常温常湿希望

温度20℃湿度50%が理想です。

渡辺省亭展@加島美術

土曜日の朝、築地で朝ご飯を食べてから、てくてく歩いて京橋へ。
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お目当ては加島美術で開催中の渡辺省亭展です。

今年の4月2日が、明治期の日本画家、渡辺省亭の100回忌にあたるということで、今年は渡辺省亭の絵がいろんなところで観られます。
www.watanabeseitei.org

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奇想の絵師 岩佐又兵衛 山中常盤物語絵巻@MOA美術館

今年2月にリニューアルオープンした熱海市にあるMOA美術館に行ってきました。ちなみに、アメリカのニューヨーク近代美術館MoMAとは一切関係ありません。こちらは世界救世教、教祖の岡田茂吉氏のコレクションでMOAは、Mokichi Okada International Association の頭文字です。そして、苗字が同じですが、箱根の岡田美術館とも全く関係ありません。こんなことを書くのは、最初この美術館の名前を聞いた時に、私自身が混乱したからです。

熱海駅からバスで急な坂道を登って5分で到着。チケットを買って館内に入りますが、そこから展示室のある建物まで長いエレベーター7基を乗り継ぎ、既にここで度肝を抜かれます。途中には色鮮やかな映像で輝くホールもあって飽きさせません。

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ようやく美術館の建物が見えてきました。ここからは階段です。花粉症でマスクをしているので、呼吸が遮られて苦しいのなんの。
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この日はすこぶる天気がよく、高台からの展望がとても素晴らしかった。何度も何度も振り返りながら海を眺めます。
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写真で見ても初島までくっきり。

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日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

連休二日目は科博の行列を横目に、今年5回目のトーハクへ。
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久しぶりにコートもいらない陽気で大変気持ちがよく、本館に入る前に庭園を一回りしました。
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池のを眺めながらベンチでしばし呆けていましたが、杉花粉もすさまじいので諦めて本館へ。
現在トーハクではお花見シーズンにあわせてイベント博物館でお花見を(3/14~4/9)を開催中。エントランスホールでスタンプ台紙付のフライヤーをもらいました。

 

以下、気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

  • 2室 国宝 花下遊楽図屏風
  • 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸
  • 10室 浮世絵と衣装―江戸
  • 18室 近代の美術
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大英自然史博物館展@国立科学博物館

連休初日は上野の国立科学博物館の大英自然史博物館展へ。
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宣伝はたくさん見かけるけど、そんなに混んでいないだろうと高を括っていたら、開場30分前にはこの有様。連休で子供連れも多そうなイベントは舐めちゃいけませんね。

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treasures2017.jp

会場内はモニタに映し出されているビデオ以外は写真撮影可の大盤振る舞いだったのですが、照明は最低限に抑えられているので、ブレた写真が量産されました。お見苦しい写真ばかりですが、雰囲気だけ感じてください。

序章 自然界の至宝

入場してすぐ、大英自然史博物館のエントランスホールをイメージした部屋になっています。

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4《呪われたアメジスト
1943年、大英自然史博物館の鉱物学部宛に預けられたアメジスト。所有者に悲劇をもたらし、運河に投げ捨ててもまた自分のもとに戻ってきてしまうと言われたもの。今のところ日本でもおとなしく展示されている模様。

5《「ダドリーイナゴ」と呼ばれたブローチ》
三葉虫のブローチ。ダドリーは石灰岩採掘場の名前で、カリメネ・ブルーメンバキ(Calymene blumenbachi)という三葉虫の化石が大量に発掘されたが、それがあまりに多いので、ダドリーの虫、ダドリーのイナゴと呼ばれるようになり、その街の紋章にまでなった。

12《ブラシュカ(父子)によるガラス模型》
タコのガラス模型。実物標本は経年変化が避けられないことから、その生物の色や生息時の状態を残すために、ガラス製の生物模型が作られた。彼が92才で亡くなるまでに集めた8万点もの厖大なコレクションは政府によって買い取られ、それは大英博物館収蔵品の基礎をなし、後に大英自然史博物館に引き継がれた。

1章 大英自然史博物館の設立

1.1 ハンス・スローン 大英博物館の礎

ハンス・スローン(Sir Hans Sloane)は17世紀後半から18世紀にかけロンドンで上流階級を対象とした医者であり博物学者。カカオドリンクに牛乳が合うことを発見したことでも知られる。バッキンガム宮殿の南、チェルシー地区にあるスローン・スクエア駅はもちろん彼の名前に由来する。

14《赤褐色のボウル》
赤褐色でお猪口サイズのボウル。カーネリアン(紅玉髄)で出来ている。

15《サファイアのターバン用ボタン》
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中心に31.5カラットのサファイアが入ったボタン。旧式のローズカットで仕上げられ、色合いがもっとも映えるよう角度が調整されている。豪華に切り分けられた鉱物のベースにエメラルドとルビーが飾りつけられている。

1.2 理性時代の科学ー1650-1800年

23《オオフクチョウ Greater Bird-of-paradise Paradisaea apoda
極楽鳥とも呼ばれる。キャプションに「『無足の浮遊鳥』の神話」とあって、何のことやらと思った。当時、現地の島民にとってオオフクチョウの足は薬になると考えられていたことから切り落とされていて、最初にヨーロッパに渡った剥製に脚がなかったことに由来する。学名の apoda とは「無足」の意味。

