伊勢神宮 内宮:お伊勢詣 その3
早朝、伊勢市駅から三重交通のバスに20分揺られて、内宮前バス停で降りました。いよいよ内宮に詣でます。
皇大神宮の案内板。
皇大神宮(内宮)
天照大御神は皇室の御祖神であり 歴代天皇が厚くご崇敬になられています また私たちの総氏神でもあります
約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり 各地をめぐられたのち この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました
二十年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮は千三百年余り続けられ 平成二十五年十月二日に第六十二回式年遷宮が行われました
宇治橋外鳥居。
外宮旧正殿の棟持柱が用いられる。鳥居として20年使われた後、桑名の七里の渡し場の鳥居となる。
宇治橋の別名を御裳濯橋(みもすそばし)といい、五十鈴川の別名が御裳川であるところから来ている。年間400万人と言われる参拝客によって、厚さ15センチの橋板が、20年の間に6センチほど摩耗するとか。塵も積もれば山となり、雨垂れが石を穿ち、靴が宇治橋を踏み抜くと。
ここから、外宮とは違って右側通行です。
続きを読む香取神宮
7月中旬。東京を早朝に出発し、千葉県佐原駅へ。
直行バスに揺られて香取神宮到着。
歓迎されています。
ちなみに、右端に止まっている黄色い車のすぐ側に赤犬が寝ています。ハチワレ猫もいました。
写真を撮ろうと近づいたら猫に気づかれて、それ以上近づけずに諦めました。お休みのところ大変お邪魔しました。
下総国一宮である香取神宮は、古くから「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある。大国主命の国譲り神話で活躍する経津主命(別名、伊波比主/斎主)を祀ることから武神・軍神としての性質が強く意識され、国家鎮護の神として古くに神宮の称号で奉祀されている。鹿島神宮と並んで、香取神宮は朝廷からの崇拝が深く、極めて異例なこととして毎年勅使の派遣があった。また、藤原氏の氏神として創建された奈良の春日大社には、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に祀られている。
続きを読む高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの@東京国立近代美術館
薄曇り、前売り券を握りしめて久しぶりの国立近代美術館へ。
高畑勲展です。予習に『かぐや姫の物語』のDVDを観ようかと思いましたが、平静を保てなくなるので観られませんでした。
(前略)常に今日的なテーマを模索し、それにふさわしい新しい表現方法を徹底して追求した革新者・高畑の創造の軌跡は、戦後の日本のアニメーションの礎を築くとともに、他の制作者にも大きな影響を与えました。本展覧会では、絵を描かない高畑の「演出」というポイントに注目し、多数の未公開資料も紹介しながら、その多面的な作品世界の秘密に迫ります。
本展は『かぐや姫の物語』の導入シーンに始まり、高畑勲氏とその時代のできごとを表した年表の後、氏が関わった作品ごとに数々のセル画や細やかな文字で書かれたノート類といった資料が展示されていました。所々にテレビアニメのオープニングや映画の予告編の映像があって、音に集中力を乱されやすい私には耳栓必須の展示環境でした。
展示中盤にはアルプスの少女ハイジのジオラマコーナーも設けられていました。
ジオラマの横にスイスロケの映像が流れていて、現実にハイジの家があったことに、かなり感動しました。
これらの他、フランスの詩人ジャック・プレヴェールの詩集の翻訳に奈良美智の絵が加わった詩画集『鳥への挨拶』の展示もありました。好きなアーティスト同士のコラボレーション作品だなんて、何のご褒美かと思いました。
一周するのに約2.5時間。好きな作品については細かい文字を追って長く佇むこともありましたが、見ていない作品は流し見しての時間です。金曜日の夕方で混雑はありませんでした。低いところに展示されているものもありましたし、細かい文字で埋め尽くされたノートなどを読もうとするなら混んでいないタイミングを選ばないと厳しそう。
特設ショップでは、今回“初めて”展覧会の図録を買いました。展覧会での経験は会場と本ブログの中で完結させていたのですが、今回は特別です。本棚にスペースがないので、老眼で読みづらくなってきた本をいくつか廃棄せねば。
『かぐや姫の物語』のグッズもたくさんありましたが、好きなものほど買えないんですよね、不思議と。その点『アルプスの少女ハイジ』なんてのはキャラクターが気に入っているので、グッズが買いやすい。
特設ショップを出てすぐのところに、フォトスペースが設けられていました。
窓からアルプスの山々が見えます。
このスペースでチーズとパンとスープの朝ご飯を食べたらさぞかしおいしいだろうなと。
魚河岸水神社
神田神社の社殿の回りには、お揃いの石製神明鳥居を持つ七つの末社があります。
去年の年末に完成した文化交流館のすぐ横にあるのが、魚河岸水神社です。
魚河岸水神社について。
魚河岸水神社
