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禅-心をかたちに-(前期)@東京国立博物館

上野界隈 仏像 日本画 日本美術 東京23区内 東京国立博物館 禅画

文化の日東京国立博物館平成館で開催の禅展に行きました。前期にぎりぎり間に合いました。

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先月、仙厓和尚の絵を見たばかりなので、このところ禅宗づいています。

melonpankuma.hatenablog.com

 

こちらは、臨済宗黄檗宗合わせて十五派本山を中心に国宝、重要文化財を含む、約240件の名品が展示される、過去最大の禅宗美術の展覧会です。

zen.exhn.jp

禅宗は、鎌倉初期に栄西が開いた臨済宗、次いで道元が開いた曹洞宗そして、江戸時代に明の隠元が来朝して開いた黄檗宗の三つが有名ですが、今回の禅展では曹洞宗は含まれていません。

 

以下に、気になった作品の覚書をつらつらと。◉印は国宝、◎印は重要文化財、○は重要美術品です。

 

197《達磨像 白隠慧鶴筆 江戸時代 18世紀》

大迫力。会場に入ってすぐに展示されています。2メートル近い大画面の半分以上が達磨の顔。背景の黒と赤い衣が引き締めます。白抜きの文字で「直指人心 見性成仏」と書かれています。意味は、他の方法によらず坐禅で心の本性を見きわめ、悟りを開いて仏道を完成させるということ。白隠最晩年の作。

 

第1章 禅宗の成立

4《◉達磨図 蘭渓道隆鎌倉時代 13世紀》

赤い法衣。丸顔。濃い顎髭と胸毛がインド人っぽい。

 

6《◎六代祖師像 西澗子曇賛 鎌倉時代 13世紀》

初祖達磨に始まる禅の六代祖師を6幅に描いたもので、この作例として国内最古のものだとか。靴が乱雑なのが気になって気になって。6幅全部がそうなのでわざとなんでしょうが。2章の日本の禅僧の肖像画になると、全部揃えてあります。脚下照顧(きゃっかしょうこ)です。

 

9《◎芦葉達磨図 固山一鞏賛 南北朝時代 14世紀》

禅宗の初祖、達磨が梁の武帝との問答の後、一枚の芦の葉に乗って揚子江を渡り魏に入ったという説話を描いたもの。

 

10《隻履達磨図 南浦紹明鎌倉時代 1296》

隻履(せきり、片方の靴)を持つ達磨。しかめっ面。達磨が中国で没した後、魏の宋雲が西域からの帰途、片方の草履を手にして西天に行くと言う達磨に会った。宋雲は後に達磨の墓を掘らせると片方の草履が残っていたという逸話。

 

18《◎旧大仙院方丈障壁画のうち禅宗祖師図 狩野元信筆 室町時代 1513》

元は襖絵や壁貼付絵だったのを掛幅装にしたもので、今回は霊雲観桃、潙山踢瓶、三平開胸、石鞏張弓の4幅が展示されていました。

霊雲観桃(れいうんかいとう)は、激しく落ちる滝を背景に桃の木とそれを眺める僧が描かれている。霊雲桃花とも言い、唐の時代の僧、霊雲が桃の花を眺めているときに悟りを開いたという禅話に基づくが、この絵に桃の花はない。

潙山踢瓶(いざんてきへい)は、百丈禅師懐海が潙山開山を弟子の華林覚と霊祐のどちらかで悩んで、水差しを指して「この浄瓶を浄瓶と呼んではならんとすれば、なんと呼ぶか」と問うたところ、華林覚は「木切れとはいえません」と返したが、霊祐は浄瓶を蹴り飛ばして出て行ってしまった。霊祐の答えに満足した百丈禅師は霊祐を潙山の住持としたという禅話に基づく。水差しを蹴飛ばして通り過ぎた霊祐は川の方を向いてそ知らぬ顔、左奥の僧(座っているので師の百丈禅師か?)は驚いた顔をしています。

三平開胸は石鞏張弓(せっきょうちょうきゅう)とも言う。唐の禅僧石鞏 (せっきょう) は僧が訪ねてくると弓を引いて人物を確かめていた。三平(義忠禅師)に弓を向けて試したところ、三平は弓を恐れず胸を開き、それは人を殺す矢か生かす矢かとたずねたので、深く感じ入ったという禅話に基づく。絵では胸を開く三平の表情に余裕が見て取れる。弓を引く石鞏は一見口を閉じて真剣そのものだが松の根元に座っている。陽射しも柔らかで、なんだかのどかな雰囲気です。

