常温常湿希望

温度20℃湿度50%が理想です。

迎賓館赤坂離宮本館・主庭参観

ミヅマアートギャラリーを後にして、外堀沿いを陽射しを感じながらぶらぶらと歩き、天然物のたい焼きで有名なわかばの行列に並んでみたものの、あまりに進みが悪くて断念。予約しておいた入場時間に合わせて、赤坂離宮へ向かいました。もっとも、この日は空いていたようで、14時過ぎなら予約していない人でも入場できたようです。

 

赤坂離宮紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42年(1909)に東宮御所として建設されたもので、当時日本の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で2009年に国宝に指定されました。

 

本館見学は西門から入り厳重なセキュリティチェックを受けて、主庭への入場が許されます。本館の見学のルートは本館の通用口から入り、彩鸞の間、花鳥の間を抜け、中央階段・二階大ホールを通って朝日の間、羽衣の間と進みます。

本館に入ったのは二度目ですが、どの部屋でも装飾の美しさに足が止まります。圧倒されるとはまさにこういうことで、明治時代の最高の美術工芸品がここに集結しています。西洋建築でありながら様々に和の意匠が散りばめられているところが日本美術好きの私の心をくすぐります。例えば、朝日の間なら天井画や絨毯に桜が描かれていたり、羽衣の間は天井画が謡曲「羽衣」を主題にして描かれたものだし、シャンデリアには鈴が隠されています。特に晩餐会場として使われていたという花鳥の間は圧巻。先日トーハクで荒木寛畝、渡辺省亭 の《赤坂離宮花鳥図画帖》を見たばかりですし、さらにそれが濤川惣助の無線七宝になっているのがすばらしくて見惚れました。どの部屋も見学者用のルートが設けられているので、細かな造形を観るのには単眼鏡があると便利です。

本館から離れたところにお手洗いや休憩室のある建物があります。そこに朝日の間の改修で外された壁掛け、京都西陣金華山織の美術織物が展示されていて、触ることができます。

 

青い空に白亜の建物が実に映えます。主庭には中央に噴水があり、それを葉牡丹と松が囲みます。この日は北風が強くて、これ以上噴水に近づくと水しぶきが気になるほどでした。

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主庭から退門して、前庭に移動しました。どんなに斜めから撮ってもカメラの視野に収まりません。正面玄関の青銅色の屋根の上には朝日の間にもあった鎧兜のモチーフがあり、よく見ると阿吽になっているのがわかります。遠目に見ると兜を被ったペンギンに見えるのは、私だけかもしれませんが。

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迎賓館を出る頃には陽が傾き、風が急に出てきたのでアトレ四谷のスープストックへ。あと一時間も過ごせば、ライトアップが楽しめるはずだったのですが、寒さに負けて断念。

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オマール海老のビスクが冷えた体を温めてくれました。

スープストックトーキョー アトレ四谷店

食べログ スープストックトーキョー アトレ四谷店

 

山口晃展 室町バイブレーション@ミヅマアートギャラリー

この日は迎賓館の迎賓館赤坂離宮一般公開本館及び主庭参観を控えていました。まずは、歌舞伎座の近くにあるオムライスの名店でランチ。 

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オムライスを食べるならここと決めています。ふわふわ。

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有楽町線で市谷駅。出口5から外堀り沿いを歩いてミヅマアートギャラリーへ。

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お目当ては、山口晃展 室町バイブレーションです。

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MIZUMA ART GALLERY : 展覧会・イベント

新作群のキーワードとなるのが、雪舟の平面的モチーフの多層化から生じる奥行き。
狩野派の襖絵の持つ、空間性をも獲得する金箔の効果への陶酔。
セザンヌの知覚的な絵画への官能。
散歩の途中に目にする工事現場や電柱、構造体への執着。
メカ、東京モノレールの座席、桂離宮へのコンポジションへの興奮・・・等

一見してバラバラとした現象への興味は、山口の中では等価であり、それらは意識せずとも自然と共振してしまう。そんな複数の要素の共振に寄って立ち現れた絵画、立体およびインスタレーションが会場内で展開されます。

