常温常湿希望

温度20℃湿度50%が理想です。

河鍋暁斎 その手に描けぬものなし(前期)@サントリー美術館

この日は築地で朝ご飯。

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外堀り通り経由で六本木通りに入ってしばらく進んだ六本木二丁目付近、多分この当たりと周りを回りを見渡すと、案の定、画用紙を組み立てたかのような建物が見えました。
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テンプルタウンハウスという米国大使館職員宿舎です。
以前、六本木ヒルズの展望スペースで見かけて、気になっていました。

melonpankuma.hatenablog.com

よく通る道でも知らないことだらけです。

 

さて、本題。只今、東京ミッドタウン内のサントリー美術館では「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」展が開催されています。
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www.suntory.co.jp

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奇想の系譜展(前期)@東京都美術館

東京は今年初の雪の予報だというのに、朝からいそいそとお出かけしまして、上野駅構内のたいめい軒でオムライスモーニング。
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すっかり満足した所で上野公園に向かいます。木々にうっすらと雪がつもっていました。

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東京都美術館に向かいます。
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門前に混雑はなさそうです。

奇想の系譜展~江戸絵画のミラクルワールド~です。
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www.tobikan.jp

開館時間5分前に到着しましたが、前倒しで開場していました。
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どうしたんだろう。入場規制するくらい混雑している訳でもなさそうだったのに。

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新・北斎展@森アーツセンターギャラリー

豊洲市場で朝ご飯を食べた後、走って六本木へ。

melonpankuma-rakugo.hatenadiary.jp

みんな大好き北斎を観ます。
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macg.roppongihills.com

本展の監修は永田生慈氏で、太田記念美術館副館長を経て津和野に葛飾北斎美術館を設立された北斎研究の第一人者です。2017年、研究のために集めた2000件を越える作品を故郷の島根県に寄贈されました。これらは今後島根県だけで公開されることが決まっており、今回が東京で永田コレクションを見られる最後の機会となりました。

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博物館に初もうで@東京国立博物館 本館

2019年の博物館めぐりも、当たり前のようにトーハクからスタートしました。毎年恒例「博物館に初もうで」です。

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今年は飾り付けも人の出も幾分控えめな様子。

  • お正月のトーハク
  • 本館2室 国宝 松林図屏風
  • 本館 3室 宮廷の美術―平安~室町
  • 本館 4室 茶の美術
  • 本館 5室・6室 武士の装い―平安~江戸
  • 本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
  • 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
  • 本館 18室 近代の美術

お正月のトーハク

とは言え、平日と比べたら本館のメインロビーも大賑わいです。
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いつもは閉じられている中央階段奥のスペースには立派な生花。
《いけばな 池坊 蔵重伸》
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開きかけた梅は造花でした。
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ウメノキゴケは本物。
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2階でカレンダーが配られていました。
《見立富士の巻狩 葛飾北斎 享和3年(1903)》
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裏は「大小絵暦に挑戦!」のワークシートです。

国宝室はこんな感じ。

《◉松林図屏風 6曲1双 長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀
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人垣を見に来たわけではないので、とっとと通り抜けます。

定点観測の8室。
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特別2室。
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和太鼓演奏は湯島天神白梅太鼓でした。
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賑やかなトーハクもよいですね。

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平成31年新年一般参賀

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

1月2日7時55分、いつもより早起きして東京駅。
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平成最後の新年一般参賀のため皇居に向かいます。しかし、和田倉門交差点で箱根駅伝とぶつかってしまって大混雑。全く前進ならず。f:id:Melonpankuma:20190102210242j:plain
駅伝通過後も全く進まず、すし詰めのまましばし待機。混雑に対しての読みが完全に甘すぎました。

行列の中を押し合いへし合いのすり足状態で進むこと10分、内堀通り
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皇居前広場に入ると足元は玉砂利です。本来はフラットな靴でないと歩きにくいしヒールに傷がつきます。しかし、過去の経験からヒールのない靴で行くと雑踏の頭しか見えないので、私は厚底靴で参戦です。歩きにくいし足が疲れるけれど、そこは我慢です。荷物を持っていかなかったので、荷物検査はパス。服の上からセキュリティチェックを受けて待機列にたどり着きました。東京駅からここまで約30分かかりました。
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この場所で皇居正門の開門まで待機します。ちなみにこちら人が多すぎてスマホの電波が全く入りません。しょうがないのでKindleで小説を読んで過ごします。冬山で遊べそうなくらい防寒してきましたが、それでも足元から冷えが這い上がってくるし、Kindleを繰る手が冷たくなっていきます。

