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江田神社:日向三代を巡る旅 その14

江田神社

江田神社は、黄泉国より帰還した伊耶那岐命が禊を行った場所と伝えられる神社で、御祭神は伊邪那岐尊伊邪那美尊。『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日壬辰朔条に「日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並預官社」、『日本三代実録』天安2年10月22日己酉条(858)に「授日向国従五位上高智保神。都農神等従四位上従五位上都万神。江田神。霧島神並従四位下伊予国正六位上布都神従五位下」、『延喜式神名帳』には「宮崎郡一座江田神社」とあり、日向式内四社の一つに位置付けられている古社である。

一の鳥居

一対の石灯籠と石製の明神鳥居が立つ。
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鳥居には松飾りがありました。
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正月の準備のようです。もしや大賀玉の木

二の鳥居

参道途中に新しい石製の明神鳥居がある。扁額付き。
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両脇に門松が飾られている。南天や葉牡丹が加わり、東京で見かけるものより華やかである。

由緒案内板
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江田神社由緒記

社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ

本神社ハ太古ノ御創建ニシテ其ノ創立ノ年代ハ詳カナラザルモ此ノ地一帯ハ古来所謂日向ノ橘ノ小戸阿波岐原トシテ伊邪那岐ノ大神禊祓ノ霊跡ト傳承セラレテ縁起最モ極メテ深キ社ナラム禊祓ノ際天照皇大神素盞鳴尊住吉三神ノ神々ガ御誕生アラセラレタル霊域ノ地ト傳ヘ即チ上代ニ於ケル中ツ瀬ト稱セル御池本社ヲ去ルコト約五丁ノ東北ニ現在ス後、世人入江ヲ開墾シテ江田ト稱シ里人俗ニ當社ヲ産母様ト稱ヘテ今日ニ至ル
仁明天皇承和四年丁己八月官社ニ列セラレ文徳天皇仁壽元年辛未正月従四位下ヲ授ケラレ清和天皇貞観元年己酉十月従四位上ニ進メラレ其後丹融天皇天録元年二月迄ニ天変地妖兵革等ノ年母ニ敍位八回ニ及ビ正一位ニ昇階アリシト云フ醍醐天皇ノ延喜年間ニ於テ延喜式内社日向四座ノ一社トシテ神明帳ニ登載セラレ祈年新嘗ノ奉幣ヲ承ケ居リシガ後西院天皇寛文年間ニ神社ノ制度ニ変革ヲ来シ遂ニ一村落ノ産土神ト同様ノ取扱ヲ承ケルニ至レリ
明治維新ニ際シ明治六年五月二十五日ニ社格縣社ニ列サレ同四十年二月九日神饌幣帛料供進ヲ指定サレテ今日ニ至ル

拝殿

社殿は素木の権現造り。拝殿は銅板葺で、流れ向拝がある部分は妻入り切妻造り、その奥にある棟高がやや低い平入の入母屋造りと組み合わせて、棟を丁字に納めている。寺院建築に見られる撞木造りである。
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鬼瓦の鳥衾は経の巻が三本。妻飾りに鏑懸魚が付き、虹梁や蟇股には彫刻が施されている。

木鼻は獏。
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水引虹梁の蟇股には雲龍が彫られている。
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本殿

一段高く基礎が作られた上に建つ。
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本殿は銅板葺流造りで、外削ぎの千木に5本の鰹木がついている。

 

みそぎ池

市立の阿波岐原森林公園市民の森内、北駐車場近くにある御池(みそぎ池)は、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命が禊をした場所との伝承がある。

 

禊を行なった場所について、『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記されている。

『古事記』上巻
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是以、伊邪那伎大神詔吾者到於伊那志許米上志許米岐此九字以音穢國而在祁理。此二字以音。故、吾者爲御身之禊而、到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音而、禊祓也。

故、於投棄御杖所成神名、衝立船戸神。次於投棄御帶所成神名、道之長乳齒神。次於投棄御囊所成神名、時量師神。次於投棄御衣所成神名、和豆良比能宇斯能神。此神名以音。次於投棄御褌所成神名、道俣神。次於投棄御冠所成神名、飽咋之宇斯能神。自宇以下三字以音。次於投棄左御手之手纒所成神名、奧疎神。訓奧云於伎。下效此。訓疎云奢加留。下效此。次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音。下效此。次奧津甲斐辨羅神。自甲以下四字以音。下效此。次於投棄右御手之手纒所成神名、邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。

日本書紀 神代上巻一の第五段
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伊弉諾尊、既還、乃追悔之曰吾、前到於不須也凶目汚穢之處。故、當滌去吾身之濁穢。則往、至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉、遂將盪滌身之所汚、乃興言曰上瀬是太疾、下瀬是太弱。便濯之於中瀬也、因以生神、號曰八十枉津日神。次將矯其枉而生神、號曰神直日神、次大直日神。又沈濯於海底、因以生神、號曰底津少童命、次底筒男命。又潛濯於潮中、因以生神、號曰表中津少童命、次中筒男命。又浮濯於潮上、因以生神、號曰表津少童命、次表筒男命。凡有九神矣。其底筒男命中筒男命表筒男命、是卽住吉大神矣。底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣。

阿波岐原は祓詞冒頭にも出てくる。

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す

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御池案内板
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御池(みぞぎ池)

古来よりこの地は筑紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、伊邪那岐大神が禊祓されたと伝えられています。我が国最古の歴史書である古事記には、伊邪那岐大神が禊祓をされ、天照大御神をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。

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御池の側に自然石の碑がある。
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御池(みそぎが池)

古来より、この池は竺紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、伊耶那岐大神が禊祓されたと伝えられています。我が国最古の歴史書である古事記には、伊耶那岐大神が禊祓をされ、天照大御神をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。


古事記 上巻

 是以伊耶那岐大神 到座竺紫日向 橘小門之阿波岐原而 禊祓也

 於是洗左御目時所成神 名天照大御神 次洗右御目時所成神 名月讀命 次洗御鼻目時所成神 名建速須佐之男命

(現代文)

 イザナキノオオカミは、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原においでになって、禊ぎ祓いをなさった。

さてそこで左の目をお洗いになると、アマテラスオオミカミという神がお生まれになりました。次に右の目をお洗いになると、ツクヨミノミコトという神がお生まれになりました。次に鼻をお洗いになると、タケハヤスサノオノミコトという神がお生まれになりました。