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可愛山稜:日向三代を巡る旅 その8

可愛山陵(えのみささぎ)は天津日高彦火瓊瓊杵尊の陵。高屋山上陵、吾平山上陵とともに神代三山陵の一つである。

瓊瓊杵尊の陵は、『日本書紀」に「筑紫日向可愛山之山陵」とあり、明治政府により1874年(明治7年)、新田神社(現・鹿児島県薩摩川内市宮内町)境内の神亀山が治定された。

 

昭和11年出版の『川内地方を中心とせる郷土史と伝説』に可愛山の名の由来が書かれている。

可愛山と称するは川内川にちなんでの名である。即ち可愛山は借字で『江の山』と書くべきである。川内川が当山の川上から二つに分れ一つは今の川筋で他は可愛山の後を巡りて再び合流し可愛山は其昔、中島であったと言われている。其の入江の水を引いて神殿が出来たので新田の地名が起り、水道を水引と言って之も地名(水引村)となった。可愛山は江の山の義、江は大川を指し(難波江、佳江、高江などの如し)神亀山は山の形状から名づけたのである。

江戸時代後期の安政元年(1854年)、津久井清影著の陵墓集『陵墓一隅抄』の付図『聖蹟図誌』に「薩摩国高城郡水引郷宮内村内瓊々杵命之埃之山稜之圖」として描かれている。
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江戸時代後期に薩摩藩によって編纂された『三国名勝図会』の13巻に「神亀山」が描かれている。
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『三国名勝図会』の14巻には「可愛山稜」が新田神社から谷を挟んで戌亥(西北)の方角に百二十歩の場所にあるとして描かれている。
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この絵では、左の端陵が木花咲耶姫の陵墓、中陵を可愛山陵としている。

新田神社の社殿を左に向かい社務所の前を通って進むと可愛山稜への看板がある。
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猫もいる。

さらに進んで石段を上がる。この階段脇にも老木の楠があった。
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可愛山稜

雑木が茂っている。
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陵は玉垣で囲われ、その内側にある階段の上に石製の神明鳥居と瑞垣が設けられている。

宮内庁による注意書き
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新田神社の賑わいに比べて、大変静かでした。