特別公開「高御座と御帳台」@東京国立博物館 本館
12月23日、平日の月曜日なのにトーハクに行きました。
東京国立博物館は月曜日が休館日です。この日も休館なのですが、特別公開「高御座と御帳台」だけは一般開放されていたのです。しかも無料!太っ腹!
待ち時間
公開初日は前日の日曜日で大変な行列だったのを知っていたので、並ぶ覚悟はしていましたが、待ち時間の表示は30分でした。
本館の東側(本館玄関に向かって右側)に沿って4人づつ並ばされた行列ができていました。途中は陽射しが当たるそれほど寒くありませんでした。
本展示は本館の特別4室と5室が使われています。本館の大階段の右脇が入口です。
本館玄関を入ってすぐに設けられたレーンに従って進みます。手荷物を体の横か後ろに回すように指示がありました。この先にセキュリティチェックが設けれていますが、荷物ごと通れる仕組みなので、スムーズです。
平日の月曜日狙いは正解でした。上野の他の博物館が軒並み休館ですから。この日に限っては、11時半に並び始めて展示室に入るまで20分弱ですみました。
この日は閉館日だったので不要でしたが、開館日は正門に特別な入口が設けられていて(70才以上かどうかで区別あり)、特別観覧パスを首から下げて入館するようになっています。
パンフレット
第一展示室入口で無料のパンフレットが配布されていました。
え?これが無料?と思ったくらい豪華なものです。基本的に展示室にあるパネルは全てこちらに載っていました。
衣装の説明も細かいところまで解説があります。
パンフレットの裏表紙はトーハク所蔵の《御即位図 江戸時代・18世紀》です。
当初、絵図と録画していた即位礼正殿の儀の様子を見比べる気満々だったのですが、なにせ即位礼当日はひどい雨だったので威儀の者や威儀物奉持者らが立ち並ぶ姿は見られませんでした。ちなみに、明治天皇の即位の際も雨儀だったが、残されている即位礼図は全て晴儀で描かれています。
高御座とは
高御座(たかみくら)は最高位の御座つまり玉座で、天皇や即位を象徴する調度品。
高御座の成立は藤原京の時代にまで遡れるという。しかし、天皇が即位の儀式等で高御座に登ったことが明確にされるのは平安時代に入ってからである。『延喜式 卷第十七 內匠寮』の正月の準備を記した部分に高御座についての説明書きがある。
裝飾大極殿高御座。(蓋作八角。角別上立小鳳像。下懸以玉幡每面懸鏡三面。當頂著大鏡一面。蓋上立大鳳像。惣鳳像九隻。鏡廿五面。幔台一十二基。立高御座東西各四間。)
明確に屋根が八角であることが記されている。万葉人が「吾大君」の枕詞にした「八隅知し(やすみしし:国の隅々までお治めになる)」にふさわしい形だと言える。
八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傳来 自雪仕物 往来乍 益乃常世
(読み下し)やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 敷きいます 大殿の上に ひさかたの 天伝ひ来る 雪じもの 行き通ひつつ いや常世まで
高御座は現在即位礼正殿の儀に使われるのみだが、明治初期までは大礼の際ごとに使われていた。
聖徳記念絵画館には明治天皇の生涯を描いた絵が展示されている。御帳台が描かれているものに、4 践祚、8 御元服、11 各国公使召見、15 即位礼、20 廃藩置県がある。明治4年に「服制更改の勅諭」を下され、公に洋装されるようになってからは御帳台は殆ど使われなくなった様子が伺える。
なお、孝明天皇の即位礼に使われた高御座が嘉永の大火で焼失したため、明治天皇は御帳台を代用した。明治天皇の即位は東北地方での戦闘の最中で、経済的な制約から調度類の新調を最小限にしたものと思われる。御帳台は、天井が明障子、四方に白絹が垂らされた立方体で、入口に狛犬が置かれていた。
《戊辰御即位雑記付図高御座幣旗等図 浮田可成 国立公文書館》
以前、明治神宮文化館で縮小復元されたものを観ました。
第一展示室(特別5室)
最初の展示室には高御座と御帳台があります。10月22日に行われた即位礼正殿の儀に使われたものです。
