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三井家のおひなさま@三井記念美術館

私にとって一年で最も慌ただしい季節の真っ只中、息抜きに三井記念美術館で開催されていた三井家のおひなさま(キャッシュ)を観に行きました。

毎年恒例となりました、日本橋に春の訪れを告げる「三井家のおひなさま」展。三井家の夫人や娘たちがこよなく愛した、ひな人形・ひな道具の華麗なる競演をお楽しみください。
展示室7では特集展示「三井家と能」と題し、三井家と能楽の関わりを作品と資料でご紹介します。 

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エントランスホールに《陶製福雛》が飾られていました。
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展示前室

入場してすぐの展示前室には剪綵作品が展示されていました。
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能「熊野」の一面、平宗盛の寵愛を受ける熊野が、花見車に乗って清水に向かう場面を描いたもの。

剪綵 Textile cutout
剪綵とは、まず下絵を描き、これに紙で裏打ちを施す。線描の部分を残して紙を剪抜き、残った線に金泥を塗る。そして、剪抜いた空白部分に裂地を貼り付けるという工程で制作される。もともとは中国の工芸品であったが、明治初年に北三井家8代高福(1808~85)が創意工夫を加え、「高福剪綵」と呼ばれるようになった。一時期高福剪綵の技術は衰退したが、同家11代高公夫人鋹子(1901~76)を中心に復興された。

《籠鶏図 三井恭子》
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こちらは、前回来た時にもありました。 

melonpankuma.hatenablog.com

 

館蔵品の茶道具

展示室1

T2《蛤香合 東幅門院拝領 狩野永納筆 江戸時代・17世紀》
東幅門院から千宗旦が拝領した貝合の道具を、江戸時代に玄々斎が香合に仕立てたもの。内側の絵は狩野永納によって描かれたもので「時斗草」の銘がある。柴垣と時計草が描かれている。

T6《春野棗 春斎作 江戸時代・19世紀》
黒い棗に、金の蒔絵で蒲公英に菫、土筆、桜草が描かれている。

T8《桜川蒔絵手桶水指 七代中村宗哲作 江戸時代・19世紀》
赤味のある黒漆の地に、大胆に筏と桜の花びらが散る川の様子を描いたもの。

T7《色絵団龍文四方水指 明時代・17世紀》
端反りの四方形で萬暦升鉢とも呼ばれているものを、蓋をつけて水差しに仕立てた。四方に描かれた龍は、まつ毛が長く愛らしい顔をしていた。

T9《御本茶碗 銘桃 朝鮮時代・17世紀》
御本茶碗は高麗茶碗の一種で、17~18世紀にかけて日本からの注文で焼かれたもの。薄桃色の地で内側にレースのような乳白色の模様が入り、大変愛らしい姿をしている。

T11《色絵鱗文茶碗 仁清作 江戸時代・17世紀》
黒釉の器に、帯状に鱗文(鋸歯文)が入っている。

T13《金襴手鳳凰文天目 永樂和全作 明治時代・19世紀》
金襴手の技法を使った豪華な器で内側に鳳凰の浮文がある。漆塗りの天目台が添えられている。

展示室2

 T14《斗々屋茶碗 銘霞 朝鮮時代・16世紀》
斗々屋茶碗は、碗形の本手斗々屋、平茶碗の平斗々屋、腰の大きく張った形の利休斗々屋の区別がある。本品は、枇杷色の本手斗々屋。胴に細い轆轤目、腰に縮緬皺がある。淡青色の景色を霞に見立てて、その銘がつけられた。照明のせいか、シャンパンゴールドに輝いて見えた。

展示室3

T15《小野小町図 狩野尚信筆 江戸時代・17世紀》
小野小町の姿と、古今和歌集「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」が描かれている。

 

三井家のおひなさま

展示室4

巴印のひな人形・ひな道具

北三井家十代・三井高棟夫人の苞子(1869~1946)の旧蔵品であるおひなさまは、実家の旧富山藩主前田家から伝わったもの、結婚後(明治25年)三井家で新たに作られたもの、江戸時代から三井家に伝来したものなどがあり、さまざまな年代や種類のひな人形、ひな道具を含んでいます。苞子は、三井家夫人を代表する立場として多忙な日々を綴った日記や当時の財閥当主夫人の生活を記録する貴重な資料も残しています。

H2《立雛 江戸時代・文化12年(1815)》
男雛が48センチと大きな立雛。丸顔が特徴的。衣装に描かれた松は男、藤は女を表し、共に描くことで男女和合を象徴する。同じく撫子は子供を象徴する文様。

