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浮世絵動物園@太田記念美術館

原宿駅のホームに降りたら、前にも後ろにも進めない程の混雑でした。桜が咲く東京はベストシーズンということで、観光客が多い時期なんでしょうか。駅舎が建て直されるという話を聞いていますが、あの都内最古の木造駅舎はとても魅力的だけど、確かにキャパが足りていないのは明らか。うまく保存されることを祈るしかありません。

そんな混雑を乗り越えて、太田記念美術館です。

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ただ今、浮世絵動物園が開催されています。
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ペットとして愛された猫や金魚、擬人化されたタコや狐、龍や河童。2010年に多彩な動物を描く浮世絵をご紹介し好評を博した「浮世絵動物園」展がパワーアップして帰ってきます。展示総数は前回の2倍となる約160点。前回をご覧になった方もそうでない方も、きっとお気に入りの動物に出会えるはず。

www.ukiyoe-ota-muse.jp 

床の間

祇園井特 狆をつれた美人図 絹本一幅 享和‐文政6年(1801-1823)頃》
井特は京都の祇園の絵師で、祇園井特(ぎおんせいとく)と呼ばれた。遊女や芸妓の姿を多く描いた。笹紅の濃い目の顔。裾に極わめて小さく犬が描かれている。

《北尾重政画/真巌賛 見立普賢菩薩図 絹本一幅 寛政10年(1798)頃》
普賢菩薩に見立てて、白象の背中に座る江口の君を描いたもの。謡曲「江口」で、西行法師と歌問答をした遊女の妙(たえ)のこと。西行に仏の道を説き示した遊女が、実は普賢菩薩の化身であった。

小動物百変化

《歌川芳豊 中天竺馬爾加国出生新渡舶来大象之図 文久3年(1863)》
黒い象が餌を食べている。これは、幕末の文久2年(1862)、アメリカ船がマラッカから横浜に運んだ象を描いたもので、この後10年以上日本全国を巡業したらしい。画中に「一度此霊獣を見る者ハ七難を即滅し七福を生ず」とあり、吉祥を呼ぶ動物として扱われていたことがわかる。

河鍋暁斎 天竺渡来大評判 象の戯遊 文久3年(1863)4月》
象の曲芸5種(大盃酒楽、曲乗、盲人の鼻渡り、ろくろくびの道化、軽業)を描いたもの。つい先日Bunkamuraの河鍋暁斎展で見たばかり。

歌川国芳 里すずめねぐらの仮宿 弘化3年(1846)》
擬人化した雀であふれる遊郭。弘化2年(1845)の暮れに吉原は火災で焼け、しばらく仮宅で営業した。雀にしたのは、吉原に通いつめている者を吉原雀とか里雀と呼んだことから。幕府の禁令に触れないよう雀で吉原を描いたのだが、右端の雀の紋所に、出版物の許可を出す改掛名の検印をつけたことから騒動になった。

《歌川芳藤 廓通色々青楼樓全盛 慶応3年(1867)6月》
遊郭の客の姿を鳥の擬人化で描いたもの。廊下で暴れて喧嘩する鳥、それを見物する鳥、奥の座敷で豪遊する鳥、長逗留している鳥。遊女や太鼓持ちは人として描いているのが面白い。
芳藤は子供向きの組上絵(ペーパクラフト)や玩具絵をよく描いたことから、おもちゃ絵の芳藤として良く知られているが、使い捨てされて大半が消失してしまっている。

《落合芳幾 諸鳥芸づくし 安政6年(1859)9月》
擬人化された鳥たちがそれぞれの特徴を生かした芸を見せる。セキレイは尾を振って歩くことから着物の紐を長くして尻ふり、オウムは声色、メジロは押し合い、スズメは踊り、ヤマガラは歌カルタをしている。目が利くフクロウは目鬘(めかづら)をつけている。

《歌川芳員 東海道五十三次内 大磯をだはらへ四リ 嘉永6年(1853)9月》
曽我物語に出てくる大磯にある石だが、芳員が空想上の獣に仕立てた虎子石が描かれている。太田記念美術館のキャラクターでもある。

