうきんな筆使いでした。

本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸

《富士山図 1幅 英一蝶筆 江戸時代・18世紀》
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東海道の難所のひとつ薩陀(さった)峠の山道から、旅人たちが駿河湾越しに富士山を望む。紅葉と印だけが赤。とても柔らかく優雅な絵です。

この日の8室は平日の静けさを取り戻して、静かでした。
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《花鳥図屏風 6曲1双 佚山黙隠筆 江戸時代・宝暦14年(1764)》
曹洞宗の禅僧で書家の佚山黙隠は清人の沈南蘋が日本に伝えた濃厚な花鳥画を習得。モチーフの種類や形態がよく似ているため、伊藤若冲との関連が注目されている。

《竹図 1幅 池大雅筆 江戸時代・18世紀》
上で取り上げた屏風と違って、伸びやかな筆遣い。竹のしなり、つけたてで描かれた笹の葉が美しい。節の点々がひょうきんです。池大雅はもっと見たいなあ。

《雪中棕櫚図 1幅 秦意冲筆 江戸時代・19世紀》
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やたら黒々とした棕櫚の葉といかにも重そうな雪。このぬめり感は若冲に似ていると思ったら、それもそのはず弟子とのこと。 

新三十六歌仙図帖 1帖 狩野探幽筆 江戸時代・寛文4年(1664)》
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後鳥羽院が選んだ鎌倉時代歌人三十六人の絵姿と和歌を描いたもので、嫁入り道具として調製させた豪華な画帖。

本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

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《雪中鴛鴦 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
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降りしきる雪の中、夫婦和合の象徴である二組のオシドリの番と、それを眺める男女。 

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《万歳図 1幅 宮川長春筆 江戸時代・18世紀》
新年を祝って烏帽子姿で扇を持って舞う太夫と、太夫について鼓をうつ才蔵。
《羽根付図 1幅 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀》
《小松引図 1幅 歌川豊広筆 江戸時代・18~19世紀》
小松引とは、松の若木を、正月最初の子の日に引き抜いて庭に植えて長寿を願う遊びのこと。奈良・平安時代まであった正月風俗。

本館 12室 漆工

《◉ 舟橋蒔絵硯箱 1合 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀》
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琳派の祖、本阿弥光悦の代表作。高く盛り上げた蓋には波と小舟が描かれ、舟の上に幅広い鉛の板を掛けている。その上から、後撰和歌集、源等(みなもとのひとし)の歌「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」から「舟橋」の字を省略したのを銀の板で散らし書きしている。

本館 14室 掛袱紗―祝う心を模様にたくす 

掛袱紗(かけふくさ)は、祝い事で贈り物をする際に、お祝いの品の上に掛ける覆いのこと。年始の挨拶や節供、中元や歳暮、婚礼や長寿のお祝いなど、日本の伝統的な行事や祝い事に合わせてあつらえられたという。

《若松鶴蒔絵広蓋 1面 江戸時代・18世紀》
《袱紗 紺繻子地貝桶模様 1枚 江戸時代・19世紀》
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広蓋はもともと衣服などを贈る際に長持などの蓋にのせて渡したことに由来する。その後、その覆いとして掛袱紗の習慣が生まれた。この広蓋には、黒漆の地に若松と吉祥文様の鶴が蒔絵で描かれている。袱紗は紺の繻子地に金糸の刺繍で夫婦円満を願う貝桶模様。貝殻の内面にそれぞれ凝った絵が描かれている。

本館 15室 臨時全国宝物取調局の活動―明治中期の文化財調査― 

《◉ 紅白芙蓉図 李迪筆 中国 南宋時代・慶元3年(1197)》
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李迪は南宋に活躍した画院画家。南宋院体花鳥画の最優品。

《鑑査状(紅白芙蓉図) 1枚 明治26年(1893)3月17日》
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紅白芙蓉図に対して臨時全国宝物取調局から発行された監査状。


明治21年(1888)から22年にかけて近畿地方で実施された宝物調査に同行した写真家、小川一真による調査写真。

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《◎ 猿猴群遊図屏風 1枚 小川一真撮影 明治21~22年(1888~89)》
記録写真が重要文化財になるというのもなんだか不思議。元絵不在だったりするんでしょうか?