待つこと45分、予定を早めて9時15分に入場が始まったとの知らせがありました。遅れて10分ほどで私が並んでいる列に動きがありました。

皇居正門を抜けて二重橋に向かいます。この時点で10時7分。一回目が10時10分開始なので、もう間に合わないなと。
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さっきまで待機していた皇居前広場を横目に二重橋を進みます。
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ここ二重橋では、1954年に死者16人が出る将棋倒しが起こっています。こうして進んでいる間も、後ろから押されるんじゃないか、ここで将棋倒しが起こったら死者が出るなと気が気じゃないまま進みます。見の危険を感じるほどの混雑でした。

長和殿前の広場に到着すると同時に天皇陛下がお出ましになられました。すぐ真横に厳しい政治団体が固まっていたせいで、万歳の声が騒がしいのなんの。
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すぐ新年のご挨拶が始まりました。間に合ってホッとしました。手を伸ばして撮った写真ではお姿が確認できましたが、実際には背伸びしても視界に捉えたのは一瞬でした。8倍の単眼鏡は役に立ちませんでした。いいんですけどね。そういうお祭りですから。

この後、退場も大混雑。大手町経由で大きく迂回して東京駅に戻りました。

話によると10時頃には待機列が有楽町まで伸びていたそうで、何でも4時間待ちだったとか。参列は閉門前の午後3時までに14万人超だったそうです。

虎ノ門金刀比羅宮と江戸城外堀跡

美味しいチョコレートケーキが食べたくなって虎ノ門に行くことにしました。お堀の辺りは浮世絵になっているところが多いので、ついでに名所巡りをします。

《名所江戸百景 虎の門外あふひ坂 歌川広重》
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広重が《虎の門外あふひ坂》に描いたのは、星がきらめく冬の夜空。画面右側には松が植わった山王杜(現在の山王日枝神社)。画面中央には「赤坂のどんどん」と呼ばれたお堀の関がある。画面左側、葵坂に立つ榎木はすっかり葉を落としている。灯りを持った中間の後について坂を上る武士、坂を下る女、坂の下でくつろぐ犬、人が担いで運んでいるのは「二八そば」手前には「太平しっぽく」の屋台がある。手にした鐘を鳴らしながら坂を横切る裸の二人は金比羅大権現の提灯を持っている。寒行裸参りの職人である。

 

まずは、絵には描かれていないけれど、描かれた場所のすぐ近くにある金毘羅さんに向かいました。虎ノ門金刀比羅宮に行きました。 

万治3年(1660)に讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、三田の江戸藩邸に勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門遷座したのだそうです。御祭神は大物主神崇徳天皇です。

青銅製の鳥居には正月飾りが施されていました。
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文政4年(1821年)に奉納された明神型鳥居です。左右の柱には四神の彫刻がある珍しいものです。

左の柱には東は青龍と北の玄武。
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右の柱にはのは朱雀と西の白虎が表わされています。
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社殿は戦災で焼けた後、昭和26年(1951年)に拝殿と幣殿が再建されました。伊東忠太氏の設計校閲による総尾州檜造りの銅板葺きの権現造りです。
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平入り入母屋造りの母屋に軒高がやや低い妻入り切妻造りを組み合わせ構造で、向拝の軒唐破風の反りに迫力があります。明治神宮の内拝殿や香取神宮の拝殿に通ずるものがあります。

 鳥居の側にある百度石。
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この石と拝殿の間でお百度参りをするそうです。

金比羅宮からそれほど離れていない場所に江戸城虎の門の近くにあった外堀り跡がそのまま残された場所があります。虎ノ門駅11番出口の奥にある江戸城外堀跡地下展示室です。

入口に花崗岩の標本。f:id:Melonpankuma:20181228142737j:plain

展示室には古地図と現在の地図を重ねたものや、石の産出地や運搬・施工技術、製法についてのパネルが充実しています。
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地上部から見た外堀。文部科学省霞が関ビルが立ち並ぶ霞が関コモンゲートの入口にあります。景観に馴染んでいるので、知らなきゃ史跡とも思わず通り過ぎそうです。
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よく見ると石を切り出す際についた穴や石垣を築いた印としての刻印が残されている。矢筈は豊後佐伯藩毛利家の家紋です。

