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猿田彦神社と佐瑠女神社:お伊勢詣 その7

猿田彦神社

猿田彦神社は、神宮内宮に至るおはらい通りのスタート地点にほど近い場所にある。五十鈴川駅から20分間隔で出ている三重交通のバスで6分、猿田彦神社前で下車するのが便利。

境内に南面する御木本道路(三重県道32号伊勢磯部線)に社号標があり、一対の護国型狛犬がある。

猿田彦神社の案内板。
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猿田彦神社

鎮 座 地 伊勢市宇治浦田二丁目一番十号
御 祭 神 猿田彦大神(主神) 大田命(相殿)
例      祭 四月四・五日 十一月四・五日
主な祭典 御田祭(五月五日)
     佐瑠女神社例祭(八月一六日)
     清砂頒布祭(十二月五日)

 猿田彦大神天孫瓊々杵命をこの国にご案内された後、ここ伊勢の狭長田五十鈴の川上の地を中心に国土の開拓・経営に尽くされた地主神と伝えられています。
 また大神の御裔の大田命は、皇女倭姫命が神宮御鎮座の地を求めて巡歴されたときに大神以来護り続けてこられた聖地を献り、伊勢の神宮が創建されました。当社はその直系の子孫が祖神を祀ってきた神社であります。
 大神は全てのことに先駆け、人々を善い方に導き、世の中の行方を開く「啓行(みちひらき)」の神として識られています。
 その進行は全国的な広がりをもち、方位除・災除・地鎮・事業繁栄・交通安全・開運などのご祈祷が連日行われています。
 毎年五月五日に斎行される御神田(県・無形文化財)も古い伝統にもとづいています。

 

手水舎。
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千社札に混ざって関係なさそうなステッカーがびっしり貼られていました。あまり清められる気がしない。いや、使いますけどね。

 

鳥居の両脇に一対の木灯籠。火袋の窓の組手は十字(神宮はX字)。
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島木神明鳥居で、八角柱なのが特徴的です。

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笠木・島木の木口に神紋のある装飾金物がついています。

 

拝殿の前に方位石。
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方角を刻んだ八角の石柱で、干支(かんし)が刻まれている。中心に「古殿地」とあるのは、ここに昭和十一年まで御本殿があったことによる。

 

拝殿は銅板拭。最初、屋根が二重になっているので入母屋造りかと思ったが、どうも切妻屋根にひさしがついた錣屋根(しころやね)のよう。千鳥破風にまで千木と鰹木がついているのが独特。
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さらに外拝殿の切妻破風が重なる。

拝殿の柱が角を落として八角を意識した形になっていた。
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わかりづらいので、右下白枠内に装飾金具部の拡大を示しておく。

屋根の鰹木もよく見ると八角を意識した形。
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吊灯篭も当然のように八角
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神紋の五瓜梅鉢紋が美しく浮かび上がっている。そういえば、神宮で吊灯籠を見かけませんでした。吊灯籠は仏具なのか。

玉垣のすき間から本殿を見る。
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切妻造の妻入りなのが独特。屋根には内削ぎの千木に八角形の鰹木が六本。朱色の欄干に金色の吊灯篭。

 

猿田彦神社の社殿について調べると必ず、建築様式は「さだひこ造り」とある。猿田彦が「さだひこ」になるのは、納得できる。しかし、肝心のさだひこ造りがどういう物かは、さっぱりわからない。いろんな所で「二重破風の妻入り造りが特徴の『さだひこ造り』の本殿」とかいう記述を見かけるが、実際を見ると社殿、拝殿、本殿の区別さえついていない人が書いたとしか。

猿田彦神社公式サイトのみちひらき大神輿について「当社の御本殿と同じく、『さだひこ造り』の大神輿です」と書かれていた。詳しくはリンク先の写真で確認してもらいたいが、大神輿には入母屋屋根の破風と千鳥破風に千木がついた作りだった。つまり、よく言及されている「二重破風」とは、四つの破風全てに千木鰹木がついていることを差しているようだ。しかし、大神輿は妻入りではなく平入りなところが、いささか気になる。

色々な記述が言わんとしていることをふんわりまとめると、さだひこ造りとは「拝殿の屋根の前後に千木・鰹木のある千鳥破風があり、権現造りに似て拝殿と本殿が石の間を挟んで一体化しているが、権現造りの本殿が平入であるのとは異なり、さだひこ造りの本殿は妻入りである」こんなところか?

 

寛政9年(1797年)発行の『伊勢参宮名所図会 巻五』の伊雑宮の「其二」として猿田彦神社が描かれている。
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こんな高台だったか?と思ったら、明治11年に今の内宮近くに移ったようで、この時代は場所が違うらしい。

《磯辺伊雑宮図 森幸安 江戸中期、宝暦7年(1757年)》によると、伊雑宮に近い。現在の伊雑宮所管社、佐美長神社(御祭神は大歳神)の境内がそれに当たる。
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現在の猿田彦神社伊勢神宮の所管社に含まれないが、当時は少なくとも伊雑宮の所管社か何かであったことは確かだろう。

 

猿田彦神社の社殿の裏に回ると御神田(おみた)があった。
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石碑越しに鷹の姿が見えて心底驚いたが、よく見ると丹精に作られた木彫りの案山子だった。冷静に考えて肉食の猛禽類がこんなところにいるわけがないんだけど、こう神妙な気持ちで歩き回っていると、ちょっと奇妙なことでも信じてしまいそうになるから怖い。そのうち、私も「引き寄せのー」とか「波動がー」と言い出すかもしれない。

 

佐瑠女神社

佐瑠女神社の案内板。
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佐瑠女神社

御神祭 天宇受売命
例祭日 八月十七・十八日
月次祭 毎月 二十一日
天孫瓊瓊杵尊」御一行を待ち迎えられた猿田彦大神と最初に言葉をかわされたのが御祭神です。
天孫御一行を日向の高千穂峯に導かれた後、本拠地に戻られる大神様とともに五十鈴川の川上のこの地においでになり、「さるめ」という姓をいただかれました。
また、「天照大御神」が天岩戸に籠もられて世の中が暗闇の様になったときに岩戸の前で舞をされて、お出まし頂く契機を作られた話は良く知られています。
そのため「芸能・魂鎮・縁結び」の祖神として広く信仰を集めています。

 

佐瑠女神社の社殿。
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八角柱の島木鳥居で、両脇に一対の木灯籠。

社殿は切妻造の妻入り。拝殿入り口に、神紋が左右対称に入った紫の拝殿幕。
舞鶴紋です。JALマークではありません。社殿の周囲は玉垣で覆われ、著名人の名前が入った奉納旗が掲げられていました。