展示スペース正面に飾られた《オイルオンカンヴァス》の3点は、白い画面に墨で一筆入れたものです。トーハクで大々的に開かれた禅展でさんざん禅画を見ていますので、そこに何らかの含みを感じようと作品に近寄ると、一見白く見えたカンヴァスになにやら文様が浮かび上がってきます。クスッと笑わずにはいられません。

展示数は12点。先月あったトークショーで製作が遅れているという話を聞いていました。それは山口晃氏の展示会では、ある意味お約束でもあるので、展示会も後半になって行ったわけですけども……察してください。

日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

何を勘違いしたか、今週末から年末いっぱい本館2階が閉まると勘違いして、いそいそとトーハクに出かけました。実際は来週まで開いています(もう一回行けそう。むふふ)。

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青い空がまぶしいほどです。

本館の特別展の賑わいを横目に、2階に上がります。

本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸

《群鶴蒔絵硯箱 1合 江戸時代・18世紀》

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細かい金粉を蒔き詰めて金地に仕立てた硯箱。蓋表から身の側面にかけて流水を描き、鶴が飛翔する姿を鉛板を嵌めて表わす。モチーフを画面いっぱいに大きく描いた構図や、厚い鉛板を切り口も整えずに大胆に用いる点など、尾形光琳の蒔絵の作風に倣っている。(展示説明)

《色絵三壺図皿 5枚 鍋島 江戸時代・17世紀》

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鍋島の完璧な技術は他と隔絶するものがある。五客が同じものという当たり前のこと、これを日本陶磁で初めて鍋島が達成したと言っても過言ではない。瑠璃地を背景とし、そこにそれぞれに異なった表現で飾られる三つの壷が並んで描かれている(展示説明)

《銹絵雪笹文大鉢 1口 仁阿弥道八作 江戸時代・19世紀》

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仁阿弥道八は奥田穎川(えいせん)に陶技を学んだが、作風には仁清、乾山の影響が強い。これは乾山焼の雪笹手鉢を参考に大きな鉢に仕立て直したものとされている。雪の中、笹の葉に積もった雪が美しい。

 

《黒楽鶴亀文茶碗「道八」刻銘 1口 仁阿弥道八作 江戸時代・19世紀》

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黒地に白で鶴の姿を描くのは乾山風らしい。真っ黒のごつごつした厚みのある茶碗。鶴の表情が面白いです。

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内側見込の立ち上がりに白い亀。鶴と合わせて長寿を願う吉祥文様となる。

本館 9室 能と歌舞伎 歌舞伎衣装

《鏡蓋 金地松鷹波模様 1枚 坂東三津江所用 江戸時代・19世紀》

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様々な布きれで形をとり、中に厚紙や綿を入れて台紙に貼り付けた押絵。いわは和風キルトアート。歌舞伎役者が鏡の埃よけに蓋として用いた。荒々しい波に洗われる松と、金色の空を飛ぶ鷹が描かれている。中央にある取手は松葉に茗荷の形をした金物細工。茗荷は持ち主の坂東三津江の紋所にちなんでいる。

 

守田勘彌・鍬もち男 1枚 勝川春好筆 江戸時代・18世紀》

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素網を着、その上から屋号である「喜」の字文の小袖を羽織り、縄模様の小袖を両肩脱ぎにして腰巻にした守田勘弥。腰巻の小袖には守田座の座紋カタバミ(丸に中が瓜実の片喰)がついている。かなりトリッキーな格好をしているが、どんな演目なのか不明。

 

《浮絵芝居小屋之図 1枚 歌川豊春筆 江戸時代・18~19世紀》

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浮絵といい、西洋画から取入れた遠近透視図法を用い、実景が立体的に浮き出して見えるように描かれた絵。奥村政信が創めたといわれている。応挙が覗きからくりで描いていたのも浮絵。

天井中央には役者の家紋をつけた長提灯、両脇には桟敷とその下の枡席に丸提灯が下がっている。下手の暖簾に中村屋の座紋(隅切角に鶴の丸)がある。客席は満席で飲み食いして芝居を楽しんでいる。歩(あゆみ)には茶や食物の売り子がいる。

