奇想の系譜展(後期)@東京都美術館と国際子ども図書館
築地でお腹いっぱいになった後、上野に移動しました。melonpankuma-rakugo.hatenadiary.jp
都美館で開催中の奇想の系譜展の後期展示を観ました。
土曜日の12時に到着して入場もスムーズでした。コインロッカーの空きがギリギリでしたけども。展示室内はそこそこ人がいて、巻物や浮世絵の行列は仕方がないにしても、大きな絵を見るのに困ることはなく最後まで進めました。私らが退出する際には入場制限こそありませんでしたが、入場口で「展示室内は大変混雑しています」とアナウンスしていました。よくよく見たら、チケット売り場にとてつもなく長い行列が出来ていました。我々は入館のタイミングが良かったとしか言いようがありません。
続きを読む河鍋暁斎 その手に描けぬものなし(前期)@サントリー美術館
博物館に初もうで@東京国立博物館 本館
2019年の博物館めぐりも、当たり前のようにトーハクからスタートしました。毎年恒例「博物館に初もうで」です。
今年は飾り付けも人の出も幾分控えめな様子。
- お正月のトーハク
- 本館2室 国宝 松林図屏風
- 本館 3室 宮廷の美術―平安~室町
- 本館 4室 茶の美術
- 本館 5室・6室 武士の装い―平安~江戸
- 本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
- 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
- 本館 18室 近代の美術
お正月のトーハク
とは言え、平日と比べたら本館のメインロビーも大賑わいです。
いつもは閉じられている中央階段奥のスペースには立派な生花。
《いけばな 池坊 蔵重伸》
開きかけた梅は造花でした。
ウメノキゴケは本物。
2階でカレンダーが配られていました。
《見立富士の巻狩 葛飾北斎 享和3年(1903)》
裏は「大小絵暦に挑戦!」のワークシートです。
国宝室はこんな感じ。
《◉松林図屏風 6曲1双 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀》
人垣を見に来たわけではないので、とっとと通り抜けます。
定点観測の8室。
特別2室。
和太鼓演奏は湯島天神白梅太鼓でした。
賑やかなトーハクもよいですね。
続きを読む平成31年新年一般参賀
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
1月2日7時55分、いつもより早起きして東京駅。
平成最後の新年一般参賀のため皇居に向かいます。しかし、和田倉門交差点で箱根駅伝とぶつかってしまって大混雑。全く前進ならず。
駅伝通過後も全く進まず、すし詰めのまましばし待機。混雑に対しての読みが完全に甘すぎました。
行列の中を押し合いへし合いのすり足状態で進むこと10分、内堀通り。
皇居前広場に入ると足元は玉砂利です。本来はフラットな靴でないと歩きにくいしヒールに傷がつきます。しかし、過去の経験からヒールのない靴で行くと雑踏の頭しか見えないので、私は厚底靴で参戦です。歩きにくいし足が疲れるけれど、そこは我慢です。荷物を持っていかなかったので、荷物検査はパス。服の上からセキュリティチェックを受けて待機列にたどり着きました。東京駅からここまで約30分かかりました。
この場所で皇居正門の開門まで待機します。ちなみにこちら人が多すぎてスマホの電波が全く入りません。しょうがないのでKindleで小説を読んで過ごします。冬山で遊べそうなくらい防寒してきましたが、それでも足元から冷えが這い上がってくるし、Kindleを繰る手が冷たくなっていきます。
待つこと45分、予定を早めて9時15分に入場が始まったとの知らせがありました。遅れて10分ほどで私が並んでいる列に動きがありました。
皇居正門を抜けて二重橋に向かいます。この時点で10時7分。一回目が10時10分開始なので、もう間に合わないなと。
さっきまで待機していた皇居前広場を横目に二重橋を進みます。
