迎賓館赤坂離宮和風別館
迎賓館赤坂離宮にはこれまでも何回か行っていますが、今回、和風別館に行きました。
和風別館の参観はガイドツアー形式になり、予約が必要です。
予約申込やキャンセルはこちらのページから⇒迎賓館赤坂離宮の一般公開
入り口で金属探知のセキュリティチェックを受けて入ります。ここで地図や見どころが書かれた立派なリーフレットと別館参観者用のバッジが配られます。バッジは五七の桐紋です。
予約しているため優先的にセキュリティチェックを受けられます。開館と同時に入ったので、主庭一番乗りで気分上々。花壇が、前は葉牡丹だったのが黄色のパンジーに変わっていました。
今回もよい天気です。
主庭の奥に張られている白テント前に十数名の参加者が集まりました。受付をすませ、いよいよ和風別館への参観が始まります。
続きを読む山口晃「すゞしろ日記」原画展@ナディッフギャラリー
奈良美智氏のドーローイングを観た後、恵比寿のナディッフギャラリー(NADiff Gallery)に行きました。この間、電車で行くと非常に遠いのですが、実は2キロもありません。
最初、道に迷ったので、恵比寿駅東口からの行き方を以下に貼っておきます。地図上でチェック☑マークの入っているところが、ビルに続く路地の入り口です。ナビをつかうと目的地であるビルの南側にある道路に案内されがちなのですが、そちら側からは入れません。
北側にある路地を進んだ突き当りの景色。写真中の一番左のビルが、ナディッフアパート(NADiff A/P/A/R/T)です。
建物に沿って回り込むと、入り口が見えます。
すゞしろ日記展を開催中。
入ってすぐは本屋で、山口晃氏の《成田国際空港 南ウィング盛況の圖》や《成田国際空港 飛行機百珍圖》などのインクジェットプリント作品をいくつか販売していました。
書店の一番奥に、数量限定サイン入り参巻を含む「すゞしろ日記」が並べてあります。そのすぐ脇の螺旋階段を下りた地下フロアが、ギャラリーです。
展示室入ってすぐ正面に、元祖「すゞしろ日記」絵画作品2点。これは壱巻の冒頭に掲載されているものですが、こんなサイズだったとは知りませんでした。
その他にも、壁にびっしりと「すずしろ日記」の原画が展示してあります。小さく大変読みづらいので、これは混んだらどうしようもないですね。空いている今がチャンスです。
帰りに、すぐ近くのスペインバルサラ・アンダルーサでかなり遅めのランチ。
コロッケが熱々でおいしかった。口蓋を火傷したけれど。
そして、家で改めて参巻を堪能。
またもや、たんまり笑わせていただきました。
奈良美智 「Drawings : 1988-2018 Last 30 years」@カイカイキキギャラリー
既に展示期間は過ぎてしまいましたが、元麻布にあるカイカイキキギャラリー(Kaikai Kiki Gallery)で、奈良美智 「Drawings : 1988-2018 Last 30 years」が開かれました。
この辺は比較的近場なもので、いつでも行けると思っていたら、会期ギリギリになってしまいました。ともかく間に合ってよかった。
カイカイキキギャラリーの場所は、広尾の有栖川宮記念公園の近く、一階は幼児教室のビルで、ギャラリーは地下にあります。
入り口で立派なリーフレットが貰えます。
中の紹介文で気がついたのですが、こちらは村上隆氏主催のギャラリーでした。意外や意外、あんなビッグネームのアーティストのギャラリーが、こんなひっそりとした所にあるなんて。
展示室には作品がみっしり。
大変見ごたえがあります。なのに無料で撮影OKとは、ありがたみ半端ない(興奮して語彙が乱れるレベル)。
1990年の作品から展示が始まっています。
この頃は輪郭線が黒く強く、パンクロックのジャケットに使われていそうな雰囲気のものが多くみられます。
好きすぎて、まだまだ初っ端だというのに、先に進めなくて困りました。
ポスターがあったら、飾りたい。
この辺は、すっかりお馴染みの画風です。
『ともだちがほしかったこいぬ』の1ページ。
この本は、我が家の部屋の壁に飾ってあるので、すぐ気がつきました。
2005年くらいになると、作品としての重みが増しているように感じました。
このあたりのが、一番見やすくて好き。
《RAIN》
会場の真ん中に置いてあるテーブルにも、作品が貼られています。
情報量が多すぎて、既にこのあたりでお腹いっぱいになってきましたが。
