常温常湿希望

温度20℃湿度50%が理想です。

江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園に行きました。
SNSで見かけて前々から気になっていましたが、我が家からは気軽に行ける距離ではなく、行く機会に恵まれませんでした。しかし、たまたま用事ができたので、これはチャンスとばかりに短い時間ではありましたが寄り道してきました。

www.tatemonoen.jp

入り口となるビジターセンターは、銅版葺きで穏やかな軒反りのある和風建築物です。
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1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿を移設したものだとか(今年は皇紀2678年なんですね)。

《午砲》
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午砲
1871年(明治4)9月9日から、皇居内旧本丸で、この大砲により正午を知らせる空砲が発射された。〈午砲〉による正午の通報は、今の東京都区部の大部分に聞こえ、その音から〈ドン〉と呼ばれて人々に親しまれた。江戸時代には、江戸市中に時刻を知らせるため〈時の鐘〉を鳴らしたが、明治時代からこの午砲となり、1929年(昭和4)5月1日にサイレンにかわり、1938年(昭和13)9月まで続いた。
年代:明治時代
旧所在地:千代田区(皇居内本丸跡)

ボンネットバス
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レトロな佇まいで、てっきり昭和初期あたりの印象を受けましたが、ボディが1968年製、シャーシが1979年製で、そんなでもありませんでした。

 

《三井八郎右衛門邸》
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日本の近代史に三井財閥として名を残した三井同族十一家の惣領家(北家)、三井八郎右衛門高公氏の第二次世界大戦後の住宅である。今井町(現、港区)にあった邸宅が戦災で焼けたため、財閥解体を経た1952年(昭和27)に麻布笄町(現、港区西麻布)に本邸を建築して、移り住んだ。

庭から見た主屋。
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左の白い建物が土倉です。

1階は南側に客間、食堂などの居住空間、北側に事務室・厨房・配膳室などがあり、2階は南側に夫婦の寝室、北側に浴室・仏間などが配されている。

西麻布本邸は京都、大磯、用賀、今井町にあった三井家に関連する施設から建築部材、石材、庶物などが集められて建築が行われている。邸内からは財閥が繁栄していた頃の男爵三井家の威勢を伺うことができる。

本邸の西側には土蔵が移築されている。この土蔵には1874年(明治7)の建築を示す墨書がある。伝承では駿河町三井越後屋の絹蔵であったという。西麻布邸移築前は今井町にあり、戦災にあわず焼け残っていた。なお部材の痕跡から1950年(昭和25)に移築を含め3度の改造が確認されているとか。

玄関は明治に作られた旧油小路邸(京都)の部材が使われています。
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扉に瓜輪紋。
ライトはルネ・ラリックの型押しガラス工芸品。
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影になってわかりづらいのですが、玄関を上がってすぐの広間の壁に、ろうけつ染の版木らしきものがはめ込まれていました。
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ふと見上げると、釘隠しに七宝が使われていたりします。
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玄関から広間のたった5歩程度の間でも見所が多く、いちいち写真を撮っていたら、いつまで経っても先に進めないと思いました。この日は大して時間もなかったので、大いに見逃しながら先に進むことに。

客間。
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食堂。
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1階の書院の二間は、1897年(明治30)に建てられた京都油小路三井邸の奥書院の部材を使用。奥書院は田字形に配置された八畳四部屋の書院で「四季之間」ともいわれた。油小路邸には高棟も設計に関わり、窓や欄間には桂離宮の意匠を取り入れてた。高公氏は油小路邸の一部を移築する際に、高棟の意匠も移すべく努力したため、油小路邸を飾っていた櫛型窓や四季を題材とした襖、月の字崩しの欄間などを現在の邸内に見ることができる。

格子天井には草木画。
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客間と食堂の二間を区切る、月の字崩しの欄間。
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本間に沿った広縁。奥に櫛型窓があります。天井は格天井。
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邸内の襖・障子・戸に描かれた絵画の多くは、明治期の四条円山派の画家による。これらの多くは京都油小路邸建築に際して描かれたもので、森寛斎や国井応陽、応祥の画家の名前をみることができます。

