火焔型土器のデザインと機能@國學院大學博物館
天気良いし自転車でチャリチャリと國學院大學博物館の特別展示火焔型土器のデザインと機能展に行ってきました。
近くをよくウロウロしているくせに、こんなところに博物館があったとは知らなんだ。 博物館巡りなんて趣味を持たなきゃ、一生気づかないままだったかもしれません。
国宝をはじめとする縄文土器が展示されていました。
平成28年度、縄文時代中期の火焔型土器などを構成文化財とした『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』が信濃川火焔街道連携協議会の申請により文化庁の日本遺産に認定されました。本特別展は、それを記念し、火焔型土器や同時期の土偶や石棒などの出土品を通して、その実態と魅力を多面的に紹介します。
《◉深鉢形土器 火焔型土器 笹山古墳 縄文時代中期》
火焔型土器とは燃え上がる炎のような形状の土器を指し、口縁部に鶏冠状把手や鋸歯状突起があり、胴部には隆線文による浮彫的な文様がある。
装飾の凝っていること!容器の概念を逸脱しているとは、まさにこのようなことですね。とても美しい。器を焚き火の中に浮かせて置いた時に、器の形に沿って炎が立ち上がる様子をそのまま写したかのようです。それにしても、どんなひしゃくを使っても注ぎにくそうな形。明らかに日常的に使うなんて思いませんよね。でも、実際は発掘される流域にこんなのばっかり出てくるそうで、どうやらこれがフツーだったそうなんです。信濃川流域はデコり文化発祥の地ということで。
《◎深鉢形土器 火焔型土器 堂平遺跡 縄文時代中期》
こちらは重文。上のと比べるとやや幅広です。ちょっとした揺れで転がりそうで怖いです。
今まで縄文土器を造形として見たことがなかったのですが、こう改めて見ると、すごいですね。頸部の隆線文が渦を巻いたりS字に曲っていたりするのが器の底部でとぐろを巻く炎のようだし、胴部に垂直に引かれた模様も、器に吸い込まれるように立ち上がる炎を写していて。この造形を始めた人の偏執的な感覚がたまらない。見れば見るほど炎の表現に感心します。
はぁ、キャンプに行きたくなってきた。
博物館内は、他にも常設展示物がたくさんありました。
ボリュームのある順に考古学、神道、國學院大学校歴にまつわる品が並べられています。特に考古資料はかなりの量。神道の展示物は珍しいものが多く、しかも私には興味がわくものばかり。今回あきらかに勉強不足だったので、また改めて見に行きたいと思います。
ジ・アートフェア +プリュス−ウルトラ2016@スパイラルガーデン
先週の話になりますが、スパイラルガーデンに行きました。
the art fair +plus-ultra(ジ・アートフェア +プリュス―ウルトラ)は、信頼と実績を誇るギャラリーが、優れた作品を紹介するカテゴリ+plusと40歳以下のディレクター個人を出展単位とする、世界でも類を見ないカテゴリultraの2つの異なる部門からなる統合型のアートフェアとして、毎年、国内外から多くの来場者を迎える話題のイベントに発展してきました。
多くのギャラリーが出展していて、ネット等でちらちらと目にすることがある新進の作家の作品が並んでいました。
Gallery花影抄のブースにあった、かわさきみなみさんや永島信也さん、ギャラリー門馬&ANNEXのブースにあった経塚真代さん、NANATASU GALLERYのブースにあった田中幹希さんの造形作品が記憶に残りました。
会場がざわついていて集中力がなく、さらに表現がどぎついものを受け入れにくい状態だったので、写真も禄に撮らずに足早に退出。
結果として、今回の表参道散歩はこっちがメインになったかな。
- ジャンル:コーヒー専門店
- 住所: 港区南青山5-9-15 OHMOTOビル 1F
- このお店を含むブログを見る |
- (写真提供:nekonekotarou77)
江戸絵画の不都合な真実 狩野博幸著
私は、人の名前を覚えるのが大の苦手なので歴史は不得意です。歴史の本といえば真っ先に「逆説の日本史」を思い出して、あれは面白かったなあと思う程度の興味しかありません。なので、狩野博幸著「江戸絵画の不都合な真実」を手にした時も、心の中に論証よりもロマンを楽しむものだろうという考えがあったのは事実です。
- 作者: 狩野博幸
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/10/15
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
