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天孫降臨伝承地:日向三代を巡る旅 その1

今月15日から東京国立博物館で開催される「出雲と大和」展の予習として、昨年は記紀をテーマに鹿島・香取、伊勢、出雲に出かけ、年末に日向三代を巡る旅に出かけた。

 

旅行プランを練る上で、日向三代の話、いわゆる日向神話をテーマにすると絶対にぶつかる壁「果たして天孫降臨の地はどこなのか」をまず解決しないといけなくなった。つまるところ、有力視される二ヶ所、西臼杵高千穂町霧島連峰高千穂峰の両方を回るだけの時間的余裕がないのである。そこで、どちらがより私の興味を掻き立てるか検討することになった。

前もって書いておく。もちろん、記紀に書いてあることが史実であるとは私も思っていない。しかし、記紀制作時に想定した場所があったことは間違いなく、それがどこなのかを調べるという話。

天孫降臨伝承地に日向を陽当たりのよい土地と解釈した筑紫説などもあるのは承知しているが、今回それは横に置いておく。なぜなら、宮崎空港行きの飛行機のチケットを取ってしまっているので。

 

天孫降臨

天孫ニニギノミコトが、アマテラスの神勅を受けて葦原の中つ国を治めるために、高天原から「筑紫の日向の高千穂」へ天降ったこと。

古事記では「筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ」と記され、日本書紀では「日向の襲の高千穂の峰」「日向の高千穂くじふるの峰」「日向のくじひの高千穂の峰」「日向の襲の高千穂くじひ二上峰」「日向の襲の高千穂そほりの山峰」と複数箇所で書かれている。

筑紫と日向

「筑紫」は古くは九州全域を示す。『古事記』の国産みでは筑紫島は大きく筑紫、豊国、肥国、熊曽国の4つの国に分けられている。

次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別。豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。

 

次に筑紫島を生んだ。この島もまた、身体は一つだが顔が四つあり、それぞれの顔に名前がある。すなわち、筑紫国を白日別(しらひわけ)といい、豊国を豊日別(とよひわけ)といい、肥国(ひのくに)を建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といい、熊曾国を建日別(たけひわけ)という。

 

日向国」は7世紀中期以降に、現在の宮崎県と鹿児島県に当たる南九州の広域を含んで成立し、702年に薩摩国が分立、713年に大隅国が分立した。
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ちょうど記紀成立時期に日向国が縮小したことが、高千穂論争を複雑にしている。

 

高千穂論争

日本神話を研究する「国学」が盛んだった江戸時代、天孫降臨の地をめぐり「臼杵高千穂説」「霧島高千穂説」という二つの説で論争が行われた。本居宣長は『古事記伝』でどちらとも決めがたいと、最初臼杵郡の高千穂の山に降り、その後に霧島に向かったと折衷案で締めている。ずるい。

しかし、それも致し方ない。遡ると鎌倉時代にはどちらが天孫降臨伝承地なのかはわからなくなっている。当時既に根拠となる文献が残っていないので、江戸時代の本居宣長をもってしても論争に進展があるはずもなく、まして現代では想像で語る以上のものができるわけがない。

そんなわけで、現代では臼杵高千穂、霧島高千穂の両方が天孫降臨の地として観光アピールをしている。

 

臼杵高千穂

13世紀鎌倉時代に書かれた『釈日本紀』に『日向国風土記』の逸文が記されている。

日向國風土記臼杵郡内知鋪郷天津彦火瓊瓊杵尊天降於日向之高千穗二上峯時天暗冥晝夜不別人物共遍物也難別於兹有土蜘蛛名曰大鉗小鉗二人奏言皇孫尊以御手拔稻千穗爲籾投散四方必得開晴于時如大鉗等所奏搓千穗稲爲籾投散即天開晴日月照光因曰高千穗二上峯後人改號知鋪

 

日向の風土記に曰く、臼杵の郡のうち知鋪の郷、アマツヒコヒコホノニニギノミコト、天の磐座を離れ日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。時に空暗く昼夜別かず、人、道を失い、物分けがたかりなり。ここに土蜘蛛あり。名をオオクワ、オクワと言う二人ありてもうしけらく。「皇孫の尊、御手をもちて、稲千穂を抜き籾となし、四方に投げ散らしたまはば、必ず明かりなむ」と申しき。時にオオクワらの申ししが如く、千穂の稲を手もみて籾となし投げ散らしたまいければ、即ち、天開いて晴れわたり日月が照り輝きき。よりて、高千穂の二上の峰と言いき。後の人、改めて、智鋪と名づく。