 

23《◎臨済義玄一休宗純賛 伝曾我蛇足筆 室町時代 15世紀》

眉間に皺を寄せ、歯を食いしばる厳しい顔。義玄は臨済宗の開祖で棒や喝を使う厳しい指導した。怒目憤拳(どもくふんけん)で峻烈な禅風を示している。

第2章 臨済禅の導入と展開

特定の経典を持たない禅宗では、その教えは師の心から弟子の心へと連綿と受け継がれてきました。言葉や文字によらず(=不立文字・ふりゅうもんじ)、経典によることもなく(=教外別伝・きょうげべつでん)、師と弟子との直接的な関わりのなかで自分自身の心そのものをつかみ出し(=直指人心・じきしにんしん)、自分の心のなかの仏性を見出して(=見性成仏・けんしょうじょうぶつ)、直感的な悟りの境地へ至るというものです。理想化された超越的存在としての仏像よりも、歴史上実在した生身の祖師・先師たちの人間味あふれる姿を「かたち」として遺し伝えてきたのです。

禅宗は経典によらず師から弟子に直接教義を伝えることから、弟子が独り立ちする時に師の肖像を頂相(ちんそう)として与えていたそうです。だから、こんなにも僧の肖像画が残っているというわけ。自賛するのも、弟子に教えを守れと肖像画を贈るためなんですね。

頂相の形式は全身坐像が多く、法被を掛けた曲録(きょくろく)に、袈裟を着け法衣を垂らして座す。手には竹篦(しっぺい)や払子(ほっす)を持ち、足元には沓床(くつどこ)とその上に沓が描かれるのが一般的。

 

46《◎円爾像 吉山明兆筆 室町時代 15世紀》

円爾鎌倉時代中期の臨済宗の僧。博多祇園祭静岡茶、製麺の起源に関わる。とても大きな絵。大きな椅子に掛けた白緑の法被が目を惹く。茶色の袈裟の胸元には虎柄の環。鼈甲製だろう。

 

52《◎蘭渓道隆坐像 鎌倉時代 13世紀》

受口で尖った唇。写実の極み。存在感がすごい。

こういう坐像を写真で見る場合には沓床や沓は写らないことが多いので、像と独立して沓床があるのが新鮮に見える。

 

53《◎北条時頼坐像 鎌倉時代 13世紀》

狩衣指貫烏帽子姿。膝が尖った指貫袴が目を引く。玉眼(水晶製の眼球。水晶に目玉を描き押さえの紙や綿を白眼とした。鎌倉時代に一般化)。この像を横から見て初めて気がついたのだが、引立烏帽子って自分が思っていたよりも前に着けるものらしく、冠の後がかなり余っていた。今の人が祭り等で烏帽子かぶる時には帽子のように頭全体を入れるが、この像では髷に引っ掛けるように着けている。

 

62《無学祖元像 春屋妙葩賛 南北朝時代 14世紀》

円覚寺の開山無学祖元禅師。朴訥とした顔。青鳩、白鳩、金龍が描かれている。宋から渡来した理由について、座禅をしている時に鳩や金龍を伴って八幡神が現れて要請したからと語ったことに由来する。

 

87《◉宗峰妙超像 自賛 南北朝時代 1334》

大燈国師と呼ばれる臨済宗の僧。やまと絵風の優雅な作風。赤い袈裟で手に竹篦を持っている。一見温和な顔に見えるが、厳格な禅風だという。202の乞食大燈像の人。

 

94《◎南浦紹明像 一山一寧賛 鎌倉時代 14世紀》

大燈国師の師。46の円爾像と服装がよく似ているなと思ったら、椅子の法被も袈裟も似た色だし、環も鼈甲でおそろい。後で調べたら、46とよく似た大きな椅子に座った頂相も別にあった。こちらの方が年代が古い。禅宗のファッションリーダーですね。

 

98《関山慧玄像 雪江宗深賛 室町時代 1470》

厳しい顔。生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専念したというが、絵では見るからに豪華な法衣と袈裟。手に竹篦。大師は自分の頂相を禁じたために生前の絵はない。この絵は没して百数十年経っている。

 

104《◎夢窓疎石像 鉄舟徳済賛 南北朝時代 14世紀》

夢窓疎石といえば庭造り。西芳寺苔寺)、天龍寺瑞泉寺などの庭園設計に携わる。頂相では、めがねをかけた痩せた顔。手が小さく描かれている。椅子を覆う赤い法被には金糸の模様があって豪華です。

