中国書画精華―日本人のまなざし―(前期)@東京国立博物館 東洋館
毎度おなじみ東京国立博物館ですが、本日は東洋館で開催中の「中国書画精華」展へ。
東洋館 8室 中国書画精華―日本人のまなざし―
朝一番に来たので、貸し切り状態でした。
今年も、秋の中国美術の名品展として「中国書画精華」を開催します。日本には古くから中国の書画が舶載され、それらは日本美術にも大きな影響を与えてきました。特に、宋・元時代の書画は、鎌倉時代以降の禅宗と共に数多く伝えられ、書院や茶室において、日本の趣味にもとづく新たな鑑賞法のもとに親しまれてきました。また、狩野派を始めとする江戸時代の画家たちは、室町将軍家の価値観を継承しつつ、明・清時代絵画の図様・画法も積極的に学習していきました。そして明治時代以降、日中の往来が盛んになるにつれ、中国伝世の精品が少なからず日本に伝えられ、中国本来の文人趣味を理想とする財界人・文化人によって優れたコレクションが形成されました。中国歴代書画の名品がいつごろ日本に伝えられ、どのような影響を与えてきたのか、日本における受容に留意しつつ、名品の数々を紹介します。
以下、気になったものについてメモを残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
続きを読む~葛飾北斎のパフォーマンスに挑む~ 現代の画狂人・山口晃、大ダルマを描く!!@すみだ北斎美術館
去年オープンしたすみだ北斎美術館。行こう行こうと思いつつ混雑を嫌って機会を逸していましたが、何やら楽しげなイベントが開かれると聞いて、ようやく重い腰を上げました。
大江戸線の両国駅に、お目当てのポスターが張られていました。
まずは、すみだ北斎美術館を通り過ぎて、イベント会場であるYKK60ビルへ向かいました。
「~葛飾北斎のパフォーマンスに挑む~ 現代の画狂人・山口晃、大ダルマを描く!!」です。
文化14(1817)年に名古屋で行われた、北斎による120畳大の大ダルマを描くパフォーマンスが一体どういうものだったのか、この目で観られるチャンス。描き手は、なんと山口晃氏。見逃せないイベントです。
11時半に会場に着いた時には大まかな線が引き終わっていました。ずいぶんとサッパリしているなあと思っていたら、そこから陰影が入りました。とにかく筆が重そう。画伯汗だくです。汗を拭き、水を飲み、たまに飛び跳ね、汚れた草履を拭き、たまに笑いを取り、最後は梯子にのぼり、描き続けます。表立って若いアシスタントが三人動いていましたが、それにしても、体力がなければできるもんじゃない。足跡で汚ごさないよう苦労されているのも、傍では面白く見せていただきました。 使っている道具も興味深く、箒だったり、ジェットエンジンのような三連筆が出てきたり、ほぼ水のような一番薄い墨を塗るのに使っているのにはスポンジ筆を使っていて、そんな筆も市販されているんだと感心したり。
濃墨で髭が入り、画伯のサインが入って、完成したのが13時前。予定が16時まで用意されていたので、思っていたよりも早く完成しました。その迫力に圧倒されていたので、見物する側も変にお喋りな人もなく、真剣に見入っていたことに気づきました。いやあ、すごかった。
完成後、写真撮影が許可されました。
巨大すぎて視野に収まりません。北斎の達磨は、これよりもうひと回り大きい画面に描かれたそうです。屋外だったので、さらに様々な苦労があったのではと想像します。寿命がそれほど長くもなかった時代に、今の山口氏よりもさらに10才ほど年を重ねていたわけですし。
大層、お疲れの山口氏。
会場のとなりの部屋で全貌を見ることが出来ました。
この墨絵は、後日、10月22日まで本ビルロビーに展示されるということでした。縦になった大達磨も観たかったけれど諦めます。
そしてようやく、はじめましての、すみだ北斎美術館へ。こちらが噂の妹島和世氏設計の建物です。
入場して地下1階のロッカーに荷物を入れて、エレベーターで3階まで上がって展示を観ました。
企画展「大ダルマ制作200年記念 パフォーマー☆北斎 ~江戸と名古屋を駆ける~」の展示室は三階と四階に分かれています。
文化14(1817)年に名古屋で行われた、北斎による120畳大の大ダルマを描く大パフォーマンス。
江戸と名古屋、両都市のにぎわいに一役買った <パフォーマー・北斎>としての姿を紹介する。
展示は、北斎の大達磨描きパフォーマンスについて、どういう場所で行われたか、そのニュースはどう伝えられたかといった周辺情報によって明らかにしていくものでした。北斎の錦絵も江戸の町の紹介といった筋で展示されています。そもそも、このパフォーマンスは北斎漫画の宣伝として行われたそうで、本展でも北斎漫画が数多く並べられていました。
四階の常設展入口には《須佐之男命厄神退治之図》の推定復元画がありました。
こちらは、すみだ北斎美術館が出来た際に、テレビなどで詳しく取り上げられていたものですね。
