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日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

上野にはしょっちゅう来ているのに、ゴールデンウィークを挟んでずいぶんと間を空けてしまい、久しぶりの東博詣でとなりました。それにしてもよい天気。本館の正面から主庭を見ると、まるでスーラーの絵の中にいるような光です。
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いつものように、気になった作品を以下にメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

 

 本館2室 国宝 法華経 巻第一(浅草寺経)

《◉法華経 巻第一(浅草寺経) 1巻 平安時代・11世紀 東京・浅草寺蔵》
浅草に伝わった法華経。全紙にわたって丁字(クローブ)と金で装飾が施された豪華な料紙を使い、展示品の見返しには釈迦説法図が描かれ、丁寧に書写されている。

 本館3室 仏教の美術―平安~室町

聖徳太子立像(孝養太子) 1躯 鎌倉時代・13~14世紀 愛知・本證寺蔵》
用明天皇の病気平癒を祈る太子16歳の像といわれている。髪を角髪(みずら)に結い、朱色の袍に腰衣を着け、七条遠山袈裟と横被を搭けて、右手で柄香炉を持ち左手をそえて、小指で横被をとめている。
太子の真剣な顔立ちが美しい。

《紺紙金字一字宝塔法華経五百弟子品断簡(太秦切) 1巻 平安時代・12世紀》
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金泥で描いた宝塔中に経文を書写。見返しは後補だが、聖徳太子が黒駒に乗って富士山まで飛ぶ伝説を描く。京都太秦広隆寺伝来により太秦切と呼ばれ、伝聖徳太子筆とされるためこの見返しが付けられたと推測。

本館3室 宮廷の美術―平安~室町

《◎馬医草紙断簡 1幅 鎌倉時代・13世紀》
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立派な厩に繋がれた馬。胴に天井から下げられた綱がかけられている。馬名、クロウリウとある。
馬医の秘伝書として、日本と中国の名馬医や名馬の姿、薬草の図などをまとめたもの。現像数は少なく、この断簡はその中でも最も古い例と見られている。日本での馬医は朝廷の牛馬の医者として8世紀に始まるといわれている。

《◎馬医草紙 1巻 鎌倉時代・文永4年(1267)》
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鎌倉時代の武人の宝であった飼馬の薬法を伝えたもの。各色紙形には馬医道の守護神である伯楽、医王法薬、頼公、東群、天、大汝、王良、幡蓋、神農、越後丹介など和漢十人をかかげ、それぞれの忌日、本地、真言、侍者名を記し、その画像にあわせて廐馬図を描いている。巻末に、「七郎兵衛尉泰相伝之 文永4年<1267>丁卯正月26日甲寅 西阿(花押)」の奥書がある。

《◎古今和歌集巻第十一断簡(筋切) 1幅 伝藤原佐理平安時代・12世紀》
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もとは粘葉装(でっちょうそう)冊子本で、飛雲や羅紋を漉きこみ、金銀の揉み箔を撒いた料紙を用いている。銀泥の縦線があることから筋切と呼ばれている。裏面は、布目の跡が篩(とおし)のようにみえるので通切といっている。

本館3室 禅と水墨画―鎌倉~室町

《◎四季花鳥図屏風 6曲1双 伝雪舟等楊筆 室町時代・15世紀》
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雪舟の弟子によって描かれたものと推定されている。右隻には松、竹、牡丹、蓮に番の丹頂鶴、左隻には手前に大きく梅と番の鴨が描かれている。 いずれも実物大に近い大きさで描かれていて迫力がある。

本館7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸

《◎西園雅集図屏風 6曲1隻 高久靄厓筆 江戸時代・19世紀》
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滝のある壮大な風景の中、松の下では二つの机を持ち出し書画を楽しんでいる。川にかかる橋の近くでは岩に向かって画く者、川の流れを見つめる者がいる。
西園雅集とは、中国北宋に渡った円通大師(寂照)が蘇東坡をはじめとする当時の文人達を西園に集め、作文、作詩、書画を楽しんだという故事。江戸時代の文人画家が好んで描いた。靄厓(あいがい)は谷文晁門下、池大雅に私淑した。