 

今回も消耗しきってトーハクを後にしました。
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家に帰るためのエネルギー補給で、スタバでチョコラティ バナナココのホイップましまし。
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ドリンク受け取り口の横に、おめでたいチョークアートがありました。

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DAVID BOWIE is @寺田倉庫G1ビル

David Bowie の一周忌である今日、私はデヴィッド・ボウイ大回顧展 DAVID BOWIE is に行きました。

davidbowieis.jp

デヴィッド・ボウイは、十代の頃から憧れの人です。でも、あまりに憧れてしまうと生身の人間であることさえ信じられなくて、端から遠い人だから訃報も現実味がなかったのですが、昨年1月の末に新宿ピカデリーで特別上映されたドキュメンタリー映画 David Bowie is を観ていたら、あぁ、このきれいな人はもういないんだと急に思い出して泣いてしまいました。

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その映画の中だけだった展覧会が、ようやくやってきました。この展覧会は、既にイギリス、カナダ、ブラジル、ドイツ、アメリカ、フランス、オーストラリア、オランダ、イタリアと9カ国を巡回していて、アジア巡回は今のところ日本・東京だけとのこと。ありがたいわー。わざわざ来ていただいて、心からうれしい。

 

まずは会場のすぐ近くで朝カフェ 。
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会場は天王洲アイルにある寺田倉庫G1ビルです。
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建物のすぐ前に目立つ看板があります。この写真を撮っているところのすぐ横に、今回の展覧会で特別にデザインされたジャガーとランドローバーが停まっています。つい看板に目が行ってしまうので、お見逃しのないように。

私は、10時~12時のチケットで入場。この2時間の範囲ならいつ入ってもよいそうで、退場時間は自由です。時間前に到着した人で行列ができていましたが、開館時間になったらすぐ入ることができました。ちなみに、展覧会場内飲食禁止、お手洗いは建物の1階にあるだけです。一度出たら再入場できないので、ご注意を。
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入ってすぐにヘッドホンが貸し出されます。こちらを装着して展覧会場に入るわけですが、受信機の具合や場所によって音が受信しにくい場合がよくあります。私はコートの前を開けて着ていたら、コートの内側に受信機が入ってしまって、最初の部屋で全く音が受信できないでいました。モニタがたくさん並んでいるところなどでは隣接している音を受信してしまったり、音があるはずの場所で受信しにくくて、うろうろと場所を探ったりと、戸惑うところも多々ありました。

今回、展示物の紹介は控えます。どちらかといえば音楽の展示がメインだし。しかし、間違いなく、デヴィッド・ボウイのファンなら大満足なものばかりです。
それにしても、なんでこんなにも資料が残っているのか不思議。だって、10ヶ月頃の写真とか残っているんですよ。特別な才能のある方だから、もしやこの展覧会を予見していたのかもしれません。

映像ものが多いので、全部観ていると時間がいくらあっても足りません。展示物に浸りきってしまった私の場合、気がついたら入場してから5時間が経っていました。

こちらは出口エレベーター前にある映像。写真だけ撮影可。デヴィッド・ボウイからお誕生日のお祝いのメッセージがもらえます。
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自分の誕生日になったら、この写真がメールで届くようにセットしておこうと思います。

一階にはオフィシャル・ストアとDAVID BOWIE is CAFEがあります。
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カフェでデヴィッド・ボウイの曲を聴きながら、展覧会の余韻に酔いしれていたら、なんだか眠くなりました。消耗しすぎ。
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帰りには、一周忌ということでサインボードの前に献花台ができていました。展覧会の興奮そのままで、ありがとう、ありがとうといくつ感謝の言葉を書いても書き足りない気分ではありましたが、一回書くだけに留めました。
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新年を寿ぐ鳥たち@東京国立博物館 本館

東京国立博物館本館2階、特別1室と2室で正月特集陳列「新年を寿ぐ鳥たち」を観ました。

まず「暁の鳥」では鶏をとりあげます。十二支の酉は鶏の姿で表現されることが通例です。黎明を告げる鶏は家禽として親しまれ、また闘鶏のような遊戯も楽しまれました。ここでは鶏をモチーフとする作品、そして鶏と人との関わりを表した作品を展示します。

そして「祝の鳥」では、幸運をよぶ鳥たちをご紹介します。鳥をモチーフとする美術工芸品には鷹・孔雀・鶴・鷺(さぎ)・鴛鴦(おしどり)などに吉祥的な意味を込めたり、あるいは人間の豊かな想像力が生み出した鳳凰やガルーダのような瑞鳥も表わされました。ここでは実在の鳥に限らず、空想鳥を含む鳥を表した作品を展示します。

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以下、気になったものを記録として残します(◎は重要文化財)。

 

