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ハイブリッドな絵師・河鍋暁斎-狩野派として、浮世絵師として@Bunkamura ザ・ミュージアム

トークショー Bunkamura ザ・ミュージアム 日本美術 日本画 東京23区内

河鍋暁斎展に引き続き、山下祐二氏によるトークショーにも行きました。2月末の話ですが、記憶のあるうちに記事に残しておこうと思います。

www.bunkamura.co.jp

ひどく寒い日だったので、寒いところで並ぶのは嫌だなと思って、近くのドーナツ屋さんで時間をつぶし、開場時間ギリギリに行ったら、受付場所から駐車場にまで続く長い行列になっていてげんなりしました。皆さんお早い。

会場の写真を撮らなかったので、アイキャッチとしてポスターを撮影。

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暁斎はハイブリッドな絵師。 7歳で国芳、10歳で狩野派に入門した。現代で言えば漫画家で東京藝大を出てるみたいな話。19歳で狩野派から独立したのも、昔なら許されないことで、それだけ、幕末で狩野派の権威も揺らいでいたということ。ネイティブで筆を持つ最後の絵師。幕末と明治を生きた、いろんな意味で二重性を持つ。

以下、スクリーンに投影されたものを思い出せる限り。
暁斎画談内外篇》《大和美人図屏風》《暁斎画日記》《Kiyosai Sensei. At Nikko. Augst 5th ジョサイア・コンドル》《鯉之図 ジョサイア・コンドル》《枯木寒鴉図》《枯木に夜鴉》《地獄太夫と一休》《幽霊図》《幽霊に腰を抜かす男》《百鬼夜行図屏風》《放屁合戦絵巻》《新富座妖怪引幕》《閻魔大王浄玻璃鏡図》《地獄戯画(蕎麦を食べる閻魔と付き人)》《地獄極楽めぐり図》《花鳥図》《野菜づくし、魚介づくし》《釈迦如来図》《白鷲に猿図》《山姥図》《北海道人樹下午睡図》

今回、山下先生が強調されていたのは、東博暁斎展開催をってことで、いっそ国民運動やりましょうよって話でした。今回も大いに笑いました。

ひどく寒い日だったので、エキナカであんかけうどん。

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手延べうどん 水山

食べログ手延べうどん 水山

これぞ暁斎!展@Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアム 日本画 日本美術 東京23区内

河鍋暁斎展を観に渋谷の東急bunnkamuraに行きました。河鍋暁斎の絵が好きなので、この日を長く待ちわびていました。いよいよ暁斎、やっと暁斎
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東急百貨店には静岡のつるし雛が飾ってありました。一つ一つがかわいらしくて上ばかり見て、ショーウィンドウ素通り。
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Bunkamura ザ・ギャラリーです。
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www.bunkamura.co.jp

会場はそれほど混雑しておらず、ゆっくりと鑑賞できました。以下、気になったものをメモとして残します。

 

序章 出会い ゴールドマンコレクションの始まり

 ハーバード大学で美術史を学んだイスラエル・ゴールドマン氏は、浮世絵に興味を抱き、ロンドンで画商の道を歩み始めました。江戸時代の挿絵本、浮世絵の大家ジャック・ヒリアー氏の薫陶を受け、日本文化に対する深い知識を育みます。
 あるときゴールドマン氏はオークションで暁斎の「半身達磨」(第6章)を入手しました。その質の高さに驚愕した彼は、その後「暁斎」の署名の入った作品を意識的に集めるようになりました。

4《鯰の船に乗る猫 明治4-12(1871-79)年頃 紙本淡彩》
川に腹を出して浮かぶ鯰の上には、煙管を手にしてくつろぐ大きな猫。柳の生える岸辺、二匹の小さな猫が鯰のヒゲを引っ張って進む。

5《狐の嫁入り 明治4-12(1871-79)年頃 紙本着彩》
二匹の狐が向い合ってかしこまった顔をしている。 

10《鯰の曳き物を引く猫たち 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
行列の先頭の猫は旗代わりに三味線を掲げている。4と同じく鯰のヒゲを引っ張って進む。猫らは口を開けでのんきそうな表情。地震を起こすといわれている大鯰を瓢箪で押さえ込むのは、大津絵の瓢箪鯰としてよく描かれたもの。三味線は猫の皮で出来ていることから芸者を表し、鯰にはヒゲがあることから役人とも見れる。

第1章 万國飛 世界を飛び回った鴉たち

明治3(1870)年の秋、上野の料亭で催された書画会で、例によって大酒した暁斎(当時は狂斎)は、新政府の役人を風刺する滑稽画を描き、その場に居合わせた警吏に捕縛されてしまいます。
入牢3か月、鞭打ち50回という刑を受け、ようやく釈放されました。暁斎はこの恥辱を深く後悔し、筆名を「狂斎」から「暁斎」と変えます。
この筆禍事件が災いしてか、明治10(1877)年に開催された第1回内国勧業博覧会暁斎が呼ばれることはありませんでした。しかし4年後の第2回内国勧業博覧会では出品が許可され、「枯木寒鴉図」など4点を出品、この図は事実上の最高賞である妙技二等賞牌を得ました。当時すでに暁斎に注目していた外国人たちは、こぞって鴉の絵を求めました。鴉は暁斎を一挙に海外に知らしめた作品となり、暁斎は海外に飛んでいく鴉を思い、鴉と万国飛の文字を組み合わせた印を作りました

11《枯木に鴉 明治4-22(1871-89)年 紙本墨画
第二回内国博の出品作《枯木寒鴉図》とよく似た構図の作品。尾羽の輪郭がとてもきれい。この手のものを何枚も書いたらしい。
《枯木寒鴉図》は100円という破格の値段で榮太樓本舗の細田安兵衛が買ったことから「百円鴉」とも呼ばれている。この受賞で暁斎は海外にも名を知られるようになり、飛んでいく鴉を思って萬國飛の印(向き合う二羽の鴉の間に萬國飛の文字がある方印)を作った。

12《枯木に鴉 明治4-22(1871-89)年 藍紙墨画、金砂子》
11とほぼ同じ構図だが、金砂子と藍紙で薄闇を表現したもの。

15《柿の枝に鴉 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
柿のヘタの黒ずみ(へたすき)がよく描かれている。

16《柿の枝に鴉 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
怒り顔の鴉。赤い実と描かれる鴉はどれも警戒している傾向。

17《日輪に鴉 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
日の出と三羽の鴉が描かれた揃いの四幅が並べて展示されているが、実際のところ四幅なのか定かでない。それぞれ、岩肌に蔦、岩肌に笹、柳、梅。三羽のうち二羽が同じ方を向く。日輪と萬國飛の落款の組み合わせがめでたい印象を与える。

21《鴉と鷺 明治18-22(1885-89)年 紙本墨画
梅の枝に立つ黒い鴉と柳の枝に立つ白い鷺の二幅。二羽が向き合うように展示されていた。

22《烏瓜に二羽の鴉 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩》
冬、枯葉のつく柿の木にからまる烏瓜。くるくると螺旋になった巻きひげが愛らしい。木に止まり遠くを見据えて威嚇するように鳴く鴉。頭から背にかけての輪郭が美しい。完熟した烏瓜の実と萬國飛の印の朱色が映える。

