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常設展@東京国立博物館

夏休みを控え、常設展では展示替えがありました。

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展示替えされたものを中心に、いつものように気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 2室 国宝 華厳宗祖師絵伝

《◉華厳宗祖師絵伝 元暁絵 巻中 1巻 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵》
新羅国の華厳宗の祖・元暁の事績を描いた絵巻。988年、北宋で編まれた「宋高僧伝」という高僧の伝記集をもとにストーリーが構成されている。クライマックスは、龍宮からもたらされた金剛三昧経の内容を元暁が講じ、その徳により王妃の病を癒やしたというくだり。今回展示しているのは、王の使いが龍宮から金剛三昧経を持ち帰るという場面。画面に場面説明や話し手のセリフの書き込み(画中詞)があり、ストーリーを追いやすい。
元暁と並ぶ新羅国の華厳宗の祖・義湘の事績を描いた義湘絵とともに、京都・高山寺に伝わりました。鎌倉時代前期に高山寺を再興させた華厳宗の僧侶、明恵上人の周辺で制作されたと考えられている。

3室 仏教の美術―平安~室町

《◎慈恵大師坐像 1躯 蓮妙作 鎌倉時代・弘安9年(1286) 滋賀・金剛輪寺蔵》
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比叡山中興の祖、慈恵大師は観音の化身であったとか、鬼を調伏する力があったなど、さまざまな伝説が生まれ、信仰を集めた。滋賀県金剛輪寺に伝わり、ほほが張り眉が長いところは平安時代に描かれた慈恵大師の特徴と一致する。元は左手に金剛杵、右手に数珠を持っていたと思われる。本像は像内の墨署銘から蓮妙が父親極楽往生を願って造立したことがわかっている。

《富士参詣曼荼羅図 1幅 室町時代・16世紀 個人蔵》
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中央に大きく富士山が描かれ、左右には日輪と月輪、頂上の三峯に三尊仏を置き、さらに天上に阿弥陀聖衆来迎を描いている。富士の裾野にかけては、中腹の雲の中に御室大日堂、ため池があるのは富士山本宮浅間大社だろう。富士川が横断し、三保の松原駿河湾がある。この地で暮らす人々、参詣の旅人、様々な動物が描かれ、さらには、画面右下に火に包まれた大八車に乗せて地蔵を運ぶ鬼まで描かれている。

《◎華厳五十五所絵巻 1巻 鎌倉時代・13世紀》
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文殊菩薩の勧めにしたがって善財という童子が五十五人の善知識(仏教の正しい教えを示してくれる存在)を訪ね、教えを乞う「華厳経」に説かれる物語を描いたもの。展示されているのは善見比丘、自在主童子、無上勝長者、獅子頻申尼、婆須密多女とそれぞれ会う場面。

地蔵菩薩霊験記絵巻 1巻 鎌倉時代・14世紀》
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地蔵菩薩の様々なご利益を描いた絵巻。中国の常謹が編んだ「地蔵菩薩応験記」という説話集を基に描かれている。そのため、物語の舞台も人の装束も中国を意識した描写になっている。

地蔵菩薩像 1幅 鎌倉時代・14世紀》
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剃髪した僧侶の姿で左手に如意宝珠、右手に錫杖を持ち、地蔵の頭上にある光明に六道の生き物が描かれている。足元の蓮は金と銀に輝き、雲に乗って浮いている。
地蔵菩薩は、苦しみの世界である六道(天上、人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄)で生まれ変わりを繰り返す者を救済する。

本館 3室 宮廷の美術―平安~室町

《◎男衾三郎絵巻 1巻 鎌倉時代・13世紀》
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都で優雅な生活を送り美しい妻を娶った吉見二郎と、武芸一途で醜い妻を娶った男衾三郎という兄弟の物語。二郎は大番役のため上洛した帰路に山賊に襲われ、三郎に妻子を託して死ぬ。しかし三郎は二郎の妻子を虐げ、国司が二郎の娘を見初めたので引き離し、かわりに自分の娘を引き合わせるが、国司がその醜さにあきれる、というところで話は終る。武家の暮らしや合戦の様子などを描いている。
展示は、吉見二郎が邸の門に座って釣殿の歌会を見るところから山賊との戦いの場面まで。

本館 3室 禅と水墨画―鎌倉~室町

《許由巣父図 1幅 「酔墨」印 室町時代・16世紀》
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許由と巣父は俗世での出世を嫌う中国の伝説上の高士。時の帝である堯から天下を譲ると言われ、耳が汚れたと言って許由は川の水で耳を洗い、巣父はその水を牛に飲ませられないと言って引き返したという逸話。中世以降、水墨画が画題として好まれた。栄貴を忌み嫌うことのたとえ。
巣父の衣の水色がやけに目に残った。

