六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信(後期)@サントリー美術館
またも台風で天気の怪しい週末。家から天候に関わりなく行ける美術館として重宝している、サントリー美術館に行きました。狩野元信展のメインビジュアル、《四季花鳥図(旧大仙院方丈障壁画)》を観るために再訪です。
再訪とは言っても、本展は展示替えが6回もあって、場面替え含めて展示内容はほぼ入れ替わっています。作品リストで確認すると、前回訪問と重複するのは複製の《四季花鳥図屛風》とボストン美術館蔵の《白衣観音像》《金山寺図扇面》くらいでした。
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狩野元信(1477?~1559)は、室町時代より長きにわたり画壇の中心を担ってきた狩野派の二代目です。狩野派とは、血縁関係でつながった「狩野家」を核とする絵師の専門家集団であり、元信は始祖・正信(1434~1530)の息子として生まれました。元信は極めて卓越した画技を持ち、その作品は歴代の狩野派絵師の中で最も高く評価されていました。
以下に、気になったものをメモとして残します。(真)(行)(草)と示したのは、展示の説明書に付けられた狩野派の画体区分です(◎は重要文化財、◯は重要美術品、◆は京都府指定有形文化財、◇は京都市指定有形文化財)。
- 第1章 天下画工の長となる ― 障壁画の世界
- 第2章 名家に倣う ― 人々が憧れた巨匠たち
- 第3章 画体の確立 ― 真・行・草
- 第4章 和漢を兼ねる
- 第5章 信仰を描く
- 第6章 パトロンの拡大
運慶の後継者たち―康円と善派を中心に@東京国立博物館 本館
つい先日、東博平成館で運慶展を観ました。その余韻のあるうちに復習がてら、本館で展示されている慶派の作品を観に行きました。
本館 14室 運慶の後継者たち―康円と善派を中心に
続きを読む鎌倉時代に活躍した仏師運慶(うんけい、?~1223)に連なる一派を慶派(けいは)といいます。運慶は数多くの仏師を擁する工房を営み、数々の造仏を手がけました。その写実を基本とした、量感豊かで力強い作風は、新興の武家のみならず、寺社や公家をも魅了し、後の世代にも大きな影響を与えました。なかでも運慶の孫にあたる康円(こうえん、1207~?)は、当時の慶派を代表する仏師として注目すべき存在です。
康円と同じ頃に活躍した仏師、善円(ぜんえん、のち善慶(ぜんけい)と改名、1197~1258)も見逃せません。善円らの系統の仏師たちを善派(ぜんぱ)と呼んでいます。善派は慶派の本流とは一線を画し、奈良を中心に活動していたことが遺品からわかります。
本特集では、康円および善円の作品を中心に、運慶以後の鎌倉彫刻の展開について紹介します。
室町時代のやまと絵―絵師と作品―(前期)@東京国立博物館 本館
現在、東博本館2階、特別1室と特別2室で、企画展「室町時代のやまと絵―絵師と作品―」が行われています。
続きを読む室町時代には、水墨を基調とする「漢画(かんが)」とともに、伝統的な「やまと絵」も描かれていました。これまでの技法・主題を継承しつつも、革新的で華やかなやまと絵作品が数多く生み出されたのです。こうしたやまと絵の中には、描いた絵師の名が判明する作例も多く、絵師それぞれの個性の違いや、同じ絵師が描いたとされる作品の中でもスタイルの差異を確認することもできます。
この特集は、室町時代やまと絵師たちの画業をたどるとともに、その豊かな表現世界に光をあてるものです。知られざる室町時代やまと絵の世界をどうぞお楽しみください。
中国書画精華―日本人のまなざし―(前期)@東京国立博物館 東洋館
毎度おなじみ東京国立博物館ですが、本日は東洋館で開催中の「中国書画精華」展へ。
東洋館 8室 中国書画精華―日本人のまなざし―
朝一番に来たので、貸し切り状態でした。
今年も、秋の中国美術の名品展として「中国書画精華」を開催します。日本には古くから中国の書画が舶載され、それらは日本美術にも大きな影響を与えてきました。特に、宋・元時代の書画は、鎌倉時代以降の禅宗と共に数多く伝えられ、書院や茶室において、日本の趣味にもとづく新たな鑑賞法のもとに親しまれてきました。また、狩野派を始めとする江戸時代の画家たちは、室町将軍家の価値観を継承しつつ、明・清時代絵画の図様・画法も積極的に学習していきました。そして明治時代以降、日中の往来が盛んになるにつれ、中国伝世の精品が少なからず日本に伝えられ、中国本来の文人趣味を理想とする財界人・文化人によって優れたコレクションが形成されました。中国歴代書画の名品がいつごろ日本に伝えられ、どのような影響を与えてきたのか、日本における受容に留意しつつ、名品の数々を紹介します。