1.3 リチャード・オーウェンと大英自然史博物館の創建

リチャード・オーウェン(Sir Richard Owen)は19世紀を代表する生物学者、比較解剖学者。恐竜の概念を生んだことで知られる。大英博物館の初代館長。

33《プリニウスの「博物誌」》
印刷された最古の本の一冊。ローマの大プリニウスが著した書。全37巻。地理学、天文学、動植物や鉱物などあらゆる知識に関して記述している。
ヤマザキマリとり・みき合作プリニウスでおなじみのものです。

www.shinchosha.co.jp

35《ガラスケースのハチドリ》
大型の六角形のガラスケースの中にハチドリ7種35羽の標本が飾られている。

36《古代エジプトのネコのミイラ》
大英自然史博物館は250体以上の動物のミイラのコレクションがある。このネコのミイラは、エジプトの女神バヌテトへの生け贄だったと考えられている。

2章 自然史博物館を貫く精神

2.1 カール・リンネと自然界を分類する方法

38《サーミ人の格好をしたカール・リンネ マーティン・ホフマンによる肖像画に基づくH・キングスバリによる版画》
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はるか昔のことですが、学生時代の勉強では生物が一番好きでリンネを神とあがめていました。そんな憧れの人の、しかもコスプレ姿をここで拝めるなんて何だか感慨深い。サーミ人は、スカンジナビア半島北部ラップランド先住民族。美しい手工芸品を作ります。昨年行った北方民族博物館ではサミ族として紹介されていました。

melonpankuma.hatenablog.com

39《カール・リンネ「植物の種」》
リンネの命名法の集大成で、二名法ではじめて名付けられた5940種を掲載した。

40《カール・リンネ「自然の体系》第10版 第1巻》
二名法を植物以外にも適用し、全生物種に対する分類と命名を目指したもの。

2.2 比較解剖学の父 リチャード・オーウェン

45《モア全身骨格》
リチャード・オーウェンニュージーランドから送られてきた一つの骨を、ヒトやカンガルーの、ゾウガメを含む14種の骨と慎重に比較することによって、巨大な飛べない絶滅鳥のものであると正確に予言した。

2.3 地球の歴史を解き明かす

52《ウィリアム・スミスの胸像 マシュー・ノーブルによる》
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ウィリアム・スミス(William Smith)は土木技師、地質学者。今ではイギリス本土の地質図を初めて作ったことで知られる。下級階級出身だったため、なかなかその業績が認められなかったという。

53《ウィリアム・スミス「ウィルトシャーの地質図」》
地図を地層で色分けするという発想自体が当時画期的だった。

59《メアリー・アニングの肖像画 グレイによる》
61《メアリー・アニングが発見した魚竜》
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メアリー・アニングは、化石を発見し、販売することで生計を立てていた。19世紀の化石ハンター。イギリスで最初の首長竜、最初の完全な翼竜、そして最初の魚竜を発見した。肖像画には愛犬トレイが描かれていたが、いかにもイギリスらしくスパニエル種。

2.4 チャールズ・ダーウィンの進化論

71《アルダブラゾウガメ》
72《ダーウィンのペットだった若いガラパゴスゾウガメ》
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74《キサントパンスズメガの1種》《スイセイラン》
ダーウィンは、管状の極端な形をしているマダガスカル固有のスイセイランの花を受粉させるには、それに応じた形態をした生き物がいるに違いないと予測していた。この蛾の発見は、彼の理論を証明する手助けとなった。

82《ウォレスの集めた昆虫》

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ウォレス(Alfred R. Wallace)は博物学者で南米やマレー諸島を実地探査した。インドネシアの動物の分布を二つの異なった地域に分ける分布境界線、ウォレス線を特定した。ウォレスの南米探検の同行者ヘンリー・ベイツの日誌も展示されている。

86《始祖鳥》
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言うまでもなく、本展覧会の目玉。部分的には恐竜で、部分的に鳥類という始祖鳥は、進化論の議論の中心的な存在になった。

3章 探検がもたらした至宝

3.1 太平洋を越えて

92《ハマゴウ属の植物のスケッチ シドニー・パーキンソンによる》
93《ハマゴウ属の植物の水彩画 フレドリック・ノッダーによる》
94《ハマゴウ属の銅板プレート》
95《ハマゴウ属の白黒校正刷》
96《ハマゴウ属の植物のカラープリント》
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これらの元になったハマゴウ属の植物・現地名プリリも展示されている。これは自然史の父と呼ばれるジョセフ・バンクスがジェームズ・クックの第一回航海(エンデバー号)に同行し、ニュージーランドから持ち帰ったもの。こういった標本を元に作られた絵は、バックス死後「バンクス花譜集」としてまとめられて、大英自然史博物館から100部のみ製作された。

