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鹿島神宮

朝、東京駅八重洲口から高速バスに乗車しました。
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向かうは鹿島神宮です。

途中で見えた霞ヶ浦湖畔に広がる田園風景。
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みごとなまでに真っ平ら。紛れもなく干拓地ですね。

バスに揺られること2時間、鹿島神宮バス停で下車。そこから5分歩いて、無事に鹿島神宮に到着しました。バスの便がよいので、香取神社よりもスムーズでした。 

大鳥居

大鳥居(二の鳥居)と社号標。
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元は御影石の鳥居であったが、平成23年(2011)の東日本大震災で倒壊。その後境内の巨木4本を使って再建した。鹿島鳥居で、柱と笠木は皮を剥いだだけの丸木、平貫の端は柱の外に突き出し、笠木の鼻は襷落としになっている。本口(太い方)は本殿に向かって左。用いられた杉の樹齢は、柱が約500年、笠木が約600年、貫が約250年という。

鹿島神宮御由緒
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鹿島神宮常陸国一宮であり、東国随一の古社として知られている。茨城県神栖市の息栖神社、先に行った千葉県香取市香取神宮とともに東国三社に数えられる。御祭神は武甕槌命で、建国功労の神と称え奉る。古代には朝廷から蝦夷の平定神として、また藤原氏氏神として、中世以降は武神としても篤く信仰を集めている。

 

境内案内図
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鹿島神宮のある土地は三笠山と呼ばれている。境内は広く70ヘクタールに及び、その大部分が樹叢で茨城県の天然記念物に指定されている。参道の脇に北向きで社殿があるのが特徴的。蝦夷からの敵を迎え討つ構えです。

楼門

二の鳥居から入って参道を東に進むと、朱塗りの手水舎と楼門がみえてくる。
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楼門は重要文化財指定で、寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されたもの。三間一戸の銅葺き屋根の入母屋造二階建て。浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組み、鹿嶋まで船筏で運んでから組み立てたという。

随身像です。左は武内宿禰命像、
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右は藤原鎌足像が鎮座します。
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裏に回ると、雷印があります。
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御神祭である武甕槌命の「ミカヅチ」を表したものですね。わかりやすい。

 楼門をくぐると、左側が工事用の壁で覆われていました。
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斎館宝の改修工事が行われているそうです。授与所は右に移動していました。 

社殿

北面する拝殿前に、明神鳥居がある。柱にわずかに転びあり。笠木に反りと反り増しがあるが、島木には反り増しがみられない。
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重要文化財の社殿は、本殿、石の間、拝殿のある権現造り。元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したものである。

拝殿は檜皮葺の入母屋造りで、拝殿には向拝がつく。白地に黒で徳川家の五三桐紋と神紋の丸に左三つ巴紋がついた拝殿幕が、静謐な雰囲気作りに一役買っています。

社殿の右脇(西)に回る。
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手前が拝殿で、奥に本殿が見える。さらにその奥にそびえるのがご神木である。石の間は透塀に隠れて見えない。

本殿は檜皮葺の三間社流造。千木は外削ぎで鰹木3本。漆や極彩色が施されている。

仮殿

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重要文化財。元和4年(1617)、徳川2代将軍秀忠の奉納。檜皮葺、桁行三間の入母屋造りで一間の向拝がつく。この仮殿に神様を遷座してから、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営した。奥宮や高房社を始めとする摂社、末社、所管社の御分霊を数多く祀っている。

奥参道

 奥宮に向かって巨木に覆われた参道が続きます。
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大きな木々に囲まれて荘厳な気持ちにさせられます。5月にはここで流鏑馬神事が行われるそうです。

鹿園

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鹿島神宮の鹿といえば、奈良の春日大社との縁が有名です。すぐ近くの売店で人参スティックが売られています。自分の食い扶持は自力で稼げの精神らしい。

奥宮

奥参道の突き当りで、要石のある森を守るかのように奥宮がある。本宮と同じく北面している。
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奥宮は武甕槌命大神荒魂を御祭神とする。慶長十年(1605)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが、元和5年(1619)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮社殿が封建されるに当り現在地に引移して奥宮社殿となった。

奥宮の入り口には明神鳥居。垂が下がっている。
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よくよく見てみると、鳥居には雨覆いがあり扉つきの袖塀と一体化している。まるで山門のよう。面白い。重要文化財に指定されている社殿は袖塀に隠れて、あまり見渡せない。檜皮葺の三間社流造で、向拝一間。

 

要石

要石へ向かう道の入り口に大鯰を押さえる武甕槌命の像が置かれています。
f:id:Melonpankuma:20190809152115j:plainこの数日前にスズメバチ被害が発生し、要石に向かう道が全面通行止めになっていました。残念ですが、またの機会に。

御手洗池

奥宮近くの売店から急な坂が続いています。前日に雨が降ったので、地面が濡れているので滑りそう。おっかなびっくり下った先は、広く開けていました。
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湧水が溜まって池になっています。昔はここで禊をしていたらしい。

広場にあるお茶屋さんでお昼ご飯にします。f:id:Melonpankuma:20190809152130j:plain

湧水茶屋 一休の八福そばと三色だんごです。
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お腹の中まで満たされました。

一之鳥居

鹿島神宮を出てタクシーで山を下り、北浦のほとり大船津へ移動しました。水の中に、巨大な赤い鹿島鳥居がそびえ立っています。
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大船津の一之鳥居は、鹿島神宮に通じる東西南北の四ヶ所に設けられた一之鳥居の一つで、西の一之鳥居に当たります。
鎌倉時代、鹿嶋の土地隆起により御手洗池近くまで入っていた船の往来ができなくなり、船着き場となった大船津に、僧侶の忍性が鳥居を建てたのが最初とされています。
1618年に徳川二代目将軍秀忠が社殿と合わせて奉納した鳥居は水中鳥居で、当時はまさに鹿嶋の玄関口でした。
現在の鳥居は、2013年6月に再建されたもので、水底からの高さが、18.5メートル、幅22.5メートルもあり、水上の鳥居としては厳島神社の高さ16メートルを超える国内最大級の大きさです。

現在の鳥居は新日鐵住金株式会社製の耐候性鋼材が用いられています。笠木に防鳥ワイヤーがはられていました。

 

東の一之鳥居は、名所として広重によって描かれています。

《六十余州名所図會 常陸国 鹿嶋太神宮 歌川広重 江戸時代 1853年》
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江戸時代大船津は水運による経済や文化の要衝であると同時に鹿島神宮参拝の玄関口だった。丹で塗られ稚児柱と一本の粋差がある四脚鳥居が描かれている。

 

これが「西の」とつくからには、当然他にも一之鳥居があるわけですが、タクシーで行くには遠すぎるので、次回レンタカーでも借りることがあれば回ってみたいと思います。ちなみに、北の一之鳥居鹿嶋市浜津賀の神戸森(ごうどもり)にある戸隠神社の鳥居、東の一之鳥居は明石浜鳥居、南の一之鳥居は息栖神社の大鳥居に該当します。