酒井抱一をめぐる「江戸琳派」散歩@池袋コミュニティカレッジ
いきなり真夏の暑さになりました。体が暑さに慣れていないので、キツいのなんの。
そんな中、友達の紹介で、西部池袋別館にある池袋コミュニティカレッジで開かれたセミナー酒井抱一をめぐる「江戸琳派」散歩に行ってきました。
講師は、酒井家七代目の酒井抱美氏、雨華庵継承の伊藤哲氏、江戸書画コレクターの高橋十志氏です。
NPO法人 江戸琳派継承会による第三回目の講座は、文化文政時代に大輪の花を咲かせた江戸文化、そこで活躍した文人墨客が如何なる交流を持ち、どんな活動をしていたのかを古地図をはじめとして、遺された資料や書画を手掛かりに、その実像を浮かび上がらせる講座です。
一ツ橋家の風神雷神図屏風、雨華庵、輪王寺宮、鶯谷の由来、八百善などの数々のエピソードを踏まえ、酒井抱一の住居の周辺に暮らす当時の文人らとの交流について、古地図を広げての説明がありました。しかも、このセミナーでは実物をガラス越しでなく作品を真近で観られる時間が設けられていて、絹本の絹目までしっかりと観ることができました。
展示作品の中から気になったものをメモとして、以下に記します。
《芽吹き柳図 酒井抱一》
柳の新しい枝が伸び、しなやかに曲線を描いて垂れ下がる。枝先には新芽が吹いている。珍しい瓢形文詮印。柳を描くのは三十三観音の一つ、楊柳観音の見立てではないかとも考えられるとのこと。
《富士と初荷舟図 鈴木其一》
手前に宝船が浮かび、奥に富士山が描かれたおめでたい絵。豪商からの依頼と考えられる。噲々落款。
《桜図 鈴木蠣潭》
八重桜。枝は細くゆるく弧を描いてしなやかに伸び、花は揃って正面を向き、豪華で可憐な花びらを広げている。胡粉で描かれた花びらの重なり具合が細やかで美しい。
鈴木蠣潭は抱一の弟子で、其一の兄弟子。抱一に将来を期待されていたが、36歳で狂犬病で急死した。その後、同門の其一が養子に入ることになる。
《菖蒲図俳画賛 守村抱儀》
伸びやかな菖蒲の花。その上に「見つつ寝る 月夜の 雨や かやの中」。守村抱儀は江戸浅草蔵前の豪商(札差)。俳諧、絵、詩文をして天保二十四詩家に数えられるが、晩年は豪華な生活で家を傾けた。
《桜木図 市川其融》
深夜、桜の花越しに細い下弦の月。
《自画像図 大文字屋市兵衛》
黄色いひょうたん南瓜と小柄で頭が大きな男が軽やかに描かれている。
大文字屋市兵衛は、吉原大文字屋の楼主。抱一の門人で多芸多才の人。狂歌名は加保茶宗園。大文字屋市兵衛には諸代あるが、絵筆が立つので三代目と思われる。
《楷書漢詩 亀田鵬斎》
「人埃河清壽幾何」から始まる七言律詩。
亀田鵬斎は、江戸の大儒学者。筆一本を持って旅に出て、各地で揮毫し数百両抱えて帰ってくるという時代。抱一、谷文晁とともに「下谷の三幅対」といわれた。
《能図 谷文一》
能の高砂後場、住吉明神を描いたもの。青い雷文の狩衣に白の袴で松の扇を持つ。松葉が四方八方に広がる描き方が面白い。
谷文晁の後継者として期待されていたが、32歳で夭折。落款の「文」が特徴的な字体。
《隅田川狂歌 大田南畝》
「遠乗りの馬二三匹 すみだ川 つかれたりとも 花につなぐな」
大田南畝は天明期を代表する文人で狂歌師。蜀山人と名乗る。 辞世に「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」と残した。「恐れ入谷の鬼子母神」「びっくり下谷の広徳寺」などの地口も蜀山人の作とか。
《黒琳派梅図 谷文晁》
琳派の筆法で描いた梅の図。梅の花を意匠化している。
《郭河陽筆意青緑山水図 谷文晁》
幅のある掛軸。紅葉に色づく山々。中央に一筋の滝があり、そこから深い谷が刻まれて、渓流が続いている。落款に北栄の山水画家、郭河陽筆法で描いたとある。
《御伽犬図 田中抱二》
松、鶴、扇、亀甲文様などが描かれた御伽犬の背面を描いたもの。かなり横変している。
御伽犬は、犬箱とも呼ばれる雌雄一対の犬の張子。内裏雛の横に飾られる。
抱二は、抱一最晩年の弟子で、明治期になって記憶に残る雨華庵の見取り図を残した。
《杯台 下絵:酒井抱一、作:原羊遊斎》
黒地に瓢箪が金で描かれた盃台。足の部分に瓢箪型の窓がある。
《江戸流行料理通 初編 文政5年(1822)刊》
江戸流行料理通は、八百善の四代目当主栗山善四郎が著した、江戸料亭料理を記した料理本。
《郭河陽筆意青緑山水図の箱》
上の谷文晁の緑青山水画が収められていた箱。「御拝領 弘化三年五月十七日 君公御成節?賜 亀山藩 臣 近藤正弼 拝 誌」とある。
抱一が生きた時代の地理、歴史の詳細な話が続いて、聞き取るのに必死でしたが、北斎が好きなので、同じ時代に生きた抱一についてはその時代の知識があったのと、鈴木其一を主人公にした「麗しき花実」を読んでいたので地理もわかり、なんとかついていけました。まるで同時代のご近所さんの話でもしているかのような熱の入った高橋氏の語りが、実に楽しかったです。
そして、以前はさっぱり興味がなかった谷文晁なのですが、南画を大分見慣れてきたのか、最近気になっていました。特に、岡田美術館で見た後赤壁図襖あたりから奇妙な形の岩山が気になってきて、こういうのもいいなあと。江戸絵画は、知れば知るほど面白いですね。