《桃源仙境図屏風 6曲1双 福田半香筆 江戸時代・安政2年(1855)》
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外界から隔絶した桃の花が咲く豊かな村に漁師が迷い込む、陶淵明「桃花源記」を画題としたもの。右下に洞窟の入り口、奇岩の連なる山々、それを抜けると良田には牧童と牛、美池には釣人、鶏や犬など桃源郷の光景が広がる。福田半香は渡辺崋山の高弟。
描かれているのは桃源郷ののどかな風景でありながら、幾重にも重なる奇妙な岩石を緻密に執拗に描いている。南画特有の粘り気の質感が桃源郷の不思議な雰囲気とよくあっている。

《◎蘭竹図屏風 6曲1双 椿椿山筆 江戸時代・嘉永5年(1852)》
蘭竹水墨画の押貼屏風。蘭は世に埋もれた高節の士、竹は冬の風雪にも緑を失わないところから君子に例えられ、その組み合わせは文人画家が好んで描いた。

本館8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸

《石曳蒔絵盆 1枚 江戸時代・17世紀》
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江戸時代初頭には宗教や文学にばかり取材するばかりでなく、生活に身近なものとして、石曳、曳舟、田植などの労働の場面が文様となって描かれるようになった。近世に入り、文様の表現が多様になったことを示す現象のひとつ。

《芦蒔絵文台・松千鳥蒔絵硯箱 1具 江戸時代・19世紀》
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干し網に白鷺の文様。網を干す様子はその曲線の組み合わせの妙が好まれたらしく、桃山時代以降の絵画や工芸品のモチーフに、しばしば見受けられる。

本館8室 書画の展開―安土桃山~江戸

《鸕鷀草葺不合尊降誕図 1幅 狩野探幽筆 江戸時代・17世紀》
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上に小屋と男。画面下に大きく波打ち際が描かれている。海神の娘豊玉姫は、産屋に鵜の羽を葺き終わらないうちに産気づき、夫の彦火火出見尊(ひほほでみのみこと)に正体をみられたことで、産まれたばかりの赤子を残して海に帰ってしまう。鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は神武天皇の父。

《◎公余探勝図巻 下巻 2巻のうち1巻 谷文晁筆 江戸時代・寛政5年(1793)》
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谷文晁は田安徳川家に仕え、老中松平定信に近侍した。海防のために伊豆、相模を巡視した定信に随行して描いたもの。

《雑花果蓏図 1幅 椿椿山筆 江戸時代・嘉永5年(1852)》
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木に生る実を果というのに対して、地面に生るものを蓏という。椿椿山は、谷文晁の門下で、後に渡辺崋山に師事し、花鳥画を得意とした。

《郭子儀携小童図 1幅 円山応挙筆 江戸時代・寛政4年(1792)》
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郭子儀は唐朝に仕えた軍人。子供や孫に恵まれたため、「子孫繁栄」や「長寿」の象徴的存在になった。

《許由巣父図屏風 2曲1隻 久隅守景筆 江戸時代・17世紀》
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許由は、帝が自分に帝位を譲ろうというのを聞いてその耳が汚れたと頴川(えいせん)で耳を洗い、巣父は、そんな汚れた川の水は飲ませられないといって牛を牽いて帰ったという故事が画題になっている。

《雨宿り図屏風 6曲1隻 英一蝶筆 江戸時代・18世紀》
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突然の雨に見舞われた人々が軒下に駆け込み、身を寄せて雨宿りをする様子が生き生きと描かれている。北窓翁一蝶圖と落款があるので、江戸に戻ってきてからの作。

赤壁賦 1巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀》
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胡粉を刷した料紙に、蘇軾の「前赤壁賦」「後赤壁賦」を、書体を真行草三体を自在に変化させて書き分けたもの。