なので、最初は麗しき花実や楽園のカンヴァスのようなフィクション物と同系列の感覚で軽く読み進めていました。時に現れる語彙の荒さを読み飛ばすこともあったので、なおさら。私にとっては、扇情的に書かれた文章は信憑性を下げるのです。しかし、論証の確かさからこの本はマトモだと思い直し、あわてて作者を確認して著名な美術史家だと知り、今京博で開催している若冲展の監修をされているのはこの方かとようやく思い当りました。人名を覚えるのが苦手なので、よくこういうことをやらかします。
この本では、岩佐又兵衛、英一蝶、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢蘆雪、岸駒、葛飾北斎、東洲斎写楽について章が割かれています。私が愛する洗練された数々の作品を生み出した絵師ばかり。しかし、この本から浮かび上がってくる絵師達は、それぞれに人間臭い複雑な事情を抱えています。若冲の絵などを見ているとあまりの完成度に、天才として、自分達とは違う別の神々しいものとして見たくなる気持ちが生まれてきます。そうじゃない、絵師達は温かい血の通う人で、それぞれに複雑な世の中を生きた人達だったと、この本は訴えます。
どの章も興味深い話ばかりですが、中でも英一蝶の宗教に絡んだ逸話には引き込まれました。時の為政者や伝統的な門下の絵師から見ての「不都合」な話は、一方でその絵師が無視できない存在であるがゆえのこと。英一蝶の風俗画の本質が「伊達を好んでほそ」いところであったというのにも惹かれました。
写楽については、未だ「謎」とされているのに辟易とされているのが、読んでいて面白かったです。商業的にはミステリアスにしておいた方が話題になるので、今後も展覧会などでは「謎」のままにされそうですね。
見立とやつし
先日、東京国立博物館で仮名手本忠臣蔵に見立た浮世絵をいくつか見ました。その中の名称に、三つ「見立」、一つ「やつし」と入っているものがありました。
その後、資料館で「図説『見立』と『やつし』日本文化の表現技法」という書籍を目にし、その違いが気になったので、調べてみました。
この本で扱っている「見立」「やつし」の問題は、国文学者岩田秀行氏が見立と仮題がついている鈴木春信の浮世絵の中で、本来はやつしとしなくてはいけないものが混ざっていると、「見立絵」の概念規定に異議を唱えたことに端を発しています。
- 作者: 人間文化研究機構国文学研究資料館
- 出版社/メーカー: 八木書店
- 発売日: 2008/04
- メディア: 大型本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
この本の「はじめに」で国文学研究資料館教授である山下則子氏は、
「見立」「やつし」を一言で定義することは難しいが、あえて言えば、「見立」はあるものを別のものになぞらえること、「やつし」は昔の権威あるものを現代風に卑近にして表すことと言えよう。
として、浮世絵の「やつし」として、風流、今やう、其姿紫(そのすがたうつし)の題があるものを示し、「見立」として擬(なぞらえ)、准(なぞらえ)の題がついたものと、役者を描き、見立、当世と題がついたものを示した。
国際浮世絵学会常任理事の新藤茂氏は、見立を Correspondence やつしをTransformation とし、見立とやつしでは主題と描かれるものの思考順序が逆になると説明し、鈴木春信が活躍した時代に注目して以下のような特徴があるとした。
- やつし絵とは、主題が姿を変えて描かれた絵のこと
- 風流やつし絵とは、古典的な題材を当世風に姿を変えて描いた絵のこと(近代以降、見立絵とも呼ぶ)
- 見立絵とは、異なるものを連想で結びつけて主題にした絵
- やつしは人間同士に限られる
- 描かれた人物が有名人なら見立
- 描かれた人物が無名の人ならやつし
- 見立は思考順序が逆になっても成立する
以上を踏まえて、題名のない絵に仮題をつける際は、絵師の思考の立場で命名されるべきと主張した(見立として現在名が知られているものの中にやつし絵が含まれているため)。
以上、浮世絵の部分に注目して簡単に紹介しましたが、やつしと見立の概念の違いは目から鱗が落ちる思いがし、この本で取り上げられたわけではありませんが、たとえば、春信の《やつし蘆葉達磨》が決して《見立蘆葉達磨》にならないことが腑に落ちて理解が進みました。なにより、私のような浮世絵に慣れない鑑賞者としては、その区別がつくことで、やつしであれば主題の背景を踏まえて観ることが求められるし、見立てであればコスプレ写真のようなもので主題のシーンを切り取っただけと思って観ればいいのだと、描かれている絵の解釈範囲のヒントが得られたのが有意義でした。