3.2 深海への探索

97《チャレンジャー号の航海で採集された微生物のスライドボックス》
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チャレンジャー号は、1872年にイギリスを出航し、太平洋、大西洋、インド洋、南極海で生物採集、海底探査、海洋観測を行ったのち1876年に帰港。近代海洋学を創始した世界周航の大探検となった。日本にも寄っている。
和暦で明治5年の出港です。そんな時代に微生物まで採集していたんだと思うと、この時代の研究レベルは日本とヨーロッパでは相当な差があったことを感じずにはいられません。
今、東博の15室で博物図譜の展示をしています。チャレンジャー号の活躍した時期、日本では《薏苡仁図解 飢饉予備 山田清慶・服部雪斎他筆 明治5~18年(1872~85)》や《農作物・果樹類図(朱欒・ブンタン)山田清慶筆 明治16年(1883)》が作られていたということになります。東博の展示も合わせて観に行くと、面白いでしょう。

melonpankuma.hatenablog.com

 

3.3 南極探検 氷点下の科学

1910年テラ・ノバ遠征で、ノルウェー隊に先をこされたが、スコットは南極点に到達。しかし帰路で遭難し全員が死亡した。「もし我々が生きて帰れたならば、私は仲間の不屈の精神、忍耐力、そして勇気について語り、全イギリス人の心を興奮させたことだろう。これらの手記と私たちの遺骸が全てを語ってくれるに違いない…」とスコットは日記に残した。

103《南極産の炭化木化石》
大陸大移動の証拠であるとともに、南極がかつては緑で覆われていたことを物語る。

107《微化石のクリスマスカード》

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微化石で A.E.XMAS 1912 と描いてある。アーサー・アーランドが同僚エドワード・アレンに向け、微化石で作ったクリスマスの挨拶。二人は大英自然史博物館の微古生物学者で、有孔虫という微小単細胞生物の分析に貢献した。

3.5 日本への探検

119《ソコクロダラ》
チャレンジャー号は横浜、横須賀、神戸に寄港。ソコクロダラを江ノ島沖の水深約600mで採集した。

130《輝安鉱》
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愛媛県西条市市之川鉱山(現在は閉山)から産出した巨大なアンチモン鉱。

4章 私たちの周りの多様な世界

132《ゾウムシ》
体長5ミリ程度の甲虫。

133《ソウムシ(Baris cuprirostris)のイラストレーション マーク・ラッセルによる》
これは科博がリクエストしたもので、自然を観察するのは科学者だけではなく芸術家も同様で、自然史の標本に科学的真理な見つけるのも、芸術的なインスピレーションを受け取るのも人間だということです。この2つは現代にいたるまで分かちがたく受け継がれており、リンネの時代から続く伝統に載ったものである。

137《プラチナコガネ》
自分を水滴のように見せることで、鳥や爬虫類などの外敵から身を守る。あまりにメタリックで、てっきりアクセサリかと思ったら本物でした。

145《オオナマケモノ
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12000年前に絶滅したオオナマケモノ。再現3D映像では地面に穴を掘っていた。

153《ドードーの模型》
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ドードーマダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた絶滅鳥類。ポルトガル語で「のろま」の意味。人が入植して食用にされ50年で絶滅した。完全な標本は実は1つも存在せず、実際の姿は謎のままです。この模型も、現存する骨などを元に研究者が作ったもの。再現3D映像が流れていたが、特別愛らしくコミカルになっていたように思う。

5章 これからの自然史博物館

5.1 地面の中の宝物

168《ジャダライト》
スーパーマンの唯一の弱点とされている架空の鉱物「クリプトナイト」に近い組成を持つ。クリプトナイトはフッ素を含むナトリウムリチウムホウケイ酸塩水酸化物だが、ジャダライトはフッ素を含まない。

169《ペイン石》
ペイン石は世界で最も珍しい宝石鉱物のひとつ。

5.2 未来の至宝

174-1~10《モルフォチョウ》
北アメリカ南部から南アメリカに生息。体にくらべて非常に大きな翅をもち、さらに翅の表側に金属光沢をもつのが特徴。翅の表面にある櫛形の鱗粉で光の干渉が起きるため、光沢のある青みが現れる。大英自然史博物館では、翅の構造色の研究のため飼育されている。

179《ネアンデルタール人のゲノム》
マイクロチューブに入った粉体。我々に最も近縁なネアンデルタール人のゲノム分析は、我々と99%一致することを明らかにした。我々は彼らと分岐した後、脳機能や神経システム、そして言語に関連した遺伝子がわずかに変化したことがわかった。

 展覧会の最後にはグッズ販売所が設けてありました。ここが実に危ないところで、ピンバッジやキーチェーンなど素敵なアイテムがたくさんあって財布の紐がゆるみっぱなし。博物館は動物がからむからか、美術館よりもショップの誘引力がありますね。ホント危険です。
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ガチャかぶりまくり。 

ランチは科博のレストランで数量限定の特別展記念メニューでラムレッグのローストと白身魚のフリッタ。
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東博でいっぱいいっぱいなので、科博には今まで寄らずに来ましたが、常設展をちらっとだけ覗いたら、あきらかに沼でした。

牛の内臓とかライオンの内臓とか、

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ネズミの増え方とか、
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標本のディスプレイも美しいし、
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楽しく学べるところです。
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建物だって見所たくさん。
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友の会に入りそうになったけど、寸前で踏みとどまった自分を褒めてあげたいです。