国文学研究資料館データベースより

日向国風土記』は713年に官命が出て編まれたもの、つまり、『日本書紀』とほぼ同時期に作られたものである。臼杵高千穂論を支持する多くが、これを大きな論拠としている。

 

個人的な感想として、この話はあまりにも出来すぎていて、古事記なり日本書紀を参考にして天孫降臨にからめて話を作ったのではないかと疑っている。だいたい何故に智鋪なのか。稲穂を撒いたのならそのまま千穂でよいではないか。
一旦疑い出すと疑惑は広がる。わざわざ智鋪を担ぎ上げるメリットがあるのか。ここで、日向国風土記大隅国が分立した後に書かれたものであることを思い出したい。霧島高千穂は日向国に属するが、霧島高千穂説に関わる古い神社はそのほとんどが大隅国になってしまったのを、風土記を編纂した日向国国司らはどう思ったであろうか。

 

宮崎県北端、西臼杵郡高千穂町は神話の里として大々的な観光地になっている。私は2013年に高千穂神社天岩戸神社等々の観光コースを一通り回っている。
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その時は、こんな不便そうな土地によくも降りようと思ったなというのが私の第一印象だったし、天の国高天原にあるはずの天岩戸や天安河原が重要な観光スポットになっているのに鼻白んだのを思い出す。きっと天孫降臨よりも賑々しい天岩戸の方が受けがよいのだろう。つまりは、記紀を都合よく解釈して後付で土地に結びつけようという意思が節々に見え、伝承の信憑性に欠けると感じたのである。そのため、途中からはそういうことは一切考えずに、その土地の人が示したい物語を楽しむことに徹した。

以上の経緯に加えて、臼杵高千穂地域には延喜式神名帳(成立927年)に記された神社が一切ないという事実がある。延喜式成立前に失われたなり端からなかったなり解釈はいくらでもできる。もちろん、延喜式内社でなくとも地域で大きく祀られている神社は多くあるので一概に古くから続く神社がないという意味ではないものの、古の痕跡を求めて旅を楽しみたい側からすると魅力に欠ける。

霧島高千穂

霧島連山は日向と薩摩の境にあり、古くから山岳信仰(霧島六所権現)がある土地で、霧島連山を中心に延喜式神名帳に記されている古い神社も多く残っている。
都城盆地から見ると、高千穂峰は山頂から両翼を広げた形が実に雄大であり、多くの山々の中でもひときわ目立つ。高千穂峰は古代から続く神奈備信仰の舞台であり、山頂近くに霧島神宮跡地として鳥居が立てられている。
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その北西に近年爆発を繰り返している新燃岳、さらに霧島山の最高峰韓国岳がある。

 霧島高千穂説を支持する論者は、『日本書紀』に「日向の襲の高千穂の峰」「日向の襲の高千穂くじひ二上峰」「日向の襲の高千穂そほりの山峰」と出てくる「襲」に注目している。同書には景行天皇熊襲征伐のために日向に仮宮の高屋宮を建て「襲国」に赴く記述がある。熊襲の国という意味で使われているのが明らかとして、これを後の大隈国曽於郡の地名に関連付けている。
その他、『懐風藻』序文の「襲山」や、『薩摩国風土記逸文など臼杵高千穂峰説よりも信憑性ある論拠が多いように思う。

 

旅行コース

そういった訳で今回の旅では「臼杵高千穂」地域を除外し、主に「霧島高千穂」説を中心に日程を組むことにした。

邇邇藝命の天孫降臨から神武天皇に続く三代をそれぞれ主祭神として祀る神社と陵墓を中心に三代にまつわる逸話が残る地を回り、最終日に余裕があれば宮崎市内の神社も回る。時間と天気次第では姶良山陵を諦めることになるが、それはそれで仕方がない。

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実際にプランを立ててみたら、三泊四日では回るには思いの外広かった。

明治神宮

都心の緑がすっかり色づいた頃、明治神宮ミュージアムが開館したとのことで明治神宮に行きました。

www.meijijingu.or.jp

一部、10月の紅葉前に行った時の写真を混ぜて紹介します。

 