本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

《見立忠臣蔵七段目 1枚 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀》

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先日のトーハクの宿題を解決するために、この三美人を改めて確認しました。

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二階で柏紋入り団扇を持つのは、高島おひさ。 江戸浅草随神門脇の水茶屋(巻せんべい屋)の評判娘、おひさの家紋は丸に三つ柏。

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文を読むのは、前掛けに桐紋があるので難波屋おきた。浅草隋身門前の水茶屋の娘おきたの家紋は五七桐紋。

 

そして、謎の床下にひそむもう一人の娘。寛政の三美人ならば富本豊雛が真っ先に出てくるのでしょうが、前掛けをしているから茶屋の娘です。富本豊雛は吉原の玉村屋抱えの高名な芸者で富本節の師匠ですから、当てはまりません。それに富本豊雛なら家紋は五つ立ち桜ですが、帯も前かけの模様も桜ではありません。

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当時の茶屋娘を調べると、鳥文斎栄之の《茶屋娘見立雁金五人男》がありました。《茶屋娘見立雁金五人男》では茶屋娘5人の上に家紋が描かれていてわかりやすく、右から、菊本おはん、立花屋おたつ、難波屋おきた、高島おひさ、中村屋おもよです。一番右の暖簾の家紋と床下の娘の前掛けの柄が同じであることに気づきました。つまり、床下の娘は菊本おはんです。わかってみれば、帯の模様も菊に見えます。菊本おはんは江戸芝神明前の水茶屋の娘です。家紋はおそらく丸に木瓜紋でしょう。

謎が溶けて、すっきり。

 

といいつつ、この絵を調べている途中で気になる本を見つけて「見たて」と「やつし」の違いがわからなくなりました。改めて取り寄せて読むつもりです。行けば行くほど謎だらけになるトーハク沼。おそろしや。

 

帰りに、冬の不忍池をぶらぶら。枯れた蓮に覆われてくすんで見えますが、水鳥の群れが来ているので、実は賑やかなのでした。

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昼ご飯抜きでふらふら歩き回っていたせいで、気がついたらお腹がぺこぺこ。上野西郷会館の地下にある銀座ライオンに入ってナポリタンです。

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疲れていたので、甘いトマトソースがおいしかった。

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日本美術@東京国立博物館 本館

先日、泉岳寺に行って忠臣蔵を少しお勉強したので、浮世絵の忠臣蔵を見にトーハクへ。やや風があるものの気温が上がり、中庭のベンチにいると根が張りそうになりました。

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いつまでも中庭にいても始まらないので、いつものように本館二階へ。

 

以下、気になったものを示します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 2室 国宝室

《◉寛平御時后宮歌合(十巻本歌合) 1巻 伝宗尊親王平安時代・11世紀》

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寛平御時后宮歌合は、平安時代に班子女王が催した歌合(歌人が左右に分かれて同じ題の和歌を詠み、その優劣を競い合う催し)を書いたもの。洗練された仮名で書写されていることから、書の手本として用いられている。

写真は恋歌二十番の一部(戀十七番~戀十九番)。左端に、左歌の紀貫之が「もえもあはぬ こなたかなたの おもひかな なみたのかはの なかにゆけはか(燃えも合はぬ こなたかなたの 思ひかな 涙の川の 中にゆけばか)」と詠い、右歌「ひとしれす したになかるる なみたかは せきととめなむ かけはみゆると(人知れず 下に流るる 涙川 堰とどめなむ 影は見ゆると)」と応えている。

本館3室 宮廷の美術―平安~室町

《◎東北院職人歌合絵巻 1巻 鎌倉時代・14世紀》

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東北院の念仏会に参集した職人たちが、貴族にならって歌合をしたという設定の歌合絵。経師(表具屋)を判者に、左に医師、鍛冶、刀磨、巫女、海人、右に陰陽師、番匠、鋳物師、博打、賈人と10人の職人が左右に分かれて歌を競う。