展示室のパネルで、外堀通りの車道を挟んだところに櫓台跡があると書いてあったのでついでに向かいました。虎の門三井ビルディングの前、歩道橋のすぐ脇にあります。
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歩道からは、ただのこんもりと茂った藪にしか見えません。

ビル側に回り込むと、石垣が出っ張っていました。
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古地図 with MapFan によると、赤い丸で囲った部分です。
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広重の浮世絵は、どうやら金毘羅宮側から描かれたもののようです。

現在の地図。同じところに赤い丸印を入れてみました。
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虎ノ門付近の江戸城外堀りは完全に埋め立てられているのですが、現代の地図と照らし合わせると、意外と起伏が残されているように思いました。

江戸絵画の文雅 ─魅惑の18世紀@出光美術館

いよいよ寒い季節になってきました。例年と比べたら寒の訪れが遅めでしたが、さすがに11月も下旬になるとコートなしに過ごすことは出来ません。

丸の内の出光美術館に行きました。
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江戸絵画の文雅 ─魅惑の18世紀(リンクはキャッシュ)展の開催中です。
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「都市」という新たな生活空間の誕生は、文学・演劇・美術など、多様な文化の成立・発展に結びつきます。こうした文化を端的にあらわす言葉に「雅俗」、すなわち、漢文学・和歌に代表される伝統的な「雅」と、俳諧や戯作といった新興の「俗」があります。

本展では18世紀に生まれた雅俗の絵画を、「文雅」、すなわち文芸をキーワードに見ていきます。

特に印象に残った作品を以下に示します(◎は重要文化財、◯は重要美術品。作品は全て出光美術館所蔵)。

第1章 孤高の美学 ─大雅・蕪村の競演

5《寿老四季山水図 五幅対 池大雅 宝暦11年(1761)紙本墨画淡彩 各127.3×29.5》
春:山居観花図、夏:高士観泉図、寿老人:南極寿星図、秋:江上笛声図、冬:雪天夜明図と、春夏秋冬の四幅に寿老人を加えた珍しい五幅対。一幅でも三幅対にしても使える構図になっていて、春秋では平遠山水、夏冬は岸壁が左右対称になる。秋は「長笛一聲 人倚樓」とある。青い月の下、茅の生える川面に浮かぶ船には横笛を吹く唐子が乗っている。

6《瀟湘八景図(洞庭秋月図) 八幅対の内 池大雅 江戸時代 紙本墨画淡彩 各45.2×28.4》
丸い月の下に丸い山、湖面に浮かぶ船には横笛を吹く唐子が乗っている。どうやら船上の笛吹唐子は大雅のお気に入りのモチーフらしい。

8《蜀桟道図 一幅 池大雅 江戸時代 紙本墨画淡彩 136.0×57.5》
蜀桟道は戦国時代に秦の恵王が蜀王を騙して敷かせた道で、切り立った崖に木を組んで取り付けられた道とも云えぬような道は、李白が「蜀道の難は、青天に上るよりも難し」と歌ったほどの難所として知られる。しかし、本画で描かれる曲がりくねった道は比較的広く、旅人の後ろを振り返りつつ進む姿には余裕が感じられ、どこかのどかな雰囲気が漂う。

12《◎山水図屏風 六曲一双 与謝蕪村 宝暦13年(1763) 絖本墨画淡彩 各166.0×378.0》
右隻に暮れゆく春の景色、左隻に色づく秋の景が描かれている。屏風講時代の絖本作品で、特に右隻の美しさに惹かれる。
近景の木々のざわめきから村上勉氏の作品の小さな葉を揺らす風、そして、佐藤さとる氏のコロボックルシリーズを連想して、一気に屏風の中の風景に飛び込んだような気分になりました。

第2章 文雅の意匠 ─琳派のみやび

16《果樹花木図屏風 六曲一隻 伝 俵屋宗達 江戸時代 紙本金地着色 151.2×356.6》
画面を横切るように緑の丘陵や土坡、画面左側に柑橘や白椿、中央に巨大な葉を広げる朴、右側に奥行きを持って朴や樅が置かれている。
大胆な構図が、時代を一回りして新しく感じた。

19《◯禊図屏風 二曲一隻 伝 尾形光琳 江戸時代 紙本金地着色 164.5×180.5》
伊勢物語の65段「恋せじと 御手洗河に せしみそぎ 神はうけずも なりにけるかな」を描いたもの。右上から大きく曲線を描いて流れる川、二本の御幣を依り代として祈る男、蛇籠が左上と右下に描かれて画面に広がりを作っている。
川面に浮かぶ黒い並々したものが羊歯か何かに見えていましたが、解説によると銀泥で描かれているそうで、波頭だそうです。