日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

渡辺省亭の絵が展示されていると聞いて、一ヶ月半ぶりに東京国立博物館に行きました。以下に気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

3室 仏教の美術―平安~室町

《◎北野天神縁起絵巻(甲巻) 1巻 鎌倉時代・13世紀》
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讒言によって大宰府に左遷されて死んだ菅原道真の霊を天神として祀る北野天満宮の草創の由来と、その霊験譚を集めたもの。社寺縁起絵巻の中で最も流布し、遺品も多い。この作品は「弘安本」と呼ばれるもの。北野天満宮所蔵の三巻から流出した絵が、現在、東博、大東急記念文庫、米国・シアトル美術館などに分蔵されている。

3室 宮廷の美術―平安~室町

八幡大菩薩縁起 1巻 南北朝時代・14世紀》
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八幡神八幡大菩薩)の霊験と、人々の崇敬を描いた絵巻の断簡。すぐ手前に見える第一段は、修験道の祖、役行者が中国への渡航八幡神に祈ったという話。異時同図法で、拝殿の中と庭先の二ヶ所に、鬼をつれた役行者が描かれている。役行者は鬼神を使役できるほどの法力を持っていたといわれ、よく夫婦の鬼をつれて描かれる。夫の前鬼は陽を表す赤鬼、妻の後鬼は陰を表す青鬼。この絵では、赤鬼が斧と鯉幟のようなものを、青鬼は払子のようなものを手にしている。

3室 禅と水墨画―鎌倉~室町

《○囲棋観瀑図屏風 6曲1双 伝狩野元信筆 室町時代・16世紀》
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元信は正信の跡を継ぎ、大規模な製作をこなす画家集団としての狩野派を作画システムを作り上げ、狩野派発展の基礎を確立した。狩野派は周文や雪舟といった画僧に代わり、15世紀末には水墨画製作の担い手として台頭した。
右隻に碁を打つ人、左隻に滝とそれを眺める人を描いている。画面のつながりに関連性がないことから、それぞれ別に製作されたものが、いつしか一対になって伝わった可能性。右隻には、荷物を背負って橋を渡る人、お供をつれた客人、右隻中央に碁を打つ人、それを観戦する人が描かれている。その左にお茶の準備もある。左隻は雪が降り積もる山中。画面右に高い崖から流れ落ちる滝が描かれている。滝の下は水煙でけぶっている。左に家の中から滝を眺める人たち。下には雪支度の人が歩いている。

5室 武士の装い―平安~江戸

《模造 赤糸威鎧 1領 小野田光彦 昭和12年(1937)、原品:平安時代・12世紀》
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東京青梅の武蔵御嶽神社の赤糸威鎧(国宝)の模造。現品は畠山重忠奉納と伝えられ、平安後期の完備した大鎧の形式である。札の黒漆、威の赤糸、金物の鍍金など当初の美しい姿が復元的に理解できる。胴の部分、獅子の模様がかわいらしい。

《肩脱二枚胴具足 1領 安土桃山~江戸時代・16~17世紀》
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板札(いたざね)を金箔押しとし、紫、紅、萌黄、紺、白糸で威した色々糸威の具足。胴は肩肌脱ぎで乳房、肋骨、背骨を表している。兜は鉢に熊毛と植え、正面に眉や皺がある。わざと筋骨隆々な体にしないところが、面白い。

7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸

《山水人物図襖 4面 呉春筆 江戸時代・18世紀》
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4枚の襖に渓流のそばで寛ぐ文人たちが描かれている。衣服をはだけて団扇をあおいでいるところから、季節は夏だろう。そばでお付の子供がお茶の準備をしている。はじめ与謝蕪村に師事した呉春の晩年の作。衣服の柔らかさ、ごつごつした木の幹、ボリューム感のある岩、の応挙の人物山水画の影響が顕著。

《山水人物図襖 4面 呉春筆 江戸時代・18世紀》
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金地の背景に銀の月が浮かび、ゆったりとした流水が緑青の地面と接している。鋭い枝ぶりの紅白の梅に中睦まじく顔を向き合わせた二組の鳥。右隻には江戸時代にしばしば例が見られるように、左右の屏風を入れ替えても、構図がまとまり鑑賞に適う作品。

8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸

《椿蒔絵硯箱 1合 江戸時代・19世紀》
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表面は黒漆塗として、銀・青金の高蒔絵で椿の幹や葉を、螺鈿で椿の花弁を表す。大柄の格子模様に椿を配す、そのモダンな意匠が目を惹く。

《梅樹据文三味線 1挺 石村直作 江戸時代・寛政10年(1798)》
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鉄刀木(たがやさん)というタイやミャンマーなどの熱帯原産の固い木でできた胴に紫檀の棹をつけた、希少な外来銘木を用いた三味線。胴部には、金銀や象牙でできた梅花が嵌め込まれて、大変豪華である。