23《月下 梅に鴉 明治4-22(1871-89)年 大々判多色摺版画》
鴉と重なるように月を表す円弧。梅の古木の強い黒が印象的。

第2章 跳動するいのち 動物たちの世界

暁斎は鴉をはじめ、鷺、虎、象、狐から鼠や猫、また蛙や昆虫などの動物を自由自在に描きました。その多くは実物の写生に基づいています。
暁斎の画塾では写生が重視されており、暁斎の伝記を載せた『暁斎画談』には、自宅の庭に様々な動物を飼って、弟子たちがそれぞれ好きな動物を描く場面があります。

27《雨中の蓮池に降り立つ白鷺 明治4-22(1871-89)年 紙本墨画
斜めに走る雨。強い風にうつむく蓮。茎の棘が強調して描かれている。白鷺は足をそろえて急旋回し、降り立つ地点を見据えている。

29《象 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
太い筆で一気に描かれている。象の肌の質感と密な睫をした悩ましげな瞳がとても写実的。

30《月下猛虎図 明治4-22(1871-89)年 絹本淡彩》
月に照らされて水面に写る自分の顔を狙う虎。象と比べると写実性に欠け、伝統的な虎の描き方に近い。象と違って実物を見ていないのかもしれない。

32《枇杷猿、瀧白猿 明治21(1888)年 絹本着彩》
枇杷を差し出す猿と、滝を渡る蔦にぶら下がる白猿が描かれた二幅。川べりの木に座る猿は牡蠣(?)の器に入れた枇杷を掲げ持つ。豊かな冬毛が質感よく描かれている。赤い顔が表情豊かで、見ているとほほえましい気持ちになる。滝の白猿の手足の縮こまり具合が写実的。

34《虎を送り出す兎 明治11-12(1878-79)年頃 紙本墨画
三羽の兎に誘導されて虎が送り出される。寅年から兎年への交代の絵。虎の前後に兎。背には鞭を持つ兎。鳥羽筆意と書かれていることから、鳥獣戯画を意識したもの。

36《鏡餅にねずみ 明治20(1887)年 紙本着彩》
遠景に日の出、鏡餅の上下にとても愛らしい鼠。

40《蛙の放下師 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
放下は室町時代から続く大道芸のひとつ。蛙の演者で長竿の曲芸を描く。竿も太鼓も三味線も扇子も蓮でできている。大蛙は片手に扇子を持って片足立ちになり、鼻先に長竿を立ててバランスを取る。長竿の途中によじ登る蛙。先端の花柄に三味線を構える蛙が座る。大蛙の足元に太鼓を叩いて大声を出す蛙。

42《月に手を伸ばす足長手長、手長猿と手長海老 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
足長人の背に手長人。その上に手長猿、手長海老と続く。手長海老の伸ばした鋏の先には月の円弧。左下の足長人から斜め上の月まで視線が誘導される。

43《動物の曲芸 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
蝙蝠、猫、土竜、狐、鼠が衣装を着て、三味線や太鼓を鳴らし、ぶらんこ、綱渡り、梯子等の曲芸をする。二十日鼠以外の鼠も赤目。大入の扇子。狐が観客。

44《鳥と獣と蝙蝠 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
イソップ物語「卑怯な蝙蝠」の挿絵。様々な鳥と獣が戦っているのを、蝙蝠が様子をみている。

45《獅子と熊と狐 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
イソップ物語の挿絵。手前に兎を咥えて逃げる狐、背後に熊と戦う獅子。獲物は兎でなく子山羊だったような。

46《『通俗伊蘇普物語』 明治8(1875)年 多色摺版本》
「猿と二人の旅人」の挿絵。猿の群れに土下座する二人の男。

47《『暁斎酔画』初編、二編、三編 明治15,17,23(1882,84,90)年 多色摺版本》
三編「虫の遊」土竜にしがみつく蛙。蝙蝠が行司。鼠が蝙蝠の背中を瓢箪で押さえつける。兎の背に乗って駆ける蛙。蛙を乗せた柿の籠を運ぶ、大蛙と兎。

52《眠る猫 明治18-22(1885-89)年 団扇判錦絵》
耳を立て少し警戒を残しながら眠る三毛猫。白毛部分は空摺り。でっぷり太った猫。首の下に余った皮がやけに生々しい。

55《とくわかに五万歳(徳若に御万歳) 明治4-22(1871-89)年 色紙判錦絵》
徳若に御万歳は、いつも若々しく長寿を保つようにという祝いの言葉。書を広げた机の上の蟹の手には扇子。机の下でむずかしい顔をする亀たち。もしかして、説法を説く蟹ってこと?万年の寿命を持つという亀は、てっきり五匹と思ったら、一匹の背中に小亀がいて六匹いる。

63《〈天竺渡来大評判 象の遊戯〉 文久3(1863)年 大判錦絵》
さまざまな曲芸をする象。鼻息で灯を消す、くしゃみの響き等。

第3章 幕末明治 転換期のざわめきとにぎわい

江戸から明治への転換を経験した人々は、大きな断絶と価値観の変化を受け入れざるを得ませんでした。しかし暁斎は冷静に時代を観察することのできた、数少ない人間でした。
彼はいかに周囲が変わっても人間の本質には変わりがないことを知っていました。西洋の船に乗る外国人、博覧会場の日本人と西洋人、今戸で瓦を焼く職人や渡し船に乗る人々などが、まったく同じ視線で描かれています。

70《各国人物図 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
象や駱駝に乗る人、猿をつれた人、長毛犬をつれた西洋人の親子、サイトハウンドをつれた弁髪中国服の人等、様々な民族が描かれている。

71《隅田川今戸焼瓦焼きと渡し 明治3(1870)年以前 紙本着彩、金泥》
手前に梅、転ぶ子供、藁を積んだ山の上で凧揚げ。その奥の釜で瓦を焼いている。川の向こう、遠景に山影と鳥の群れ。釜から立ち上がる煙と凧糸で視線が上に誘導される。

73《野菜づくし、魚介づくし 明治18(1885)年 紙本着彩》
様々な野菜と魚介を描いた二幅。魚の方で河鍋暁斎カサゴを描いている。他にも川端玉章、渡辺省亭、松本楓湖、野口幽谷等が描いている。野菜の方は、佐竹永湖、滝和亭、柴田是真、柴田真哉などが描いた。

75《大仏と助六 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
縦長の本紙全長に渡る大仏の顔。大仏の唇のあたりで和傘を手に見栄を切る助六助六は歌舞伎の人気演目。大仏のまなざしが静かに助六に注がれている。

78《猫と鯰 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
鯰がヒゲを伸ばして、川縁の猫に何かを渡そうとしている。猫は芸者、鯰は役人と見立てることもある。鯰が渡しているのは、恋文か金か。そういえば、鯰と柳の組み合わせが多い。柳の下の泥鰌ではなく鯰か。

79《居眠り猫と鯰 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩》
酒瓶を横に布団にもぐりこんで寝ている鯰(役人)と、そのヒゲを抜こうと大きな毛抜きを構える八匹の猫(芸者)。

80《鍾馗と鬼の学校 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
先生の鍾馗が拷問道具の図表を指して説明し、生徒の青鬼が手を上げて質問している。

82《雀の書画会 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩》
雀たちが書いたり眺めたりしている。雀の丸まった頭が坊主頭のように見え、かしこまった雰囲気なのが面白い。

