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待乳山聖天

三囲神社から言問橋を渡って対岸の浅草へやってきました。浮世絵でよく描かれている待乳山聖天です。

《東都名所・真乳山雪晴 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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こちらも大旱魃の時に大聖歓喜天の姿で十一面観音菩薩が現されて民をお救いになったという話が残っていますので、東京に少しばかりの涼しさを願って夕立祈願します。
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江戸名所図会 7巻 松濤軒斎藤長秋 著 天保5-7(1834-1836)』の17には真土山聖天宮として描かれています。
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震災や戦災で本堂などが焼失し、ほとんどの建物が昭和に入って再建されたものです。
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お花と大根を奉っている人がいるのに気が付いてまわりを見渡したところ、境内のいたるところに大根と巾着モチーフがありました。上の写真では階段脇の塀に大根と巾着が描かれています。大根は健康、良縁、一家和合を、巾着は商売繁盛を表すのだそうです。

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この日は出世観音供養会が行われており、猛烈な暑さにも関わらず、境内は賑わっていました。

江戸時代から残る築地塀がありました。
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上で示した『江戸名所図会』でも確認することができます。

 

待乳山聖天を出て待乳山聖天公園を抜け、今戸橋があった場所に向かいます。
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山谷堀が埋め立てられ、現在は山谷堀公園として整備されています。江戸時代は新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口まで遊客を乗せて行き来していたそうです。そのため、吉原通いを「山谷通い」とも言いました。ちなみに、日本堤は山谷堀の南に沿ってありました。

江戸名所図会 7巻 松濤軒斎藤長秋 著 天保5-7(1834-1836)』の17に今戸橋周辺の様子が描かれています。
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今戸橋の跡が山谷堀公園の入り口に残されていました。
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江戸時代によく描かれている土地を歩くと、あちらこちらで浮世絵で知った地名を見つけて楽しいです。