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虎ノ門金刀比羅宮と江戸城外堀跡

美味しいチョコレートケーキが食べたくなって虎ノ門に行くことにしました。お堀の辺りは浮世絵になっているところが多いので、ついでに名所巡りをします。

《名所江戸百景 虎の門外あふひ坂 歌川広重》
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広重が《虎の門外あふひ坂》に描いたのは、星がきらめく冬の夜空。画面右側には松が植わった山王杜(現在の山王日枝神社)。画面中央には「赤坂のどんどん」と呼ばれたお堀の関がある。画面左側、葵坂に立つ榎木はすっかり葉を落としている。灯りを持った中間の後について坂を上る武士、坂を下る女、坂の下でくつろぐ犬、人が担いで運んでいるのは「二八そば」手前には「太平しっぽく」の屋台がある。手にした鐘を鳴らしながら坂を横切る裸の二人は金比羅大権現の提灯を持っている。寒行裸参りの職人である。

 

まずは、絵には描かれていないけれど、描かれた場所のすぐ近くにある金毘羅さんに向かいました。虎ノ門金刀比羅宮に行きました。 

万治3年(1660)に讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、三田の江戸藩邸に勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門遷座したのだそうです。御祭神は大物主神崇徳天皇です。

青銅製の鳥居には正月飾りが施されていました。
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文政4年(1821年)に奉納された明神型鳥居です。左右の柱には四神の彫刻がある珍しいものです。

左の柱には東は青龍と北の玄武。
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右の柱にはのは朱雀と西の白虎が表わされています。
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社殿は戦災で焼けた後、昭和26年(1951年)に拝殿と幣殿が再建されました。伊東忠太氏の設計校閲による総尾州檜造りの銅板葺きの権現造りです。
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平入り入母屋造りの母屋に軒高がやや低い妻入り切妻造りを組み合わせ構造で、向拝の軒唐破風の反りに迫力があります。明治神宮の内拝殿や香取神宮の拝殿に通ずるものがあります。

 鳥居の側にある百度石。
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この石と拝殿の間でお百度参りをするそうです。

金比羅宮からそれほど離れていない場所に江戸城虎の門の近くにあった外堀り跡がそのまま残された場所があります。虎ノ門駅11番出口の奥にある江戸城外堀跡地下展示室です。

入口に花崗岩の標本。f:id:Melonpankuma:20181228142737j:plain

展示室には古地図と現在の地図を重ねたものや、石の産出地や運搬・施工技術、製法についてのパネルが充実しています。
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地上部から見た外堀。文部科学省霞が関ビルが立ち並ぶ霞が関コモンゲートの入口にあります。景観に馴染んでいるので、知らなきゃ史跡とも思わず通り過ぎそうです。
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よく見ると石を切り出す際についた穴や石垣を築いた印としての刻印が残されている。矢筈は豊後佐伯藩毛利家の家紋です。

展示室のパネルで、外堀通りの車道を挟んだところに櫓台跡があると書いてあったのでついでに向かいました。虎の門三井ビルディングの前、歩道橋のすぐ脇にあります。
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歩道からは、ただのこんもりと茂った藪にしか見えません。

ビル側に回り込むと、石垣が出っ張っていました。
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古地図 with MapFan によると、赤い丸で囲った部分です。
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広重の浮世絵は、どうやら金毘羅宮側から描かれたもののようです。

現在の地図。同じところに赤い丸印を入れてみました。
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虎ノ門付近の江戸城外堀りは完全に埋め立てられているのですが、現代の地図と照らし合わせると、意外と起伏が残されているように思いました。