玄関脇の和室、望海床。
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もとは大磯の城山荘にあり、1964年(昭和39)に西麻生邸へ移されたもの。城山荘にあった当時は高棟の画室で、床にはオンドル式の暖房が設備されていたという。移築後、一時的に立礼式の茶室として使用された後、庭園にあった茶室前後軒の待合に使用されていた。

厨房と配膳室。
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ここだけ、やけに西洋風でした。

厨房前の廊下。右の襖を開けると食堂です。
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こんなにモダンな柄の襖は他で見たことがありません。

階段を上がって2階には、三井高公夫妻の寝室と仏間があります。寝室前の襖は、三井家らしく鶏でした。
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この日は、二つの寝室が両方共畳の張替えをしていたので、立入禁止でした。

仏間。
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仏壇に向かって左側に初代三井高利夫妻の画像が懸かっているほか、幕末・明治維新期の当主三井高福氏作の剪綵(色糸や絹布などで作った細工物)による龍の天井画や高公氏の父親三井高棟氏作の鳳凰の襖絵がある。先祖の霊を弔うにふさわしく三井氏歴代を感じさせる部屋となっている。

天井画は、剪綵の龍。
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仏間の前の廊下は、二重折上格天井に豪華なシャンデリア。
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このシャンデリアは、元は大磯の別荘城山荘にあったものだそうです。

邸内には、いたるところに鳥が描かれています。
これは、二階仏間前の廊下にある杉戸に描かれた小千鳥。
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森雄山の銘がある。

一階広間の小鳥たち。
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一階廊下には鴨。
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こちらは孔雀。f:id:Melonpankuma:20180222153035j:plain
この他にも、様々なところで鳥モチーフを見ることができます。

本邸の後に3階建ての土蔵も回り、足先の感覚がなくなるほどに冷えてからこちらを出ました。

あまりに寒かったので、他の建物を回る気力が失せました。しかし、せっかく遠出しているのだから、もう一つくらいは見たいと思って、高橋是清邸へ向かいました。この日は小学生の郊外授業もあって、集団と鉢合わせしないよう、タイミングをずらすのが大変だったりもしたのですが、なんとか。

 

高橋是清邸》
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経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分である。是清は、赤坂の 丹波篠山藩青山家の中屋敷跡約6,600平方メートルを購入し、1902年(明治35)に屋敷を建てた。総栂普請(そうつがぶしん)の主屋は、複雑な屋根構成をもっており、また当時としては高価な硝子障子を、縁回りに大量に使用している。赤坂にあったころは、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だった。

赤坂にあった政治家の高橋是清邸の主屋部分を移築したもので、是清は本所押上から赤坂へと移り住み、1902年(明治35)にこの家が完成してから、1936年(昭和11)の2・26事件で暗殺されるまでの30年あまりをこの家で過ごしたそうです。

一階の南、それぞれ十畳の二間に反った日当たりのよい縁側。
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当時のままの、手吹円筒法で作られた手延の板ガラスが使われています。

二階の南、是清が暗殺された寝室に沿った縁側です。f:id:Melonpankuma:20180220162416j:plain

二階の奥にある15畳の間。
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 硝子障子の模様がとてもきれいでした。f:id:Melonpankuma:20180220162417j:plain
ここはガラスが多くて陽当たりがよかったこともあって、三井家よりは冷えずにすみました。

2月に入り、園内の梅もちらほら咲き始めていました。
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この辺ならウメノキゴケが見つかるかと思って少し回ってみたのですが、私でも同定できそうなほど明らかなものは見当りませんでした。

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もっと時間があれば小金井公園の梅林まで足を運んだのですが、残念。

ビジターセンターに戻って、展示室へ。
武蔵野の歴史と民俗展を開催していました。
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武蔵野の考古資料として土器やアクセサリーの展示、その他に、民俗資料の展示がありました。
《絵馬》
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《小絵馬「八つ目」》は、病眼(やむめ)と読んで眼病治癒を祈ったもの。他に、縁切りだとか酒断ちだとか、切な願いが並んでいました。

《郷土玩具》
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《江戸姉様》《今戸土人形》《犬張子》が並んでいます。この他に、《すすきみみずく》や《弾き猿》などもありました。