御祭神 弥都波能売命(ミツハノメノミコト)
祭礼日 五月五日日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人により武蔵国豊嶋郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座された。
元和年間(一六一五~)神田神社と共に此の地に遷り、大市場交易神と称されその後、水神社と改称し更に明治二四年(一八九一)魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。なお、日本橋より築地に移った築地中央卸売市場内には、当社の遥拝所が建てられ、市場に関わる人々の篤い信仰により支えられている。
当神社の崇敬体「魚河岸会」の所有する加茂能人形山車は、江戸城内に参内し徳川歴代将軍の上覧に浴し、再三褒賞を賜った江戸の代表的山車であったが惜しくも関東大震災により烏有に帰した。
その後、昭和三十年江戸文化の一端を永く後世に遺す為、文久二年(一八六二)当時そのままの山車を再現した。隔年に行われる神田際には、その絢爛豪華な山車の全容を拝観することができる。
説明板の設置は平成7年で、まだ中央卸売市場の豊洲移転の件が更新されていませんでした。
拝殿は、銅板葺漆塗りの向拝付き入母屋造り。
社殿の前には一対の狛犬、さらに天水鉢も置かれています。
狛犬は昭和の岡崎型で阿が玉取り、吽が子取り。
台座には水神社の神紋。
独特です。三波頭巴紋とでも呼んでおきましょうか。
油性ペイントされていますが、天水鉢の方が古そうです。
魚河岸紋は明治三四年九月に奉納されたものでした。角型は丸型よりも割れやすいので、相当肉厚に造られているのではないかと思います。
玉垣は金属製で青海波文様。
最近塗り直された様子。
拝殿から石の間を挟んで神明造りの本殿があります。玉垣越しに拝見。
つい最近まで文化交流館の工事があって、ここまで回り込むことができませんでした。
珍しいことに、千木が内削ぎです。
鰹木は五本。棟柱はありません。
水神社のすぐ裏にある公園に大きな獣の姿。遠目にグレート・デーンかと思って近づいたら、馬でした。神田神社の神馬、明ちゃんです。
魚河岸水神社は豊洲中央卸売市場に遥拝所があります。
石製の神明鳥居ですが、扁額が付いています。
築地中央卸売市場が豊洲に移転したのに合わせて、2018年10月に遷座が行われました。
魚河岸水神社 遥拝所 由来
水神社(すいじんじゃ)の歴史は古く、天正一八年(一五九〇)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売 命(みずはのめのみこと)」を祀った「大市場交易神(おおいちばこうえきしん)」がその始まりといわれています。
明治三四年には神田明神の境内に「水神社」本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し遥拝所を建立、平成三十年に豊洲の現在の地に遥拝所が遷座されました。
以来、魚市場の守護神として「水神さま」とお呼びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。
尚、毎年二月には神田明神(千代田区)境内の水神社本殿にて、御参拝がおこなわれています。また遥拝所でも毎月五日に月例祭、正月・五・九月の年三回に神田明神より神職をお招きして正五九祭が執り行われています。
魚河岸会
手水鉢は自動給水機能付き。
社殿は西向きで、築地時代と同じく、方角には特に意図が感じられません。
社殿の前に一対の石灯籠と狛犬が置かれています。賽銭箱も。
遥拝所の社殿は神明造り。築地時代のものと色が違うだけでほぼ同じに再建したようです。
神田明神境内の水神社本殿と違って千木が外削ぎでした。水神社のこだわりではなかったようです。
こちらの狛犬は愛嬌のあるお顔をしています。
吽はともかく、阿がニヒッってお顔しています。仔なしで、どちらも頭に宝珠を乗せている(両方とも獅子型)。肌が黒くてゴツゴツしている上、指が太く爪が鋭いのがゴジラのようで印象に残ります。特徴的にはほとんどシーサーですね。立ち鼻だし。昭和十一年四月、魚河岸会の奉納品です。
参考までに築地時代の遥拝所。
豊洲市場移転前の2018年7月、築地市場水神社遥拝所の魂抜きが行われ、神田明神境内の社殿に仮遷座されました。
何も知らずに築地市場に行ったら小さなお社になってて、唖然としたもんです。
中央卸売市場が築地から豊洲に移転したらどこが氏神になるんだろうと、移転前によく噂していました。豊洲地域は富岡八幡宮の区域と聞いたので、てっきり富岡さんかと。しかし、初競りのマグロを富岡さんまで運んだという話を聞かなかったので、その辺はどうなったのかと心に引っかかっていたのですが、神田神社の境内の説明板に真相がありました。
赤線を引いた部分、神田明神の氏子区域について築地魚市場とあります。つまり、築地市場は神田神社の氏子区域となっていた様子(大田市場も)。ということは、豊洲移転になった現在もそういうことなのでしょう。
波除神社の氏子区域は築地全域に及ぶと聞いていたので、てっきり築地市場内も波除神社の氏子区域だと思い込んでいたのが、そもそもの間違いだったわけです。