  • 表参道
  • 神宮橋
  • 一の鳥居
  • 南参道
  • 神橋
  • 奉献酒樽
  • 奉献ワイン樽
  • 立灯籠
  • 大鳥居(二の鳥居)
  • 明治神宮御苑
  • 祓所
  • 手水舎
  • 玉垣鳥居(三の鳥居)
  • 客殿
  • 南神門
  • 回廊
  • 拝殿
  • 長殿
  • 楽殿
  • 車祓所
  • 明治神宮ミュージアム

表参道

都市化が進んで忘れがちですが、元々は明治神宮の参道です。
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表参道交差点にある巨大な石灯籠は昭和11年造で伊東忠太氏が設計したもの。基礎も相当大きいが、均整が取れているため遠くから見ると高さを感じさせない。春日型灯篭で、火袋は格子になっている。宝珠が乗る角笠は膨らみがなく、竿も直線性が生きている。

参道に向かって左側(みずほ銀行がある側)の石灯籠は台座の一部が欠けている。太平洋戦争末期の大空襲の焼夷弾が残したものだという。火災旋風に巻き込まれ、ここで多くの人が折り重なって亡くなった。石灯籠の裏に「和をのぞむ」と刻まれた追悼碑がある。

神宮橋

表参道の終点、山手線をまたいで神宮橋がある。
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高さ4.7m、石灯籠形の親柱。
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こんなものを設計するのはひとりしか思い浮かびません。当然、伊東忠太設計です。

神宮橋は1964年の東京オリンピック開催に向けて架け替えられたが、初代の外観を残し石材を磨き直して再利用した。

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特別公開「高御座と御帳台」@東京国立博物館 本館

12月23日、平日の月曜日なのにトーハクに行きました。
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東京国立博物館は月曜日が休館日です。この日も休館なのですが、特別公開「高御座と御帳台」だけは一般開放されていたのです。しかも無料!太っ腹!

www.tnm.jp

  • 待ち時間
  • パンフレット
  • 高御座とは
  • 第一展示室(特別5室)
    • 高御座
    • 御帳台
  • 第二展示室
    • 威儀の者
    • 威儀物捧持者
    • 文官と女官
    • 威儀物

待ち時間

公開初日は前日の日曜日で大変な行列だったのを知っていたので、並ぶ覚悟はしていましたが、待ち時間の表示は30分でした。
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本館の東側(本館玄関に向かって右側)に沿って4人づつ並ばされた行列ができていました。途中は陽射しが当たるそれほど寒くありませんでした。

 

本展示は本館の特別4室と5室が使われています。本館の大階段の右脇が入口です。
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本館玄関を入ってすぐに設けられたレーンに従って進みます。手荷物を体の横か後ろに回すように指示がありました。この先にセキュリティチェックが設けれていますが、荷物ごと通れる仕組みなので、スムーズです。

平日の月曜日狙いは正解でした。上野の他の博物館が軒並み休館ですから。この日に限っては、11時半に並び始めて展示室に入るまで20分弱ですみました。

 

この日は閉館日だったので不要でしたが、開館日は正門に特別な入口が設けられていて(70才以上かどうかで区別あり)、特別観覧パスを首から下げて入館するようになっています。
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正倉院の世界@東京国立博物館 平成館

まず、前期に訪問。どんより曇り空のトーハクです。
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平成館に向かいます。平成館から出てくる人が多くて、タイミングを見誤ったかとヒヤヒヤしました。混雑がとにかく苦手なもので。
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正倉院の世界」展です。
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www.tnm.jp

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聖徳記念絵画館

赤坂離宮から15分程歩いて明治神宮外苑へ。いちょう祭り開催中で大変な賑わいです。銀杏並木を見る前に、前々から興味があった絵画館へ寄り道です。

聖徳記念絵画館です。外苑前の銀杏並木の一番奥に鎮座する建物と言えば、あれかと思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
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こちらは、明治神宮によって維持管理されている施設で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた絵画が展示されています。

それにしても、大型バスが正面に並んでしまって、なんとも写りの悪いこと。大型車の駐車場は、もっと他の場所にすることはできないのでしょうか。銀杏しか見えてないんでしょうね。配慮がないなあ。