21《蹴鞠布袋図 一幅 尾形光琳 江戸時代 紙本墨画 101.9×28.9》
頭陀袋を地面に置いて天高く鞠を蹴り上げる布袋が描かれている。頭陀袋から布袋の腹、頭、蹴鞠まで丸みが順に大きくなる構図で、その中心を貫くように画面下中央に落款と印章があるのが串団子のよう。

26《梅・撫子・萩・雪図 四幅対 尾形乾山 寛保2年(1742)紙本金地着色 各24.0×28.6》
元々は袋戸用の小襖絵だったものを軸装にしたもの。角皿の下絵かと思うような正方形の画面に、四季の景物を描き和歌をしたためている。背景が金地で、文人趣味な乾山の作品としては意外なほどに華やか。乾山の画号は「深省」。

第3章 禅味逍遥

28《面壁達磨図 一幅 白隠慧鶴 江戸時代 紙本墨画 56.3×60.9》
達磨をよく描いた白隠だら、その多くは半身。本画は珍しくも達磨の全身を一筆書きのように勢いのある筆致で描き、しかも乃心の文字絵で描かれている。

ひいにふうにめん
だんを達磨に夜るも
昼るも頭巾かんぶり
すんまひて

29《瓢鯰図  一幅 画/池大雅、賛/大典顕常 江戸時代 紙本墨画 123.8×43.8》
瓢鮎図といえば如拙の描いた禅画が有名。池大雅はそれを大津絵風に、禅僧が体ほどもある大きな瓢箪で鯰をしっかり押さえつける様子を描いた。禅僧の太った丸い頭に、瓢箪の丸み、鯰の丸い頭が重なって面白い。

31《筏師画賛 一幅 与謝蕪村 江戸時代 紙本墨画 27.2×66.8》
嵐山に花見に出かけた際に突然の風雨に見舞われ、筏師の箕が風に煽られたのを花衣に見立てて描いたもの。筏師の箕は、丸めた紙を筆として使い乾墨でガサガサと描いた。

嵐山の花に
まかりけるに
俄に風雨
しけれは
いかたしの
みのや
あらしの
花衣

解説に『本画は「俗を離れて俗を用ゆ」という理想を体現するものといえよう』とあった。蕪村は門弟召波の《春泥句集》に寄せた序文で「俳諧は俗語を用ひて俗を離るるを尚ぶ。俗を離れて俗を用ゆ。離俗の法最もかたし」と記した。まさに本展のテーマそのもの。

第4章 王朝文化への憧れ ─「見立て」の機知

33《美人鑑賞図 一幅 勝川春章 江戸時代 絹本着色 69.4×123.2》

画題は西園雅集図を美人に転化したもので、狩野探幽の《竹鶴図》を鑑賞する美人、その絵の対になる《寿老人》を床に飾る美人、縁側には談笑する美人達が描かれている。画面上部には大和絵で用いられるすやり霞が描かれ、雅な雰囲気をもたらしている。
画中に花菱文の釘隠し。大和郡山藩柳沢家を表すとすれば、勝川春章を贔屓にしていた第2代藩主柳沢信鴻(のぶとき)にまつわるものではないかと推測されている。猫と着物の蝶で「耄耋(ぼうてつ)」となり長寿を表し、帯には鶴(簪は亀?)が描かれることから、信鴻の古希の祝にまつわるものではないかとも。

39《源氏物語図屏風 六曲一双 江戸時代 紙本着色 各154.6×362.2》
源氏物語54帖のうち26の情景を描いたもので、右隻は1帖『桐壺』から19帖『薄雲』まで左隻に20帖以下が描かれる。画題は物語のあらすじにはあまり寄らず、源氏の栄華を選んで抜き出されている。

第5章 幻想の空間へ ─「文雅の時代」を継承するもの

47《猿鹿図屏風 六曲一双 森狙仙 江戸時代 紙本着色 各156.4×345.0》
左隻に滝を背にした三猿、右隻に八頭の鹿を描いた屏風。森狙仙の猿はいつ見ても見事。

 

展示室には、作品リストに載っているものの他にも出光美術館所蔵の焼き物が飾られていました。《色絵草花鶉文大皿》の鶉が可愛らしかった。

 

ラウンジから望む皇居。緑が色づき始めました。
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皇居乾通りの一般公開が近いはず。暇を見つけてお散歩に行かなくちゃ。