写真は巫女と博打打ちの歌合。左歌の博打打ち「我こひは かたおくれなる すごろくの われても人に あはんとぞおもふ」と詠むのは、崇徳院の「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」を踏まえたもの。それに右歌の老いた巫女が「君とわれ 口をよせてぞ ねまほしき 鼓もはらも うちたたきつつ」と応じる。

写真を撮る手が笑いで震えて、何度も撮り直してしまいました。こういうのがあるから、日本美術は止められない。

本館10室 浮世絵と衣装―江戸

赤穂義士の討ち入りは、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を通して江戸の人々の良く知るところであり、年末の風物詩ともなっていました。『忠臣蔵』の興行は常に成功を収めたといわれ、今も年末にはよく興行されます。
本年最後にあたる今回の浮世絵の展示は、版画では、葛飾北斎の「仮名手本忠臣蔵」シリーズ十一段を中心に、『仮名手本忠臣蔵』見立てなどの作品を加え、また、肉筆画では、近世初期風俗画の屏風と笑いを誘う作品で構成しています。

仮名手本とは、登場人物をいろは四十七文字になぞらえたもので、仮名手本忠臣蔵は全十一段の構成の義太夫浄瑠璃で、吉良上野介高師直(こうのもろなお)、浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)、大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)など役名を南北朝時代を描いた「太平記」になぞらえて脚色している。

<あらすじ※>

 将軍足利尊氏の弟直義が鎌倉へ下り、饗応役には桃井若狭之助と塩冶判官高貞が任じられてた(大序)。若狭之助は執事高師直の非礼に憤り、斬ろうと決意。打明けられた家老加古川本蔵は、師直に賄を送り事無きを得る(二段目)。一方塩冶判官は、妻顔世御前が邪恋を拒絶したことを恨んだ師直に殿中で侮辱され、斬りつける(三段目)。その場にいた本蔵に抱留められて本望を果たせず、無念の思いのまま切腹。国許から駆けつけた大星由良之助は、他の諸士たちと敵討を誓う(四段目)。塩冶の家臣早野勘平は、主君の一大事に腰元お軽と忍び逢っており、不忠を恥じてお軽の里、山崎の親里に猟師となって身を寄せている。お軽は敵討の一味に加えてもらうため、勘平に隠して祇園町に百両で身売りする。父与一兵衛は身代の半金を持帰える途中、塩冶浪人斧定九郎に殺される。勘平は、定九郎を猪と誤って撃ち、半金を由良之助に届け一味連判に加わることを願う(五段目)。自宅に帰った勘平は親殺しの疑いを受け、切腹して果てるが、疑いは晴れ、連判に加わる(六段目)。由良之助は祇園で敵の目を欺くため、遊蕩三昧に過しているが、顔世からの密書をお軽といまは師直側についた斧九太夫に盗み見られる(七段目)。お軽の兄、平右衛門が敵討への同行の許可をもらうため、お軽を殺そうとするところ由良之助は止め、お軽の手をとり九太夫を刺し、一味に加わることを許す(八段目)。由良之助の子力弥と本蔵の娘小浪は許嫁であったが、本蔵が判官の志を止めたことで破談になるところ、本蔵が力弥の槍でわざと突かれて殺され、聟引出として師直の屋敷の図面を渡し、嫁入りを果させ(九段目)、由良之助と諸士は敵討の本望を達する(十一段目)。

※参考:仮名手本忠臣蔵 - ArtWiki

《假名手本忠臣蔵・五段目 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》

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山崎街道の二つ玉の段。老人与一兵衛が、娘で勘平の妻お軽の身代の半金を持ち帰る途中、蛇の目傘をさした盗賊の斧定九郎に殺される場面。斧定九郎はこの後、偶然、猪を狙って撃った勘平の銃弾に倒れる。

 

《假名手本忠臣蔵・七段目 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》

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由良之助が斧九太夫の髷をつかむ。それを横で見るお軽。廊下にいるのは、お軽の兄で平右衛門。部屋の奥にから駆けつけてくるのは、由良之助を慕う塩冶浪士たち。