《軍鶏 1幅 荒木寛畝筆 明治時代・19世紀》
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一番手前の絵。荒木寛畝は花鳥画を得意とし、幕末に土佐藩主山内豊信の絵師となり、明治時代には東京美術学校(現、東京藝大)の教授となった。気性の荒い雌雄の軍鶏が描かれている。

《雛鶏図 1幅 斉白石筆 中国 中華民国時代・20世紀》
斉白石(せいはくせき)は現代中国画の巨匠。北京芸術専科学校教授、中国美術協会主席を歴任し、京師四大画家と称された。雛の群れが描かれているのがとてもかわいらしく、印象に残りました。

《松梅群鶏図屏風 6曲1双 伊藤若冲筆 江戸時代・18世紀》
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いわずと知れた若冲の鶏。雌雄の成鶏や雛を様々な角度で捉えている。石灯籠や敷石は大小の点描で御影石の質感を描いている。

《闘鶏香(十組盤のうち) 1具 江戸時代・19世紀》
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香木の香りを聞き当てる組香(くみこう)の勝負を闘鶏に見立てた盤。褐色と黒の二種が五羽ずつあり、宮廷の紫宸殿に見立てて褐色のを左近桜方、黒を右近の橘方とした。

右から左奥に向けて、

《鶏合せ 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
《鶏に美人 1枚 魚屋北溪筆 江戸時代・文政8年(1825)頃》
《鶏に餌をやる男女 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
《鶏を捕える子供 1枚 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀》
《詩哥写真鏡・清少納言 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
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《旧儀式図画帖「闘鶏御覧」 1帖 明治時代・19世紀》
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江戸時代の宮廷行事を描いた図画帖の中の、仙洞御所(上皇の御所)で行われた闘鶏の場面。かつて宮廷では三月三日に闘鶏が行われていた。

 《花鳥図屏風 2曲1双 海北友雪筆 江戸時代・17世紀》
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f:id:Melonpankuma:20170106155300j:plain(左隻)
海北友雪(かいほうゆうせつ)は春日の局の推挙もあり徳川家光にも取り立てられた宮中の御用画家。画風が軽妙で親しみやすい作品が多い。今年、京博で特別展が開催される。

《孔雀図 1幅 岡本秋暉筆 江戸時代・19世紀》
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寄り添う番の孔雀の背後に牡丹とタンポポを描いたもの。秋暉は区孔雀図を得意とした。本図は特に金泥を用いて華やかな仕上がりとなっている。

《蒼鷹搏雁図 1幅 毛翀筆 中国 明時代・16世紀》

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菊花さく秋、雄々しい蒼鷹が水辺に雁を捉えた一瞬を描いている。常が刺さり、後方には驚いて飛び立つ叭々鳥の姿が見える。

《羽觴(うしょう) 1個 明治時代・19世紀》

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羽觴とは、羽を持つ觴(さかずき)の意味がある。もとは陰暦三月三日(また、上巳の日)に行われた風習で、曲水流觴という屈曲した小川の流れに杯を浮かべ、それが自分の前を流れ過ぎてしまわないうちに詩歌を作り、杯の酒を飲むという遊びがあった。それが後世になって鳥の形をした台に盃を載せる形式となった。

《牡丹錦鶏蒔絵鞍鐙 1具 江戸時代・19世紀》
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高く盛り上げた金の高蒔絵を主体にして、雌雄の錦鶏と牡丹を賑やかに描いている。

《鶏  1面 荒木寛畝筆 明治時代・20世紀》

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《鶏 1面 渡辺省亭 明治時代・19世紀》
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《迦陵頻伽像 1躯 伝慶尚北道慶州市出土 統一新羅時代・8世紀》
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極楽浄土に住む迦陵頻伽(かりょうびんが)と呼ばれる鳥は、上半身が人の形をして非常に美しい声で歌うそう。手にはシンバルに似た楽器を持ち、足先は鳥が枝に止まるように丸めています。

 

1月2日の特別2室はこんな様子でわいわい賑やか。熱気で展示室の温度も上がっていたかもしれません。
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本館2階を鑑賞後に夫と待ち合わせて合流したところ、カレンダー付きワークシートに解答して、記念品を貰っていました。
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博物館に初もうで@東京国立博物館

1月2日、今年は東京国立博物館で博物館巡りはじめです。
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正門、本館前の池の中、本館玄関前に生花が飾られていました。
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池坊 蔵重伸氏による作品です。