84《墨合戦 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
墨を塗りあったりしているのが、実に楽しそう。 

92《名鏡倭魏 新板 明治7(1874)年 大判錦絵三枚続》
右端に「名鏡ノ竒特ニテ悪魔外道ノ類恐立させる図」とある。中央で鏡を叩いているのは名刀工の栗原信秀。右で鏡に光を反射させているのは名研師の本阿弥平十郎。和洋の妖怪、悪魔が逃げ惑う。左に「ロンドン新聞ニヽスル図」とあり、鷲鼻で緑の小袖に水色裃男など、暁斎旧知の英国人ワーグマンによる「ジャパン・パンチ」のキャラクターが登場している。

93《不可和合戦之図 明治10(1877)年 大判錦絵三枚続》
不可和(かわず)つまり蛙の合戦。中央では蛙の将軍が蝦蟇蛙に乗って蓮葉の采配を振るっている。兵士は蓮の武器を手にして気勢を上げて突進している。下には蓮根の大砲もある。緊張感あふれる場面だが、どの蛙も瞼が半分閉じて眠たげな表情なのがよい。

97《〈家保千家の戯〉天王祭/ろくろ首 元治元(1864)年 大判錦絵》
南瓜の擬人化。天王祭は、天王と書かれた扇子を手にして踊ったり、南瓜の花の神輿を担ぐ南瓜人が描かれている。ろくろ首は、川縁で長く伸びた弦の先についた南瓜に驚いて、南瓜人三人が大慌てで逃げ出している。署名は畑狂人、印章も南瓜。
暁斎が7歳で弟子入りした最初の師匠、歌川国芳のほふづきづくしを思い出させる。

101《〈暁斎楽画〉第三号 化々学校 明治7(1874)年 大判錦絵》
化け物たちの学校。上では閻魔大王がパネルに描いた地獄を講義中。画面中央では河童達がシリコダマやキウリとローマ字を習っている。暁斎の手にかかると動物はおろか妖怪までも人間臭いのが、楽しい。

笑う 人間と性

暁斎春画は数こそ少ないですが、歌川派浮世絵師の描く春画と比して際立つ特徴があります。それはユーモアです。
春画は笑い絵とも言われますが、暁斎の場合は文字通り笑いに溢れています。

春画は笑いのコーナーです。押印も実にわかりやすい。心の中でケラケラ笑っていたのですが、人前をはばかって、まじめな顔をして鑑賞しました。

第4章 戯れる 福と笑いをもたらす守り神

暁斎にとって、七福神は特別な意味を持っています。これに鍾馗風神雷神、山姥などを含めても良いかもしれません。七福神鍾馗は、暁斎の子飼いの役者たちです。

104《鍾馗と鬼 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩、金泥》
振り上げた右手に剣で青鬼(ほぼ桃色だけど)を狙い、左手で赤い小鬼の襟首をつかんでいる。小鬼たちの指は三本。鍾馗の髪や髭、緑色の衣が跳ね上がり、下から大風が吹いている。背景、剣、衣の裾にも金泥が使われていて豪華な印象。
鍾馗は唐の玄宗皇帝の夢の中に現れた子鬼を退治して帝の病を治したとされる神鬼。鍾馗の絵は北斎、応挙、仙厓などを見ているが、私の頭の中で、どうも北斎の描く張飛とごちゃごちゃになっているような。

105《崖から鬼を吊るす鍾馗 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
鍾馗が小鬼をつるして、断崖にある薬草を採らせている。細い綱が心細いし、鍾馗の綱を持つ手がいまいち真剣味なくて、使われている小鬼が哀れ。鍾馗の方がよほど鬼だ。

106《鬼を蹴り上げる鍾馗 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
鍾馗、とうとう鬼を蹴って遊び始めた。鍾馗の躍動感がすばらしい。帽子の紐や衣の跳ね上がり。頭上高く飛ばされた小鬼の衣の線はかすれて二重に割れ、まるでカメラのシャッタースピードが遅かったような、速度感を生んでいる。

107《鍾馗と鬼の相撲 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩》
和気藹々と相撲を取っている。どう見ても仲良し。

109《鬼をおとりに河童を捕まえようとする鍾馗 明治3(1870)年以前 紙本着彩》
沼の中、小鬼に尻まくらせてそれを獲物に罠をしかけ、河童を取ろうとしている。鍾馗は身を隠して河童が罠にはまるのを待っている。ホント、小鬼かわいそう。

116《貧乏神 明治19(1886)年 紙本着彩》

骨が浮き出た男。髪も髭も貧相。右手に杖、ぼろぼろに破れた衣、背中には破れ傘や破れ団扇を担いでいるのが、縄でできた小さな輪の中に立たされている。封じられた?

118《猩々の宴会 明治7(1874)年頃 絹本着彩》
大勢の猩々らが、發光酒と書かれている大甕を囲んで宴会している。実に楽しげ。猩々は赤い髪をして猿のような姿の酒好きな中国の妖怪。

第5章 百鬼繚乱 異界への誘い

暁斎は写生を最も重視していましたが、実存しない幽霊や百鬼、閻魔や鬼などはどのように描いたのでしょうか。後妻の阿登勢が亡くなったとき、暁斎は彼女を抱き起してその顔や姿を写生したといい、出品作の「幽霊図」はその写生を元に描かれたと伝えられています。

125《幽霊図 慶応4/明治元-3(1868-70)年頃 絹本淡彩、金泥》
幽霊物も得意とした歌舞伎役者五代目尾上菊五郎から依頼された幽霊画。行灯の光に浮かび上がる、骨が浮き出るほど痩せた女の幽霊。右目は青い白目に金の瞳、左目は影になって銀色。光の当たっている方の顔と右腕は胡粉で塗られている。着物には薄く草の模様が見える。足元は消えている。

126《幽霊図下絵 慶応4/明治元-3(1868-70)年頃 紙本墨画
幽霊画の下絵。線を修正する時は胡粉を縫ったり、紙を貼ったりしている。下絵では着物の裾まで描かれている。

127《幽霊に腰を抜かす男 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩》
草むらから飛び出してきた幽霊に驚いて、腰を抜かしてひっくり返る男。幽霊は黒い影で表されている。筆が走り痕がかすれて、霊が出てくる勢いがよく表されている。

128《地獄太夫と一休 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩、金泥》
黒衣の一休は払子を持ち、腰掛けている椅子に朱太刀を立てかけているのが、禅展で見た頂相(135)を思い出させる。蓮の衝立の前、座布団に座る地獄太夫の着物は吉祥模様が緻密に描かれている。歌舞伎の一休地獄噺を元にした画題。人気だったらしく何作も描かれている。

129《地獄太夫と一休 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩、金泥》
月と秋草が描かれている屏風の前に地獄太夫。その周りを小さな骸骨が飛び回る。大きな骸骨は片膝をついて皮も線もな三味線を弾いている。その頭蓋骨の上では黒衣の一休が踊り狂っている。一休が右手に持つ扇子も骨だけ。地獄太夫の打ち掛けや帯には炎のような赤珊瑚、七福神、独楽、小判、寿の字が描かれている。小袖には黄色い花模様。南瓜の花?

