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江戸の琳派芸術@出光美術館

台風接近の連休初日、出光美術館へ行きました。
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出光美術館で16年ぶりとなる江戸琳派展(リンクはキャッシュ)です。観ないわけにはいきません。
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若いころから遊里・吉原にあそび、俳諧狂歌、そして浮世絵など、市井の文化に親しく触れた抱一は、30歳代なかばころより、尾形光琳(おがた こうりん 1658 - 1716)の作風に傾倒してゆきます。光琳の芸術を発見したことは、抱一の画業に最大の転機をもたらす一大事だったといえます。抱一は、光琳を隔世の師と仰ぎ、その表現を積極的に受容、みずからの絵画制作に大いに生かしましたが、それは一律にオリジナルの忠実な再現を目指したものばかりではありませんでした。光琳の芸術に真摯に向き合い、ときに大胆にそれを乗り越えようとする試みこそが、抱一をはじめとする〈江戸琳派〉の画家たちの、光琳に対する敬慕の証しであったといえるでしょう。

以下、気になったものをメモとして残します。

第1章 光琳へのまなざし  ─〈江戸琳派〉が〈琳派〉であること

今日、酒井抱一(さかい ほういつ 1761 - 1828)が〈江戸琳派〉の画家と呼ばれるのは、抱一が尾形光琳(おがた こうりん 1658 - 1716)に代表される、京の〈琳派〉のスタイルに深く傾倒し、みずからの制作活動のよりどころとしたことに由来します。ここでは、抱一による光琳芸術の受容と再創造の様子を、「風神雷神図屏風」や「八ツ橋図屏風」(以上、出光美術館)などを通してご覧いただきます。そこから浮かび上がってくるのは、敬愛する隔世の師の姿とともに、ある種のカウンター・パートともいうべき光琳像です。

1《夏秋草図屏風草稿 酒井抱一 文政4年(1821)》
東京国立博物館所蔵の《夏秋草図屏風》のプロトタイプで、紙本着色で屏風に仕立てたもの。下絵である分、薄い色でのびのびと筆を運んでいる。夏の薄の立ち上がりがやや浅く、秋の風に飛ばされる紅葉の位置が違う。

「層としての夏秋草図」と題した解説があった。東京国立博物館所蔵の《夏秋草図屏風》は、発案当初から尾形光琳の《風神雷神図屏風》の裏に描くのが決定していたらしい。《夏秋草図屏風草稿》と酒井抱一の《光琳百図後編》を重ねた図があって、《夏秋草図屏風草稿》の余白にぴたりと風神雷神が収まっていた。

2風神雷神図屏風 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
俵屋宗達尾形光琳に続いて描かれた風神雷神図屏風光琳が衣や筋肉の動きを曲線で強調して描いたのに対し、抱一それをは単純化した。先例よりも明るめの色調で両鬼神の表情も卑俗に感じる。

3《八ツ橋図屏風 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
メトロポリタン美術館所蔵の尾形光琳《八橋図屏風》を抱一が写したもので、主要人物を描かずに伊勢物語の世界を表すいわゆる留守模様の作品。解説によると花の数は、光琳のが約130、抱一のが約80と減少。絹に金箔を貼ったことでやわらかな光沢が得られている。抱一編の《光琳百図後編》の八橋図屏風の頁が、参考資料としてちょうど見比べられるように展示してあり、右隻二、三扇の橋桁の位置や、左隻四、五扇の杜若の配置に目立った違いがあるのがわかる。光琳の意匠化された橋桁が、抱一のものでは唯一立体感を得られるものとして描かれているのが面白い。

4紅白梅図屏風 伝尾形光琳 江戸時代(18世紀)》
金箔貼りの六曲一双。右隻は左端にわずかに幹を覗かせた白梅で、細い枝を左下に伸ばしている。左隻は紅梅と白梅が、男女がなまめかしく体を絡ませて踊るように、それぞれの幹を配置して描かれている。
画面の下部に黒で水が表され、水際が小さく四角に切られた金箔で表現されているのを面白く思った。右隻に広めに開けられた空間の大胆さ。梅のリズムがある配置に魅了される。梅の5枚の花弁が明瞭。蕾に花托と五つのがく片が細かく描かれているのが可愛らしい。