8室 書画の展開―安土桃山~江戸

《桜に春草図 1幅 尾形乾山筆 江戸時代・18世紀》
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桜の木の下、土筆や蒲公英、蕨などの草花が暖かく賑やかな雰囲気をかもし出す。画中に書かれているのは三条西実隆の「雪玉集」にある和歌で、室町時代の第九代将軍、足利義尚の催した歌合せにおいて「盛花」の題で詠われたもの。「みるたびの けふにまさしと思ひこし 花は幾世のさかりなるらん」と咲き誇る桜を将軍の権力に例えた祝いの歌である。

《蝦蟇仙人図 1幅 長沢芦雪筆 江戸時代・18世紀》
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蝦蟇の前脚を肩越しに回した両手でつかみ、三本足の巨大な蝦蟇を背負う蝦蟇仙人。仙人の中でも人気でよく描かれるが、後姿は他に例がない。少ない筆数とにじみを効かせた水墨面にうならされる。

《漁村富士図 1幅 東東洋筆 江戸時代・天保5年(1834)》
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三本の松の先にあるのは、魚籠や釣竿が見えるので漁師の家らしい。遠く富士が白くそびえ、まさに霊山の趣。東北生まれの東洋は、江戸、京をはじめ各地を遊歴し、晩年は仙台藩御用絵師となった。

《乗興舟 1巻 伊藤若冲筆 江戸・明和4年(1767)》
伊藤若冲相国寺の大典和尚と淀川下りをした折りの感興を絵画化した絵巻。ふつうの版画とは異なり、拓本をとるようにして作った。ぼかしが美しい。
乾山の絵を見て振り返ったら、視界にすごい迫力で飛び込んできて驚きました。キャプションを見て若冲とわかって、変に納得。そうよね、こんな奇抜なのを描くのは若冲くらいよ。

《周茂叔林和靖図屏風 狩野探幽筆 江戸時代・17世紀》
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中国の西湖に隠棲した詩人たちの理想的な田園生活を描いたもの。前景は右隻中央に周茂叔(しゅうもしゅく)の愛蓮、左隻右方に 蘇東坡(そとうば 蘇軾)の騎驢、右方に林和靖(りんなせい 林逋)の愛梅で、それぞれ北宋の故事になぞらえている。遠景は、右隻に陶淵明(とうえんめい)の帰郷、左隻に王義之(おうぎし)の観鵞で東晋の故事。近い時代を前景に、古い時代を遠景に配し、中国の有名な文人をオムニバスに描いた。

愛蓮は「蓮は泥(でい)より出でて、泥(でい)に染まらず」と詠んだ。東坂騎驢は古来より多く描かれている。林和靖は、梅を愛し、鶴を放して愛でていたという故事にちなんで梅と鶴とを組み合わせた図像で描かれることが多い。陶淵明は帰去来辞を詠んで官位を捨てて故郷に戻った。王義之は書の芸術性を確固たらしめて書聖と称される。鵞鳥が幼い頃から大好きだったという。

9室 能と歌舞伎 能「春日龍神」の面・装束

《能狂言絵巻(上巻)の内「春日龍神」 1巻 筆者不詳 江戸時代・18世紀》
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能「春日龍神」は、釈迦を慕う明恵上人が天竺の仏跡を訪ねようと春日明神にいとまごいを詣でたところ、春日明神が「釈迦がこの世を去った今では、春日山こそ釈迦説法の霊鷲山に等しい」と神託を下し、天竺行きを断念したという逸話を題材としている。春日大社に奉仕した金春座中興の祖、禅竹創作と伝えられる。この絵では、能の後場、春日にいる明恵の目前に八大龍王が集まり、釈迦の説法を聴く場面を描いている。まさに、神仏習合の現れである春日明神の意義を示した物語である。

10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

《縁先美人図 1幅 筆者不詳 江戸時代・17世紀》
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浮世絵版画発生以前の寛文美人図の代表作。金箔が用いられた豪華な着物の美人は、縁側に立ち遠くの方を見ている。実は、夜中に山を越して別の女のもとに通う夫を送り出し、その身を案じて和歌を詠む伊勢物語の「河内越」段の女を描いた見立絵と考えられている。「風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ」から、女の胸元の風車模様、裾の金色の波模様が表されている。

《雛祭り 2枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・文化2年(1805)》
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歌麿は浮世絵の黄金期、寛政期を代表する絵師。市井の美人から吉原の遊女までさまざまな美人を描いた。この絵では三段の豪華な雛壇を前にご馳走やお酒を楽しんでいる。

《桃林に牛 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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十二支を題材にして作画されたシリーズのひとつ。でっぷり太った牛の迫力が目に残る。画題は、周の武王が殷を滅ぼしたときに、戦争に使用した馬を崋山の南側に帰し、武器などを運搬させた牛を桃林に放って、二度と戦争はしないことを人民に示した故事による。

文鳥 辛夷花 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
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詩や俳句が画中に添えられた中判花鳥画10枚揃の一枚。辛夷花とはコブシのことだが、画中では木蓮のように花弁の裏が赤い。文鳥は体をそり返し、頬の白がこれもまん丸に誇張されて描かれている。

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《桜下婦女図 1幅 川又常行筆 江戸時代・18世紀》
常行は江戸時代中期の浮世絵師で川又派の祖。肉筆画だけが残されている。枝垂れ桜の下に赤い振袖の女。女の視線は地面に落ちる桜の花びらに注がれている。