祇園一力茶屋の段。由良之助は祇園で敵の目を欺くため、遊蕩三昧に過していたが、顔世からの密書をお軽と敵側に寝返った斧九太夫に盗み見られる。お軽は兄、平右衛門に密書の内容を話すと、平右衛門は秘密を知ってしまったお軽を切り殺そうとするが、兄から父と夫の死を知ったお軽は自害を決意する。それを見た由良之助は、平右衛門の決意を認め、敵討ちの仲間にする。由良之助が、お軽の刀を畳に突き刺すと、床から斧九太夫が出てきたという場面。

 

《假名手本忠臣蔵・十一段目 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》

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言わずと知れた、討ち入りの場面。酒宴で大騒ぎした師直は酔いつぶれて雑魚寝している。その隙に矢間重太郎と千崎弥五郎が館の塀に梯子を掛けて屋敷に侵入する。

 

忠臣蔵七段目 1枚 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀》

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二階の座敷にいるのがお軽、密書をよむ由良介、床下で密書を盗み見する敵側の家老九太夫が描かれている。

柱絵と呼ばれ、庶民が床の間の代わりに柱に飾る縦長の絵。

 

忠臣蔵七段目 1枚 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀》

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これも柱絵。お軽、文をよむ由良介、盗み見する九太夫を主題にして美人美男を描いたもの。

 

《見立忠臣蔵七段目 1枚 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀》

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二階のお軽、文をよむ由良介、盗み見する九太夫を主題にして、寛政の茶屋の美人、高島屋おひさ(お軽)、難波屋おきた(由良介)を描いたもの。

九太夫役は不明。次回、着物の紋を確認したい。

 

忠臣蔵・七段目 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》

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由良介が梯子を取り出して、二階にいたお軽をふざけながら下ろす場面を描いたもの。

 

《高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ 2枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》

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高名美人見たて忠臣蔵12枚揃のうち、3連続の絵の2枚。忠臣蔵の十一段討ち入りの場面を、当代の有名な美人で見立てている。義士たちに囲まれ捕えられる師直の場面を、一人の男が遊女に取り囲まれる様子で表した。師直役の胸に歌麿の文字。柱に「応求哥麿自艶顔移(求めに応じて歌麿が自分を色男に描いた)」とある。大きく描かれた6人は、当時の有名な美人なのだろう。

 

忠臣蔵・十一段目 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》

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ここまでくると、もう何のシーンだか。美人描いただけにしか見えない。もしや、捕らえたってことですか?

 

忠臣蔵やつし十一段目夜打の圖 1枚 歌川豊国筆 江戸時代・19世紀》

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仮名手本忠臣蔵では、師直の館を襲った後、由良助を始めとする一向が判官の墓所のある光明寺に向かう途中、花水橋で騎乗の桃井若狭之助に出会う。そして、若狭之助が一同を労う。その場面を橋の上の美人と抱かれた赤ん坊として描いている。

 

《由良之助一力にて遊興の図 2枚 窪俊満筆 江戸時代・19世紀》

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七段目、祇園一力茶屋の場面で三枚連続のうち二枚。間にもう一枚ある。遊蕩三昧の由良之助が描かれている。

 

武家煤払の図 5枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀》

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年末の武家屋敷の大掃除の様子を描いて、仮名手本忠臣蔵に見立てたもの。右から二枚が松の廊下での刃傷場面(三段目)、三枚目は畳を積み上げて天川屋義平が長持ちに座り込む場面(十段目)、左側で女二人に胴上げされているのが祇園一力茶屋の場面(七段目)、左端の鼠退治が討ち入り場面(十一段目)。

 

以上、忠臣蔵シリーズでした。

 

《達磨と遊女図 1幅 勝川春好筆 江戸時代・享和3年(1803)》

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先日の禅展でたくさん達磨をみましたが、こんな屈辱的な顔をした達磨図は初めてです。遊女が達磨の頭を払子で撫でています。

女達磨とも呼ばれる達磨と遊女の組み合わせは、英一蝶に創まるらしい。「何九年苦界十年花衣」として、面壁九年の達磨を、奉公明けまで十年間客相手をして耐え忍ぶ遊女がからかっている。