5紅白梅図屏風 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
銀地の六曲一双。右隻には紅梅の老木、左隻には白梅の若木が描かれている。紅白ともに花は意匠化されて丸く、蕊は細やかに描かれている。花弁の区別がわかりづらいので、八重なのかもしれない。白梅と比べて、紅梅の花はわずかに大きめ。
銀地が変色しないよう薬剤処理が当時から施されていたらしい。静謐な雰囲気が実に美しい。

第2章 〈江戸琳派〉の自我 ─光琳へのあこがれ、光琳風からの脱却

抱一やその弟子・鈴木其一(すずき きいつ 1796 - 1858)など、〈江戸琳派〉の画家たちが生きた時代は、江戸という都市の文化が自我に目覚めた時代でもありました。もはや京の都の真似ごとではない、新奇な画題や表現を取り入れて見る人の意表をつくような俳諧性や機知性に、〈江戸琳派〉の大きな特徴があります。季節や気象の微細な変化に感覚を研ぎ澄ませ、その風物を軽妙に描き出した、〈江戸琳派〉ならではの表現をご覧いただきます。

6《燕子花図屏風 酒井抱一 享和元年(1801)》
二曲一隻の屏風に杜若を描いたもので、絹本金地着色。先行の光琳の《燕子花図屏風》に習い、花の形は意匠化されているものの、杜若の茎や葉は下地が透けるほどに薄く描き、二種類の紺で描かれた花の中に白花が三つ咲いていたり、葉の先端に歯黒蜻蛉を止まらせるなど、より軽妙になっている。

8《仁徳帝・雁樵夫・紅葉牧童図 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
中幅は、高津の宮の楼上から、細い煙の上がる家々を眺める仁徳帝が描かれている。建物の奥に皇后の姿も見える。後世に聖帝と讃えられた仁徳帝は、飯炊きの煙が上がらないほど民が困窮しているのを見て、租税の徴収を止めて自らも困窮に耐えた。三年後に高台から町を眺めると、今度は人家から煙が盛んに上がっているのが見えたという逸話によるもの。新古今和歌集の「高き屋に上りてみれば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」と帝の気持ちを代弁した詩で知られる。細かくてよくわからなかったが、仁徳帝の白い上衣の模様が三つ葉葵に見えた。
右幅は、切り立った崖に作られた細い道を、桜の一枝を刺した薪を担ぎ、杖を突いて歩く男。崖下に満開の桜。空に列をつくる雁は墨の階調だけで描かれている。
左幅は稲刈りのすんだ水田に、紅葉と牛の背にのる牧童が描かれている。

9三十六歌仙図 鈴木其一 弘化2年(1845)》
メナード美術館蔵の尾形光琳の二曲一隻屏風《三十六歌仙図》の写しで、平安時代中期の歌人藤原公任によって選ばれた三十六人の歌人を描いたもの。描表装で、表装の扇面流しや錦の模様も其一が描いている。軸も豪華。

10《糸桜・萩図  酒井抱一 江戸時代(19世紀)》

右幅の画は、枝垂れ桜に白地に金で模様の入った短冊が吊り下がっている。短冊には「そめやすき 人の心や 糸さくら」の句。左幅の画は萩で、正方形の赤時に金で模様が入った短冊が吊り下がっている。短冊には 「白萩や 有明残る 臼の跡」の句。和歌も筆跡も美しく、抱一の才に驚くばかり。

12《糸桜・燭台図扇面  酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
一対の扇面。枝垂れ桜が描かれた扇面には「そめやすき 人の心や 糸さくら」の句が、天に藍、地に紫の入った打曇短冊に美しい軽やかな書体で書かれている。もう一つの扇面には、燭台の画。その横に「ほととぎす 手燭にくらし 宵の空」と書かれている。