《摘み草図 1幅 北尾重政筆 江戸時代・18世紀》
川辺で春の草を摘む5人の女たち。振袖だったり前帯だったり帯締めとして兵児帯を腰に巻いたり、様々な着こなしが見える。摘み草は、初春、山野に出て食用となる野草や山菜を採集することで、蔬菜栽培が本格化するまでは、ごく一般的な行為であった。北尾重政は版元須原屋三郎の長男。家業を弟に譲り、画業に専念して北尾派の祖となった。文学関係のと関わりの深い弟子が多い。

《木曽海道六拾九次之内・大井 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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46番目の宿場である大井は、起伏に富んだ山間のわびしい宿場だった。広重は、背景の山々でその起伏の激しさを表し、しんしんと降り積もる雪に宿場のわびしさを描いた。

 《◎風俗図巻 1巻 宮川長春筆 江戸時代・18世紀》
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宮川長春(1682-1752)は、版画を描かず肉筆画に専念した絵師。本図は長春の盛期の作風を伝える優品で、武家屋敷で芸を披露する女舞の一行を描いたもので、大名屋敷へ向う女舞の一行、その屋敷内で上演される傘踊りと、臨時の楽屋で身繕いをしている様子を描いている。屋敷の中には狩野派風の屏風があったりと、見所が多い。

10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)

《打掛 綸子地橘に几帳模様 1領 江戸時代・19世紀》
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江戸時代後期に、地色を紅、白、黒の三色で同じ模様であつらえた三つ揃と呼ばれる婚礼衣装が裕福な町方女性に流行した。橘は変わらぬ若さの象徴、几帳は雅やかな王朝の文物として、ともに吉祥文様。

14室 おひなさまと日本の人形

享保雛 江戸時代・18世紀》
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享保年間に町方で流行したもので、実際の公家装束から離れた豪華な衣装を纏う。江戸では大きな雛飾りを競い合う流行があり、享保6年(1721年)にはて8寸(約24センチ)以上の雛人形が幕府によって禁止された。

《台付機巧輪舞人形(部分) 茗荷屋半右衛門・川合谷五郎正真作 江戸時代・正徳3年(1713)》
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花見の場で踊り遊ぶ様子が表されている。台座の棒を回すと、若衆をはじめとした人形が三味線の音にあわせて回転するからくり。

《初参人形 明治時代・19世紀》
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裃を着て正座する少年の人形。皇族の乳児が初めて天皇に拝謁する御初参内で拝領したもの。手前の赤い着物の人形は、明宮嘉仁親王(後の大正天皇)のもの。

15室 歴史の記録 博物図譜

中国の本草学をもとにはじまる日本の博物学は、享保年間(1716~35)頃から幕府が実施した全国産物調査を契機に、その体系が整い、さらに西洋の博物学の影響をうけ、幕末から明治期にかけて科学的研究が展開しました。江戸の博物学者らによって描かれた動物、植物、魚類など、さまざまなジャンルにわたる博物図譜をご覧いただきます。

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本草図説 60 蟹類 1冊 岩崎灌園著 江戸時代・19世紀》
江戸時代を代表する植物図鑑「本草図譜」の著書で知られる幕臣、岩崎灌園の自筆稿本。灌園の居宅名「又玄堂」の用箋に描いてある。

《奇獣図譜 1巻 江戸時代・18世紀》
天狗の骸骨をはじめ、ドシドシ歩く動物、三つの頭を持つ蛇など、奇妙なもの12種を収録。江戸時代中期の国学者、屋代弘賢の旧蔵書。

《博物館図譜 百鳥図・異獣類 1冊 博物局編 江戸~明治時代・19世紀》
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前半は100羽ほどの鳥類。後半は異獣類として、バク、モモンガ、ユニコーン、水牛、麒麟かわうそなどが描かれている。要は、伝聞を元に想像で描いたものということか。

《物館写生図(琉球狆) 1枚(134枚の内) 関根雲停、中島仰山他筆 江戸~明治時代・19世紀》
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キャプションに「この狆は当時の琉球狆の姿を伝えている」とあった。当時の小型愛玩犬は全て狆と呼ばれていたのだろう。足が長く短毛なことから、今でいうミニチュアピンシャーに近い犬種かもしれない。ミニチュアピンシャーは起源が17世紀あたりに始まるし、断尾断耳しなければ、よく似たフォルムになるばず。

18室 近代の美術

龍頭観音像 1幅 河鍋暁斎筆 明治時代・19世紀》
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暁斎はたびたび龍頭観音を描いた。右上に如空暁斎洞郁謹画と署名がある。
(同上 部分拡大)
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足のあたりをよくみると、あたりらしき線がある。洞郁は狩野派としての画号。大きすぎて下の方は伸ばせていない。この作品は席画と、「反骨の画家 河鍋暁斎」にあった。
bunnkamura ザ・ミュージアム暁斎展に行ったばかりなので、一目見てすぐに暁斎だとわかった。トーハクでこんな大作を拝めるとは、なんという僥倖。しかし、18室で暁斎か。確かに近代の画家なんだけど、どこか違和感。