常設展は、一部を除いて、フラッシュを使わない写真撮影が許可されています。
しかし、ビデオ撮影については判断つかず(英文では禁止)。
日本で初めての葛飾北斎研究書、飯島虚心(1840-1910)筆《葛飾北斎伝》
先日、葛飾北斎の娘、応為を主人公にしたNHKドラマ「眩」で、北斎が卒中になった時に、馬琴が柚子を差し入れるシーンがありました。なんでも、柚薬は中風に効くのだとか。それが、こちらの飯島虚心の『葛飾北斎伝』を典拠にしたものだそうです。
肉筆のコーナーに《朱描鍾馗画》がありました。
一見してツルツルしていると感じました。単眼鏡で観ると絹目が明瞭に見えます。この隣に、絶筆といわれている《富士越龍図》があって、北斎館所蔵品のそれを先週あべのハルカスで観たばかり。と、ようやくここで、常設展のはレプリカだと、どこかで読んだのを思い出しました。入口の《須佐之男命厄神退治之図》にもレプリカの表示がありませんでした。アミューズメントパークならまだしも「美術館」という名前で、複製品の表示をしていないのには戸惑います。
北斎のアトリエを再現したもの。
本当は、もっと汚かったんだろうなと思わずにはいられません(笑
大徳寺什宝展 曝涼@大徳寺
国宝展目当てに京都に行くタイミングで大徳寺の曝涼があると知りました。
この週末に国宝展に来られる方は、大徳寺の曝涼も見に行かれるのが良いと思います。(毎年10月の第二日曜日に開催されます。雨天中止ですが、今年は大丈夫そう)
— みう (@hibitantan) 2017年10月5日
こんなチャンスは滅多にないので、もちろん出かけます。
去年東博であった禅展の時に買って以来、お気に入りの大徳寺納豆を購入後、総門から入って宗務本所へ。ここから方丈に入ります。
大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で、寺号を龍寶山という。鎌倉時代正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創し、室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興した。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。国宝や重要文化財指定の建造物や宝物も数多い。
大徳寺の曝涼は10月第2日曜日に行われる虫干しのことで、普段は非公開の本坊で行われ、狩野探幽筆方丈襖絵など約100点が公開されます。
拝観料を払って庫裡に入り、靴を脱いですぐのところで荷物を全て預けます。御朱印が欲しければ引換証と交換で御朱印帳を預けておくこともできます。そして、いよいよ方丈庵へ。国の特別名勝に指定された白洲のお庭と国宝の唐門を横目に、鶯張りの廊下をキコキコと鳴らしながら進みます。どの部屋も、天井から吊るされた掛け軸でいっぱい。もちろんむき出しです。狩野探幽の《◎方丈障壁画》が上半分隠されてしまっています。なんという贅沢な空間。
《◉絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 牧渓 3幅 中国南宋時代》
牧谿の《観音猿鶴図》の三幅対が観られたので、もうそれだけで満足。6月に出光美術館で長谷川等伯の《竹鶴図屏風》を観て、まだその印象の残っている間に、元絵が観られるなんて最近ツイてるなあ。
《◉絹本著色大燈国師像》
《◎絹本著色五百羅漢像 林庭珪・周季常等》
《◎絹本墨画竜虎図 2幅 牧谿》
《◎紙本墨画芙蓉図 伝牧谿》
《◎絹本著色楊柳観音像》
立て続けに二百点ほどの作品を眺めながら、建物やお庭にも目を走らせながらと見ていたら、とうとうバテました。とにかく、この日は10月だというのに夏日になるほどの虫干し日和でしたから。陽の当たる廊下で風にあたりながら、入口で手に取った大徳寺の寺報『紫野』を読んで休みました。小堀遠州の作った東庭を眺めたり、茶室の鹿威しに驚かされたりして、なんとか一周しました。帰りに入口で預けておいた御朱印帳を受け取って退出しました。
この日は方丈以外は全て閉じられてしまっていて、他の塔頭や法堂などの公開はありませんでした。例え開いていても、それを回る体力が残っていたわけではないのですが、せめて法堂の《雲龍図》だけでも観たかったな。
東寺
連休二日目は東寺へ行きましたので、その覚書です。
南門から入ります。
平安時代、東寺は平安京の入口である羅城門の東にありました。つまり平安京の南端です。
東寺の境内を通り、東寺宝物館へ。
この時は「東寺観智院の歴史と美術 ―高僧と名宝―」展をしていました。
《◉後宇多法皇宸筆東寺興隆条々事書案并添状案(東寺文書御宸翰一) 1巻 紙本墨書 縦32.0cm 横244.0cm 鎌倉》
《◎五重小塔 1基 本瓦形板葺 総高160cm 鎌倉》
《◉東宝記 第一 1巻 紙本墨書 縦34.3cm 横2211.0cm 南北朝~室町》
《不空羂索観音像 1幀 絹本著色 縦108.2cm 横47.9cm 鎌倉》