13《寿老・春秋七草図 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
毛利家に伝来したもので、長寿の象徴である寿老人と無病息災を願う七草を並べて吉祥を願う三幅対。中幅の寿老人は頭を下げた白鹿の背に乗っている。風折烏帽子で杖と団扇を持っている。右幅は春の七草で、芹、薺(なずな)、母子草(ごきょう)、繁縷(はこべら)、仏の座、菘、蘿蔔(すずしろ)が描かれている。太陽に向かってスズナスズシロの黄色い花が伸びている。左幅は秋の七草で、萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、藤袴朝顔が描かれている。月にススキが被るように立つ。

15《秋草図屏風 鈴木其一 江戸時代(19世紀)》
銀地が変色して黒い背景に、秋草が描かれている。風になびくわけでもなく、動きの少なく穏やかな雰囲気。画面にベージュと水色の色紙が貼られている。ベーシュの色紙には山上憶良の「秋野爾 咲有花乎 指折 可伎数者 七種花(の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花)」、水色の色紙には、同じく山上憶良の「はきがはなをはなくすはななてしこの花をみなへしまたふちはかま朝かをの花」が書かれている。色紙にはたなびく雲と雁が、これもまた丁寧に描かれていて、其一の細部への拘りを感じる。

18《蔬菜群虫図 鈴木其一 江戸時代(19世紀)》
胡瓜と茄子と蛇苺といった平凡な組み合わせでありながら、枯れた葉をまぜて描くことで自然らしさを加え、雀、赤蜻蛉、糸蜻蛉、虻、蛇の目蝶、玉虫を取り混ぜつつ、花と実が同時に生るというありえない描写をする。胡瓜の弦が空間に何かをつかむようにうごめく。其一らしい鮮烈な色彩と妖しさが感じられる作品。

第3章 曲輪の絵画 ─〈江戸琳派〉の原点

江戸にある酒井家藩邸で生まれ育った抱一は、遊里・吉原にあそび、浮世絵や俳諧狂歌といった文化に親しく触れながら、多感な青春期を過ごしています。こうした経験が、抱一の芸術の基礎を築いたといえます。ここでは、27歳の抱一が手がけた美人画「遊女と禿図」(出光美術館)を、抱一と同じく、武家の名門に生まれながら浮世絵師に転じた鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし 1756 - 1829)の作品などとともにご覧いただくことで、抱一と〈江戸琳派〉の絵画をめぐる、横軸の一端に触れていただきます。

21《遊女と禿図 酒井抱一 天明7年(1787)》
吉原の引手茶屋に立つ花扇と禿。扇屋の有名な遊女花扇自ら「人道吉原吉 吉原倍自吉 誰開細見圓 巧晝傾城寛 右寝惚子之作 五明樓花扇書」と賛を入れている。文案は大田南畝が練った。遊女の顔が師、豊春の描くものとそっくりで、浮世絵肉筆画をよく学んだことが伺える。

22《芸妓と嫖客図  歌川豊春 江戸時代(18世紀)》
芸妓が三味線を鳴らして客の男にしなだれかかり、目を合わせ共に歌っている。庭には満開の桜。障子や煙草入れの木目が写実的。芸妓の着物には、胸のこところに源氏香の花散る里のような家紋がある。描表装で大黒様、芙蓉、水仙等が散りばめられている。

23《吉原通い図巻 鳥文斎栄之 享和元年(1801)序》
展示されていた部分は、主賓らがお座敷で遊んでいる場面。主賓の剃髪の方が抱一かもしれないと説明文にあった。とても豪華なお座敷で、主賓を囲んで花魁に芸妓に禿に太鼓持ちと十数人が取り囲んでいる。

第4章 〈琳派〉を結ぶ花 ─立葵図にみる流派の系譜

夏の風物詩である立葵(たちあおい)は、ふたつの意味において〈琳派〉を象徴します。光琳とその弟・尾形乾山(おがた けんざん 1663 - 1743)が描く草花にはこの花を取り上げたものが多く伝えられ、重要なレパートリーのひとつであったことが知られます。そして、彼らを慕う〈江戸琳派〉の画家たちにとっては、尾形兄弟の命月である6月(旧暦)を代表する立葵が、泉下の師に供える花として、特別な意味を持つことにもなりました。ここでは、立葵によって結ばれる、時空を超えた画家たちの紐帯、また同じ画題だからこそ見えてくる表現の特徴について紹介します。