元々は大正天皇御即位に際して作られたもので、今回の即位礼に備えて漆の塗り直しや金具の修復が行われました。平時は京都御所の紫宸殿に置かれていて、今回即位礼のために皇居宮殿に陸輸されました。
展示室の中央をぐるりとアクリルで仕切り、その中に高御座(手前)、御帳台(奥)が置かれていました。
裏に回って、手前が御帳台、奥が高御座。
高御座とは関係ありませんが、二階の回廊に天井まで届きそうな程に大きな箱があるのに気が付きました。
特別5室は大階段の裏にあります。これはもしや本館大階段踊り場の展示スペースかも。
普段は固く閉ざされていますが、お正月には大きな生花が飾られます。
高御座
即位礼正殿の儀で天皇陛下がお使いになったもの。
高さ約6.5メートル、重さ約8トン。釘を使わずに木の閂で接合する仕組みで作られている。今回の運搬の際には約3000パーツに解体したという。朱塗りの高欄をめぐらせた、階段付き黒漆塗りの浜床を土台にして、八角形の床板と8本の円柱が黒塗りの屋根蓋を支えている。屋根には鳳凰、鏡、蕨手からは玉旗が垂れ下がる。側面は帽額(もこう)と御帳で覆われる。床は錦で覆われ、畳を敷いた上に朱塗の椅子と黒塗の台が置かれている。
蓋(きぬがさ)の頂上、露盤に立つ大鳳は瑤珞(ようらく)を嘴にくわえている。
破風には瑞雲の彫刻、大小の鏡、白玉を嵌入した金彫鏤八花唐草形
蕨手の上に立つ小鳳も瑤珞をくわえている。
黒漆の八隅の柱に仕切られ、青瑣の欄間、玉旗、帽額が輝く。
御椅子(ごいし)は直方形杢目蝋色螺鈿入、肱掛勾欄形。
御椅子の両脇に螺鈿の剣璽案2脚、黒漆蝋色塗。東に御剣、西に御玉を置く。
御椅子の座面と茵(しとね)は揃って繧繝縁。
即位礼正殿の儀の録画を確認すると、畳敷なので当然のようにお足元は足袋でした。
ご退席の場面では赤い靴の沓をお履きになられていました。
高御座の階段前で靴の沓を脱がれているのでしょう。室内と外の境が明確なところが、まさに和風です。
浜床は檜材で黒漆塗り。
浜床の四面には格狭間(こうざま)があり、極彩色で猪目形の中に鳳凰と麒麟が描かれている。
御帳台
御帳台は平安時代に貴人の座所や寝所として屋内に置かれた調度品のこと。高御座に準じた玉座としても使われることがある。皇后用の玉座でもある。
即位礼正殿の儀で皇后陛下がお使いになったもの。
高御座よりも一回り小さいものの、材料も装飾も高御座と同程度立派なものが使われるが、幾分控えめに作られている。屋根蓋の上には霊鳥の鸞(らん)が置かれている。
御椅子は高御座と同じく直方形杢目蝋色螺鈿入、肱掛勾欄形。
見比べても、装飾は同等に見えました。大きさが異なるかもしれません。
露盤に立つ鸞(らん)は、高御座の鳳凰と同じく嘴に瑤珞をくわえている。
御帳
深紫の綾地紋葵で、裏は緋の帛(厚手の絹)。
第二展示室
即位礼の従者の装束が展示されていました。
威儀の者
束帯(武官)
威儀物捧持者
束帯(左:武官、右:文官)
巻纓冠の纓が気になって拡大したもの。
元々は目の荒い織物を漆で固めて作ったらしいが、今のものはプラスチック素材で作られていそうな気がして。ちなみに、こめかみから出ている飾りは緌(おいかけ)で、馬の毛で作られる。
文官と女官
文官は輪無唐草の束帯黒袍、女官は五衣唐衣裳(十二単)。
すぐ側から「すごい!天皇と皇后様の着物まであるよ!」と歓喜の声が聞こえましたが、全く違います。
背中側からも。
文官の背中に石帯が見えるので、着付けは高倉流です。
とんぼの綴じ糸がX字になっている。
袖の皺は二つ作られていて、山科流の形。
女官の長袴は朱の唐花菱、単は五弁唐花、橙の上着には唐花草。
緑の唐衣には細かな唐花菱地に浮線綾の唐花丸です。
見事なほど、唐花で揃えてあります。
裳は白の三重襷地文に海賦模様(波と藻と貝)が入っている。
引腰には五色の糸で飾られ、五瓜に唐花模様と松枝の刺繍が施されている。
威儀物
威儀物とは即位の礼で奉持する武具のことで、儀式の威厳を整えるために使われる。中庭に、それぞれ8名の奉持者が左右2列に並んで持つ。
右手前から鼓、鉾、弓、胡簶、盾、太刀。
左手前から鉦、鉾、弓、胡簶、盾、太刀。