東洋館前でミュージアムシアターの入場券を貰って、《VR作品 江戸城天守を鑑賞しました。

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徳川三代将軍家光が作った江戸城最後の天守の姿を、遺跡や図面、絵図を手がかりに構造を推定し、その姿が現代の風景の中に蘇ります。構造の手がかりが発掘調査で見えてくるあたりが、とても面白かったです。

 

鑑賞後、外に出てみるとにぎやかな太鼓の音がしました。音の方向に惹かれて本館前へ。黒山の人だかりで遠くからでしたが、迫力は十分。 

《和太鼓 批魅鼓
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躍動的な和太鼓で自然に体が動き出しだします。

場所を変えて、今度は平成館大講堂へ。

《曲独楽 三増紋之助
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すばらしい技と話術で、私ずっと口開けっ放しでした。

続いて、《落語 三遊亭歌奴
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麺の食べ方講座が、実にためになりました。しかし、お二人の舞台で笑いすぎて喉が空っから。いくら初笑いったって、正月早々飛ばしすぎなくらい。

 

東洋館に戻って、ゆりの木の受付をしたら30分ほど待ち時間があったので、本館前で獅子舞を見ました。

《獅子舞 東都葛西囃子中村社中》
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葛西囃子は東京都無形文化財に指定されています。東葛西領の総鎮守であった金町村の香取神社(葛飾区、葛西神社)の神官が創作した祭り囃子がはじまりとされ、この系統の囃子が関東各地に伝わりました。

まず、幸せを招くと共に厄病退治や悪魔払いとして古くより伝えられている縁起の良い獅子舞です。舞い手は女の方でした。 続いて白面の恵比寿様が鯛を釣り、丸顔の大黒様が金貨を撒きました。拾えなかったけど。

お昼ご飯にゆりの木膳。お汁粉に惹かれました。
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ようやく本館へ。
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正面の大階段を上がったところ、普段は閉じている扉の部分に大きな生花が飾ってありました。
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この日の10室の様子。
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普段の平日なんて数人しかいないのに大混雑。とてもゆっくりした気分で鑑賞できる雰囲気ではないので、また日を改めることにしました。

MIYABI遊園2017@目黒雅叙園

初詣の後は、今年で11年目となるMIYABI遊園へ行きました。

《お七の井戸》
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目黒雅叙園の入り口にあります。

八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後僧侶となり名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。
明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園に架け明治13年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。

ちなみに、お七の家があったとされるのは文京区駒込です。

目黒雅叙園のエントランス。アルコタワー(右)とアルコタワー・アネックス(左)の曲面に挟まれて、車寄せに張り出した曲面の切妻屋根。棟飾りの鳳凰で縁結びを意味しているのだそうです。
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一歩入ればそこは「昭和の竜宮城」といわれた目黒雅叙園ワールドです。
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きらびやか。
招きの大門に至る廊下も豪華絢爛。両脇の池には生花が飾られていました。
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歩いて回るだけで楽しい。すっかりディズニーランド気分です。

廊下の先にある広間で縁日が行われていました。
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くじ屋もあります。
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少し離れたところから明るい囃子の音が聞えてきました。東が丘保存会の目黒囃子と獅子舞は、目黒区無形民俗文化財です。この後舞台を控えていたので、予行練習を兼ねていたのかもしれません。

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囃子の明るい調子が場を盛り上げます。獅子舞の伸びやかな舞がお見事です。元旦早々、良い物を見せていただきました。

初詣@瀧泉寺

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も博物館巡りで楽しく過ごそうと思っています。変わらぬ、お付き合いをよろしくお願い申し上げます。

 

近々、ブリーダーを営んでいる知人の犬が出産を控えているので、初詣は犬に縁の深い龍泉寺へ行きました。こちら、子連れ犬像がたくさんあるので犬好きには有名なお寺です。いや、犬に関係なく、歴史も古く江戸三大不動のひとつ、目黒不動尊としてよく知られているのですが。

 

瀧泉寺開山以前の地主神「大行事権現」の神使である和犬の像。仁王門をくぐった先の広場にあります。和犬は立ち耳なので、耳を後ろに引いている様子を表わしているのかもしれません。犬語では畏怖や甘えの意味があります。前脚の間に仔犬がいます。
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乳があるのでこっちが母犬。
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うっすらと口が開いていて犬歯が見えます。耳を引いているので、これは威嚇の顔です。追い詰められた母犬が仔犬を必死に守ろうとしています。まだ腰を上げていないので、飛び掛ってくるまでもう少し余裕が見えますが、これ以上近づいてはいけないようなので、距離を保って参拝。