本館10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

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《東扇・初代中村仲蔵 1枚 勝川春章筆 江戸時代・18世紀》
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当り役、斧定九郎に扮した初代中村仲蔵を扇面に描いた。初代中村仲蔵は門閥外から大看板となった立志伝中の人で、紋の「中車紋」は中の字を四つ組み合わせたもの。斧定九郎は仮名手本忠臣蔵の鉄砲渡しで娘を売ったお金を懐にした父与市兵衛から財布を奪う山賊。
勝川春章は宮川春水の弟子で写実的な役者絵を得意とした。東扇の連作は、人気役者の似顔絵を扇に仕立てて使えるように、扇形の線が入っている。大首絵の先駆的作品。

《東都御厩川岸之図 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
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洋風表現を取り入れた名所絵のシリーズ。御厩川は隅田川の西岸。地面を叩く雨の跳ね返りの表現が面白い。

《江戸高名會亭盡・亀戸裏門 玉屋 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
しんしんと雪が降る亀戸宰府天満宮の裏門。門前には芸者、岡持ちを持つ料理屋らがいる。ころころとした仔犬が三匹。
江戸高名会亭盡は江戸の有名な料亭を描いたシリーズ。扇形の枠内に書かれた狂歌や絵の中に料亭の名前を入れ、料亭から制作費をもらって制作した「入銀物」。

《二十四孝童子鑑・董永 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
二十四孝(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書。

《名所江戸百景・堀切の花菖蒲 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)》
葛飾区向島にある花菖蒲の名所。江戸名所の一つとして、江戸時代のみならず明治・大正期まで多くの人々が訪れた。荒川沿いの海抜0メートル地域で元々湿地帯なために花菖蒲の栽培に適している。

《見立芥川図 1幅 菱川師平筆 江戸時代・18世紀》
柳の生える川沿いを、男が女を背負い、追っ手でもいるのか背後を気にして進む。伊勢物語の芥川に見立てている。男は袴をまくっているので、膝下に三里紙がみえる。菱川師平は、菱川師宣の門人。

《婦女納涼図 1幅 西川祐信筆 江戸時代・18世紀》
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川床のある料亭で涼を楽しむ女たち。髪を鶺鴒髱(せきれいたぼ)に結い上げている。着物の柄がいちいち面白い。女だけの気軽さか胸元を広げて涼んでいる。建物の中にある行灯には宝鑰(宝物庫の鍵)と矢の絵あります。これで鍵屋と読むのでしょうか。手前に松や朱の鳥居があり、遠くから覗いた風景のように感じられ、覗き見気分が味わえる。

《渡し場図 1幅 北尾重政筆 江戸時代・18世紀》
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渡し場の風景。川の上流から舟が次々とやってきます。川岸には、物売り、別れを惜しむ人、遊ぶ子ども、軒下で丸まっている白い柔らかそうなのは犬かなあ。
北尾重政は鳥瞰図を得意とした鍬形恵斎の師。

《岐阻路ノ驛・河渡 長柄川鵜飼舩 1枚 渓斎英泉筆 江戸時代・19世紀》
河渡(ごうと)宿は日本橋から数えて54番目の宿場。河渡宿のすぐ東を流れる長良川の夜の鵜飼い漁が描かれている。遠景をシルエットで表現。舟の上で煙草を楽しむ男が、漫画へうげものを思い出させてつい笑う。

《新板大道図彙・小田原町 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・文政8年(1825)頃》
有名な町の風景を図鑑のように表したシリーズ。小田原町日本橋川の北岸にあった魚河岸の風景。天秤棒で人の体ほどもある魚を運ぶ男が目を惹く。

《新板大道図彙・通町 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・文政8年(1825)頃》
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通町は日本橋のすぐ南で当時のメインストリートの風景だが、実にのどか。米俵を井戸の囲いに乗せて休憩する男、杵でついて脱穀している脇では飛び散ったのを鶏が啄ばんでいる。江戸名物、蒲焼の看板もある。仔犬もいるし、のんびりと進むいざり車。赤ん坊、子ども、雛、仔犬。