本館18室 近代の美術

《◎弱法師(よろぼし) 6曲1双 下村観山筆 大正4年(1915)》

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第2回再興院展の出品作。謡曲「弱法師」に取材したもので、父を求めて摂津の天王寺にさまよう俊徳丸が日輪を拝している場面。

元の俊徳丸の話では観音菩薩に祈願して俊徳丸の病は癒えるが、謡曲の弱法師では一時的に視力が戻るシーンがあるが、それは錯覚だったと、さらに悲劇的に描かれる。 天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かいあっていると信じられていたので、落日を拝む(日想観)ことで極楽浄土に行けると信じられていた。

 

東海道五十三次絵巻 巻1 1巻 横山大観・下村観山・今村紫紅小杉未醒各筆 大正4年(1915)》

大正3年に再興された日本美術院展の運営資金調達のため、4人の同人が東海道を汽車を使わずに写生旅行をした。表具師を連れて、全9巻の画巻は、ほぼ旅行中に完成した。 

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資金調達のためとは言え、出来上がった絵の雰囲気からして、楽しい写生旅行だったのではと思った。

 

この日は風が強くて、歩道は落ち葉で埋まり、長く停めている車は一目瞭然でした。

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鶯谷を抜けて入谷へ行き、平日限定ミートローフ&ホットケーキ。

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アール・デコの花弁@東京都庭園美術館

この日は天気がよかったので、紅葉を見て回ることに。

まずは八芳園へ。お庭がきれいで混むだろうと思っていたら、予想に反して一番乗りでした。先負で午後からの結婚式が多かったのかもしれません。おかげで静かな朝食がゆっくり楽しめました。

奥久慈卵のふわふわオムレツとNipponのクロワッサン。

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庭園はだいぶん落葉していましたが、まだ池のまわりには赤いのが残っていて、水に映えてきれいでした。

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次に、1キロ程離れたところにある東京都庭園美術館へ。

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広場の陽の当るベンチに座ると、空は青いし景色はきれいだし朝ご飯の後だし暑いくらいに陽射しでぬくぬくになるしで、うつらうつら。最高の気分です。

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本気寝してしまいそうになったので、以前は白金迎賓館として使用されていた、旧朝香邸の建物を見物することに。

www.teien-art-museum.ne.jp

アール・デコ調の建築をぐるっと一巡りしました。正面玄関のモザイクの床や大広間に繋がるガラスレリーフの扉が素敵です。アンリ・ラパンの油絵が壁紙に使われていたりと、どこもかしこも凝ってて面白いのですが、各部屋が思いの他小さいのに驚きました。

 

クリスチャン・ボルタンスキーのアニミタス-さざめく亡霊たちも同時開催でした。

www.teien-art-museum.ne.jp

建物のいたるところに指向性が高いスピーカーが設置されていて、部屋に入ると急に耳のそばで話しかけられるような体験をします。聴覚過敏気味な夫はとても不快な様子でした。普段は私がノイズキャンセリングヘッドホンを持ち歩いているんですが、こんな日に限ってバッグに入っていないという。残念。

 

帰る途中、寺院巡り好きな夫の希望で泉岳寺へ。

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忠臣蔵は、あまり共感できなくて好きではありませんが、歌舞伎や浮世絵の題材として重要なので、聖地巡りのノリで見物。

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来週は討ち入りの日(12/14)で義士祭です。

速水御舟の全貌-日本画の破壊と創造-(後期)@山種美術館

根津美術館の後、山種美術館をはしごしました。

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速水御舟展の後期展示です。

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いくつか展示替えがあり、前期に展示されていたいくつかも配置が変わっていました。

 

以下、気になったものを示します。

14《京の舞妓 1920(大正9)年》

着物が描きたかったらしい。ちりめんの細かい文様、畳の目の一つひとつまで描写している。横山大観はこの作品を酷評し、院展からの除名を求めたといわれている。

確かに、こんなにも写実を求めて油彩的に描き込むなら日本画に拘る必要はなさそう。

 