《◎蘇悉地儀軌契印図 1巻 紙本墨書 縦26.4cm 横446.4cm 唐》
《◎千手観音菩薩立像 平安時代 木造漆箔》
東寺の象徴《◉五重塔 江戸時代(寛永21年/1644年) 木造 本瓦葺》です。
徳川家光の寄進によって建てられ、現存の日本の古塔で最も高く、総高が55メートルあります。
《◉金堂 桃山時代(慶長8年/1603年)入母屋造 本瓦葺》です。
平安遷都とともに建立された東寺の本堂です。一度焼失して、この建物は豊臣秀頼が発願し再興したもの。
《◎薬師三尊像 桃山時代(慶長8年/1603年)木造漆箔》
写真を撮り忘れましたが、《◎講堂 室町時代(延徳3年/1491年) 入母屋造 本瓦葺》にも入りました。羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)という曼荼羅を仏像を配置して表したものがありました。どの像も国宝や重文の見事なものでした。
北大門から北総門までの参道は、櫛笥小路といって平安時代からそのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路なんだそうです。その小路にある観智院にも行きました。
《◉観智院客殿 桃山時代(慶長10年/1605年) 入母屋造 こけら葺》
床の間に宮本武蔵筆の《鷲の図》、そして襖に《竹林の図》がありました。
本堂には《◎五大虚空蔵菩薩坐像 唐時代 木造》があります。五尊は蓮の花弁で象られた蓮台に結跏趺坐していて、獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅という鳥獣の上に鎮座しています。かっこいいのなんの。
その右には《愛染明王坐像 江戸時代 木造彩色》もありました。
それにしても、10月だというのにとんでもなく暑い日でした。東寺をぶらぶら歩くだけでもバテてしまいました。
開館120周年記念 特別展覧会 国宝@京都国立博物館
大阪から移動して、夜間開館日の京都国立博物館へ向かいました。今年最も注目していた京都国立博物館の国宝展です。
夕方ではありますが、結構な人の流れがありました。それでもロッカーなど不足しているようなことはなく、係員も混雑に慣れた様子。とらリンの姿もありました。
続きを読む2017年は、日本の法令上「国宝」の語が初めて使用された「古社寺保存法」制定より120年にあたります。当館開館と軌を一にするこの節目の年に、昭和51年(1976)に「日本国宝展」を開催して以来、実に41年ぶりとなる「国宝展」を開催します。古より我々日本人は、外来文化を柔軟に取り入れつつ、独自の美意識によって世界にも類を見ない固有の文化を育んできました。歴史的、芸術的、学術的に特に優れ、稀少である国宝は、何よりも雄弁に我々の歴史や文化を物語る、類い希なる国の宝といえましょう。本展覧会では、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古の各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝約200件を大きく4期に分けて展示し、わが国の悠久の歴史と美の精華を顕彰いたします。
北斎-富士を超えて-@あべのハルカス美術館
これから北斎展に行く方へ。
できるだけ快適に北斎展を楽しみたい場合、今のうちなら平日の18時過ぎからが空いているようです(平日20時まで開館)。もちろん、チケットは事前にオンラインチケット、コンビニ、金券ショップなどで手に入れておきましょう。
連休に展覧関巡りで遠征しました。
初日はあべのハルカス美術館の北斎展(リンクはキャッシュです)へ。
稀代の浮世絵師、北斎。ゴッホやモネに影響を与え、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「The Great Wave」として世界で最も知られる作品の一つです。新パスポートに「富嶽三十六景」が採用され、今、北斎は日本を象徴する存在になりつつあります。本展では、肉筆画を中心に還暦以降の30年に焦点を当て、90歳まで描き続けた北斎が追い求めた世界に迫ります。
美術館開館の少し前に到着したところ、既に入場のための列が長く伸びていました。想像よりも混雑していて、嫌な予感しかない。
荷物があったので会場のコインロッカー不足を心配して、スタッフに中の様子を尋ねましたが、いくら尋ね直しても回答をはぐらかす。スタッフが大行列に慣れていないのが明らかで不安増大。展覧会運営側を頼るのは無理と見切りをつけ、入場待ちの列に夫を残し、ロッカー探しの旅に出かけました。なんとか天王寺駅近くに荷物を預けて美術館に戻りました。
あべのハルカスに着いてから展覧会場に入るまで40分くらいですみましたが、コインロッカーの空きなし、音声案内もなし、入場制限はないものの展示場入ってすぐは大混雑という状態でした。