隣の畳敷きの展示室にも、作品がみっちり。
靴を脱いで上がるのが面倒なのか、意外と人が少ないので、のんびり観られます。
ここからは、2012年以降の作品が並びます。
そして、最後、和室の上り口に今年の作品が4点並んでいました。
もっとこじんまりしているのかと思っていたので、良い意味で想像を裏切られました。
それにしても、不思議。なんでこの展示で行列ができないんでしょう。もっと、人が集まってもよさそうなのに。会期ギリギリに行った私が言うのもなんですけど。
百段雛まつり~近江・美濃・飛騨 ひな紀行~@目黒雅叙園百段階段
桃の節句が近くなると、毎年百段階段では各地の雛段の展示があります。少し早いのですが、雛まつり気分を味わいに、百段雛まつり~近江・美濃・飛騨 ひな紀行~展(キャッシュ)に行ってました。
毎年異なった地域から歴史あるお雛さまの名品が集う「百段雛まつり」。 今年は「近江・美濃・飛騨」をテーマに、 大名家の姫君の婚礼調度や近江商人として栄えた旧家に伝わる逸品、 圧巻の御殿飾りから指先ほどの小さな郷土玩具まで、 岐阜と滋賀の町々に息づく百花繚乱のお雛さまたちが文化財「百段階段」に初お目見えです。
受付から螺鈿のエレベーターで3階へ。
《原孝洲のお雛さま》
創業明治44年、東京・浅草橋で無形文化財の技術を継承する人形作家の老舗「原孝洲」のお雛さまです。仏像の表情に通じる赤ちゃんの清らかな気品のある表情に、愛らしさを融合させた丸いお顔と、何十本もの線が作り出す「笹目技法」のやさしいまなざしが特徴です。
その隣にはフォトコーナーがありました。
撮影に使える扇子やフキダシの小物が用意されていました。
この後、靴を脱いで百段階段へ。今回の展示は、撮影エリアが制限されています。
十畝の間 近江商人のお雛様
入ってすぐ、青の表着を纏った現代のお雛さまが目を惹きます。東之湖氏制作、近江上布を使った「清湖雛」 です。
部屋の奥に、近江日野商人正野玄三家の御殿飾り。武田菱つきの道具類は当時の藩主蒲生氏から拝領したと伝わる。
そして、近江八幡、彦根藩主・井伊家伝来の古今雛の展示。
漁樵の間 飛騨高山の雛まつりⅠ
ここには、土人形雛、土野家のお雛さま、女の五人囃子の展示を挟んで、部屋の奥に飛騨高山の老舗旅館である本陣平野屋花兆庵の雛かざりがあった。
土野家に伝わるお雛さまは、江戸時代の1857(安政4)年に京都で作成されたもので、京都高辻室町西の 柏屋甚兵衛から買い求めたとの記録が残っています。当初は江戸時代の高山の商家のもので、後に 土野家に伝わりました。
本陣平野屋花兆庵の雛かざりは、源氏枠御殿飾り。館の中に雛人形を飾るのを御殿飾りというが、人形が見えやすいように御殿の屋根を取り払い、源氏物語絵巻などでみられる吹抜屋台形式のようにしたものを源氏枠御殿飾りという。お道具類が見事だったのと、闘鳥人形が印象に残った。
草丘の間 井戸家のお雛さま
入り口右手に静岡の御殿飾り。豪華な屋根には鯱がついています。御殿の中に雛人形を飾る「御殿飾り」は西の雛文化として発展したそうです。お内裏様は建物に隠れてあまりよく見えず、こうなると造りの中心は人形より建物かと。
その隣が井戸家のお雛さまで、板葺御殿飾りの雛壇。狆引き官女がいる。そして古今雛、さらに、小さく精微に作られた白木のお道具の展示もありました。
静水の間 井伊家 砂千代姫のお雛さまと雛道具
長浜市長浜城歴史博物館所蔵、彦根藩主、井伊家・砂千代姫の雛かざりの展示。
滋賀県長浜市の古刹、大通寺は真宗大谷派(東本願寺)の別院として知られています。 彦根藩主・井伊家と大通寺は、江戸時代を通じて深い関係を維持してきました。 両者は寺領や建造物の寄進だけでなく、井伊家の息女や息男を迎えることも多くありました。 砂千代姫は13代井伊直弼の七女で、1859(安政5)年に大通寺の養女となり、1872(明治5)年に十世霊寿院厳澄の内室となりました。
大型の豪奢な古今雛で、女雛の白い打衣が幸菱紋。唐草牡丹紋が配された雛道具が見事でした。童子形の五人囃子も愛らしい顔立ちでした。こちらは本展覧会のメインビジュアルに使われていますが、女雛の冠が外されていたのが残念でした。
衣裳人形も二組ありました。
星光の間 神戸玩具と土のお雛さま
◆大集合、郷土玩具と土雛の世界ー[日本土鈴館]