《花下躍鯉 1幅 飯島光峨筆 明治7年(1874)》
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桜の枝越しに見る月は低い視点から、飛び跳ねる鯉は高い視点から描いてある。桜も鯉も跳ねる飛沫も非常に細やかに描かれている。飯島光峨は、江戸末期から明治を生き、暁斎と人気を二分したと言われる狩野派の絵師。

《雪中群鶏 1幅 渡辺省亭筆 明治26年(1893)》
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今年は4月2日に100年忌を迎えることから、渡辺省亭の作品が多く見られそうでうれしい。雪の積もる大八車の上下に群がる鶏の図。集中しているところを見ると、ここだけ陽だまりなのかもしれない。この作品は、明治26年1893年)のシカゴ万博博覧会に出品されたもの。

赤坂離宮花鳥図画帖 渡辺省亭筆 明治39年(1906)頃》
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明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮)として建設された迎賓館の花鳥の間(大食堂)の壁面に飾られた七宝焼の下絵。百舌や行々子の胸元のやわらかそうな羽毛。淡紅鸚哥の鮮やかな色。赤山茶花の欠落感とか憎くさえ感じるほど。どれも素敵で見惚れます。

 

今年3回目のトーハク常設展でした。しばらく来ていないと、ずらっと展示替えしてあってあれもこれもとなって大変です。どうせ全ては観られないのだから飛ばして見るしかないのですが、素通りしようと思っていても、展示物がこっちを引き止める。時間がない時に限って、普段なら通り過ぎるところに、変なものが置いてあるから油断できない。トーハクってホント恐ろしいところですね。

 

お昼ご飯は東洋館のゆりの木で五目つゆそばとBセット。

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上野公園では、寒緋桜が咲いていました。f:id:Melonpankuma:20170311173041j:plain

次は博物館でお花見をに合わせて行きます。

www.tnm.jp

春日大社 千年の至宝展(後期)@東京国立博物館 平成館

1月末に来て以来、久しぶりの上野公園。来週から上野公園桜祭りが始まるからか、浮世絵行灯が並んでいました。
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東京国立博物館は中庭の池が干されていました。
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春日大社展も今週末で終わり。この日は時間が限られていたので、少しだけ見に行きました。
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以下に気になった展示物をずらずらとメモ代わりに残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵先なしは東博所蔵)

第二章 平安の正倉院

23《◉ 本宮御料古神宝類 蒔絵箏 一張 平安時代 12世紀 春日大社
金、銀、銅の沃懸地や螺鈿で装飾された小型の琴。流水文や飛び交う鳥や蝶が描かれ、王朝意匠の粋を今に伝える平安時代漆芸品の最高傑作。螺鈿の宝相華文はほとんどが剥落している。砂流しによる懸崖の表現がすばらしい。69に復元あり。

45《◉ 若宮御料古神宝類 毛抜形太刀 一口 平安時代 12世紀 春日大社
平安時代藤原頼長が奉納したと考えられる太刀で、鞘の銀板に漆で岩千鳥を表わしてある。しかし、現物はひどく傷んでいるのとライティングが限られていて単眼鏡でも細かな部分が見づらかった。華奢に感じるほどのフォルム。

69《復元模造 蒔絵箏 北村大通・北村昭斎作 一張 昭和55年(1980)春日大社
復元した筝。23と並べて展示されていたので復元したものの輝きがより見事だった。

70《復元模造 毛抜形太刀[鞘]高山一之作[鞘装飾]北村昭斎作[刀装金具]宮島宏作》 一口 平成15年(2003) 春日大社
復元した毛抜き形太刀。45を背にする位置に展示されているため見比べにくいものの、本作は輝きも見事で文様も鮮やかなので、岩千鳥の愛らしさも十分感じられるし、各部位の細工を観察しやすかった。見惚れちゃって思いの外時間を取られました。 

第三章 春日信仰をめぐる美的世界

81《◎ 春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 東京・根津美術館
珍しく社殿を正面から描いてあるため、御間塀や獅子の姿までみえる。本地仏梵字で示されている。

92《春日宮曼荼羅 一幅 室町時代 16世紀 京都・誓願寺
御本殿の前にある二之鳥居の手前で参堂が右に曲がっている。参詣の道筋が実際に即して良く描かれている。

94《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉~南北朝時代 14世紀 奈良・大和文華館》
現存しているものの中で最も多くの本地仏が描かれている。

102《◎ 興福寺曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館
興福寺との結びつきを表すようになった初期のもの。 たくさんの仏が描かれている。

115《◎ 春日龍珠箱 二合 南北朝時代 14世紀 奈良国立博物館
龍の宝珠を入れる二重の箱。今回は内箱が展示されていた。蓋の裏には7匹の鬼と若者の姿の八龍王、本体は波模様が描かれている。春日大社の地に龍神信仰があったことを示す。

126《稚児文殊像 一幅 鎌倉~南北朝時代 14世紀》
垂髪狩衣姿の文殊菩薩と獅子が描かれている。通常の稚児文殊像は獅子に乗っている姿で描かれることが多いが、本作では文殊菩薩を守るように獅子が寄り添っている。