《三酸図 1幅 「輞隠」印 室町時代・16世紀》

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中国北栄の儒教の蘇東坡、道教の黄庭堅仏教仏印禅師が、甕の中の桃花錯(とうかさく)を舐め、あまりの酸っぱさに眉をひそめている。儒教道教仏教の三教一致の思想を表した東洋画の画題で、日本では室町時代に禅林を中心に描かれた。輞隠(もういん)は狩野派の画家。

《◎商山採芝図 1幅 一庵一如賛 室町時代・15世紀》
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陝西省の商山に分け入り、野草を摘む二人。野草を手にしている高士は、野草入れた籠を杖にくくり付けて肩に担いている。
賛詩は採芝操(さんしそう)の「曄曄紫芝、可以療飢」を引き、商山四皓に触れている。商山四皓は、中国秦末、戦乱を避けて商山に隠遁した四人(東園公、綺里季、夏黄公、甪里)のことで、皆髪が白かったために皓と呼ぶ。画面には2人しか描かれていないので対になるもう1幅があったとも考えられる。賛者の一庵一如は応永9年(1402)に明から派遣されて来朝した中国人の天台僧で翌年帰国した。

《仙女図 1幅 良祐筆 室町時代・16世紀》
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縮れでて広がった頭髪、薬草が入った篭を手に、葉を重ねた傘と桃の枝を肩に担ぐ。腰には瓢箪をつるしている。
仙女とは道教における最上位の女仙西王母のこと。山海経には「人のすがたで豹の尾、虎の歯で、よく唸る。蓬髪に玉勝を戴く。彼女は天の勵(天災)および五残(5つの残酷な刑罰)を司る」とある。桃源郷で数年に一度しか実らない不老不死の桃を育てる。

本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸

源氏物語澪標図屏風 6曲1隻 筆者不詳 江戸時代・17世紀 東京・大倉集古館蔵》
配流を許され内大臣になった光源氏が、住吉大社へ御礼参りをする場面を描いている。長くたらした下襲の裾を若い従者に持たせているのが光源氏。盛大な行列は赤い鳥居に向かって進む。その先には高く弧を描いた反橋(太鼓橋)がある。屏風の右上には、偶然同時に訪れていた明石の君の船が描かれている。

《◎鵜飼図屏風 6曲1双 狩野探幽筆 江戸時代・17世紀 東京・大倉集古館蔵》
夜、かがり火を焚き、鵜を操って鮎を獲っている。川面に映る炎や水中にもぐる鵜、それを操る漁師、舟の上で料理を食べながら観ている者達を生き生きと描いている。画面地の余白を生かした理知的な画面構成と軽淡瀟栖な画風を特徴とする狩野探幽の代表作。

《瀟湘八景図屏風 6曲1双 狩野尚信筆 江戸時代・17世紀》
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右隻の右から、山里の集落、遠くの山に寺院が見え、水辺にはのどかな漁村ががある。湖の先は雨が降っているようだ。左隻右から、水面に帆をかけた舟、空に月、雁の群れが見える。左端には雪の風景。
瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖流入する瀟水と湘水付近の景勝地は、特に八つの景色(平沙落雁、遠浦帰帆、山市晴嵐、江天暮雪、洞庭秋月、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、漁村夕照)は画題として好まれた。余白を広くとった江戸時代における水墨表現の典型的な山水画の例。

本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸

《溪山幽居図 1幅 与謝蕪村筆 江戸時代・宝暦8年(1758)》
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深い山に隠居する高士の図。
与謝蕪村は、江戸時代中期の日本の俳人であり画家。俳画創始者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。池大雅と並ぶ南画の大成者ともされる。

《◎兎道朝暾図 1幅 木米筆 江戸時代・文政7年(1824)》
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兎道とは宇治のこと。画面中央には宇治川が流れ、右に平等院鳳凰堂、左には宇治橋が見える。中央奥の山は、本図を描いた料亭鑑水楼のある朝日山。人物を中国人風に描き、異国風に表している。
青木木米は江戸後期の陶工、南画家。本作品は、「甲申仲秋」の年紀から、文政7年(1824)、木米58歳の作。題記により、皐陽君(和気正稠)のために鑑水楼で朝景色を描いたものであることがわかる。

《前後赤壁図 2幅 谷文晁筆 江戸時代・文化4年(1807)》
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政争のため同3年都を追われ黄州に流された蘇軾が、翌々年7月揚子江中の赤壁に遊んだときのありさまを記したもの。同年 10月再び赤壁に遊び続編をつくったので、7月の作を「前赤壁賦」、10月作を「後赤壁賦」と呼ぶ。
右幅の前赤壁賦が岩壁を真横から観る視点で描いたのに対し、左幅の後赤壁賦はかなり上から見下ろしているため、月が水面に映った姿で描かれている。この場所は、夏と冬で水位がかなり異なるらしい。