 

120《◎春屋妙葩像 自賛 南北朝時代 14世紀》

靴を履いた肖像画は珍しい。禅宗は剃髪する習慣があるが、この肖像画にはもみあげがある。

 

129《◎愚中周及像 自賛 室町時代 14 ~15 年世紀》

19歳で元に渡り金山寺の佛徳禅師の元で修行。佛徳禅師から受けた不要出世、修行専一の言葉に従って、帰国してからも修行に励み佛通寺を開いた。頂相は一風変わっていて、片手で頭を掻いているポーズ。法被がかかっていない節くれだった質素な椅子、靴ではなく草履。環も杖も筝もない。出世を嫌った僧をよく表している。

 

135《一休宗純像 自賛 室町時代 1447》

若い一休。利発な顔。手に竹箆。椅子に立てかけてあるのは杖ではなく赤い太刀。右足だけを組むポーズ。

赤い太刀は、一休が刀(実は木刀)を差して堺の市中を回り、それを咎めた人々に、真剣に見えるが実は木剣だと世間の僧を嘲笑した故事に由来する。

 

142《◎隠元隆琦像 自賛 喜多元規筆 江戸時代 1671》

隠元隆琦は明の禅宗の僧。江戸初期に渡来し興福寺に入る。黄檗宗の開祖で隠元豆を持ち込んだとされる。

正面向きで強烈な色彩がユニークな頂相。法被は水玉模様で赤い袈裟、水晶の環。右手に杖、左手に払子。爪がとても長いのに目が行く。古今東西、爪を伸ばすのは生活の細々としたことをしない、恵まれた生活を示すもの。禅の世界に限らずでしょうが、高僧になるにしたがってますます贅沢になっていくようで、頭に疑問符が沸くばかり。この世界では、悟りを開いた後なら、豪華な物に囲まれても物欲に溺れているわけではないという解釈で成り立っているんでしょうか?通り一遍でしか仏教を学んだことがない私には、よくわかりません。

 

第3章 戦国武将と近世の高僧

167《織田信長狩野永徳安土桃山時代 1584》

歴史の教科書等でよく見る絵だが、病的で疲れきった顔に見える。桐紋と木瓜紋の肩衣袴姿に脇差。手には扇子。薄青の素襖(すおう)に茶色の肩衣でかなり地味な印象。背景も暗い。しかし、本図の下は萌黄と薄茶の片身代わりの着物の痕跡(裏彩色)があり、修復でこんな地味な絵になったことがわかっている。

 

170《◎策彦周良像 柯雨窓賛 <絵>中国・明 1540 <賛>中国・明 1541》

策彦周良は戦国時代の臨済宗の禅僧で明に二度渡り、その記録を克明に残した。

二度も渡っただけあって、黒の直綴(じきとつ)に頭巾ですっかり明かぶれ。この後、茶人も頭巾をかぶるようになるから、流行の走りをいった人なのかもしれない。衣装はシックだけど、爪は長い。隠れたおしゃれ?

中国で描かれたもので色がとても美しく、特に靴の瑠璃色は目に飛び込んできます。

 

199《達磨像(どふ見ても) 白隠慧鶴筆 江戸時代 18世紀》

対角線に引かれた達磨の袖の太い線が崖のようにも見えて、山水画を描くと見せかけて実は達磨でした、なんてのを即興でやったんじゃないかと思った。

 

202《乞食大燈像 白隠慧鶴筆 江戸時代 18世紀》

白隠慧鶴は、江戸時代中期に活躍した臨済宗妙心寺派の禅僧で、臨済宗中興の祖。絵には、破れた着物で蓑を背負い裸足で乞食をする大燈国師。乞食の格好をして修行中の宗峰妙超(大燈)を探すため、花園天皇は妙超が大好きなまくわ瓜を乞食に配るように指示した。役人が「脚なくして来たれ」というと、乞食の一人がすかさず「無手で渡せ」と答えたので妙超とばれたという挿話に基づく。右手を差し出しているのは、瓜を請うているのかも。

 

208《白隠慧鶴墨蹟 百寿字 江戸時代 1767》

寿の文字が並んでいるが、迫力がありすぎて呪いのようだ。様々な書体が並ぶと、フォント一覧をみている気になって使えそうなフォントがないか探してしまう。

 

