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日本美術@東京国立博物館 本館

先日、泉岳寺に行って忠臣蔵を少しお勉強したので、浮世絵の忠臣蔵を見にトーハクへ。やや風があるものの気温が上がり、中庭のベンチにいると根が張りそうになりました。

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いつまでも中庭にいても始まらないので、いつものように本館二階へ。

 

以下、気になったものを示します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 2室 国宝室

《◉寛平御時后宮歌合(十巻本歌合) 1巻 伝宗尊親王平安時代・11世紀》

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寛平御時后宮歌合は、平安時代に班子女王が催した歌合(歌人が左右に分かれて同じ題の和歌を詠み、その優劣を競い合う催し)を書いたもの。洗練された仮名で書写されていることから、書の手本として用いられている。

写真は恋歌二十番の一部(戀十七番~戀十九番)。左端に、左歌の紀貫之が「もえもあはぬ こなたかなたの おもひかな なみたのかはの なかにゆけはか(燃えも合はぬ こなたかなたの 思ひかな 涙の川の 中にゆけばか)」と詠い、右歌「ひとしれす したになかるる なみたかは せきととめなむ かけはみゆると(人知れず 下に流るる 涙川 堰とどめなむ 影は見ゆると)」と応えている。

本館3室 宮廷の美術―平安~室町

《◎東北院職人歌合絵巻 1巻 鎌倉時代・14世紀》

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東北院の念仏会に参集した職人たちが、貴族にならって歌合をしたという設定の歌合絵。経師(表具屋)を判者に、左に医師、鍛冶、刀磨、巫女、海人、右に陰陽師、番匠、鋳物師、博打、賈人と10人の職人が左右に分かれて歌を競う。

写真は巫女と博打打ちの歌合。左歌の博打打ち「我こひは かたおくれなる すごろくの われても人に あはんとぞおもふ」と詠むのは、崇徳院の「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」を踏まえたもの。それに右歌の老いた巫女が「君とわれ 口をよせてぞ ねまほしき 鼓もはらも うちたたきつつ」と応じる。

写真を撮る手が笑いで震えて、何度も撮り直してしまいました。こういうのがあるから、日本美術は止められない。

本館10室 浮世絵と衣装―江戸

赤穂義士の討ち入りは、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を通して江戸の人々の良く知るところであり、年末の風物詩ともなっていました。『忠臣蔵』の興行は常に成功を収めたといわれ、今も年末にはよく興行されます。
本年最後にあたる今回の浮世絵の展示は、版画では、葛飾北斎の「仮名手本忠臣蔵」シリーズ十一段を中心に、『仮名手本忠臣蔵』見立てなどの作品を加え、また、肉筆画では、近世初期風俗画の屏風と笑いを誘う作品で構成しています。

仮名手本とは、登場人物をいろは四十七文字になぞらえたもので、仮名手本忠臣蔵は全十一段の構成の義太夫浄瑠璃で、吉良上野介高師直(こうのもろなお)、浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)、大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)など役名を南北朝時代を描いた「太平記」になぞらえて脚色している。

<あらすじ※>

 将軍足利尊氏の弟直義が鎌倉へ下り、饗応役には桃井若狭之助と塩冶判官高貞が任じられてた(大序)。若狭之助は執事高師直の非礼に憤り、斬ろうと決意。打明けられた家老加古川本蔵は、師直に賄を送り事無きを得る(二段目)。一方塩冶判官は、妻顔世御前が邪恋を拒絶したことを恨んだ師直に殿中で侮辱され、斬りつける(三段目)。その場にいた本蔵に抱留められて本望を果たせず、無念の思いのまま切腹。国許から駆けつけた大星由良之助は、他の諸士たちと敵討を誓う(四段目)。塩冶の家臣早野勘平は、主君の一大事に腰元お軽と忍び逢っており、不忠を恥じてお軽の里、山崎の親里に猟師となって身を寄せている。お軽は敵討の一味に加えてもらうため、勘平に隠して祇園町に百両で身売りする。父与一兵衛は身代の半金を持帰える途中、塩冶浪人斧定九郎に殺される。勘平は、定九郎を猪と誤って撃ち、半金を由良之助に届け一味連判に加わることを願う(五段目)。自宅に帰った勘平は親殺しの疑いを受け、切腹して果てるが、疑いは晴れ、連判に加わる(六段目)。由良之助は祇園で敵の目を欺くため、遊蕩三昧に過しているが、顔世からの密書をお軽といまは師直側についた斧九太夫に盗み見られる(七段目)。お軽の兄、平右衛門が敵討への同行の許可をもらうため、お軽を殺そうとするところ由良之助は止め、お軽の手をとり九太夫を刺し、一味に加わることを許す(八段目)。由良之助の子力弥と本蔵の娘小浪は許嫁であったが、本蔵が判官の志を止めたことで破談になるところ、本蔵が力弥の槍でわざと突かれて殺され、聟引出として師直の屋敷の図面を渡し、嫁入りを果させ(九段目)、由良之助と諸士は敵討の本望を達する(十一段目)。

※参考:仮名手本忠臣蔵 - ArtWiki

《假名手本忠臣蔵・五段目 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》

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山崎街道の二つ玉の段。老人与一兵衛が、娘で勘平の妻お軽の身代の半金を持ち帰る途中、蛇の目傘をさした盗賊の斧定九郎に殺される場面。斧定九郎はこの後、偶然、猪を狙って撃った勘平の銃弾に倒れる。

 

《假名手本忠臣蔵・七段目 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》

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由良之助が斧九太夫の髷をつかむ。それを横で見るお軽。廊下にいるのは、お軽の兄で平右衛門。部屋の奥にから駆けつけてくるのは、由良之助を慕う塩冶浪士たち。