130《閻魔大王浄玻璃鏡図 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩、金泥》
浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)は、閻魔大王が裁く時、死者の善悪の見きわめに使用する鏡。浄玻璃鏡に向き合って映し出された女は、向き合ったそのまま。罰される必要のない清らかな女が誤って地獄に来てしまったのか、閻魔大王が困っている。その後ろでは、青白い罪人の髪を持つ鬼が順番をまって控えている。

142《百鬼夜行図屏風 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩、金砂子》
六曲一双の屏風。百鬼夜行といえば絵巻が多いが、暁斎は屏風に描いた。宵の右から夜明けの左に向かって、ユニークな姿形の妖怪が進む。今回の展示物の中では最も大きい。画面上下に金砂子。

147《〈暁斎楽画〉第二号 榊原健吉山中遊行之図 明治7(1874)年 大判錦絵》
右手に扇、左手で着物の袖をたくし上げて見得を切る男。足元に山犬、土竜、尻餅をつく骸骨。猿、狐、狒々が逃げていく。山中、妖怪の脅しにも動じない鍵吉の豪胆さを描いた画。
榊原健吉は明治の剣術家。明治9年(1876年)の廃刀令以後、刀の代わりに帯に掛けるための鉤が付いた杖のような木刀を所持するようになる。これが倭杖(やまとつえ)。そして脇差代わりに差したのが木製の扇で頑固扇というもの。最後の侍と言われた榊原謙吉の晩年のトレードマークとなった。
骸骨の腰のあたりにある道具は何でしょうね?

第6章 祈る 仏と神仙、先人への尊崇

暁斎は達磨図を多く描きました。狩野元信、常信の達磨、長谷川等伯や曽我蕭白の達磨、そして白隠による達磨など、名品と言われる達磨図は数多くありますが、暁斎の達磨図はそれらの系譜に連なっています。
もし暁斎が他の無数の作品を描かずに、達磨図だけを残していたとしたら、彼に対する評価はまったく異なったものとなっていたでしょう。

154《李白観瀑図 明治4-22(1871-89)年 絹本淡彩》
岩肌を荒々しく黒く塗り、水流を地の色で残し激しい瀑布を描いている。狩野派の唐代の詩人李太白が滝を見て吟ずる姿を描く。古くから多くの絵師がこの画題で描いている。荒々しい筆の勢いに目を奪われます。

155《中国山水図 明治4(1871)年 絹本淡彩、金泥》
米点皴を使った山水画。154の筆の勢いで書いたものとのギャップに暁斎の画風の幅広さを感じる。

156《雨中山水図 明治17(1884)年 絹本淡彩》
またがらりと印象を変えて、重く湿った空気を感じさせる溌墨的な山水図。伝統的なタッチもお見事。

159《半身達磨 明治18(1885)年 紙本墨画
達磨の顔は毛一本一本を描くほど丁寧に、衣は太い筆で大胆に。禅展で達磨の画はたくさん見ましたが、暁斎の描く達磨も良いなあ。師の前村洞和が暁斎の画才を賞して画鬼と呼んだというのはよく知られていますが、まあとにかく何を描いても上手いことに驚きます。

162《羅漢と鬼 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩金泥》
洞窟で瞑想する羅漢に向かって鬼が槍を突き出している。鬼が手にする三叉槍の先には鼠の頭が刺してあり、それで座禅の邪魔をしようとしているのか。鬼の腰紐がトリコロールカラーでおしゃれです。

166《龍頭観音 明治19(1886)年 絹本着彩、金泥》
暁斎仏画も得意で、特に達磨と観音をよく描いた。晩年には日課観音として毎日観音を描いていたという。この画は日課観音とは別に丹念に描き込んだもの。暗雲の中、体をくねらせて進む龍の頭上に観音が立つ。美しく慈愛に満ちた表情、風にたなびく衣、龍の固そうな鱗。龍頭観音は姿を変えて現れる三十三観音の一つ。

167《寒山拾得 明治4-22(1871-89)年 絹本墨画
寒山と拾得を描いた一対。二人はよく卑俗な顔で描かれるが、暁斎のは穏やかな表情をしていて、のどかな雰囲気。寒山は遠くを、箒を持つ拾得は上を差し示し動きを見せている。二人を模式化したような押印。
寒山と拾得は唐の時代、乞食同然の暮らしをする非僧非俗の風狂の徒だが、試作をよくし、仏教の哲理に深く通じていた。宋代以後、彼らに憧れる禅僧や文人によって格好の画題となった。寒山は木靴を履き、拾得は箒を持ってよく描かれる。

169《霊昭女 明治17(1884)年 絹本着彩、金泥》
女が背中に籠を担ぎ、左の手のひらに銭、腰に瓢箪を下げている。結い上げた髪がキラキラと光る。霊昭女は唐代の龐居士の娘で、竹籠を売って両親に孝養を尽くしたと言われる。古くから禅宗の画題として用いられ、竹籠を下げた礼拝像風に描かれることが多い。

170《祈る女と鴉 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩》
兵庫髷に髪を高く結い上げた遊女が外に向かって手を合わせている。外には画面半分を占めるように大鴉が描かれている。着物の青い紫陽花の柄、腰紐の赤が目を惹く。部屋の奥には着物を運ぶ禿(かむろ)がいる。着物の襟首と背景の襖のあわせが一致していて、首のない死者を運んでいるのかと錯覚した。

171《石橋図 明治3(1870)年 木板着彩、金泥》
歌舞伎石橋(しゃっきょう)の舞台を木の板に描いたもの。市松模様で縁取られた赤い舞台の上で、獅子姿で赤い髪を振り回す役者。足元には雪と白牡丹。舞台の下から眺めるのは寂昭法師。

 

開催して最初の週末の午後、会場はそれほど混雑していませんでした。たまに絵の前に出るのに待つことはあっても、人の頭越しというような羽目になることはありません。ただし、小さい絵が多いので混雑するとすぐ行列になってしまうだろうとは思いました。一回り2時間半。今回の展示物は、単眼鏡をほとんど使わずにすむタイプの絵がほとんどだったので、さほど疲労も感じず、休憩なしに一気に見ることができました(こうブログを書きながら降り返ると、もう少し、こってりした絵も見たかったな)。

会場を後にして、もっちりピザ。
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ここは半端な時間のランチにもってこい。今回もほどほどに空いてました。

PIZZERIA SPONTINI 渋谷モディ店

食べログPIZZERIA SPONTINI 渋谷モディ店

雪国館

工芸 民俗博物館

新潟県大沢温泉に行く途中、越後湯沢駅で途中下車しました。
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駅から徒歩7分湯沢町の歴史民族資料館、雪国館に到着。
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www.e-yuzawa.gr.jp

雪国館は、湯沢が舞台となった川端康成の小説「雪国」と、雪国湯沢の暮らしぶりや歴史を中心とした展示があります。

3階 湯沢町歴史民俗コーナー

雪国の四季折々の生活で用いる道具がところ狭しと展示されています。
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秋のくらし。
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奥に移っている巨大なわらの敷物は、地元の方が二ヶ月かけて作ったもの。最初壁掛けにするつもりが、作ってみたら大きかったので敷物にしたんだそうです。手前で影になっていますが、宝船もありました。

