運慶展@東京国立博物館 平成館
都美のボストン美術館を出た後は東博の運慶展へ。平日に入場制限がかかるようになったと小耳に挟み、出かけるのが億劫になるくらいの行列になって後悔するくらいなら、今行こうと。
人の流れが明らかに平成館に向いています。
エントランスにテントが用意されているのは、今後の行列対策でしょうか。
かなりの賑わいです。
平成館でこれだから、他の美術館でやったら、すさまじいことになったんだろうなと思います。
日本で最も著名な仏師・運慶。卓越した造形力で生きているかのような現実感に富んだ仏像を生み出し、輝かしい彫刻の時代をリードしました。本展は、運慶とゆかりの深い興福寺をはじめ各地から名品を集めて、その生涯の事績を通覧します。さらに運慶の父・康慶、実子・湛慶、康弁ら親子3代の作品を揃え、運慶の作風の樹立から次代の継承までをたどります。
以下に、気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財)。
続きを読むボストン美術館展@東京都美術館
秋も深まり、展覧会が目白押しです。運慶展が盛り上がっているので多少空いているかもと思い、なかなか足を運べなかったボストン美術館展へ行きました。
世界有数の規模と質を誇るボストン美術館のコレクションは、国や政府機関の経済的援助を受けず、ボストン市民、個人コレクターや企業とともに築かれています。本展では、美術館を支えてきた数々のコレクターの物語に光を当てながら、発掘調査隊の成果を含む古代エジプト美術から、歌麿や蕭白らによる日本・中国美術の名品、ボストン市民の愛したモネやファン・ゴッホを含むフランス絵画のほか、現代美術までを選りすぐりの80点でご紹介します。
この後、運慶展を梯子する予定だったので、体力的なことを考えて、観るのは2章と3章だけにとどめました。
以下、気になったものをメモとして残します。
馬の博物館開館40周年記念所蔵名品展 馬の美術150選@馬の博物館
秋晴れの休日、横浜市の桜木町駅からバスに揺られ、馬の博物館に行きました。
なんでも、去年の馬鑑展で公開されるはずだった新作《厩図2016》が、今回本当に完成したということなので、それは行かなくちゃと。
と、そんな話があったとしても、山口晃氏の作品に関しては、実際に自分の目に映るまでまでは、あまり期待しないようにしています。
馬の美術館では、現在、馬の博物館開館40周年記念所蔵名品展 馬の美術150選を開催中です。
馬の博物館は、本年開館40周年を迎えます。長年ご愛顧いただいたお客様に感謝の気持ちを込めて、馬の文化の魅力をお楽しみいただけるよう作品を厳選した、所蔵名品展を開催いたします。
当館は、馬に関する文化の普及と継承を目的として継続的に資料収集を行っており、これまで積み重ねてきた馬に関するコレクションは、幅広い分野に及びます。本展では、これら約1万5千点以上の所蔵品の中から、メモリアルイヤーにふさわしい貴重な美術品150点を精選し、一挙に公開いたします。
馬の博物館は第1展示室から第4展示室まであります。今回の特別展示は第2、第3展示室で行われました。一部撮影禁止のマークで区別されているところや接写禁止などの注意事項がありましたが、馬の博物館の所蔵品で著作権の切れているものに関しては、大部分がフラッシュ無しでの撮影のみ許可されていました。
記憶がかなり怪しくなってきた鑑賞者(私、私、)にとって、その場で細かなメモを残さずにすむのは疲労の度合いが違います。大変ありがたい。
六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信(前期)@サントリー美術館
台風の影響が心配された連休二日目は、小雨の中、ちぃばすでトロトロと六本木ミッドタウンへ。
サントリー美術館六本木開館10周年記念の狩野元信展に行きました。
狩野元信(1477?~1559)は、室町時代より長きにわたり画壇の中心を担ってきた狩野派の二代目です。狩野派とは、血縁関係でつながった「狩野家」を核とする絵師の専門家集団であり、元信は始祖・正信(1434~1530)の息子として生まれました。元信は極めて卓越した画技を持ち、その作品は歴代の狩野派絵師の中で最も高く評価されていました。
以下に、気になったものをメモとして残します。(真)(行)(草)と示したのは、展示の説明書に付けられた狩野派の画体区分です(◎は重要文化財、◯は重要美術品、◆は京都府指定有形文化財、◇は京都市指定有形文化財)。
- 第1章 天下画工の長となる ― 障壁画の世界
- 第2章 名家に倣う ― 人々が憧れた巨匠たち
- 第3章 画体の確立 ― 真・行・草
- 第4章 和漢を兼ねる
- 第5章 信仰を描く
- 第6章 パトロンの拡大
江戸の琳派芸術@出光美術館
台風接近の連休初日、出光美術館へ行きました。
出光美術館で16年ぶりとなる江戸琳派展(リンクはキャッシュ)です。観ないわけにはいきません。
若いころから遊里・吉原にあそび、俳諧や狂歌、そして浮世絵など、市井の文化に親しく触れた抱一は、30歳代なかばころより、尾形光琳(おがた こうりん 1658 - 1716)の作風に傾倒してゆきます。光琳の芸術を発見したことは、抱一の画業に最大の転機をもたらす一大事だったといえます。抱一は、光琳を隔世の師と仰ぎ、その表現を積極的に受容、みずからの絵画制作に大いに生かしましたが、それは一律にオリジナルの忠実な再現を目指したものばかりではありませんでした。光琳の芸術に真摯に向き合い、ときに大胆にそれを乗り越えようとする試みこそが、抱一をはじめとする〈江戸琳派〉の画家たちの、光琳に対する敬慕の証しであったといえるでしょう。
- 第1章 光琳へのまなざし ─〈江戸琳派〉が〈琳派〉であること
- 第2章 〈江戸琳派〉の自我 ─光琳へのあこがれ、光琳風からの脱却
- 第3章 曲輪の絵画 ─〈江戸琳派〉の原点
- 第4章 〈琳派〉を結ぶ花 ─立葵図にみる流派の系譜
- 第5章 師弟の対話 ─抱一と其一の芸術