《夏景山水図 2幅 谷文晁筆 江戸時代・18世紀 東京・大倉集古館蔵》
右幅の大きく茸のような奇妙な形の山には木々が茂り、尾根が正面に見える。滝から続く川を渡る橋の手前、二頭の馬にそれぞれ乗った旅人に従者三人が続く。左幅にも茸のような奇妙な形の山。木々が茂り、正面を向いた尾根は毛皮の襞が重なっているように見える。山から勢いよく落ちる滝。中景の湖にかかる橋に人の姿。どちらも水面から靄が立ち上がり、遠景はかすみ、薄く描かれている。

《納涼図 1幅 岸連山筆 江戸時代・安政4年(1857)》
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川辺で涼を取る人々。山から勢いよく水が落ち、実に涼しげ。
岸連山は、岸駒、岸良に師事し、駒の婿養子となり第三代岸派を継承。有栖川宮家に仕えた。

本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

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《二美人駒引き図 1幅 山崎龍女筆 江戸時代・18世紀》
上写真の左。背景の富士山を墨でしっとりと描き、馬と二美人は鮮やかな色彩で表す。その対比が面白い作品。漢詩は「史記」の引用で「貞女不見両夫」、和歌は西行が詠んだもので「風になく 富士の煙の空にきえて 行方も知らぬ わが思い哉」とある。落款より龍女14歳の作とわかる。

《柳下美人図 1幅 宮川一笑筆 江戸時代・18世紀》
上写真の右。柳の下、縁台に腰掛け煙管を使う遊女。下げ髪で水色の着物を前帯でゆるやかに着ている。
一笑は宮川長春の門人で、長春譲りの肉筆美人画を得意としたが、晩年事件を起こして流罪となり、そのまま流罪地新島で没した。

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《南四季夏景 1枚 歌川豊国筆 江戸時代・18世紀》
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南江戸の夏を描いたもの。食膳の置かれたお座敷から美人らが眺める海には、祭りらしく多くの舟が浮かび、水に浸かって太鼓を叩く人も見える。この絵は大判縦二枚つなぎで、画面右に風景が続き、そこには海の中で担がれた神輿が描かれている。女達は日本髪を高く結っている。島田や立兵庫、前髪を高く結っているのも面白い。着物は襟をはだけて前帯でゆるやかに着ている。裾から出た足がなまめかしい。
おはしょりを作らないで、これくらいゆるく着るのが許されるようになれば、和装がもっと流行るのにと、浮世絵を見るたびに思う。

《江戸名所之内両国花火 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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広重の得意とした浮世絵名所絵。天から降り注ぐ巨大な花火。隅田川には見物の屋形船(提灯を並べた武家用の大きなもの)や屋根船(庶民用の質素なもの)が浮かび、両国橋の上も大勢の見物人でごった返している。手前の橋は神田川にかかる柳橋で西両国の広小路(現在の東日本橋)から見た風景である。

《東都名所 両國の凉 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
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こちらも両国の花火を描いたもの。屋形船で飲み食いする花火見物客が横に寄せた舟の物売りから食べ物を買っている。わずかに傾いた船に不安を感じる。物売りの舟の下にあるのは、提灯が水に映ったものだろう。遠くに花火打ち上げ舟。右から場石尊垢離(大山講に向かうための水垢離)の一団が泳いでくる。花火でに照らされて、対岸の山々までくっきりと見える。

《大山良辨瀧之圖 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
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江戸時代中期から後期にかけて各地で大山講が流行り、相模国大山に最盛期の宝暦年間、年間20万人が参詣したとされる。この画は、夏の大山参りに訪れた人々が良弁瀧で身を清めている場面である。

《百物語・化物屋敷の圖 林屋正蔵工夫の怪談 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
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百物語とは夜中に怖い話をして100本用意した蝋燭を一話ごとに消していく会談噺の会。100話を語り終えると、本物の化物が現れるとされた。初代林屋正蔵は怪談噺の元祖で、百物語化物屋敷を創作した。この画は、正蔵が語り生み出した化物がいっせいに現れたところ。

《端唄の意 二編・はつ秋や 1枚 歌川国貞(三代豊国)筆 江戸時代・安政5年(1858)》
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団扇絵。七夕飾りと星空を背景に、縁側でくつろぐ女を描いている。周りには蛍も舞う。
七夕と蛍で初秋とはどういうことか。端唄という江戸で流行した三味線伴奏の小歌に「秋の七草虫の音に鳴かぬ蛍が身を焦がす 君を待つ虫鳴く音に細る恋という字は大切な」と、初秋の夜、秋草に残った蛍の光をみつけ、松虫の音を耳にしながら、恋心に悩む歌がある。この辺が画題になったと思われる。