冬のくらし。
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様々な用途に応じて作られた草履が面白い。

《足半》
あしなかは足の半分くらいの大きさで、いくさや農作業など、力のいる仕事をする時に使われていました。ふつうのわらぞうりの半分ほどの大きさなので、簡単に作ることがえきた。今から60年ぐらい前までは、日本各地の農家でさかんに作られていた(展示物は湯沢在住の小林さんが手作りしたもの)。

《はっぱき》
農耕、林業の作業用としても使われためずらしい編み方の脛当て。

《つまかけ》
寒くなってから草鞋を履くとき、むき出しのつまさき部分を保護するもの。

《しびがらみ》
寒くなってから草鞋を履くとき、むきだしのかかと部分を保護するもの。

《すっぺ》
かかととつま先が覆われ、靴のような形をしている。雪踏みや屋根の雪掘りまたは山仕事など力仕事のときにも使った。

《石白古銭》
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昭和46年、49年の二回にわたって道路工事現場で見つかった古銭。銭の種類から十五世紀後半に埋められたものと推定されている。古銭の総枚数27万以上で全国第二位(一位は北海道函館市志海苔町の出土銭)の出土量。発掘場所は泉福寺という寺の跡。

2階 雪国の住生活コーナー

民家の茶の間を移築したもの。明治~昭和にかけての生活の様子を再現しています。
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中央にある陶器は《湯たんぽ》で、一段上がったところに置いてある瓶は《ハエ取り器》です。

畳の上にワラ細工が置いてありました。
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《ねこつぐら》
囲炉裏端などに置く、猫の住みか。

《飯つぐら》
ご飯が冷めないように飯びつを入れておくワラ製の保温容器。

《つぐら》
首がすわった赤ちゃんを布でくるんで入れるためのカゴ。農作業のために半日、家を開けるような時に危なくないように入れていた。

1階 ロマン溢れる川端康成の小説「雪国」の世界

こちらでは小説「雪国」にまつわる日本画14点や川端康成の遺愛品などが展示されていました。

川端康成直筆書 昭和60年4月1日》
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雪国館からすぐの主水公園に「雪国の碑」として建立している。

《小説「雪国」のヒロイン駒子の部屋》
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こちらは、ヒロイン駒子のモデルと言われている芸者松栄(本名キク)が住んでいた置屋「豊田屋」を移築再現したものだそうです。

 

電車の時間にせかされて慌しく一巡り、1時間程度の滞在でした。もう少し余裕がほしかったです。ちなみに、2階の雪国の住生活コーナーは、この後行った温泉宿でリアルに体験できました。
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『百段雛まつり』~九州ひな紀行Ⅱ~@目黒雅叙園

品川・白金・目黒 日本美術 工芸 目黒雅叙園

久しぶりの目黒雅叙園はひな祭りカラーになっていました。
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お目当ては、百段階段で行われている「百段雛まつり」~九州ひな紀行Ⅱ~です。ちょうど姪っ子が遊びに来ていたので、仲良く中世のお姫様気分を味わおうという算段。

www.megurogajoen.co.jp

百段階段の入り口です。日本三大つるし飾り《さげもん 福岡/柳川市》です。

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大量に下がっているけど、ひとつひとつが可愛らしい。
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51の縁起物をつくり一対を基本として飾られ、娘の幸せを願い家族や親戚などによって作られました。人生50年と言われた昔、50年以上長生きして欲しいという親心から51個になったとされます。

今回、展示室内が撮影禁止だったので、写真はこれくらいしかありません。

九十九段の階段で結ばれた絢爛豪華な7つの部屋に、九州から珠玉のお雛さまが集結。中でも炭鉱王、伊藤伝右衛門邸の座敷雛は圧巻で、単眼鏡を取り出したはいいけれど、どこを見て良いんだか迷うほどでした。

他にも、源氏物語をテーマにしたものがありました。先日出光美術館岩佐又兵衛展で源氏物語に浸った記憶が蘇り、またもやうっとりしてしまいました。ひな壇の背後に源氏物語絵屏風がありましたが、じっくり見る間がなかったのが残念。源氏物語の胡蝶の絵が展示されていて、雅楽迦陵頻を舞う童子が描かれていて、とても可愛らしかったです。

すっかり雅な気分になった後、ラウンジカフェでケーキセット。
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いい気分。

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並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性@東京都庭園美術館

品川・白金・目黒 東京23区内 東京都庭園美術館 工芸 日本美術

寒々しい空の下、旧朝香宮邸です。
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私にとって一年で一番忙しい2月。なんとか乗り切れそうな雰囲気になってきたので、並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性に行ってきました。

www.teien-art-museum.ne.jp

明治時代、輸出用美術工芸として人気を博した七宝。並河靖之(なみかわ・やすゆき、1845-1927)は、その中でも繊細な有線七宝により頂点を極めた七宝家です。没後90年を記念する本展は、初期から晩年までの作品を一堂に会する、初めての回顧展です。

京都の武家に生まれた靖之は、久邇宮朝彦親王に仕えたのち、明治維新後に七宝業に取り組み始めます。本展覧会の会場である旧朝香宮邸は、元は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王の邸宅。並河靖之は久邇宮で養育係をしていたという話だから、当然鳩彦王とも面識があったことでしょう。旧朝香宮邸が竣工した時期にはもう並河は没していますが、本展は並河靖之と縁ある人の家での開催ということです。

 

以下に気になった展示物をメモ代わりに残します(作者なしは並河靖之)。

 

2《松に鶴図花瓶(一対) 明治6年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館》
遠目に虎柄のように見えるが透明感のある茶色の釉薬の上に植線で細かな雲文を作って地としている。

4《蝶に花唐草文花瓶 明治前期-中期 並河靖之七宝記念館》
黄色の班地に蝶唐草文。初期の作品には黄色地に不透明な釉薬が多く用いられ、伝統的な京七宝の手法に則ったものが多い。

8《兎雉図花瓶(一対) 並河靖之に帰属 明治13年頃 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館》
正面に兎と葡萄、裏面に雉と梅。 並河靖之が考案した茶金石を使う手法が用いられている。茶金石は不透明な赤茶地に金色のラメが入るガラス質。ゴールドストーンとも呼ぶ。

14《龍文瓢形花瓶 明治中期 ギャルリー・グリシーヌ》
瓢箪のように首が細長い一輪挿し。頚部は若草色に菊菱文。胴部は黒地に緑龍が描かれている。龍の胴部が乱反射している。不透明な様々な色粒が見える釉薬に植線で鱗が細やかに描かれている。エメラルドグリーンの鬣に赤い炎が映える。

16《蝶に草花図飾壷 明治中期 清水三年坂美術館》
手のひらですっぽり覆えるサイズの球形の壷。金菊摘みの蓋、口縁と高台は金色。濃紺地に花唐草文、三方に黄色地の窓があり、その中に蝶と草花が描かれている。

25《菊唐草文細首小花瓶 明治中期 並河靖之七宝記念館》
トルコ石の中でも極上の青を思わせる発色の地に菊唐草文の小さな花瓶。華奢な頚部は黄色の菊菱文で肩部と裾部に蓮弁文。

29《菊唐草文花瓶(一対) 明治25年 東京国立博物館
瓶子形の花瓶一対。口縁と高台は緑地に菊花文。肩部に向かい合わせの鳳凰を描いた蓮弁文。胴部は黒地に丸菊唐草文。裾部にも蓮弁文のある東洋の雰囲気を出した作品。

