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南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-@国立科学博物館

身を切るような寒さの中、朝一番で国立科学博物館へ向かいました。
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南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-展の初日です。
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南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした「情報提供者」として評価されるようになってきました。本展覧会では、熊楠の活動のキーアイテムである日記・書簡・抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)・菌類図譜を展示。“熊楠の頭の中をのぞく旅”に誘います。

ロッカーに荷物を入れて、日本館1階の企画展示室に向かいます。
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はじめに

南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきましたが、近年の研究では、広く資料を収集・蓄積し、操作・処理した「情報提供者」として評価されるようになりました。その方法論は現代の情報科学の手法と重なる部分が少なくありません。熊楠の活動のキーアイテムは、古今東西の文献・抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)・書簡・菌類図譜です。これらを通して、無数の情報(智)を収集した熊楠の頭の中をのぞいてみましょう。

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南方熊楠の肖像の正面に南方マンダラのホログラム、その周りに、菌類図譜、抜書、書簡、日記が配置されていました。

《南方マンダラのホログラム》
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南方は、土宜法竜(渡英中に知り合った真言宗の高僧)への書簡の中で、この世で起こる事象の関係を表す南方マンダラと呼ばれる図をいくつか描いた。

1 熊楠の智の生涯

南方は幼い頃から様々な和漢の書物の筆写に精を出した。中でも『和漢三才図会』という江戸時代の百科事典に出会って、知識を集めることに大きな喜びを見出した。留学中も標本採集や大英博物館図書館での抜書作成など、智の収集に励んだ。

《和漢三才図会(原本)》
《和漢三才図会抜書》
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《ロンドン戯画》
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ロンドン生活を戯画にして多屋たかに送ったはがき。シルクハットをかぶっているのが熊楠。書かれたのは那智時代。

2 一切智を求めて

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帰国した南方は、紀伊半島の森で変形菌やキノコ類など隠花植物の採集や、世界中の説話や民話など、あらゆる知識の収集に没頭したという。ここには、紀伊半島の多様な自然を表す写真を背景に、南方の使用したフールドワークの道具や、南方の変形菌研究を支援したリスター父娘にまつわる展示がありました。

《微細藻類プレパラート入れ》 《携帯顕微鏡》 《採集道具》
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《変形菌のモノグラフ》 《ミナカタホコリ》 《グリエルマ・リスターからの手紙》 《ミナカタホコリの原図》 《アーサー・リスターからの手紙》
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3 智の広がり

 熊楠が収集した、多様性に満ちた”隠花植物”。それはいったいどんな生物なのでしょう。科博の研究者がいまでも研究しているこれらの生物(菌類・地衣類・大型藻類・微細藻類)を、科学的視点で、熊楠標本や現在の標本資料と対比しながら紹介します。

この章では、南方が特に収集した隠花植物について、大型藻類、微細藻類、地衣類、変形菌類に大別して、科学的視点での展示がありました。

《キャラメル箱》f:id:Melonpankuma:20171219174547j:plain

南方が御進講の際に進献した標本を入れたキャラメル箱と同型のもの。

昭和4年(1929)、62歳を迎えた南方は、変形菌類に関心をもっていた昭和天皇に対する御進講の機会を得る。変形菌標本を《変形菌類の進献図》と共に進献した。

4 智の集積―菌類図譜―

熊楠は、多数の菌類を集め、描写・記載し、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成しました。最近新しく発見された「菌類図譜・第二集」を初公開。従来知られていた図譜(第一集)も、合わせてバーチャル展示。

南方の作った図譜は4000点近く。水彩画で実物大に描写し、実物をスライスして貼り付け、余白に詳細に採集地の情報や形態などの生物学的特徴を記している。
南方の研究は、常に海外の有識者に支えられていた。これは十分な参照文献が不足した時代において、当然のことだったという。
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南方は菌類図譜を作るだけで、新種の発表には積極的でなかったことから、収集する作業だけが目的になっていたと思われる。
南方は、「小生は元来はなはだしき癇積持ちにて、狂人になることを人々患えたり。自分このことに気がつき、他人が病質を治せんとて種々遊戯に身を入るるもつまらず、宜しく遊戯同様の面白き学問より始むるべしと思い、解剖等微細の研究は一つも成らず、この方法にて癇積をおさうるになれて今日まで狂人にならざりし」と書いている。

5 智の展開―神社合祀と南方二書―

膨大な知識とフィールドにおける経験は、やがて、神社合祀反対運動を通じた自然保護運動をうったえる「南方二書」として結実しました。二書に登場する植物の標本(現在の植物)を展示し、熊楠の膨大な知識・経験が自然保護の実践に結びついたことを紹介します。

 《アオウツボホコリ》f:id:Melonpankuma:20171219174548j:plain
大鏡を覗いたところ。
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アオウツボホコリ
熊楠が猿神社のタブの老木株に生育するのを発見し、リスターが新種として記載した変形菌。神社合祀によってこの神社のすべての樹木が伐採され、変形菌の生育環境が破壊されたことが熊楠の怒りに火をつけました。