《新板大道図彙・外神田 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・文政8年(1825)頃》
舟から運び出したバレーボールのようなものを地面に並べている。当時この辺りには青果市場があったので、スイカかもしれません。

《新板大道図彙・馬喰町 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・文政8年(1825)頃》
馬喰町はその地名のとおり馬が集まるところで、当時は旅籠屋の集まる宿場町。旅の疲れを取るために按摩されている風景。

《新板大道図彙・季ぞろ 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
節季候ともいい、歳末から新年にかけて赤い布で頭を覆い「節季にて候う」の意味で「せきぞろござれや」とはやしながら家々を回り、米や金品を請い歩いた遊芸。日本版ハロウィン。

本館特別2室 幕府祈願所 霊雲寺の名宝

文京区湯島の霊雲寺は、元禄4年(1691)五代将軍徳川綱吉の帰依を受けた覚彦浄厳(1639~1702)を開基とし、国家安泰を祈る幕府祈願所として創建された真言宗寺院です。浄厳はとくに梵字悉曇学に関する多くの研究書を著し、また仏教徒としての戒律護持の大切さを説きました。一方で江戸庶民にも多くの灌頂、授戒を行ない、霊雲寺は民衆にも寄り添う寺院として広く親しまれました。本特集では、霊雲寺が所蔵する名宝と当館所蔵の関連資料をともに展示し、霊雲寺と寺宝の魅力、開基浄厳の行状について紹介します。

《◎弥勒曼荼羅図 1幅 鎌倉時代・13世紀 東京・霊雲寺蔵》
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災害や罪業を消滅させる密教の修法、息災法の本尊で、中央に弥勒菩薩が座す。鎌倉時代に制作された醍醐寺本や「別尊雑記」に掲載される弥勒曼荼羅図に共通する図像。截金(きりかね)文様を施した優品。

《◎日吉山王本地仏曼荼羅図 1幅 鎌倉時代・14世紀 東京・霊雲寺蔵》
滋賀日吉社山王権現)の神域を大和絵で描き、各社殿の本地仏を配した礼拝画。日吉山王は江戸の産土神でもあり、綱吉も篤く信仰した。酒井抱一による箱書が付属する。

十六羅漢図 16幅 鎌倉時代・14世紀 東京・霊雲寺蔵》
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細密に着色される、いわゆる季龍眠(北宋の画家)様と呼ばれる系統に属する羅漢図。付属する箱書から、もと京都・大徳寺の塔頭玉林院に伝来し、霊雲寺へ伝わったことがわかる。江戸時代創建の際、宗派を越えて仏画の優品が集められたことがわかる。

 

特別展示室を出て、一階へ降ります。
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本館12室 漆工

《◎比良山蒔絵硯箱 1合 塩見政誠作 江戸時代・18世紀》
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蓋表には山と桜花漂う水面に浮かぶ舟、蓋裏には砂浜の老松の下に祠と鳥居が描かれている。金の薄肉高蒔絵、研出蒔絵で装飾された硯箱。比良山地は古くから山風や花の名所として詠われてきた。新古今和歌集の「花さそう比良の山風吹きにけり 漕ぎゆく舟のあとみゆるまで」の歌意を表現したもの。硯を置く部分に朱漆でごく小さく「鹽見政誠」の銘が記されている。塩見政誠は江戸時代中期に京都で活躍した蒔絵師。

吉野山蒔絵見台 1基 江戸時代・18世紀》
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基台から書見板にかけ、金の高蒔絵を施し、満開の桜に彩られた山里を描いている。裏面も美しい。この作品は明治6年(1873)のウィーン万国博覧会鎌倉時代の古器物として鶴岡八幡宮が出品されたものの一つだったが、帰国の際に船が静岡沖で沈没した。その一年後に博覧会事務局が船を引き上げ、陶磁器・漆器など合わせて六八個を回収した。近年修復されて往時の輝きを取り戻した。漆器の丈夫さを照明するために、再度フィラデルフィア万国博覧会に出品されたという。