以下、気になったものについてメモを残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
続きを読む~葛飾北斎のパフォーマンスに挑む~ 現代の画狂人・山口晃、大ダルマを描く!!@すみだ北斎美術館
去年オープンしたすみだ北斎美術館。行こう行こうと思いつつ混雑を嫌って機会を逸していましたが、何やら楽しげなイベントが開かれると聞いて、ようやく重い腰を上げました。
大江戸線の両国駅に、お目当てのポスターが張られていました。
まずは、すみだ北斎美術館を通り過ぎて、イベント会場であるYKK60ビルへ向かいました。
「~葛飾北斎のパフォーマンスに挑む~ 現代の画狂人・山口晃、大ダルマを描く!!」です。
文化14(1817)年に名古屋で行われた、北斎による120畳大の大ダルマを描くパフォーマンスが一体どういうものだったのか、この目で観られるチャンス。描き手は、なんと山口晃氏。見逃せないイベントです。
11時半に会場に着いた時には大まかな線が引き終わっていました。ずいぶんとサッパリしているなあと思っていたら、そこから陰影が入りました。とにかく筆が重そう。画伯汗だくです。汗を拭き、水を飲み、たまに飛び跳ね、汚れた草履を拭き、たまに笑いを取り、最後は梯子にのぼり、描き続けます。表立って若いアシスタントが三人動いていましたが、それにしても、体力がなければできるもんじゃない。足跡で汚ごさないよう苦労されているのも、傍では面白く見せていただきました。 使っている道具も興味深く、箒だったり、ジェットエンジンのような三連筆が出てきたり、ほぼ水のような一番薄い墨を塗るのに使っているのにはスポンジ筆を使っていて、そんな筆も市販されているんだと感心したり。
濃墨で髭が入り、画伯のサインが入って、完成したのが13時前。予定が16時まで用意されていたので、思っていたよりも早く完成しました。その迫力に圧倒されていたので、見物する側も変にお喋りな人もなく、真剣に見入っていたことに気づきました。いやあ、すごかった。
完成後、写真撮影が許可されました。
巨大すぎて視野に収まりません。北斎の達磨は、これよりもうひと回り大きい画面に描かれたそうです。屋外だったので、さらに様々な苦労があったのではと想像します。寿命がそれほど長くもなかった時代に、今の山口氏よりもさらに10才ほど年を重ねていたわけですし。
大層、お疲れの山口氏。
会場のとなりの部屋で全貌を見ることが出来ました。
この墨絵は、後日、10月22日まで本ビルロビーに展示されるということでした。縦になった大達磨も観たかったけれど諦めます。
そしてようやく、はじめましての、すみだ北斎美術館へ。こちらが噂の妹島和世氏設計の建物です。
入場して地下1階のロッカーに荷物を入れて、エレベーターで3階まで上がって展示を観ました。
企画展「大ダルマ制作200年記念 パフォーマー☆北斎 ~江戸と名古屋を駆ける~」の展示室は三階と四階に分かれています。
文化14(1817)年に名古屋で行われた、北斎による120畳大の大ダルマを描く大パフォーマンス。
江戸と名古屋、両都市のにぎわいに一役買った <パフォーマー・北斎>としての姿を紹介する。
展示は、北斎の大達磨描きパフォーマンスについて、どういう場所で行われたか、そのニュースはどう伝えられたかといった周辺情報によって明らかにしていくものでした。北斎の錦絵も江戸の町の紹介といった筋で展示されています。そもそも、このパフォーマンスは北斎漫画の宣伝として行われたそうで、本展でも北斎漫画が数多く並べられていました。
四階の常設展入口には《須佐之男命厄神退治之図》の推定復元画がありました。
こちらは、すみだ北斎美術館が出来た際に、テレビなどで詳しく取り上げられていたものですね。
常設展は、一部を除いて、フラッシュを使わない写真撮影が許可されています。
しかし、ビデオ撮影については判断つかず(英文では禁止)。
日本で初めての葛飾北斎研究書、飯島虚心(1840-1910)筆《葛飾北斎伝》
先日、葛飾北斎の娘、応為を主人公にしたNHKドラマ「眩」で、北斎が卒中になった時に、馬琴が柚子を差し入れるシーンがありました。なんでも、柚薬は中風に効くのだとか。それが、こちらの飯島虚心の『葛飾北斎伝』を典拠にしたものだそうです。
肉筆のコーナーに《朱描鍾馗画》がありました。
一見してツルツルしていると感じました。単眼鏡で観ると絹目が明瞭に見えます。この隣に、絶筆といわれている《富士越龍図》があって、北斎館所蔵品のそれを先週あべのハルカスで観たばかり。と、ようやくここで、常設展のはレプリカだと、どこかで読んだのを思い出しました。入口の《須佐之男命厄神退治之図》にもレプリカの表示がありませんでした。アミューズメントパークならまだしも「美術館」という名前で、複製品の表示をしていないのには戸惑います。
北斎のアトリエを再現したもの。
本当は、もっと汚かったんだろうなと思わずにはいられません(笑