~葛飾北斎のパフォーマンスに挑む~ 現代の画狂人・山口晃、大ダルマを描く!!@すみだ北斎美術館
去年オープンしたすみだ北斎美術館。行こう行こうと思いつつ混雑を嫌って機会を逸していましたが、何やら楽しげなイベントが開かれると聞いて、ようやく重い腰を上げました。
大江戸線の両国駅に、お目当てのポスターが張られていました。
まずは、すみだ北斎美術館を通り過ぎて、イベント会場であるYKK60ビルへ向かいました。
「~葛飾北斎のパフォーマンスに挑む~ 現代の画狂人・山口晃、大ダルマを描く!!」です。
文化14(1817)年に名古屋で行われた、北斎による120畳大の大ダルマを描くパフォーマンスが一体どういうものだったのか、この目で観られるチャンス。描き手は、なんと山口晃氏。見逃せないイベントです。
11時半に会場に着いた時には大まかな線が引き終わっていました。ずいぶんとサッパリしているなあと思っていたら、そこから陰影が入りました。とにかく筆が重そう。画伯汗だくです。汗を拭き、水を飲み、たまに飛び跳ね、汚れた草履を拭き、たまに笑いを取り、最後は梯子にのぼり、描き続けます。表立って若いアシスタントが三人動いていましたが、それにしても、体力がなければできるもんじゃない。足跡で汚ごさないよう苦労されているのも、傍では面白く見せていただきました。 使っている道具も興味深く、箒だったり、ジェットエンジンのような三連筆が出てきたり、ほぼ水のような一番薄い墨を塗るのに使っているのにはスポンジ筆を使っていて、そんな筆も市販されているんだと感心したり。
濃墨で髭が入り、画伯のサインが入って、完成したのが13時前。予定が16時まで用意されていたので、思っていたよりも早く完成しました。その迫力に圧倒されていたので、見物する側も変にお喋りな人もなく、真剣に見入っていたことに気づきました。いやあ、すごかった。
完成後、写真撮影が許可されました。
巨大すぎて視野に収まりません。北斎の達磨は、これよりもうひと回り大きい画面に描かれたそうです。屋外だったので、さらに様々な苦労があったのではと想像します。寿命がそれほど長くもなかった時代に、今の山口氏よりもさらに10才ほど年を重ねていたわけですし。
大層、お疲れの山口氏。
会場のとなりの部屋で全貌を見ることが出来ました。
この墨絵は、後日、10月22日まで本ビルロビーに展示されるということでした。縦になった大達磨も観たかったけれど諦めます。
そしてようやく、はじめましての、すみだ北斎美術館へ。こちらが噂の妹島和世氏設計の建物です。
入場して地下1階のロッカーに荷物を入れて、エレベーターで3階まで上がって展示を観ました。
企画展「大ダルマ制作200年記念 パフォーマー☆北斎 ~江戸と名古屋を駆ける~」の展示室は三階と四階に分かれています。
文化14(1817)年に名古屋で行われた、北斎による120畳大の大ダルマを描く大パフォーマンス。
江戸と名古屋、両都市のにぎわいに一役買った <パフォーマー・北斎>としての姿を紹介する。
展示は、北斎の大達磨描きパフォーマンスについて、どういう場所で行われたか、そのニュースはどう伝えられたかといった周辺情報によって明らかにしていくものでした。北斎の錦絵も江戸の町の紹介といった筋で展示されています。そもそも、このパフォーマンスは北斎漫画の宣伝として行われたそうで、本展でも北斎漫画が数多く並べられていました。
四階の常設展入口には《須佐之男命厄神退治之図》の推定復元画がありました。
こちらは、すみだ北斎美術館が出来た際に、テレビなどで詳しく取り上げられていたものですね。
常設展は、一部を除いて、フラッシュを使わない写真撮影が許可されています。
しかし、ビデオ撮影については判断つかず(英文では禁止)。
日本で初めての葛飾北斎研究書、飯島虚心(1840-1910)筆《葛飾北斎伝》
先日、葛飾北斎の娘、応為を主人公にしたNHKドラマ「眩」で、北斎が卒中になった時に、馬琴が柚子を差し入れるシーンがありました。なんでも、柚薬は中風に効くのだとか。それが、こちらの飯島虚心の『葛飾北斎伝』を典拠にしたものだそうです。
肉筆のコーナーに《朱描鍾馗画》がありました。
一見してツルツルしていると感じました。単眼鏡で観ると絹目が明瞭に見えます。この隣に、絶筆といわれている《富士越龍図》があって、北斎館所蔵品のそれを先週あべのハルカスで観たばかり。と、ようやくここで、常設展のはレプリカだと、どこかで読んだのを思い出しました。入口の《須佐之男命厄神退治之図》にもレプリカの表示がありませんでした。アミューズメントパークならまだしも「美術館」という名前で、複製品の表示をしていないのには戸惑います。
北斎のアトリエを再現したもの。
本当は、もっと汚かったんだろうなと思わずにはいられません(笑