岐阜県郡上市、白鳥町に位置する日本土鈴館は、日本全国の土鈴や土雛をはじめ、世界各国の郷土玩具のコレクションでも知られる博物館です。
野田家は明治15, 6年頃から土人形作りに携わり、戦後も末吉氏が制作を続けてきましたが、平成元年、 野田末吉氏の死去とともに名古屋土人形は廃絶しました。 末吉氏は、様々な種類、意匠の土人形と土鈴を創り出しました。本展では、末吉氏の80cm近い大きな 人形から、指先ほどの小さな土鈴をはじめ、郷土の土雛と郷土玩具の世界をご紹介します。
色合いも鮮やかな土のお雛さまが勢揃い。ガラスに入った和鞠もありました。
清方の間 飛騨高山の雛まつりⅡ
土野家のお雛さまと岐阜日下部家伝来の檜皮葺御殿造りの雛かざりの展示。江戸時代の1857(安政4)年に京都で作成されたもので、京都高辻室町西の 柏屋甚兵衛から買い求めたとの記録が残っている。古今雛の壇飾りに、葵祭りの行列や闘鶏人形などが並ぶ。
中川政七商店の郷土玩具ルーム
階段を上がりきったところにある小部屋には、奈良の中川政七商店と海洋堂よる、日本各地の郷土玩具をモチーフのガチャ日本全国まめ郷土玩具蒐集が漆の雛壇に並べてありました。
頂上の間 美濃のお雛さまと美濃和紙のあかり 日本大正村のお雛さま
◆“うだつの上がる町”の旧和紙問屋に伝わる御殿飾り - 美濃
旧須田万右衛門家の源氏枠御殿
美濃の旧和紙問屋、須田万右衛門家に伝わる御殿飾りです。 寛永年間より続く須田家は元々紙問屋を営んでいましたが、その後金鉱山の試掘や銀行を興すなど、様々な方面で活躍しました。
《土人形の型》
《ハイカラびな》
「ハイカラびな」は、明治・大正の流行のモデルを追った土人形です。土雛は内裏雛や歴史的なテーマでの 生産のものがほとんどでしたが、その時代の同時代のものも作られていました。 明治の中頃から先の大戦後まで生産は続き、陶器や磁器の人形に発展していきました。
この写真を受付で提示すると、割引が受けられます。どうぞご利用ください。
宮廷の雅 十二単着つけ実演@東京国立博物館 平成館
一ヶ月ぶりに東博へ。トーハクイベントとして十二単着つけ実演が、平成館の講堂で行われました。
まず、東博研究員の小山氏による本館8室に展示されている女房装束と束帯について、衣装構成と有職模様の解説、次いでハクビ京都きもの学院総院長の大塚純子氏による解説付きで十二単着つけの実演がありました。
宮廷装束の着付け(お服上げ)、つまり衣紋道には、高倉流と山科流の二つの流派があり、御盛儀の多くで交互に御奉仕しているそうです。
実演は白小袖、濃長袴姿のモデルが登場し、壇上で単、五衣、打衣、表着、唐衣、裳を着装しました。
今回実演に使われた襲(かさね)の色目は花橘と呼ばれる組み合わせで、雅子様が御結婚の儀に使われたものでした。
山吹濃き薄き二。白き一。青き濃き薄き。白単。青単。
『満佐須計装束抄』
着つけ実演後、宮廷装束を身に着けたモデル&東博研究員で学芸企画部部長の富田氏が登場しました。左から、直衣、冠直衣(富田氏)、文官束帯、十二単、細長、袿です。
実演を見た後、本館で復習。
本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸
《束帯 1具 江戸時代・19世紀》
イベント時の解説によると、肌に白小袖と大口(袴)を着、その上に表袴、冠、襪(しとうづ:靴下)を着用。その上に広袖の四菱模様の単、さらに、小葵文の衵(あこめ:袷仕立て)、蟹霰文の表袴、臥蝶の丸模様の裾のついた下襲、雲鶴文の袍(ほう)、石帯、靴を着けるとのこと。
黒い袍には、雲鶴文が入っています。
後ろに回って裾を覗き見。
臥蝶の丸模様が入っています。
靴も牡丹と蝶の模様が入って、華やかです。
イベント時の解説によると、肌に白小袖、長袴を着ける。その上に、幸菱模様の単、五衣、打衣、表着、亀甲紋に対蝶模様の唐衣、鳳凰桐竹の模様が入った掛帯の裳を着けるとのこと。
右袖の部分を拡大しました。緑の幸菱模様の単、藍鼠色の五衣、赤いの亀甲紋に対蝶模様の唐衣。
幸菱を拡大。菱形の先の部分(頂点)を小さな菱で合わせていることから先合い菱、それが訛って幸菱と呼ばれるようになったそうです。
鳳凰桐竹の模様の裳。
裳についている帯は織田家瓜に霰文でした。
イベント後にかなり遅いお昼ご飯として、平成館ラウンジの鶴屋吉信で、京都たん熊北店の「京のいなりと雅巻セット」を購入。
お腹ペコペコだったので、生き返りました。