本館15室 歴史の記録 雛形

雛形には、実物を小さくかたどって作ったもの、模型、形式・様式を示す見本、書式などの意味があります。流行のきっかけとなったデザインや、伝統的な技法などを今日に伝える、多彩で楽しい雛形の世界をご紹介します。

《武田流犬追物雛形 26点(141点の内) 江戸時代・19世紀》
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犬追物の様子を射手、検見その他配置される人々と犬、馬を雛形で再現したもの。武田流は射技の流派のひとつ。
犬追物は、鎌倉時代から始まったとされる日本の弓術の作法の一つで、流鏑馬、笠懸と共に騎射三物に数えられる。区切ったスペース内に150匹の犬を投入し、所定の時間内に騎手が何匹犬を射たかで争う。矢が貫かないよう「犬射引目」(いぬうちひきめ)という特殊な鏑矢を使用した。

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《早縄掛様雛形 18枚 江戸時代・19世紀》
犯人逮捕に用いる早縄の掛け方。縄の長さは2尋半(約3.75cm)で、罪状が決まると、その二倍の長さの本縄を使い、縛られる者の身分や差別によって掛け方に違いがあった。

《魚を木の枝に結び付けかた 1点 江戸時代・19世紀》
二股の木の枝のそれぞれに、魚を縄で結び付けている。犬追物における神饌(神への供物として用いられる飲食物)の図に二匹の魚を縄で結んだ図があることから、おそらくは何かの供物としての結び方を示していると思われる。

《今様櫛きん雛形 3冊 柳亭種彦著、葛飾北斎画 江戸時代・文政6年(1823)》
流行の櫛と煙管の図案集。櫛の部2冊、煙管の部1冊からなる。櫛を約250図、煙管と約160図収めた中に、花鳥、風景、人物、紋様などを描いたもので、櫛や煙管を作る職人がそれぞれに文様を施す際に参考にすることを意図して出版されたと考えられる。

本館18室 近代の美術

《山姥 1幅 河鍋暁斎明治17年(1884)》
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金太郎をあやす山姥。右腕に山で取った果実を入れた籠をかけている。山姥の顔にぐねぐねとうねる髪がかかる。金太郎は赤子の姿ながら、手にした棒で白い獣と引っ張りっ子。犬のようにも見えますが、手を使っているところをみると熊なんでしょうねえ。背中の黒い毛の筋がローデシアンリッジバックを思い出させますが。猿は山姥の着物の裾にまとわりついている。
山姥は深山に住み怪力を持つとされる伝説上の鬼女。金太郎をあやす恐ろしげな老婆として描かれている。画面の欠損はパリでの展覧会に出品された帰りに水難にあったため。画面の傷みが絵の迫力を助長する稀有な例。

《萌芽 1幅 速水御舟大正元年(1912)》
御舟はそれまでの日本画になかった緻密な写実主義を徹底させ、さらに象徴的で幻想的な美の世界を開いていった。羊歯が茂り、辛夷や泰山木を背景にした深山に尼僧が立つ。山種美術館の御舟展以来。

《緑影 2曲1隻 中村岳陵筆 昭和17年(1942)》
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澄んだ水の中を泳ぐ鯉。夏の日差しと水辺の涼しさが感じられる。
中村岳陵は明治から昭和にかけて活躍した日本画家。日本画に油絵の表現を取り入れた作品を制作した。

《かね子夫人像 1面 チャールズ・ワーグマン筆 明治時代・19世紀》
ワーグマンはイギリス人画家、漫画家。幕末に記者として来日し、日本最初の漫画雑誌「ジャパン・パンチ」を創刊した。五姓田義松や高橋由一などに洋画を教えた。

《能人形 牛若・弁慶 1組 森川杜園作 明治時代・19世紀》
能「橋弁慶」を主題にした奈良人形。伝統的な奈良一刀彫による人形だが、弁慶の衣装などにみられる極彩色の表現は杜園独自の表現。

 

上野マルイの無印良品に行ったら、バベルの塔展の写真撮影コーナーがありました。
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