30《蝶に花丸唐草文飾壷 明治中期 京都国立博物館
金菊摘みの蓋のある球形の壷。肩部にぐるりと一周蓮弁模様を分断するようにラインが入る。胴部は花丸文についている葉が蝶の羽のように広がり、蝶の羽ばたきと呼応している。

32《菊紋付蝶松唐草模様花瓶(一対) 明治中期 総本山泉涌寺
口縁部と高台は金地。頚部に菊紋入り。肩部に蓮弁文。胴部は黒地に蝶と松唐草文。一見、菊唐草文に見えるが、よく見ると花びらの四分の一くらいが欠けているネムノキの花のような形。糸状花弁の菊にも見える。蝶の羽は非常に細やかな模様。部分的に茶金石が使われている。

33《桜蝶図平皿 明治中期 京都国立近代美術館
若草色の平皿。周縁部の桜、中央に色とりどりの蝶が舞う。蝶の足は前方に左右二本ずつ見える。裏面は一面の唐草文様。蝶の重なりに速水御舟の《粧蛾舞戯》を思い出す。

34《蝶図瓢形花瓶 明治中期 清水三年坂美術館》
瓢箪型の一輪挿し。頚部は黄地に唐草文。その下には黒地に花丸と五七桐模様。括れには藤花。胴部は黒地に大小の蝶が舞い、裾部には菖蒲が描かれている。

35《花蝶文花瓶(一対) 明治25年 東京国立博物館
瓢箪型の一輪挿し。頚部に菊菱、その下には黄地に蛾。括れには藤花。胴部は小豆色の梨子地で空間を大きくとって色鮮やかな蝶が描かれている。裾部に菖蒲。
33では二本ずつだったのが、こちらの蝶の足は前方に左右三本ずつ描かれていて、文様として試行錯誤したらしいのがわかる。実際のところ、蝶の飛翔時は脚をぶらんと下げているので、上から見ると羽に隠れて見えないのだが、蝶にこだわりのある並河としては、どうしても正確に描きたかったのでしょう。

38《藤草花文花瓶 明治後期 並河靖之七宝記念館》
本展覧会のポスターに使われているもの。口縁部から肩にかけて極彩色だが、胴部は白と紫の藤花房が垂れ下がり、その下に瑠璃色の空間を広く取ることで絵画性のある表現になっている。裾部の蒲公英が愛らしい。 

40《藤花菊唐草文飾壷 明治中期 清水三年坂美術館》
手のひらに収まる程度のサイズ。黒地で胴部にはふくらみがある三脚付の飾壷。蓋と肩にかけては細密な菊唐草文様で白と紫の藤の花房が垂れ下がる。
独立ショーケースに飾ってあり、藤文様の回転性が気になって、この周りをぐるぐる回り続けました。下絵がすぐ近くに張ってあったのですが、それも一部しか描かれていない、とても省略したものだったので、余計に気になりました。

47《四季花鳥図花瓶 明治32年 宮内庁三の丸尚蔵館
黒地に大きく山桜が描かれている。その裏面には青紅葉。樹間を野鳥が飛び、根元に野の花が咲く。夜に木々がライトアップされたかのよう。植線に肥痩がつけられており、例えば幹の根元には太い金属線が用いられて、絵筆で描いたかのような表現をしている。非常に絵画的な作品。青々とした紅葉の葉のグラデーションも見事。

49《花鳥図飾壷  明治後期 清水三年坂美術館》
黒地に銀菊摘みの蓋。蓋部下半分と肩部に菊菱文。蓋の上部と胴部は黒地に黄色の迎春花が鮮やかである。根元に鳥と蓮華草と菫。黒の空間を大きく取った絵画性の高い作品。

52《菊御紋章藤文大花瓶 明治後期-大正時代 並河靖之七宝記念館》
並河靖之作品の中では大型のもの。胴部に菊御紋の入った鮮やかな青地の壷。白と薄紫の藤の花房が垂れ下がる。藤の花の先端が二つに割れてピンセットのような形になっているのが面白い。葉の植線に肥痩をつけている。

63《蝶に竹花図四方花瓶 明治後期-大正時代 清水三年坂美術館》
丸みを帯びた角のある縦長の花瓶。黒地に大きく竹が描かれていて、口縁の覆輪を黒にして壷と連続しているように見せている。黒地の空間を大きく取り、そこに黄白い小さな蝶が舞う。竹の根元には淡い桃色の芥子の花。幽玄な雰囲気がある。

65《五重塔風景文花瓶 明治後期-大正時代 並河靖之七宝記念館》
珍しい風景文の花瓶。五重塔の背景が薄桃色で夕焼け空の静けさを感じる。壷の内側が緑色だった。

68《春日大社風景文扁壷 明治後期-大正時代 並河靖之七宝記念館》
こちらも珍しい春日大社の風景を描いた壷。先日東博の春日大社展に行ったばかりなので興味を引く。扁平な壷で緑地。門前に石灯籠と鹿。空気遠近法で春日山には植線が使われておらず淡く描かれている。他の風景文のも見たが、山の稜線を無線にしていたのはこれだけ。

72《雀茗荷野菊花瓶  明治後期-大正時代 明治神宮
金と銀の植線を使い分け、緑地に可憐な茗荷と雀と野菊が描かれている。食堂にぽつんと一点だけ飾られていたのと、茗荷というモチーフが面白かった。

87《菊花図花瓶(一対) 濤川惣助 明治33年頃 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館》
並河靖之と同時代を生きた七宝の天才、二人のナミカワのもう一人、無線七宝の濤川惣助の作品。キリッと引き締まる有線の並河靖之の作品とは対照的。白地の一対の花瓶。空間を広く取って大きく白菊小さく紅菊が描かれている。菊の葉のベルベットのような質感を思い出させる色合い。紅菊の方は枯れたような葉の色をしている。
本館二階に上がってすぐのホール、その片隅に展示されていましたが、一目でその幽玄な美しさにほっとため息が出ました。

100《下図「四季草本図」 並河工場 明治時代 並河靖之七宝記念館》
数々の四季の草花の例で、糯躑躅、紫藤、逸初、馬蘭、難波茨、空豆花、李、胡蝶花、菫、山桜、蓮華、連翹、白蓮、寒菊、水仙、山茶梅、迎春花、元寶草が美しく描かれている。余白には動物の例で、雀、山雀、繍眼児、瑠璃、蝶、虻、蜻蛉が描かれている。その上には色見本。並河工場の宝の数々が一覧できるすばらしい下図。

105《下図「舞楽図壷台座付」 並河工場 明治時代 並河靖之七宝記念館》
本展には下図も多く展示されている。その中でも一番気に入ったのが本図。壷の胴部に二人の舞楽青海波の舞い手が描かれているもの。台付の花瓶で山鳩色(暗めのモスグリーン)の地に衣装の青と赤が映える。下絵なため壷の輪郭からはみ出ているのが、余計躍動感を与えている。 

118《下図「ボーダー文様」 並河工場画ノ部 明治時代 並河靖之七宝記念館》
口縁の施される模様の下図。「並河ドロ赤」「ス九番」等細かく釉薬が指定されている。下図は拡大されて描かれているため、その細かな模様がよくわかり、さらに驚かされる。