15《菊花図 1921(大正10)年》

四曲一双の屏風に色とりどりの菊が描かれています。右隻には黄色の糸状の花弁の菊。金地に黄色なので花よりも濃い緑の葉に目が行きます。花は黒い輪郭線が用いられていて、細密に描かれています。

 

《蒔絵螺鈿櫛簪 1905-6(明治38-39)年頃》

特別出展で御舟がまだ画家の修行をする前に祖母のために作ったという蒔絵が出展されていた。

 

応挙の後に見ると、どうにもデッサンの狂いが目につきました。御舟の魅力はそこじゃないのはわかっているんですけどね。そして、改めて《名樹散椿》を見て、そうそうこれだよと、御舟の良さを認識しました。

 

帰り、塩っぱいものが食べたくなって焼きそば専門店へ寄り道。焼きそばに、牛すじと九条ねぎトッピング。

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体が温まりました。

丸山応挙-写生を超えて-(前期)@根津美術館

根津美術館の応挙展に行きました。

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円山応挙(1733〜95)は、「写生」にもとづく新しい画風によって、日本の絵画史に革命を起こした画家です。そんな応挙の「写生画」は、超絶的かつ多彩なテクニックによって支えられています。しかし近年、写生ないし写生画という言葉だけではとらえきれない応挙の多面性、作品世界のバックグラウンドが指摘されることも多くなっています。
 本展は、応挙の生涯を代表する作品の数々を、根津美術館の展示空間の中であらためて見つめ直そうとするものです。あわせて、さまざまな可能性を秘めた若き日の作品、絵画学習の痕跡を濃厚にとどめた作品、そして鑑賞性にも優れた写生図をご覧いただきます。「写生」を大切にしながらも、それを超えて応挙が目指したものは何だったのかを探ります。

 

紅葉シーズンだし、特別展が日曜美術館に取り上げられて、とても混雑していると聞いていたので開館10分前に着いてみたら、すでにこの行列。100人くらい並んでいたでしょうか。

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開いてみたら、入場はスムーズでした。

 

以下、応挙展前期展示で気になったものを以下に示します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

1《芭蕉童子図屏風 2曲1隻 紙本墨画淡彩 明和6年(1769)》

応挙が立体物の捉え方として石を例に「石見三面事 上一面、左右二面、合三面」と言ったそうだが、左画面にいる三人の子供の顔も様々な視点で描かれている実験的作品。対角線を意識した構図。芭蕉と童子のモチーフは、後の郭子儀図襖を連想する。

 

10《牡丹孔雀図 1幅 絹本着色 安永5年(1776)》

応挙の孔雀は翼の青と華やかな飾り羽が美しく、雌雄の首の立体感を際立たせるポーズが見事。美しい体から頭に視線を移すと、思いがけず顔が獰猛なのに驚く。

 

12《西施浣紗図 1幅 絹本着色 安永2年(1773)》

花の下を流れる川で洗濯をする越の美女、西施の絵。木から落ちる花びらに目を止める姿が美しい。豊かな髪に細めた目、細っそりした顎、首、肩。

美智子妃殿下のお姿に似ているような気がして、印象に残りました。

 

17《◎雨竹風竹図屏風 6曲1双 紙本墨画 安永5年(1776)》

雨も風も描かれていないが、右隻の竹は雨に打たれて葉を垂らして茎もしなり、左隻の竹は風に吹かれて葉が舞っている。屏風の折れ方に応じて遠近をたくみに書き分けた構図。

 

18《◎藤花図屏風 6曲1双 紙本金地着色 安永5年(1776)》

17の直後に描かれたと思われる作品。金地に二本の藤。支柱は省略されている。輪郭線を用いず、複雑な曲線をなす幹は一気に描かれている。垂れ下がる藤の花や葉は細やかで写実的な描写。

大胆さと繊細さ、構図の美しさがぬきんでていると感じられた。

 

20《◉雪松図屏風 6曲1双 絹本墨画淡彩 天明6年(1786)頃》

雪に輝く松を描いた応挙の代表作。紙の白さを生かして書き残しで雪に見立てて立体感を表した。

金地に光る雪の白さと松の幹の黒のコントラストに圧倒される。屏風から離れてみると雪の白さと細密な描写に目を細めるが、近寄ってみると松葉の他に描き込みがなく、思いの他、荒々しい筆遣いに驚く。大画面であるほどに、応挙には唸らされる。