 

前不動堂(東京都指定文化財)の前にも和犬像があります。こちらは頭を下げて畏怖を表わしています。ここでは片方しか紹介しませんが、これも向かい合って対になっています。f:id:Melonpankuma:20170105194119j:plain

この他にも独鈷の滝の周りとか、境内のいろんなところに犬の像があります。

《銅造役の行者倚像 江戸時代後期 寛政8年(1796年)目黒区指定文化財

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女坂の途中、神変大菩薩として祭られているのは、修験道の祖として崇拝されている役の行者(役小角)です。像の腹、胸、腕に刻銘があり、願主の名や、神田の鋳工、大田駿河守藤原正義の作であることがわかります。お参りすると脚や腰を強くしてくれるという言われがあり、多くの人がなでるので像の脚が光っていました。

大本堂です。
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参拝した後に単眼鏡で本堂の奥を見てみると、黒い御本尊が見えました。不動明王なので力強い憤怒の表情です。色彩が施された脇侍が両脇にいます。不動明王というのは破邪顕正明王として、全ての災難厄難を退けて福となす、福寿開運の仏だそうです。

実は、瀧泉寺の御本尊は秘仏で、通常は見ることができないそうです。しかし、十二年に一度だけご開帳があり、それが酉年の今年。知らずに行ってみたら、ご本尊を拝めたという偶然。今年は先行き良さそうです。

本堂の天井を見上げると立派な龍の絵がありました。《波涛龍図 川端龍子です。本堂内の撮影は禁じられているので、記憶にだけ残しました。

《銅造大日如来坐像 江戸時代 天和3年(1683年)目黒区指定文化財

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本堂の裏に回ると、不動明王本地仏である大日如来像がありました。パーツを鋳造して組み合わせた吹き寄せという技法で作られています。台座部分に刻銘があり、天和3年に鋳物師、横山半右衛門尉正重が作ったことがわかります。江戸時代には堂舎に納められ、その後は長い間露座でしたが、現在は八角形の覆屋根が設けられています。

大日如来を守護するように四隅に四天王がいます。
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左上から時計周りに、広目天(西)、増長天(南)、持国天(東)、多聞天(北)です。

 

さらに、この奥に鳥居があって地主神である大行事権現が祭られていました。初詣だし神使いの和犬像に会いに来たのなら、実はこっちにお参りするべきだったんじゃないかと、記事を書きながら思った次第です。 

 

※1月7日、母犬仔犬共に無事に出産を終えたとの知らせ。近々瀧泉寺和犬像にお礼参りに行きます。

マリメッコ展@Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアムマリメッコ展を観に行きました。

www.bunkamura.co.jp

前売り券を買っていたのに展覧会が始まってもなかなか足を運ばなかったのには理由があって、年末年始はどこの美術館も軒並み休館するので、Bunkamuraはそのタイミングで行ける貴重な存在として残しておいたのです。

 

こちら隣の東急百貨店本店マリメッコの垂れ幕が目立ってます。

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東急百貨店を通り抜けて地下のザ・ミュージアムへ。入り口にはマリメッコ展のポスターがずらりと並んでいました。

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せっかく大きな柄が特徴のマリメッコなのに、小さなポスターばかりなのが残念です。

展覧会を見る前の私のマリメッコ感はというと、自分で着るのは無理だけど、額装して壁に飾ったりなら出来るかもといった程度の好き具合。ただ、デザインとしてどこか惹かれるものがあるので、ここでたくさんの作品を見てどの辺に引っかかっているのかを見極められればと思っていました。

 

展覧会は、はじめに、マリメッコの歩み、デザインの芸術の3部構成です。展示数もさることながらラベリングが細かいので、作品リストを追うのが大変でした。

Ⅰ:はじめに

マリメッコの歴史を語るには欠かせない、大胆な色づかいや柄。 ここでは1950年代~2000年代の象徴的な柄のファブリックを展示し、時代を経てなお新鮮なマリメッコのデザインの魅力をお楽しみいただきます。

マリメッコとは「小さなマリーのドレス」という意味。ブランドロゴはイタリア製タイプライターであるオリヴェッティの書体でできています。

このコーナーでは、マリメッコのよく知られた大きな図柄のファブリックが展示されていました。マリメッコを一躍有名にしたマイヤ・イソラ図案《イソト・キヴエット(大きな石)》《ウニッコ(ケシの花)》《カイヴォ(泉)》脇坂克二図案《ユメ(夢)》が目を惹きました。