《松村任三宛の書簡(南方二書の原本)》f:id:Melonpankuma:20171219174550j:plain
明治政府は、1906年に神社合祀に関する二つの勅令を発布した。これは、町村合併に従って複数の神社を一町村で一つに統合し、廃止された神社を民間に払い下げした。これは戦費の借金を返納する目的があった。
南方は各界の有識者に書簡で支援を求め、反対運動を展開した。

6 智の構造を探る

熊楠の活動は、自然史にとどまらず、人文系の分野にまで及びました。代表作である「十二支考・虎」も、膨大な情報収集の上に編み出されたものです。「虎」には、熊楠が「腹稿」と呼んだメモ書きが発見されており、熊楠の頭の中にある情報をまとめていく過程を示したものとして、現在でも研究されています。「虎」の腹稿研究の紹介を通じて、熊楠の思考に迫ります。

南方は自分が作った抜書の目録の他に、キーワードを抽出した目録も作っていたという。つまり、自分専用の百科事典を作っていた。

 《「虎」腹稿に引用された原典》 《田辺抜書》
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『十二支考・虎』は寅の年(1914年)に連載が始まった。その年の干支の動物について、各国語の語源や生物学的特徴などあらゆる分野の知識を羅列する熊楠独特の表現をした連載。「虎」は第一回ということで、かなり入念に腹稿を準備した。

《「虎」腹稿》
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《腹稿研究のステップ 翻刻
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最初に行うのは、自筆文字の解読です(翻刻)。複数の熊楠研究者たちが議論しながら熊楠の文字を活字に起こしていきます。

《腹稿研究のステップ 流れの解析》
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熊楠は赤字で項目立てした後、項目どうしを線で結んでいます。この流れを示したのがこの図です。島のように独立した話題と、連続した話題があることが分かります。熊楠自身は材料を取捨選択し、グループ化するなど、操作していることがわかります。

今でいうマインドマップというものです。こういう発想が、まさに「百年早かった」と評されるところだと思います。

入口のところで係の方に申し出たところ、無料の小冊子を頂きました。展示がほぼ網羅されていて、大変充実した内容でした。

 

今年は、生誕150年を記念して、南方熊楠にまつわる展示がいくつか開催されています。膨大な智の集積をしたにも関わらず、これまで社会的に評価されずにきたのは、ひとえに論文を発表していないからだとも言えます。それにしても、南方の歩んだ人生を眺めると、とにかく知識の収集欲が強い。興味の向く情報を全て集めて記録したいという強い欲求を感じます。その割に、アウトプットにそれほど関心が向かなかったのは、よほど研究発表までの過程が煩雑だったのか、研究が評価されない時流だったのか。ともあれ、南方にとっては、収集と情報の集積自体が目的になっていたのは間違いなさそう。今に生きていたら、間違いなくブログを開設していたことでしょう。

 

科博には東博ほど通っていないので、フロアの把握もまだ慣れずにいます。おかげで、どこを見ても新鮮な気分。
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大理石が多く使われているので、ついでに化石探し。
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吹き抜けのあるフロアの赤味を帯びた大理石には、アンモナイトがあちこちにありました。科博での化石探しは楽しいのですが、壁をマジマジと眺める変な人になってしまうので、すれ違う小学生に不審がられるんじゃないかと、ちょっと心配(笑

 

南方熊楠のような偉人と比べるのはお恥ずかしいのですが、情報収集の楽しみを知る一人として思うことを少々。

智の楽しみとは、つまり、新たな視点を得ることだと思います。新しい知識や物の見方が、何気ない日常に面白さを見出し、そのかけがえのなさを感じることで、日々の暮らしを豊かに楽しくさせます。

オヤコフンさんのブログは、まさにそのような新しい視点を与えてくれたもののひとつです。

massneko.hatenablog.com

墳丘からの眺めは、犬の散歩で、ふと入り込んだ路地のことを調べていてたどり着いたブログでした。その記事には、ごく近所に住んでいる私が知らないことばかり書かれていて、オヤコフンさんの観察眼に驚かされると同時に、自分が住んでいる地域のことをあまりに知らないことに呆れました。
人は見たいものだけを見るので、見方が違えば、目の前にある物も見えません。私が犬の散歩をしている時に気にかけていたことと言えば、犬の様子と周囲の危険、そして、この先に犬連れで入れる美味しいカフェがあるかどうかくらい。どんなに歩いても、その土地の地形、歴史、建造物などは、ほとんど目に入っていなかったのです。
開発の盛んな地域なので景観は次々に変わりますが、確かに言われてみれば、あちらこちらに神社・寺院、史跡があって、その土地の歴史なりが書かれた看板が数百メートル毎に見つかる頻度で立っています。昔から人が多く住んでいるところだから情報の集積も膨大です。住みよい街という括りでしか見ていなかった土地を、歴史という視点で眺めると、新たな発見が次々と。それまで歴史に興味がなかったとはいえ、よくもここまで無視して住んでいたものだと、恥ずかしく思ったものです。

こういうことは、人生に多々あります。経験に頼りすぎて視野が狭くならないよう、今後も新しい視点を獲得したいと思っています。