132《下図「四季花鳥図花瓶」 並河工場 明治時代 並河靖之七宝記念館》
47の下図。
並河工房の優れた下図の多くを中原哲泉が描いた。中原は並河七宝を初期の頃から支えたうちのひとり。

 

本展示は、一周するのに2時間半かかりました。今回は単眼鏡必須な細工ばかりなので、出品数のわりに時間がかかります。途中軽く休憩を入れないと、とても集中力が続かない。終いには目がチカチカしてきました。

 

展覧会を見終わったら、庭園美術館名物のシフォンケーキをいただきます。いつのまにかカヌレ型じゃなくなってたけれど、おいしい。

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カフェ ド パレ

食べログカフェ ド パレ

庭園は梅が見ごろでした。
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16時半を過ぎて、庭園の奥まで続く遊歩道が既に閉鎖されていたのは残念。思ったよりも展覧会に時間を取られました。

春日大社 千年の至宝展@東京国立博物館

上野界隈 工芸 日本刀 日本画 日本美術 東京23区内 東京国立博物館 仏像

1月の末、東京国立博物館に行きました。その後の忙しさにかまけて、ずっと放置してしまいましたが、記事として残しておかないと忘れるだけなので、遅ればせながら投稿。

行き先は平成館なのですが、この日は荷物が重かったので本館のロッカーを使ってから連絡通路を抜けて平成館に向かいました。
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平成館で開催されているのは、春日大社 千年の至宝展です。
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kasuga2017.jp

本展に入場する前に、平成館一階のガイダンスルームで春日大社展のビデオを鑑賞。
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私は春日大社に行ったことがないので、展示物を見る前にあの辺の自然環境を空からの映像で一望できたのがよかったです。今回は、予習もしていないし、予備知識もなにもなし。久しぶりにまっさらな状態で挑みました。

 

以下に気になった展示物をずらずらとメモ代わりに残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵先なしは東博所蔵)。

 

第一章 神鹿の杜

春日大社の草創は、武甕槌命が鹿に乗り、常陸国鹿島から春日の地に降り立ったことに始まります。本章では、春日大社の創祀を物語る歴史資料や絵画作品、そして神々しくも親しみにあふれる「神鹿」に関わる美術を展示します。

1《鹿島立神影図 一幅 南北朝室町時代 14~15世紀 春日大社
春日連山に月、その手前に御蓋山。華やかな姿の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が巨大な鹿に乗って、春日の地に降臨した様子を描いています。神木の榊は地面に根を張って弓形に幹を伸ばしている。枝先から藤の花が下がり、結ばれた垂(しで)が風になびく。樹上の円相の中に本地仏が描かれている。衣冠姿の中臣時風(なかとみのときふう)と中臣秀行(ひでつら)を伴う(左の笏を持っているのが時風)。
いきなり御神体です。これは、博物館だから見られるのであって、春日大社に行っても見せてもらえないものだということは、私にでもわかります。

5《◎春日鹿曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 京都・陽明文庫》
現存最古の鹿曼陀羅。かなり色が褪せてしまっているが、5本の垂がよく見える。

8《春日鹿曼荼羅 一幅 室町時代 15世紀》
春日講の御本尊 。春日講は奈良を代表する信仰行事で、町々に春日講(しゅんにちこう、かすがこう)と呼ばれる春日信仰の講社がある。

10《神鹿鞍 一具 江戸時代 19世紀 春日大社
神様が乗られた鹿用の鞍。馬用と細工は同じで鐙もついているがそれと比べると二回りも三回りも小さい。これを実際に鹿に乗せたら重そうだと思った。

16《◉ 延喜式 巻一 一巻 平安時代 11世紀》
平安時代中期に編纂された格式。春日大社の縁起の資料として展示されていた。

18《◎ 春日神鹿御正体 一軀 南北朝時代 14世紀 京都・細見美術館
独立してガラスケースに展示されていた。春日大社の使いである鹿を象ったもの。白雲の上に立ち、鞍に立てた榊に円相があり、その中に春日の本地5体が線刻されている。

19《春日厨子 一基 室町時代 15世紀 大阪・藤田美術館
木彫りの神鹿を収める厨子の中に春日山。扉に鹿を誘導する4人の神官が描かれている。榊には藤花が絡んでいる。神鹿といえど綱をつけて誘導しなくてはいけなかったのか。

20《金銅鹿像 一軀 江戸時代 17~18世紀 愛知・徳川美術館
鞍をつけていない神鹿の像。口に茎葉を咥えている。

21《白鹿 森川杜園作 一軀 江戸時代 慶応2年(1866) 春日大社
座り込んだ穏やかな顔の鹿。シカの横広の瞳孔が鮮明に表現されていて虹彩が金色のためヤギの顔のようにも見える。背中の模様がハート型なのが愛らしい。体内に卵形の生玉を持っていて、長寿を願う祈りが込められているそうです。

22《鹿図屛風 六曲一双 江戸時代 17世紀 春日大社
金地に様々な姿の鹿の群れが描かれている。鹿だらけ。ロバっぽくも見える。人間の目のように白目が描かれているので、それぞれ何か思惑のある表情をしているかのよう。どうも日本画では馬にしても鹿にしても白目を描くのが一般的らしい。

第二章 平安の正倉院

神々の調度品として奉納された古神宝。春日大社には平安時代に奉納された本宮御料と若宮御料伝わり、「平安の正倉院」とも呼ばれています。本章では、王朝時代の雅と美を今に伝える国宝の品々をご紹介します。

58《◉ 金地螺鈿毛抜形太刀 一口 平安時代 12世紀  春日大社
柄や鍔は金無垢に想像上の植物、宝相華(ほうそうげ)が彫金されている。細やかな文様を打ち出して描いている。握りやすいように柄に透かしがあり、その形が古代の毛抜き(鑷子)に似ていることから毛抜形と呼ばれている。柄の部分を単眼鏡で覗くと無数の点(魚子)が見える。鞘は螺鈿で竹林で雀を追う猫が描かれている。雀や猫の目は琥珀
今回は、まさにこれを見に来たわけです。竹雀は珍しいモチーフではありませんが、雀を捕らえる猫はかなり特殊な絵柄なので、実物を見れば何か意味がわかるかと思いましたが、やはり、奉納者がよほどの猫好きだったんだろうなあとしか。

64《◎ 藤花松喰鶴鏡 一面 平安時代 12世紀  春日大社
松喰鶴。鶴の描写がしなやか。松鶴の組み合わせは多いが藤花は珍しい。 

第三章 春日信仰をめぐる美的世界

草創以降、貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げてきました。また、神と仏が一体であるとする神仏習合の思想を背景に、仏法を守護する春日の神々への信仰も広がりをみせていきます。本章では、春日の神々への祈りを表わした選りすぐりの名品を展示します。

83《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀》
春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山春日山若草山を配す。聖地・春日野かすがのを一望にする礼拝画の大作

86《春日宮曼荼羅 一幅 室町時代 14~15世紀 奈良国立博物館
色紙に成唯識論(じょうゆいしきろん)と春日講の伽陀(経文)が書かれている。

88《◎ 春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・南市町自治会》
春日曼荼羅の様式を踏まえ、社殿と山並みの間に浮かぶ円相に、一宮(釈迦如来)、二宮(薬師如来)、三宮(地蔵菩薩)、四宮(十一面観音)、若宮(文殊菩薩)が描かれている。さらに若宮社の神楽殿に童子姿の若宮神が姿を現し(影向:ようごう)、烏帽子をかぶる男性貴族と対面する場面が描かれている。