25《芙蓉図屏風 伝尾形光琳 江戸時代(18世紀)》
もとは六曲一双だったもの。その改装は、1823年抱一刊行の乾山遺墨に記された《立葵図屏風》作例を参考にしたとされている。葉や花弁に金銀が使われている。

第5章 師弟の対話 ─抱一と其一の芸術

抱一の門下からは、魅力的な弟子たちが数多く輩出しました。なかでも、近年注目を集めているのが、鈴木其一です。鮮烈な色彩と明快な画面構成に個性を発揮する其一の絵画には、むしろ師・抱一よりも強い光琳志向を感じさせるものがあります。抱一の「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」と其一の「四季花木図屏風」(以上、出光美術館)など、ふたりの作品を見くらべながら、其一が抱一からいかなる表現を学び取り、魅力的な個性へと昇華してみせたのかを考えます。

30《十二ヵ月花鳥図貼付屏風 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
十二ヶ月を花鳥図で表した押絵貼形式の屏風は人気だったようで、この他にも7組知られている。制作には、雨華庵の画家が動員されたと思われる。1月には白椿、菫、蒲公英、土筆、雀、2月には菜の花、雀、3月には桜と瑠璃鶲、4月には牡丹、蝶、5月には杜若、鴫、浅沙、三角藺のような水辺の植物、6月には紫陽花、蜻蛉、蔓性の白花、7月に向日葵、朝顔、蟷螂、下野草、8月には月、薄、轡虫、桔梗、吾木香、芙蓉、9月には竹、菊、五十雀、10月には柿と目白、11月には粉雪、白鷺、葦、野菊、12月には雪、梅、おしどり、南天。

31《四季花鳥図屏風 酒井抱一 江戸時代(19世紀)》
縦21センチ横72センチの小さな金屏風。右隻には蒲公英、芥子、紫陽花、百合、菜の花、杜若、左隻には朝顔、萩、桔梗、菊、水仙、藪柑子が雪と水流と共に描かれている。裏面は銀箔貼りで水流が描かれている。

32《青楓朱楓図屏風 酒井抱一 文政元年(1818)》
流水の上に大胆な色遣いで夏と秋の楓を描いた金屏風。楓の下には熊笹、菫、龍胆が配されている。秋楓と違い、夏楓の幹が立体感を伴って描かれているのが興味深い。これも光琳百図後編に引用されている光琳画を参照して作られたもので、其一が多くの部分を担当したのではないかと言われている。

34《桜・楓図屏風 鈴木其一 江戸時代(19世紀)》
下に満開の桜を、上に楓を描く。楓は葉叢の大半を画面外に追いやり、根本を露わにして、幹の存在感を示す。地面には葉も花びらの一枚も落ちていない。その緊張感のある構図は光琳学習の成果によるもので、光琳百図後編に発想の原点がある。

35《月次風俗図  鈴木其一 江戸時代(19世紀)》
三形式の図面に四図ずつで十二枚。元は押絵貼の六曲一双の屏風で月次絵の体裁が取られていたと思われる。角面に、雨中の楓、鮎の群れ、曽我兄弟の仇討ち、砧打。丸い面に、梅に鼠、白牡丹、菜の花に鷽替、柿に菊。扇面に、鬼灯に麦藁蛇、葛と蹴鞠、鍾馗と鬼、一万丸と箱王丸(曽我兄弟)。

 

今回もさすがの出光美術館です。出品は40点程と少ないのに、どれも見応えがあるものばかり。出光美術館は解説がとても素晴らしく、その楽しさもあって、既視が多いにも関わらず一つ一つに見入ってしまいました。15分ほどの休憩を二度入れて4時間半の滞在でした。

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休憩室から望む皇居。今にも降り出しそうな重い雲がかかっていました。

美術館を出たら、はまの屋パーラーで期間限定イチジクのパンケーキ。
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生のイチジクとイチジクのジャムがトッピングしてあり、生地の中にドライのイチジクとナッツがごろごろ入っていました。
ここでパンケーキを食べるまでが、私の出光美術館巡りなのです。