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下段中央にあるのは、《王子稲荷暫狐(紙からくり)》です。馬の博物館で見た、北斎の《馬尽 初午詣》に描かれていました。実物が見られてうれしい。

melonpankuma.hatenablog.com

残念ながら、ここでタイムアップ。大急ぎでバス停まで走りました。


それにしても、ここは一日過ごせそうな場所でした。工事中で入れないところもたくさんありましたし、見足りない気持ちでいっぱいです。またチャンスがあれば積極的に足を運びたいと思います。

清澄庭園

この日は昼からジョギングがてら、清澄白河散策にでかけました。

途中、隅田川テラスの古いレンガを使った護岸が気になりました。
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この辺に煉瓦工場でもあったのかと思いきや、どうやら、明治期に明石町一帯にあった外国人居留地をイメージしてレンガ風に修景されたようです。一体どこから運んできたレンガなのでしょう。

せっせと走って、清澄庭園到着。
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清澄庭園は、三菱財閥創始者岩崎彌太郎明治11年(1878)に荒廃していた大名の下屋敷や豪族の館跡の土地約3万坪を買い上げ、大規模な造園工事を開始し、弟・彌之助、長男・久彌へと岩崎家3代によって明治24年(1891)に「廻遊式林泉庭園」が完成されました。当時は「深川親睦園」といわれ、三菱社員の慰安や内外賓客を招き接待する場として用いられていました。

清澄公園は東京都の指定名勝に指定されています。午前9時から午後5時まで開園していて、入場料は、一般が150円です。

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庭園に入ってすぐ、水鉢と庭石がありました。
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清澄庭園では、伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石など、多くの名石が見られ、さながら石庭の観。岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものなんだそうです。

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手前は磯渡りに続く石橋。松島、輪島、中の島の三つの島を配し、敷地の半分を占める広い池が広がります。昔は隅田川から水を引いていたそうですが、現在は雨水でまかなわれているそうです。

入り口から池を挟んで対面に涼亭があります。
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池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物は、明治42年国賓として来日した、英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたもの。

玄関の磨りガラスがかわいらしい。f:id:Melonpankuma:20180215174259j:plain

池を離れたところにある広場に、松尾芭蕉を偲ぶ石碑がありました。
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芭蕉の最も有名な句、「有名な古池や かはづ飛び込む 水の音」が刻まれていました。深川に芭蕉の庵があり、そこから「奥の細道」につながる旅がはじまったのを記念して建てられたものなんだとか。

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見事な紀州青石。この他にも、伊豆磯石や秩父青石など見かけました。石の種類はさっぱりわかりませんが、徽宗花石綱を思い出し、その世界は、きっと底の見えない沼に違いないと思いました。

大正記念館前の芝生。
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ソテツかなにかでしょうか。霜よけで頑丈に守られていました。

 

この後、深川資料館通り商店街を散策し、清澄白河名物の深川めしを持ち帰り。
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お店が言い張るには、これで一人前らしいです。

国宝 雪松図と花鳥 ―美術館でバードウォッチング―@三井記念美術館

正月の目出度い気分をまだまだ味わいたくて、三井記念美術館へ。f:id:Melonpankuma:20180107225314j:plain

只今、国宝 雪松図と花鳥 ―美術館でバードウォッチング―(キャッシュ)を開催しています。
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正月の恒例となっています国宝 雪松図屏風の展示に合わせ、今回は館蔵品のなかから花鳥をテーマに作品をセレクトいたしました。なかでも、鳥が描かれた絵画や、鳥をかたどったり、鳥にあやかった名称の工芸品などに焦点を合わせております。花鳥画の鑑賞とともに、美術館でバードウォッチングも楽しめます。

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日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

1月5日、初もうでイベントが終わり、すっかり平常に戻った東博です。
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新しく展示替えされたところを中心に回りました。

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湯島聖堂

夫から伊東忠太の建物が見たいというリクエストがあって、湯島聖堂に行きました。

www.seido.or.jp

秋葉原駅から御茶ノ水駅に向かって外堀通りを上ります。
f:id:Melonpankuma:20180107225318j:plain画面中央、小さく信号機のある交差点から右に延びる坂道を登れば湯島の天神さんで、浮世絵でよく見る昌平坂です。