206《富士大名行列白隠慧鶴筆 江戸時代 18世紀》

画面いっぱいに富士山。ふもとに参勤交代の様子が描かれている。毛槍隊の足がサザエさんのエンディングソングで家に駆け込むシーンのような足になっているのがおかしくて足を止めた。

写得老胡真面目 杳寄自性堂上人
不信旧臘端午時 鞭起芻羊問木人

頼まれていた達磨の真骨頂を描いたので自性寺の和尚に届ける。不信に思うなら、わけのわからないことをしてみよ、と書いている。つまり、富士山が達磨というわけ。

 

213《南泉斬猫図 僊厓義梵筆 江戸時代 19 世紀》

仙厓和尚の絵。猫を殺す和尚に驚く弟子が、手塚治虫マンガに出てくるヒョウタンツギのような顔をしていて笑う。

 

第4章 禅の仏たち

2《達磨坐像 鎌倉~南北朝時代 14世紀》

頭を布で覆い温和な表情。まるでマリア像のように見える。

 

221《聖僧文殊坐像 南北朝時代 14世紀》

金の模様が美しく輝く法衣。女性的なふくよかな頬に切れ長の大きな目。パタリロを思い出した私は罰当たりだと思う。

 

223《◎宝冠釈迦如来および両脇侍坐像 院吉・院広・院遵作 南北朝時代 1352》

 豪華な宝冠をいただく釈迦如来像たち。胸飾りも見える。本来、如来で装飾具をつけるのは密教毘盧舎那仏大日如来)だけのはずだが、なぜか禅宗では釈迦如来がアクセサリーをつけ宝冠釈迦如来と呼ばれるようになる。

 

222《十大弟子立像 鎌倉時代 13世紀》

円弧状に並べられた十体の像。ポーズに動きがあって面白い。写実の極み。

 

219《伽藍神立像 鎌倉時代 13世紀》

走り大黒の名で知られるが、最近では、伽藍神中の感応使者にあたると考えられている。寺院を守る神様である。

アンパンマンのような顔が印象的。右手右足が一緒に出ているから、走るのはそんなに得意ではなさそう。

 

242《十八羅漢坐像のうち蘇賓陀尊者・羅怙羅尊者・賓頭盧尊者 范道生作 江戸時代 1664》

真ん中で胸を開いてそこから仏の顔をのぞかせているのは、お釈迦様の息子ラーフラ。顔が醜かったと伝えられているが、心には仏が宿っていることをあらわしている。

本展のサブタイトルの「心をかたちに」は、これですか?

 

241《韋駄天立像 范道生作 江戸時代 1662》

甲冑をまとい、軽くうつむき、合掌した手に刀を持つ武将の姿。天衣が大きく翻る。きれいなお顔で片岡愛之助さんに似ている。

 

230《◎釈迦三尊像 良全 南北朝時代 14世紀》

顔がきれい。文殊菩薩は女性のようにも見える。乗っている獅子の顔もよい。もっと良全の絵を見たい。

 

227《◎十六羅漢像 陸信忠筆 中国・南宋時代 13世紀》

因掲陀尊者は片足を崩して座るのが特徴。迦諾迦伐蹉尊者の前に赤毛の白い鬼。動きが猫っぽい。阿氏多尊者は、黒い文鎮のようなものを持ってきた稚児を迎えている。諾矩羅尊者は赤い布をかけた大きな椅子に座る。

 

第5章 禅文化の広がり

251《◎椿尾長鳥堆朱盆 中国・元時代 14世紀》

椿と尾長鳥を彫った赤い盆。朱漆を何百回と塗り重ねて、朱漆の堅い層を形成し、そこに鋭利な刀で文様を彫り起す、彫漆という工芸品の一つ。

 

264《◉油滴天目 建窯 中国・南宋時代 12 ~13世紀》

漆黒の釉薬。黒い地に油滴のように銀色の斑点が輝く。建窯で焼かれた黒い釉薬の掛かった碗は「建盞(けんさん)」の名で呼ばれる

 

265《◉玳玻天目 吉州窯 中国・南宋時代 12世紀》

玳玻とは玳瑁(タイマイ、ウミガメの一種)甲羅で、つまり鼈甲のこと。釉が鼈甲の様子に似ていることからその名が付けられたといわれ、中国の吉州窯で焼かれた。碗の内側に蓮花模様がある。

 