ここ二重橋では、1954年に死者16人が出る将棋倒しが起こっています。こうして進んでいる間も、後ろから押されるんじゃないか、ここで将棋倒しが起こったら死者が出るなと気が気じゃないまま進みます。見の危険を感じるほどの混雑でした。
長和殿前の広場に到着すると同時に天皇陛下がお出ましになられました。すぐ真横に厳しい政治団体が固まっていたせいで、万歳の声が騒がしいのなんの。
すぐ新年のご挨拶が始まりました。間に合ってホッとしました。手を伸ばして撮った写真ではお姿が確認できましたが、実際には背伸びしても視界に捉えたのは一瞬でした。8倍の単眼鏡は役に立ちませんでした。いいんですけどね。そういうお祭りですから。
この後、退場も大混雑。大手町経由で大きく迂回して東京駅に戻りました。
話によると10時頃には待機列が有楽町まで伸びていたそうで、何でも4時間待ちだったとか。参列は閉門前の午後3時までに14万人超だったそうです。
虎ノ門金刀比羅宮と江戸城外堀跡
美味しいチョコレートケーキが食べたくなって虎ノ門に行くことにしました。お堀の辺りは浮世絵になっているところが多いので、ついでに名所巡りをします。
《名所江戸百景 虎の門外あふひ坂 歌川広重》
広重が《虎の門外あふひ坂》に描いたのは、星がきらめく冬の夜空。画面右側には松が植わった山王杜(現在の山王日枝神社)。画面中央には「赤坂のどんどん」と呼ばれたお堀の関がある。画面左側、葵坂に立つ榎木はすっかり葉を落としている。灯りを持った中間の後について坂を上る武士、坂を下る女、坂の下でくつろぐ犬、人が担いで運んでいるのは「二八そば」手前には「太平しっぽく」の屋台がある。手にした鐘を鳴らしながら坂を横切る裸の二人は金比羅大権現の提灯を持っている。寒行裸参りの職人である。
まずは、絵には描かれていないけれど、描かれた場所のすぐ近くにある金毘羅さんに向かいました。虎ノ門・金刀比羅宮に行きました。
万治3年(1660)に讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、三田の江戸藩邸に勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門に遷座したのだそうです。御祭神は大物主神と崇徳天皇です。
青銅製の鳥居には正月飾りが施されていました。
文政4年(1821年)に奉納された明神型鳥居です。左右の柱には四神の彫刻がある珍しいものです。
左の柱には東は青龍と北の玄武。
右の柱にはのは朱雀と西の白虎が表わされています。
社殿は戦災で焼けた後、昭和26年(1951年)に拝殿と幣殿が再建されました。伊東忠太氏の設計校閲による総尾州檜造りの銅板葺きの権現造りです。
平入り入母屋造りの母屋に軒高がやや低い妻入り切妻造りを組み合わせ構造で、向拝の軒唐破風の反りに迫力があります。明治神宮の内拝殿や香取神宮の拝殿に通ずるものがあります。
鳥居の側にある百度石。
この石と拝殿の間でお百度参りをするそうです。
金比羅宮からそれほど離れていない場所に江戸城虎の門の近くにあった外堀り跡がそのまま残された場所があります。虎ノ門駅11番出口の奥にある江戸城外堀跡地下展示室です。
入口に花崗岩の標本。
展示室には古地図と現在の地図を重ねたものや、石の産出地や運搬・施工技術、製法についてのパネルが充実しています。
地上部から見た外堀。文部科学省や霞が関ビルが立ち並ぶ霞が関コモンゲートの入口にあります。景観に馴染んでいるので、知らなきゃ史跡とも思わず通り過ぎそうです。
よく見ると石を切り出す際についた穴や石垣を築いた印としての刻印が残されている。矢筈は豊後佐伯藩毛利家の家紋です。
展示室のパネルで、外堀通りの車道を挟んだところに櫓台跡があると書いてあったのでついでに向かいました。虎の門三井ビルディングの前、歩道橋のすぐ脇にあります。
歩道からは、ただのこんもりと茂った藪にしか見えません。
ビル側に回り込むと、石垣が出っ張っていました。
古地図 with MapFan によると、赤い丸で囲った部分です。
広重の浮世絵は、どうやら金毘羅宮側から描かれたもののようです。
現在の地図。同じところに赤い丸印を入れてみました。
虎ノ門付近の江戸城外堀りは完全に埋め立てられているのですが、現代の地図と照らし合わせると、意外と起伏が残されているように思いました。