《四代歌川国政 しん板ねづみのたわむれ 明治15年(1882)11月17日御届》
ネズミを擬人化してその生活を描いたもの。

《服部雪斎 ウチワフグ 明治5年(1872)2月》
服部雪斎は幕末から明治中期にかけて活躍して博物画家。ウチワフグの標本をみて横からと正面からを写生した。学名がラテン語で記されている。

河鍋暁斎 今昔珍物集 個人蔵 明治5年(1872)3月》
明治5年(1872年)湯島聖堂大成殿で行われた、文部省博物局主催による博覧会の様子を描いたもの。15万人もの入場者だったという。服部雪斎が写生したウチワフグの標本も描かれている。

暮らしの中の動物

《鈴木春信 猫に蝶 明和2-7年(1765-70)年》
白黒の猫。目線の先には二羽の蝶が舞う。猫の体はきめ出しで盛り上がっている。背景には秋海棠と紫苑。中国語では猫(mao)は同じ音の耄(70歳)、蝶(die)は同じ音の耋(80歳)を連想させることから、猫と蝶は耄耋(ぼうてつ、老人)を意味し、長寿の吉祥とされる。
関係ないけど、秋海棠と紫苑とくれば、日渡早紀の「ぼくの地球を守って」を思い出す。

月岡芳年 風俗三十二相 うるささう 寛政年間処女之風俗 明治21年(1888)3月御届》
首に鈴をつけた白猫の顔を覗き込むように顔を寄せる女。白猫はやや迷惑顔。

歌川広重 名所江戸百景 高輪うしまち 安政4年(1857)4月》
牛車を手前に大胆に配し、その傍らに仔犬とスイカの皮。海にはたくさんの舟が浮かび、空には大きな虹がかかる。
本展一番の見所はこれじゃないかってぐらい気に入りました。仔犬のお尻が最高。

祈りと動物

歌川広重 月に兎 嘉永2-5年(1849-1852)》
団扇絵。夜空の青、兎の桃色にススキの茶色。かわいらしくも上品。

《昇斎一景 東京名所四十八景 浅草観世音雪中 個人蔵 明治4年(1871)8月》
雪景色の浅草寺を描いたもの。手前に大銀杏に止まる雄鶏と鳩。

歌川国芳 木菟に春駒 天保(1830-44)頃》
疱瘡絵と呼ばれるもので、天然痘避けの護符として使う赤摺りの錦絵。春駒は子供がまたがって遊ぶ玩具。目が悪くならないようにとの祈りを込めてコノハズクが描かれている。

江戸流アニマルファッション

《歌川国貞(三代歌川豊国)江戸名所百人美女 東本願寺 安政4年(1857)11月》
角隠しに金魚柄の着物。足元には鳩。こま絵に東本願寺が描かれている。東本願寺では親鸞聖人の命日、報恩講がお見合いの場になっていた。

《歌川国貞(三代歌川豊国)江戸名所百人美女 薬けんぼり 安政5年(1858)3月》
口にぬか袋を咥え、棚に手をかけバランスをとり、足を拭く女。着物に大蛸が描かれている。こま絵には薬研堀(現在の東日本橋)の風景。

《歌川国貞 岩井粂三郎の傾城高尾 文永6年(1823)3月》
帯に獅子頭が縫い付けてある。新吉原の傾城高尾を演じる岩井粂三郎を描いたもの。花魁の高尾太夫を想う紺屋の職人の純愛話が有名。

 

団体客と一緒になってしまったのか、展示室内は山手線の電車並みの混雑でした。しかもわいわいと騒がしくひどい状態。うるさいとますます声を張り上げて喋る人が出てきて、ここは居酒屋かと思うような騒ぎに。以前、平日に来た時も決して良い印象じゃありませんでしたが、今回は輪をかけて。HARAJUKU見物のルートのひとつになっているんでしょうけど、もう少しマナー良くできないもんでしょうか。

美術館の後は巣鴨に移動し、友人と合流して揚げ餃子。
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追加注文できないので、えいやで頼んだら多すぎました。

ファイト餃子

食べログ ファイト餃子