273《○唐物肩衝茶入 銘「新田肩衝」 中国・南宋時代 12 ~13世紀》

マンガ「へうげもの」に出てくる大名物で天下三肩衝のひとつ(他は初花、楢柴)。こんなところで目にすると思っていなかったので、佐助並みに腰を抜かすところでした。黒いのは大阪の陣の焼け跡から修復したせい。「初花」と比べると肩のラインがなだらかで全体的に丸みを帯びている。

 

274《織田有楽斎像 古澗慈稽賛 狩野山楽筆 江戸時代 1622》

 戦国時代の茶人。織田信長の弟のひとり、織田長益(ながます)。利休に学んだ利休十哲のひとりにも数えられる。

茶人らしく黒の道服に絡子環のある金色の掛絡(から)だが、繧繝縁のある飾り畳の上に座っているところが、織田の出らしい。

 

277《青磁輪花茶碗 銘「鎹」 龍泉窯 中国・南宋 13世紀》

砧青磁。輪花(縁に切れ込み)のある透明感のある白緑が美しい器。この色を雨上がりのしっとりとした空の色として雨過天青(うかてんせい)と呼ぶ。修復に鉄の鎹(かすがい)が使われている。

 

279《○大井戸茶碗 銘「有楽」 朝鮮半島・朝鮮王朝時代 16世紀》

侘び茶が隆盛して本来は喫茶用ではない朝鮮産の粗末な器が注目されるようになった。枇杷色の釉薬で大振りの器。貫入や梅華皮(かいらぎ)が景色として喜ばれた。

 

246◎<龍虎図 伝牧谿筆 中国・南宋~元時代 13世紀》

 迫力のある龍と虎の水墨画。龍は黒い空に浮かぶ雲の間に昇る姿で描かれている。いかめしい顔に鋭い爪。虎は眼光鋭く、四肢に込めた力で今にも飛び掛ってきそう。木々や葉を揺らす風が見える。

 

292《◉秋冬山水図 雪舟等楊筆 室町時代 15世紀末~16世紀初》

雪舟の代表作。

<秋景>広い空、穏やかに過ごす人物、斧劈皴で描く黒い岩。

<冬景>遠景と近景が交じり合う。強い輪郭線の荒々しい皴法。楼閣の上の山に外隈。署名の下に等揚の白字方印で正当な禅僧であることを示す。

 

295《瀟湘八景図帖 雪村周継筆 室町時代 16世紀》

漁村夕照、瀟湘夜雨、遠浦帰帆

 

304《◎南禅寺本坊小方丈障壁画のうち群虎図 狩野探幽筆 江戸時代 17世紀》

一休さんのエピソードで有名な虎の屏風。

 

306《旧海宝寺障壁画のうち群鶏図 伊藤若冲筆 江戸時代 1789》

やはりうまい。親鳥の懐に入る雛が愛らしい。

 

307《◎萬福寺東方丈障壁画のうち五百羅漢図 池大雅筆 江戸時代 1772頃》

疲れが溜まってふらふらになっていたが、これは目が覚める思いで鑑賞。こんなにかわいらしくて楽しげな五百羅漢は初めてみました。元は襖絵らしい。

 

リストが半端なく多くなってしまったのでお分りのとおり、こちらの展覧会はボリュームが半端ないです。私は開館してすぐの10時過ぎに入ったのですが、途中休憩しながら全部を回り終えたのが13時過ぎでした。行列するような混雑はありませんし、単眼鏡を使いながらも、そこまで丹念に観た覚えはないのですが、とにかく展示数が膨大。平成館の広さに打ちのめされました(何度目?)。

 

チケットの半券があると再入場できそうな雰囲気でしたので(自分はしなかったので、正確な情報は係員にお尋ねください)、カフェラウンジで休憩しながら見た方が、集中力を切らさずにすみそうです。一気にはとてもとても。

 

会場の出口近くに写真撮影コーナーがあります。花頭窓から見える紅葉を背景に座禅体験ができます。

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座禅させるのに、ちょうどよいモデルがいました。わざわざこのために頭を丸めさせた訳ではありませんが、しっくりきてます。

 

一階のラウンジにある顔出し看板では、囉怙羅尊者ごっこもできます。

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うちの専属モデルの収まり具合のよいこと!顔を隠すのが惜しいくらい。

  

 

展覧会の後、山下裕二先生と山口晃氏のトークイベント「雪舟 vs 白隠 達磨図に迫る」に参加しました。その話は、また別の記事で。

 

後期の記事はこちら。

melonpankuma.hatenablog.com