《◎歌舞伎図屏風(右隻) 1隻 菱川師宣筆 江戸時代・17世紀》
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芝居小屋「中村座」の入り口と役者総出の太平楽の舞台と観客席を描いた屏風。楽屋とこれに繋がる茶屋を描いたもう一隻の屏風と組み合わせて六曲一双となる。元禄歌舞伎の華やかさが臨場感をもって表現されている。款印こそ伴わないが、今日の研究では、浮世絵の始祖と呼ばれる菱川師宣の晩年の代表作として定評がある。師宣独自の画風で描かれた人物は総計二八五人に及ぶ。

《大橋下の涼み船 5枚 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀》
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隅田川にかかる新大橋の下の風景。橋脚を並べて遠近感を作り出している。対岸には、隅田川東岸の御船倉(幕府の舟を収納する倉)が並び、竪川を望む隅田川での舟遊びの様子を5枚連ねたワイド画面に描いた。屋形船では人形操りも行われている。浮世絵らしく、男の姿は少なく、大勢の女が描かれている。

《大山良辨瀧 3枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
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良弁瀧で水垢離をしている大山詣出に着た大勢の人々を描いたもの。行列に押されるようにして、頭に手ぬぐいを巻き、背中には刺青をし、ふんどし姿の男たちが水の中に入っていく。瀧の水を頭からかぶって、実に涼しげ。森の中に行列が見える。

本館 18室 近代の美術

《大同石仏 3曲1隻 前田青邨筆 昭和13年(1938)》
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中国山西省の大同を訪れたときのスケッチをもとに描いた大作。有名な雲岡第20洞の巨大石仏を淡い色調で描いた。手前に描かれた青い服の人物によって仏像の巨大さが引き立つ。大きな岩山をくりぬいて彫られた仏像をイメージして、3曲の屏風に仕立ててある。

《秋草図屏風 2曲1隻 酒井道一筆 明治時代・19世紀》
月の光をイメージさせる銀色の屏風。抱一の代表作《風雨草花図》の右隻を模写したもの。構成は同じだが、トレースしたわけではないので細部の描写は異なる。
道一は、鈴木其一に琳派の画法を学び、酒井鷺一の養子となって雨華庵四世を継いだ。
写りこみが激しかったので写真なし。前に受けたセミナーの講師で酒井家ご子孫の方は、道一から血縁がつながる方でした。

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《柳蔭 6曲1双 横山大観筆 大正2年(1913)》
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大画面に執拗なほど繰り返された緑青の筆触に目を奪われる。右隻、大樹の下には驢馬と童子が眠る。画面から醸し出される大観の老子的思想をうかがうことができる。

《溪山春色 6曲1双 松林桂月筆 昭和10年(1935)》
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清流のある深山の風景。木々と竹が重なり合い、不思議な遠近感が生じている。屏風の折り目による効果が発揮された作品。

《神輿振 1巻 前田青邨筆 大正元年(1912)》
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神輿振とは、担いだ神輿を威勢よく振り動かすこと。平家物語の御輿振では、比叡山延暦寺の僧徒が朝廷に強訴しようとして、日吉神社の神輿を先に立てて入京した際、源頼政がわずか三百余騎で北の門(縫殿)の守護につき、追いはらった。

《◎麗子微笑 1面 岸田劉生筆 大正10年(1921)》
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満7歳の愛娘を描いたもの。北方ルネサンスの画家アルブレヒト・デューラーの影響を受けて克明写実な人物画に執着。そこには「内なる美」を求めたキリスト教信者としての宗教観を見ることができる。

《銅蟹蛙貼付蝋燭立 1基 百瀬惣右衛門作 明治6年(1873)頃 ウィーン万国博覧会出品》
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《野猪 1躯 石川光明作 大正元年(1912)》
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石川光明ははじめ根付を学んだが、この作品も根付を大きくしたような愛らしさがある。光明は前足を立てた猪を好んで制作した。

珍しく貴賓室が公開されていました。
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貴賓室は、昭和13年に東京都港区帝室博物館の本館だった時代、貴賓室として使われていた。両脇に控えの間が付属している。通称を便殿といい、中国で貴人が休息するための仮の御殿を意味する。この部屋は当時天皇はじめ皇族方のご休憩所として使われた。現在は、皇族方だけではなく、国賓や公賓など国の大事なお客様の休憩所として利用されている。
通常は扉が閉められていますが、第1、第3土曜日と、祝日、お正月(1月2日、3日)に扉を開放しているようです。中には入れないようにしてあります。

 

東博を出た後に銀座線で青山に移動し、骨董通りのクチュームでガレットブーケ。
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おいしいサラダで満腹になると、体によいことをした気分になりますね。

クチューム 青山店

食べログクチューム 青山店