H3《享保雛 江戸時代・19世紀》
享保雛は江戸時代中期に京都で流行った形式。当時は大変豪華絢爛な時代で人形が大型化し、女雛の衣服が十二単に変わっていったという。本品は、頬がふっくらとしている。衣装には綿が入って膨らみがある。

H4《内裏雛 三世大木平藏製 明治28年(1895)》
玉眼入り。引眉がなく、額に眉化粧、お歯黒がされている。古今雛の影響を受けた町雛。

永印のひな人形・ひな道具

(浅野久子氏<北三井家十一代・高公長女>寄贈品)
浅野久子氏は、北三井家十一代・三井高公の一人娘として昭和8年に誕生しました。翌9年の初節句に際し、「丸平」で知られる京都の丸平大木人形店・五世大木平藏(1885~1941)に注文してあつらえたひな人形、ひな道具を、近年まで浅野家でおこなわれていた段飾りで再現して展示します。

H7《永印のひな人形・ひな道具―浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)寄贈品 五世大木平藏製 昭和9年(1934)
内裏雛/五人官女/五人囃子/随身/仕丁、桐紋唐草蒔絵雛道具、紫宸殿雛人形などが大きな雛壇に展示されていた。内裏雛には《鶴桃花図屏風 円山応祥筆》の六曲一双の屏風がついている。《紫宸殿雛人形》は、天息御所の紫宸殿になぞられた御殿付きの雛人形で、江戸時代終わりから昭和20年頃にかけて、西日本を中心に流行した。

展示室5

珠印のひな人形・ひな道具 (三井興子<伊皿子三井家九代・高長夫人>旧蔵品)

伊皿子三井家は、家祖・三井高利の次男高富(1654~1709)を初代とする家で、現当主の長生氏で十代を数えます。三井家は、江戸中期より六本家と五連家を合わせた十一家が固定されていますが、伊皿子家は六本家の一家です。

三井興子(1900~1980)は、北三井家十代・高棟と苞子の三女として、明治33年(1900)1月28日に誕生。大正8年(1919)に伊皿子家九代・高長(1895~1959)と結婚しました。手先が器用であった興子は、鎌倉彫、刺繍、染物などを得意とし、北家の鋹子らと共に剪綵の技術の研鑽を積み、昭和11年常盤会への皇后行啓に際しては、その実演をおこないました。

H11《段飾り用雛人形 内裏雛三人官女/五人囃子/随身/女仕丁/銀地松鶴図屏風/雪洞/桜橘 ほか 四世大木平藏製 明治33年(1900)》
十五人揃いの雛人形。仕丁が桃色の着物を着た女で作られているのが珍しい。右大臣、随身も赤い衣装で、全体的に愛らしい揃い。内裏雛の屏風は《銀地松鶴図》で、松と鶴の他、梅や芙蓉も描かれている。

H14《衣装人形 和歌三神 川端玉山製 明治33年(1900)》
和歌を守護する三柱の神、衣通姫柿本人麻呂山部赤人が並んでいる。

H19《風俗衣装人形 豊国踊り 四世大木平藏製 明治31年(1898)》
水玉模様の手ぬぐいを被って踊る男女一組。女は着物の裾を膝までまくり、白の足袋に草履姿。団扇には、表に豊臣家の桐紋が、裏には「豊国踊」と書かれている。 

 

特別展示「三井家と能」

展示室7

三井家において、特に能が盛んとなったのは明治時代以降です。北家十代の三井高棟は、自ら謡や仕舞を習うなど能に親しんだことで知られ、麻布今井町に建てた自邸には、能舞台を設けました。今井町邸は賓客の招待所としても使用され、大正11年英国皇太子を招いた際には能の上演会を行ったり、大正15年スウェーデン皇太子を招いた際には、能面・能装束を含む美術品の展覧を行ったりしました。

N6《蜀江錦翁狩衣 江戸~明治時代・19世紀》
蜀江文様は、八角形と四角形を隙間なく連続的につなげたもの。この世に大いなる祝福をもたらす、翁専用の狩衣に使われる。

N8《英国皇太子招待関係資料 大正11年(1922) 三井文庫所蔵》
大正11年、英国皇太子を招いた際に行われた能のプログラムには、能演目のあらすじを英訳したものと、音譜付きの紅葉狩の謡が書かれていた。能楽界初と紹介された新聞記事の展示もあった。

 

一回り1時間半の程よいボリューム感でした。

 

帰り、日本橋三越を覗いてみると、バレンタインデー前だったので入り口がこんなことに。
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ライオンがとびきりキュートでした。