祇園一力茶屋の段。由良之助は祇園で敵の目を欺くため、遊蕩三昧に過していたが、顔世からの密書をお軽と敵側に寝返った斧九太夫に盗み見られる。お軽は兄、平右衛門に密書の内容を話すと、平右衛門は秘密を知ってしまったお軽を切り殺そうとするが、兄から父と夫の死を知ったお軽は自害を決意する。それを見た由良之助は、平右衛門の決意を認め、敵討ちの仲間にする。由良之助が、お軽の刀を畳に突き刺すと、床から斧九太夫が出てきたという場面。

 

《假名手本忠臣蔵・十一段目 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》

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言わずと知れた、討ち入りの場面。酒宴で大騒ぎした師直は酔いつぶれて雑魚寝している。その隙に矢間重太郎と千崎弥五郎が館の塀に梯子を掛けて屋敷に侵入する。

 

忠臣蔵七段目 1枚 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀》

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二階の座敷にいるのがお軽、密書をよむ由良介、床下で密書を盗み見する敵側の家老九太夫が描かれている。

柱絵と呼ばれ、庶民が床の間の代わりに柱に飾る縦長の絵。

 

忠臣蔵七段目 1枚 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀》

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これも柱絵。お軽、文をよむ由良介、盗み見する九太夫を主題にして美人美男を描いたもの。

 

《見立忠臣蔵七段目 1枚 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀》

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二階のお軽、文をよむ由良介、盗み見する九太夫を主題にして、寛政の茶屋の美人、高島屋おひさ(お軽)、難波屋おきた(由良介)を描いたもの。

九太夫役は不明。次回、着物の紋を確認したい。

 

忠臣蔵・七段目 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》

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由良介が梯子を取り出して、二階にいたお軽をふざけながら下ろす場面を描いたもの。

 

《高名美人見たて忠臣蔵・十一だんめ 2枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》

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高名美人見たて忠臣蔵12枚揃のうち、3連続の絵の2枚。忠臣蔵の十一段討ち入りの場面を、当代の有名な美人で見立てている。義士たちに囲まれ捕えられる師直の場面を、一人の男が遊女に取り囲まれる様子で表した。師直役の胸に歌麿の文字。柱に「応求哥麿自艶顔移(求めに応じて歌麿が自分を色男に描いた)」とある。大きく描かれた6人は、当時の有名な美人なのだろう。

 

忠臣蔵・十一段目 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》

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ここまでくると、もう何のシーンだか。美人描いただけにしか見えない。もしや、捕らえたってことですか?

 

忠臣蔵やつし十一段目夜打の圖 1枚 歌川豊国筆 江戸時代・19世紀》

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仮名手本忠臣蔵では、師直の館を襲った後、由良助を始めとする一向が判官の墓所のある光明寺に向かう途中、花水橋で騎乗の桃井若狭之助に出会う。そして、若狭之助が一同を労う。その場面を橋の上の美人と抱かれた赤ん坊として描いている。

 

《由良之助一力にて遊興の図 2枚 窪俊満筆 江戸時代・19世紀》

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七段目、祇園一力茶屋の場面で三枚連続のうち二枚。間にもう一枚ある。遊蕩三昧の由良之助が描かれている。

 

武家煤払の図 5枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・19世紀》

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年末の武家屋敷の大掃除の様子を描いて、仮名手本忠臣蔵に見立てたもの。右から二枚が松の廊下での刃傷場面(三段目)、三枚目は畳を積み上げて天川屋義平が長持ちに座り込む場面(十段目)、左側で女二人に胴上げされているのが祇園一力茶屋の場面(七段目)、左端の鼠退治が討ち入り場面(十一段目)。

 

以上、忠臣蔵シリーズでした。

 

《達磨と遊女図 1幅 勝川春好筆 江戸時代・享和3年(1803)》

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先日の禅展でたくさん達磨をみましたが、こんな屈辱的な顔をした達磨図は初めてです。遊女が達磨の頭を払子で撫でています。

女達磨とも呼ばれる達磨と遊女の組み合わせは、英一蝶に創まるらしい。「何九年苦界十年花衣」として、面壁九年の達磨を、奉公明けまで十年間客相手をして耐え忍ぶ遊女がからかっている。

本館18室 近代の美術

《◎弱法師(よろぼし) 6曲1双 下村観山筆 大正4年(1915)》

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第2回再興院展の出品作。謡曲「弱法師」に取材したもので、父を求めて摂津の天王寺にさまよう俊徳丸が日輪を拝している場面。

元の俊徳丸の話では観音菩薩に祈願して俊徳丸の病は癒えるが、謡曲の弱法師では一時的に視力が戻るシーンがあるが、それは錯覚だったと、さらに悲劇的に描かれる。 天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かいあっていると信じられていたので、落日を拝む(日想観)ことで極楽浄土に行けると信じられていた。

 

東海道五十三次絵巻 巻1 1巻 横山大観・下村観山・今村紫紅小杉未醒各筆 大正4年(1915)》

大正3年に再興された日本美術院展の運営資金調達のため、4人の同人が東海道を汽車を使わずに写生旅行をした。表具師を連れて、全9巻の画巻は、ほぼ旅行中に完成した。 

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資金調達のためとは言え、出来上がった絵の雰囲気からして、楽しい写生旅行だったのではと思った。

 

この日は風が強くて、歩道は落ち葉で埋まり、長く停めている車は一目瞭然でした。

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鶯谷を抜けて入谷へ行き、平日限定ミートローフ&ホットケーキ。

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