 

23《木賊兎図 1幅 絹本着色 天明6年(1786)》

トクサと三匹の兎。世阿弥謡曲「木賊」からの連想で月を連想させる。繁殖力が旺盛なトクサと兎は、ともに子孫繁栄のモチーフ。

謡曲木賊は、父を尋ねたいという少年松若を連れた都の僧が、少年の故郷信濃へ下り、木賊を刈っていた老いた父を見つける話。

1と同じく三方向から描き分けた兎。その体毛細密に描かれている。

 

24《西王母龍虎図 3幅 絹本着色 天明6年(1786)》

12の西施と異なり、この西王母は顔が丸みを帯びて和人好み。虎は張子のように前足を突っ張って背中を大きく盛り上げている。実物大の毛皮を写生したのが残っているだけあって、毛並みの表現はさすが。

 

26《老松鸚哥図 1幅 絹本着色 天明7年(1787)》

松の老木に赤いインコが止まっている画。赤が目に残る。8倍の単眼鏡で見ると塗りつぶされているわけではなく、赤の中にびっしりと羽毛が描きこまれていた。

 

28《○龍門図 3幅 絹本着色 寛政5年(1793)》

鯉は、黄河中流の危所、龍門の急流を登りきると龍になる登竜門の言い伝えがあり、立身出世の象徴。水面の光の屈折までをも描く写実性が見事。中央の1幅だけが長く、垂直方向がより強調させられる。

 

35《杓子定規図 1幅 紙本着色 明和元−3年(1764−66)》

杓子定規とは、すべてのことを一つの標準や規則に当てはめて処置しようとする、融通のきかないやり方や態度のこと。女が先が丸い大きな杓文字を手に、反物を切ろうとしている。

 

42《花開蝶自来図 1幅 紙本墨書淡彩 寛政5年(1793)》

書、花開蝶自来(はなひらかばちょうおのずからきたる)の蝶の部分には文字がなく、三匹の紋白蝶が描かれている。

 

47《◎七難七福図 巻3巻 紙本着色 明和5年(1768)》

大乗仏教における経典のひとつ仁王経に記されている「七難即滅、七福即生」を描いたもので、「太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、干害、盗難」
が、ただちに消滅し「寿命・裕福・人望・清廉・愛敬・威光・大量」の七つの福が生まれるの意味。これを応挙は天災、人災、福の三巻で完成させた。

人災の中巻で盗賊、追剥の場面が執拗なほどに残虐に描かれていたのが印象に残りました。私が見ている時に、小学校に上がったかどうかくらいの子供が展示室に入って来て、こんなものを目にしては問題があるのではと、余計な心配をしました。

 

根津美術館はうちから行きやすい場所にあるにも関わらず、この展示が始まってもなかなか足が向きませんでした。というのも、円山応挙にさほど興味がなかったからです(ただ、郭子儀図襖は一度写真で見て強烈な印象を持っていましたが)。展示を見終わった今はその理由がよくわかります。現代美術を知っている私達には、この立体感が見慣れてしまっているんですよね。気づきませんでした、教科書的で面白みにかけると思っていた応挙の画が、実は応挙の生きた時代において画期的なことだったということに。実際に見ると、応挙が切り開いた立体感がリアルに感じられる日本画はすばらしいものでした。

 

特別展を一巡りしたら、混雑する前に nezu cafeでミートパイ。

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11時過ぎると、ずらりと行列ができていました。カフェのご利用はお早めに。

 

お庭では紅葉が楽しめました。

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お池に映る紅葉に見とれます。

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しかし、見ごろは先週だったようで、紅葉が過ぎて黒ずんでいるところが目立ちました。来年は11月中旬に来ようと思います。

 

この後、青山のsousouでお買い物。

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ここ来ると、どれもこれも欲しくなっちゃうのよねえ。危ない、危ない。