歌川国芳が《名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川》や《東都富士見三十六景 昌平坂乃遠景》で描いています。この写真で、時速40キロ制限の道路標識の向こうに見える白壁が、浮世絵にも描かれている湯島聖堂築地塀。現在、神田川湯島聖堂に挟まれる坂を相生坂と呼んでいます。ビルが道路両脇に建って見通しが悪いので、浮世絵どおりの風景を見られないのが残念です。

 

湯島聖堂の敷地に入ってすぐにある建物は、《斯文会館》です。
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屋根に翼を持った鬼がいます。
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ひと目見て、妖怪好きの伊東忠太の設計だとわかります。

湯島聖堂関東大震災で焼失したので、入徳門以外は、伊東忠太の設計、大林組の施工で昭和10年に再建したものだそうです。孔子を祀った儒教の廟なので、中国風の建築になっています。

屋根瓦の鯱は、大口を開けて棟を咥えていました。
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大棟の鯱だけ他とは違う形をしているようなので、拡大してみたところ、
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鳩が止まっているだけでした。

《仰高門》
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湯島聖堂へ向かう最初の門で、その名前は、孔子の『論語』子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅(顔淵、喟然として嘆じ曰わく、これを仰げばいよいよ高く、これを切ればいよいよ堅し)」による。

孔子銅像や槐樹の前を通り、次にくぐるのは《入徳門》です。
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関東大震災で焼失を免れた聖堂内で唯一の木造建築物で、宝永元年(1704)の建造。入徳とは、朱熹の『大学章句序』にある「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也(子程子曰く、大学は孔氏の遺書にして、初学徳に入るの門なり)」による。『大学』というのは、儒教の経典である四書のひとつです。

黒漆塗りの彫刻は霊獣の獏です。
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仰高門をくぐり、水屋のある広場から階段を上がった先に、杏檀門が見えます。
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《杏檀門》
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杏壇は、中国山東省曲阜にある孔子廟に習って命名されたものです。曲阜の孔子廟の杏檀門は、同じく大成殿の前にあり、杏の木の下で孔子が講学を行った場所とされています。

《大成殿》
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大成とは、孔子廟の正殿のこと。『孟子』万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也(孔子は聖の時なる者なり、これを集めて大成すと謂ふ。集めて大成すとは、金声して玉之を振するなり」による。

屋根の流れ棟の先には、鬼顔の虎。
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不気味な雰囲気が漂います。

 大棟の先端の鯱は、高く潮を吹いています。
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こちらも、相当に厳めしい鯱です。

大成殿の中には、中央に孔子像、その左右に孟子顔子、曽子、子思の四賢人祀られています。
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孔子像の前に並べられているのは、釈奠器(せきてんんき)。釈奠とは、古代中国の学校において、食物や酒をささげて孔子やその弟子たちを祭った行事のことだそうです。

震災で焼失した大成殿の棟飾りが展示されていました。

《鬼龍子(きりゅうし)》
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聖堂の大成殿屋根、流れ棟の四隅に鎮座。寛政11年(1799)聖堂の規模が史上最大当時の鋳造である。大正12年(1923)の関東大震災の際、罹災し焼け落ちたもの。鋳銅製、重量93.5kg。形態は猫型蛇腹(豹型龍腹)で牙がある。様態は狛犬に似た姿で、顔は猫科の動物に似ており、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹・龍腹となっている。鬼龍子は伝説上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという。古代中国伝説の霊獣「騶虞(すうぐ)」によく似ている。

《鬼犾頭(きぎんとう)》
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聖堂の大成殿屋根、棟の両端に鎮座。寛政11年(1799)聖堂の規模が史上最大当時の鋳造である。大正12年(1923)の関東大震災の際、罹災し焼け落ちたもの。鋳銅製、重量約120kg。形態は、一種の鯱(しゃち)型で、龍頭魚尾、二脚双角、頭より潮を吹き上げ、外側を向いて取り付けられている。鯱はもと「鴟尾(しび)」と言い、古くは漢代(BC206-AD2)に始まり、五代・宋(907-1279)の頃に魚型に変化した。鬼犾頭は、想像上の神魚で、水の神として火を避け、火災を防ぎ、建物を守るために祀られる。