迎賓館赤坂離宮本館・主庭参観
ミヅマアートギャラリーを後にして、外堀沿いを陽射しを感じながらぶらぶらと歩き、天然物のたい焼きで有名なわかばの行列に並んでみたものの、あまりに進みが悪くて断念。予約しておいた入場時間に合わせて、赤坂離宮へ向かいました。もっとも、この日は空いていたようで、14時過ぎなら予約していない人でも入場できたようです。
赤坂離宮は紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42年(1909)に東宮御所として建設されたもので、当時日本の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で2009年に国宝に指定されました。
本館見学は西門から入り厳重なセキュリティチェックを受けて、主庭への入場が許されます。本館の見学のルートは本館の通用口から入り、彩鸞の間、花鳥の間を抜け、中央階段・二階大ホールを通って朝日の間、羽衣の間と進みます。
本館に入ったのは二度目ですが、どの部屋でも装飾の美しさに足が止まります。圧倒されるとはまさにこういうことで、明治時代の最高の美術工芸品がここに集結しています。西洋建築でありながら様々に和の意匠が散りばめられているところが日本美術好きの私の心をくすぐります。例えば、朝日の間なら天井画や絨毯に桜が描かれていたり、羽衣の間は天井画が謡曲「羽衣」を主題にして描かれたものだし、シャンデリアには鈴が隠されています。特に晩餐会場として使われていたという花鳥の間は圧巻。先日トーハクで荒木寛畝、渡辺省亭 の《赤坂離宮花鳥図画帖》を見たばかりですし、さらにそれが濤川惣助の無線七宝になっているのがすばらしくて見惚れました。どの部屋も見学者用のルートが設けられているので、細かな造形を観るのには単眼鏡があると便利です。
本館から離れたところにお手洗いや休憩室のある建物があります。そこに朝日の間の改修で外された壁掛け、京都西陣の金華山織の美術織物が展示されていて、触ることができます。
青い空に白亜の建物が実に映えます。主庭には中央に噴水があり、それを葉牡丹と松が囲みます。この日は北風が強くて、これ以上噴水に近づくと水しぶきが気になるほどでした。
主庭から退門して、前庭に移動しました。どんなに斜めから撮ってもカメラの視野に収まりません。正面玄関の青銅色の屋根の上には朝日の間にもあった鎧兜のモチーフがあり、よく見ると阿吽になっているのがわかります。遠目に見ると兜を被ったペンギンに見えるのは、私だけかもしれませんが。
迎賓館を出る頃には陽が傾き、風が急に出てきたのでアトレ四谷のスープストックへ。あと一時間も過ごせば、ライトアップが楽しめるはずだったのですが、寒さに負けて断念。
オマール海老のビスクが冷えた体を温めてくれました。
- ジャンル:スープ
- 住所: 新宿区四谷1-5-25 JR四谷駅 アトレ四谷1F
- このお店を含むブログを見る |
- (写真提供:つ・よ・き・ち)
- をぐるなびで見る |
山口晃展 室町バイブレーション@ミヅマアートギャラリー
この日は迎賓館の迎賓館赤坂離宮一般公開本館及び主庭参観を控えていました。まずは、歌舞伎座の近くにあるオムライスの名店でランチ。
オムライスを食べるならここと決めています。ふわふわ。
有楽町線で市谷駅。出口5から外堀り沿いを歩いてミヅマアートギャラリーへ。
新作群のキーワードとなるのが、雪舟の平面的モチーフの多層化から生じる奥行き。
狩野派の襖絵の持つ、空間性をも獲得する金箔の効果への陶酔。
セザンヌの知覚的な絵画への官能。
散歩の途中に目にする工事現場や電柱、構造体への執着。
メカ、東京モノレールの座席、桂離宮へのコンポジションへの興奮・・・等一見してバラバラとした現象への興味は、山口の中では等価であり、それらは意識せずとも自然と共振してしまう。そんな複数の要素の共振に寄って立ち現れた絵画、立体およびインスタレーションが会場内で展開されます。
展示スペース正面に飾られた《オイルオンカンヴァス》の3点は、白い画面に墨で一筆入れたものです。トーハクで大々的に開かれた禅展でさんざん禅画を見ていますので、そこに何らかの含みを感じようと作品に近寄ると、一見白く見えたカンヴァスになにやら文様が浮かび上がってきます。クスッと笑わずにはいられません。
展示数は12点。先月あったトークショーで製作が遅れているという話を聞いていました。それは山口晃氏の展示会では、ある意味お約束でもあるので、展示会も後半になって行ったわけですけども……察してください。