展示会場内の空調が悪いようで、途中でクシャミが止まらなくなりました。私はハウスダストのアレルギーがあるものですから。入り口の外気が入るところまで戻ると、ようやく呼吸が整ったものの意気消沈。布系の展示ってのもあったのかなあ。

Ⅱ:マリメッコの歩み 1951-2016

このセクションでは、60年以上におよぶマリメッコの歴史をたどります。 ジャクリーン・ケネディに愛された1960年代、様々な製品開発により市場を拡大した70年代、その後の様々な展開を経て、世界的なブランドへと成長した現在。 創業当時からの貴重なドレス、ファブリック、アクセサリーや食器などに加え、時代を創った著名デザイナーのインタビュー映像を展示します。 マリメッコの歴史上重要な役割を果たした日本人デザイナーや、ジャクリーンが実際に所有していたドレスも紹介します。

ここでは、マリメッコを牽引していった人たちを軸に展示品が並びます。創業者アルミ・ラティア、初の正社員デザイナーであるヴォッコ・ヌルメスニエミ、色鮮やかで大胆な図案を生み出し世界中の人々を魅了したマイヤ・イソラ、大量生産技術を見据えたアンニカ・リマラ、ウール素材を持ち込んだリーサ・スヴァント。新しいデザイナーたちとして、初の外国人デザイナーとして採用された脇坂克二、ユニセックスな服を作ったペンッティ・リンタ、もう一人の日本人デザイナー石本藤雄、ニットコレクションを手がけたマルヤ・スナ、現在第一線で活躍し《シールトラプータルハ(市民菜園)》などを生み出す、私もお気に入りのマイヤ・ロウエカリ。

 大胆な色使いは実際に着るとなれば気が引けてしまうのですが、見る分には心躍るものばかり。ファブリックの図案を生かすよう最小の裁断でできるように作られているというドレスたちはどこか和裁に通じるところがあって、そこに私は惹かれているのかと合点。そして、明らかに北欧デザインでありながら日本人の感覚にマッチしている気がしていたのは錯覚でも何でもなくて脇坂克二氏や石本藤雄氏のような日本人デザイナーが活躍していたからだとわかりました。

 

マリメッコの個性的な図案は実に様々で自由です。いろいろと見ていくうちに、好きなものとあまりピンとこないものがはっきりと意識されて、私の判断はどこかミニマルなところを探しているなと自分の嗜好が見えてきました。そこを突き詰めていくと、禅画に落ち着きそうな予感がするので、来年はもっと禅画を見るようにしようかな。

Ⅲ:デザインの芸術

 マリメッコのデザインはどのように生まれ、製品化されていくのでしょうか。ここでは、デザイナーがデザインを描き起こしてから、ファブリックとして製品化されるまでの過程を、ヘルシンキマリメッコ本社にあるプリント工場の貴重な映像を交えながら紹介します。また、デザイナーが柄の構想を練る際に描いた自筆のスケッチと、実際に製品化された同じ柄を並べて展示します。 マリメッコの有名な柄が生まれた原点をご覧ください。

まず、マリメッコのデザインを、色や幾何学模様、自然素材モチーフ、コインモチーフ、デザインサイズなどに着目して分類展示してありました。さらに、ここでは図案の原画が展示されていました。原画はやはり力強いし製品よりもさらに個性が出ます。原画とファブリックが並んで展示されていると、パタンのリターン処理がどうなっているかがわかりやすかったし、デザイナーによっては小さく描いて大きく引き伸ばしたりしているのも面白かった。

脇坂克二の原画はどれも水彩画。どれもこれも心惹かれるデザインばかりだったのですが、特に《プロ(小川)》が気に入って、ソファに座ってずっと眺めていました。で、ここにきて、ようやく気がついたことがひとつ。私が青山に行く時に必ず立ち寄るSOUSOUというブティックがあります。実は、これ脇坂氏が立ち上げたブランドでした。人名を覚えられない自分にまたしてもガッカリです。どうりでマリメッコが気になるわけだ。デザインに同じDNAが流れてたとはね。

展示室出口直前、製造ラインのビデオが流れていました。プリントやチェックの工程が紹介されていたのですが、日本の製造ラインと比べるとどこかのどかな空気が流れていて微笑ましく思いました。製品を作っている人の顔が見られるのっていいですね。

 

東急百貨店向かいのVIRONで、大好物のジャンボンフロマージュ
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VIRON 渋谷店

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