セミナーを終え、西部池袋のレストラン階まで上がってガパオライス。
エスニック料理が美味しい季節になってきましたね。
- ジャンル:タイ料理
- 住所: 豊島区南池袋1-28-1 西武池袋本店 8F
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- (写真提供:食いしんこのは嬢)
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暁斎 その交流さまざま展@河鍋暁斎記念美術館
Study of BABEL@東京藝術大学
雪村展の後、同じ藝大内にある Study of BABEL へ。東京藝術大学大学美術館から道路を挟んで向かい側、音楽学部が集まっている方にあるアーツ&サイエンス ラボで開催されています。
会場には立体化したバベルの塔が展示されています。
見て見て、この細やかな造形。
よくできています。どこ撮っても格好いいので、やたら撮りまくりました。
建物と空の境も素晴らしい再現性。
このタブレットで自分の顔写真を撮ります。
すると、中で働いている人の顔が、自分の顔に変わります。
私もせっせと働きました。
この塔の裏側は夜のバベルの塔の映像です。
立体バベルの塔を見たら、もう一度見たくなって、ちょっとだけ都美館へ。
お気に入りの数点をさらさらっと。バベルの塔の前はロープで区切られて、最前列は進みながらの鑑賞になっていました。今回は8倍の単眼鏡も使ってみました。8倍は視野が限られ、遠くの山から望遠鏡でバベルの塔を見ているような気分になりました。面白かったので、おすすめです。
何に使うわけじゃないけど、スタンプ押してみた。スタンプ帖も作るかなあ。
奇想の誕生 雪村展(後期)@東京藝術大学大学美術館
勢いのある雨の中、東京藝術大学大学美術館に行きました。
お目当ては、雪村の後期展示です。
あまりに雨がひどかったので、美術館のロビーで少し休憩。
入り口に、16《月夜独釣図》、84《叭叭鳥図》は出品なしとのことわり書きがありました。
以下、いつものように気になった作品についてのメモを残します。(◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵者の表記がないものは個人蔵)。前期にもあった展示については、以下を参照ください。
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萬翠荘
坂の上のミュージアムのロッカーに荷物を預けたまま、すぐ近くの萬翠荘に行きました。
萬翠荘は、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として大正11(1922)年に建設したフランス風の建物です。設計は木子七郎。戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、重要文化財に指定されています。
萬翠荘は、268坪の地下1階地上3階の鉄筋コンクリート造り。ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式です。
玄関正面にある階段の踊り場からみたステンドグラスには、海と帆船が描かれ手います。
二階の部屋には昭和天皇と今上天皇の肖像画が飾られています。
この部屋の椅子に座って階段を見ると、ステンドグラスの帆船が正面になるように作られています。これらの椅子には撮影などの短時間の使用に限り座ってよいとの注意書きがありました。なんて太っ腹。
1階広間では羊毛フェルト人形の展覧会が行われていて、賑やかでした。
ドアの上に飾られている油彩画は、《神奈川台場の図 八木彩霞》です。
八木彩霞は松山市出身の画家。神奈川台場は、横浜市神奈川区にある勝海舟が設計し、松山藩が築造した台場です。絵には台場から房総半島を望む景色が描かれています。
お庭に休憩できるスペースがありました。この日、天気がよすぎるほどだったので利用しませんでしたが、お庭もとても気持ちのよい空間でした。
坂の上の雲ミュージアム
松山城ロープウェイ乗り場から歩いて10分、坂の上の雲ミュージアムへ行きました。こちらは、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」がテーマのミュージアムで、小説内で紹介された松山の資料や登場人物である、松山出身の秋山好古、真之兄弟と正岡子規の生涯、彼らが生きた時代背景にまつわる展示があります。
建築設計は安藤忠雄氏で三角形のコンクリート建築です。
建物内はスロープで結ばれて、くるくる三角を回りながら登っていきます。
三階のガラスカーテンウォールからは、城山の緑とその中腹にある萬翠荘が望めます。
三階から四階に至る壁面には、新聞連載記事の複製が敷き詰められていました。これは圧巻。
小説坂の上の雲は、産経新聞夕刊に昭和43(1968)年4月22日 〜昭和47(1972)年8月4日の4年半にわたり連載されました。挿絵は下高原健二氏によるものです。
じっくり読みたかったなあ。
小説を読んでいる人には、より詳しい物語の背景を知ることができるし、読んでいない人には、松山市の歴史や観光を一から学べる展示内容でした。