伊東忠太の作ったものと比べると、鬼龍子も鬼犾頭も、ふっくらと丸みを帯びていて、可愛らしい印象さえ感じます。

 

 《宥座の器(ゆうざのうつわ)》
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宥座とは、身近や身のまわりという意味。「中庸」をわかりやすく教え、身近に置いて戒めとするための器です。孔子は「いっぱいに満ちて覆らないものは無い」と慢心や無理を戒めました。

やってみれは、すぐにわかりますが、空の時は傾き、水を適度に入れると真っ直ぐに立ちます。
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となれば、こぼれるところまでやりますよね?

 

同じ伊東忠太設計の築地本願寺と比べると、湯島聖堂の方が聖獣も多くて造形も派手。調べると、湯島聖堂の方が建築が後なんですね。築地本願寺の成功で味を占めたのでしょうか。伊東忠太の霊獣探しが楽しかったので、また他の建築物も見に行きたいと思います。

この後、湯島聖堂の裏にある神田明神にお詣りしようと、すぐ前まで行ったのですが、門前の大行列に恐れをなして止めました。どうやらテレビで放送があったばかりだったようで。上野に行くのによく通る場所なので、また別の機会にしましょう。

博物館に初もうで 犬と迎える新年@東京国立博物館本館

現在、東京国立博物館本館の特別1室と特別2室では、企画展「博物館に初もうで 犬と迎える新年」を開催中です。
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www.tnm.jp

平成30年の干支は「戌(いぬ)」です。犬は古くから世界中で人間に飼われていた、最も身近な友達ともいえる動物で、様々な文化に影響を与えてきました。それは日本も例外ではなく、遅くとも縄文時代には犬は人間と共に生活する親しい存在でした。

この特集は、日本人に愛されてきたかわいらしい子犬や珍しい異国の犬の造形に注目する「いぬのかたち」と、常に人と共にあった犬の文化史的な意義を追う「いぬとくらす」という2つのテーマで人間と犬とのかかわりを紹介いたします。時に世俗から離れて暮らす理想の生活のなかに、時に都市の雑踏のなかに、あるいは美女に抱えられてあらわされた犬。日本人の愛した犬のイメージとバラエティーに富んだ素材や表現による作品を通じて、そこに込められた愛情深いまなざしと共に新年を迎えます。

新春イベント開催日の特別1室は、大変混雑していました。
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博物館に初もうで@東京国立博物館

新年あけましておめでとうございます。
良いお年をお過ごしのことと存じます。
皆様にも眼福多き一年となりますよう 心からお祈り致します。

 

博物館初めとして、東京国立博物館にて新年恒例「博物館に初もうで」に行きました。
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今年もよく晴れました。

本館玄関の階段部分にステージができていました。いつもながら生け花が見事です。
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手前のは竹、松、南天桐に枝垂れ柳。そういえば、今年は池の中には飾りがありませんでしたね。

ステージを挟んで反対側の生け花は椿、蝋梅、松、木瓜、そして、梅の木苔。
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つい先日、科学博物館で地衣類展を見たばかりだったので、このタイミングでウメノキゴケを見られるのがうれしい。
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銀色に光ってきれい。

melonpankuma.hatenablog.com

本館はとても混んでいました。大階段の踊り場にある展示室が開いています。
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真生流家元の山根由美氏の作品です。
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竹、松、南天桐、木瓜、椿、木瓜、そして、梅には梅の木苔も。生けてある壺も立派。

和太鼓が始まりました。
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和太鼓は《湯島天神白梅太鼓》の演奏です。
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かっこいい。やはり太鼓は力強い音が出て、迫力があります。

獅子舞は《葛西囃子中村社中》です。
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お昼ご飯は、今年もゆりの木膳にしました。
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新年早々、賑やかに過ごせて楽しかった。

展示は後日、人が減ってからゆっくり観るつもりで、この日はさらっと流すだけにしました。

 

2017年の様子はこちら。
melonpankuma.hatenablog.com

今年は落語とかがなかったのが、残念でした。