148《◎ 四方殿舎利厨子 一基 室町時代 15世紀 奈良・能満院》
屋根のある宮殿形の厨子。四方が両面開きになり、中にそれぞれ春日神鹿御正体、三面火焔宝珠、大般若経宝幢、五輪塔が配されている。その中に仏舎利や木彫仏を納めた板があるらしい。

第四章 奉納された武具

175《◉ 沃懸地獅子文毛抜形太刀 一口 [刀装]鎌倉時代 13世紀[刀身]平安時代 12世紀 春日大社
金沃懸地の鞘に三頭の獅子が描かれているのだが、これが甘え顔で実にかわいらしい表情。刀身はしのぎ造り。無銘だが同時期の生ぶな名品。

176《◉ 沃懸地酢漿紋兵庫鎖太刀 一口 鎌倉時代 13世紀 春日大社
鞘の上部に付く帯取に兵具用の鎖がついている。鞘と兵庫鎖の部分に酢漿(かたばみ)紋が表されている。

179《◎ 金銅柏文兵庫鎖太刀 [刀身]古青江康次 一口[刀装]南北朝時代 14世紀[刀身]鎌倉時代 13世紀 春日大社

とにかく大きくて目を惹く。塗金と塗銀で柏文が描かれた鞘は、銅の青みが印象に残る。広身幅の大太刀。

186《◉ 赤糸威大鎧(竹虎雀飾)一領 鎌倉~南北朝時代 13~14世紀 春日大社
茜染糸による鮮烈な赤の威毛と、細かい彫金技術をみせる鍍金の金物が華やか。兜鉢や吹き返しにみられる竹文の高肉透彫地に雀。大袖には竹に虎。この虎がまた猫みたいにかわいらしい姿で微笑ましい。ぐにゃぐにゃに曲がっているが、虎には髭もある。

188《◉ 黒韋威胴丸 一領 南北朝室町時代 14世紀 春日大社
昨年国宝に指定された。保存状態がすばらしく当時の韋緒や組紐がほぼ完全に残っている。鹿皮を紺に染め金物は鍍金枝菊文透。

第五章 神々に捧げる芸能

196《競馬図屛風 六曲一双 室町時代 16世紀 春日大社
競馬会神事(くらべうまえしんじ)の様子が描かれた屏風。赤と青の衣装で分かれて競う。

 

前に来た時から三分の一くらい展示替えしてあった印象でした。駆け足で見るのはもったいないくらいだったのですが、しょうがない。

 

前期の記事はこちら。

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寿ぎの品々を読み解く(後期)@三の丸尚蔵館

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現在「寿ぎの品々を読み解く」展の後期展示中です。

明治期以降,皇室の御慶事に際しては,各方面からお祝いの品としてめでた尽くしの掛軸や置物など,美術品の数々が献上され,現在,その一部が当館に引き継がれています。本展では,これらの品々に示された伝統的な吉祥の主題が,新しい時代の感覚によってどのように表現されたか,その造形美に注目して紹介します。

三の丸尚蔵館 - 宮内庁

《蓬萊山之図(巌に日之出図・月之出図) 下村観山・横山大観 対幅 明治33年(1900) 絹本着色》
右幅の月の出を下村観山、左幅の日の出を横山大観が描いた。月は円として描かれているが、大観の日の出は赤みを帯びた空気を描き、陽を示すような丸はない。これ以外にも、調べると二人の合作の作品がいろいろあるようだ。

《蓬萊山 横山大観 1幅 昭和3年(1928) 絹本着色》

青緑山水で描かれた蓬莱山。山陰には人家が見え、鶴や鹿の姿もある。山裾には水の流れ。遠景に青く柱のような山々、空には赤い陽が浮かぶ。
横山大観は近代日本画壇の巨匠。明治・大正・昭和の三代にわたり第一線で日本画を革新し続けた。朦朧体(もうろうたい)と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。

《刺繍神宮之図屏風 大野隆平ほか 4曲1隻 大正13年(1924) 刺繍,蒔絵》

大正13年昭和天皇が結婚で神宮参拝をした際、三重県知事より献上。屏風には油彩と思われる原画を元に刺繍で神宮の景色が描かれている。腰板は蒔絵と螺鈿で神宮内を流れる五十鈴川が描かれ、所々に嵌め込まれた小さな真珠が水の泡のように光る。

《古柏猴鹿之図 森寛斎 1幅 明治13年(1880) 絹本着色》

柏(中国の柏はヒノキ科の柏槙)の林にいる三頭の鹿と猿の群れ。柏と候(猿)と鹿で音の通りから百禄封候を表す。百禄封候は東洋画題の一つで立身出世を祝ったもの。似たものに、雀、鹿、蜂、猿で爵禄封侯がある。

《白鹿置物 菅原安男 1点 昭和9年(1934) 木彫,彩色》
昭和3年、満州国境付近で白鹿を捕獲。昭和天皇に献上されたが、後に春日大社で飼うことになったのを、菅原安男は見に行って写生したという。立派な角と胸元の巻き毛が美しい。

《白鹿置物 沼田一雅ほか 1点 大正15年(1926) 銀,鋳造》
鹿の下顎のあたりが何ともかわいらしい造形。鹿の足元には茸。

 

皇居内には春の花がちらほら。
マンサク
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大寒
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よいお散歩ができました。

 

前期はこちら。

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