中央のドームから左右対称に両翼を広げた形。岡山県万成産花崗石の外壁が重厚な印象を与える建物で、当時流行していたセセッション風の幾何学的意匠が見られます。
f:id:Melonpankuma:20191202152321j:plain設計者は明治末期から昭和初期にかけて官庁営繕で活躍した建築家の小林 正紹(まさつぐ)です。

www.meijijingugaien.jp

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祝賀御列の儀使用オープン・カー@迎賓館赤坂離宮

大嘗宮一般参観も楽しめたし、令和が始まったこの年に見られるものは見ておきましょうと、迎賓館赤坂離宮へ行きました。

四谷駅から徒歩7分、10時過ぎに赤坂離宮正門前に到着。
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ざっと一年ぶりの赤坂離宮です。なぜかいつも年末に来ているような。

 

www.geihinkan.go.jp

正門を突き当たって右折してすぐに、予約していない参観希望者の列があり、そこで列がピクリとも動かないのに不安を感じながら待機。どうやら予約者やはとバスの団体を先に通してからの誘導だったらしく、20分経ってようやく西門を通りました。

 

セキュリティチェックを受けるのにさらに行列に並びます。
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大嘗宮参観と同レベルのセキュリティチェックがあるので、荷物は最小限にしていくのが吉です。ここ最近、何度も受けているので慣れたもんです。

 

セキュリティチェックを抜けた先にある窓口で参観料を払います。オープンカーの展示は前庭で行われるので、庭園のみの参観料(大人300円、学生無料)で観ることが出来ます。
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セキュリティチェックを抜けたのが10時50分でした。
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日本唯一のネオ・バロック様式の宮廷建築物です。
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鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)。コンドル博士の愛弟子片山東熊の指揮下で、大正天皇の成婚を前に東宮御所として作られました。

何度見ても、かっこいいものはかっこいい。この先、こんな贅沢なものは作れませんからね。とても貴重です。

車寄せに人だかり。
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天皇皇后両陛下が乗車されたオープン・カーです。
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アクリルケースで覆われ、藝大美術館以上に映り込みが激しい。普通に撮ると自分までバッチリ映り込みます。きれいな写真を撮りたいなら夕方もしくは薄暗い日の参観をお勧めします。朝だと補正をがんばってこんなもんです。

説明パネル。
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祝賀御列の儀で使用されたオープン・カー
トヨタ センチュリー
(令和元年製)

排気量:4,968cc  エンジン:V型8気筒+電気モーター(ハイブリット車)
全長:5.34m 全幅:1.93m 高さ:1.4m
乗車人数:5名
展示車両は、令和元年11月10日に実施された祝賀御列の儀で使用された。
当日4.6kmのパレードコースの沿道には、11万9千人の人々が詰めかけた。オープン・カーは座面の位置や背もたれの角度を調整し、沿道から天皇皇后両陛下のお姿が見えやすいように工夫されている。
儀式終了後は、内閣府において管理し、政府全体で有効に活用することとしています。

 祝賀御列の儀の際に車に付けられていた「皇10」のナンバープレートと御紋。
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今回は祝賀御列の儀が行われた日にちなんで「11-10」のプレートが付いていた。

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前庭にキッチンカーが出ていました。アフタヌーンティーなど楽しめそうだったのですが、席がなかったので泣く泣く諦めました。

大嘗宮一般参観@皇居

  • 大嘗宮とは
  • 行き方
    • 東京駅から入場口
    • セキュリティチェック
    • 坂下門~中之門跡
  • 本丸跡
    • 令和大嘗宮平面図
    • 悠紀殿
    • 神門
    • 主基殿
    • 帳殿
    • 小忌幄舎
    • 風俗歌国栖古風幌
    • 膳屋
    • 廻立殿
    • 塀籬
  • 延喜式
    • 7巻20条 大嘗宮
    • 7巻21条 廻立殿
  • 一般参観の注意事項

大嘗宮とは

天皇が即位の後、初めて新穀を天神池神に供え、国家国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する「大嘗宮の儀」のために造営された建物群。令和元年11月14日夕方から翌朝15日にかけて儀式が執り行われ、11月21日から18日間一般公開されている。

行き方

東京駅から入場口

やけに雨の多い11月下旬。雨が上がったのを見計らって皇居へ行きました。現在、大嘗宮一般参観が行われています。

www.kunaicho.go.jp

この三日前にも見に行きましたが、大雨で余裕を持って見られなかったので出直したのでした。
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東京駅中央口を出て丸の内駅前広場から行幸通り(皇居前東京停車場線)を歩きます。銀杏並木もすっかり黄色く色づきました。
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