91《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉~南北朝時代 14世紀 春日大社
参堂廻廊は通常金泥で描かれるが、これは雲母で描かれているため白く光っている。春日山の上に五社の神々に対応する本地仏が円相に描かれているが、これも雲母が使われているようで光っている。

95《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 14世紀 愛知・徳川美術館
一宮の本地仏を釈迦如来にする例が多いが、この曼荼羅では三目八臂の不空羂索観音として描いているのが珍しい。藤原摂関家を中心とする興福寺南円堂本尊(藤原氏の氏寺)への崇敬を背景として、春日社一宮本地仏不空羂索観音とする説は古く摂関家を中心に一定の流布があった。

100《春日社寺曼荼羅 一幅 鎌倉時代 14世紀 奈良国立博物館
春日社と興福寺を俯瞰的に描いている。本地仏は立像で、左に本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏が、それぞれの殿社から立ち上る雲に乗って現れている。空の部分に下書きの円相が見え、途中で変更した様子がわかる。

107《◎ 春日浄土曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・能満院》
画面中心に円相の本地仏五尊が大きく描かれて、画面下方に春日山春日大社が配置される構図。

109《◎ 天狗草紙 興福寺巻 狩野晴川院(養信)筆 一巻 江戸時代 文化14年(1817)》
天狗草紙は鎌倉時代末ころの仏教諸大寺・諸宗派僧侶の慢心や行いの乱れを天狗にたとえて風刺し、その天狗らがついには発心成仏するという物語を描いたもの。山の中にいる三体の天狗に甘露を与えて手なずけている。

110《◎ 春日本迹曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・宝山寺
まるで本地仏図鑑。春日大社に祀られている10の御祭神とその本地仏をわかりやすく図示している。

123《春日千体地蔵図 一幅 鎌倉時代 14世紀 奈良国立博物館
広々とした山水景観の中に、千体近くを数える地蔵菩薩が集まる様子を描いている。画面上方左寄りに御蓋山春日山および春日大社の朱塗り社殿が点在していることから、地下に地獄があると信じられた春日野を表している。地獄道、餓鬼道、畜生道阿修羅道、人道、天道をそれぞれ描き、春日野の地が六道輪廻の苦しみに満ちた穢土に見立てられている。六道の各々に一群をなして集まった地蔵たちが、今まさに衆生を救済するために影向した光景と考えられている。
びっしりと描かれた地蔵菩薩に、若冲の石峰寺図の五百羅漢を思い出しましたが、あのたらこみたいなのと違って、こちらの地蔵は非常に細やかに描写されている。

127《春日赤童子像 一幅 室町時代 16世紀》
岩座上に立ち、右手に棒を持ち左手で頬杖をつくポーズ。法相宗を護る春日明神の姿として興福寺僧を中心に盛んに礼拝された忿怒相垂髪赤肉身の童子像。制叱迦童子の姿に基づくと思われる。 

130《◎ 地蔵菩薩立像 善円作 一軀 鎌倉時代 延応2年(1240) 奈良・薬師寺
端正なお顔立ちが印象に残る。内衣を着けた法服地蔵。 

136《◎ 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 康円作 五軀 鎌倉時代 文永10年(1273)》
獅子に乗った文殊菩薩に4人の侍者が従う渡海文殊の作例。中国五台山で信仰された組み合わせで中世以降流行した。海を渡る表現は日本独自のもの。獅子に乗った文殊菩薩、手綱を引く于闐王(うてんのう)、振り返る善財童子、大聖老人、インド僧の姿をしているのが仏陀波利三蔵。それぞれ興味深い形をしています。
文殊菩薩は結跏趺坐で右手に宝剣、左手に蓮の花を持ち、髻を五つ結ってそれぞれの上に化仏の姿が見えます。舟形光背(実に細やかできれい)の左右に迦陵頻伽が彫られています。私は迦陵頻伽モチーフが好きなので、こういうところで目にするとうれしくなります。

143《古社記断簡 一巻 鎌倉~南北朝時代 14世紀 春日大社
春日御正躰事として御祭神10体について俗形の詳細が記されている。一宮と二宮は老体、三宮は僧形、四宮は吉祥天女、若宮は童子形、率河は男体、水屋は毘沙門形、氷室は若者、一言主吉祥天女、榎本は老体。

150《鹿座仏舎利および外容器 一具 江戸時代 慶安5年(1652) 春日大社
御神体の円相舎利容器を背負う白鹿がとてもかわいらしい。外容器正面には月のかかる春日山と蓮が蒔絵で描かれている。天面に龍、裏面には霊鷲山(りょうじゅせん)と珠取龍が描かれている。

151《獅子座火焰宝珠形舎利容器 一基 南北朝時代 14世紀 奈良国立博物館
通常鹿のところを獅子の背に火焔宝珠形舎利容器を乗せているのが珍しい。獅子は右前脚を踏み出して立ち、前を見据えて咆吼している。春日杜の舎利信仰と文殊菩薩信仰の融合とみられる。

154《春日権現験記絵 巻二十 [詞書]鷹司冬基筆[絵]高階隆兼筆 一巻 鎌倉時代 延慶2年(1309)頃 宮内庁三の丸尚蔵館
春日の神々の霊験を描く全二十巻の絵巻。春日本は松平定信の指示で制作された。近年大掛かりな修復と調査が行われ、外装の修復に皇室で飼育されている古代種繭の小石丸が用いられた。この巻では嘉元神火事として火の玉を指差して驚く人々が描かれる。

157《春日権現験記絵(春日本) 巻一 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
承平託宣

159《春日権現験記絵(春日本) 巻七 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
知足院が春日社に参拝した時気高い姿の童子から神託を受ける。大勢の僧侶に見守られて童子が舞っている。弁髪帽らしい中国僧の姿もある。右に弊殿。松に藤の花が絡みつく。

161《春日権現験記絵(春日本) 巻十二 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
鹿に囲まれる牛車には春日三宮が黄衣神人姿に化身した地蔵菩薩の姿が見える。右下の黒衣の僧は恵珍。入場すぐのビデオに鹿が出てきて、側対歩で歩いていたのを覚えていたので、つい鹿の足並みに目が行く。

164《春日権現験記絵(春日本) 巻十八 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大》
明恵上人が笹置寺の貞慶上人から仏舎利二粒を貰い受ける。同じ建物の左の部屋にはその前夜の対話の様子が異時同図法で描かれている。よく見ると着物や襖や畳の模様が同じであることがわかる。

165《春日権現験記絵(春日本) 巻十九 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社
成安3年、大和国の悪党(朝廷軍)に神鏡14個を奪われた。興福寺の衆徒が追討し、敵将池尻家政を討ち取って神鏡三面を取り返した宇治栗駒山の戦いの場面が描かれている。霧の途中から馬に乗った武士が唐突に現れるような描き方になっているのがドラマチック。捕まえた敵将池尻家政は足を切り落とされ、流血の中腕を足で踏みつけて押さえつけられている。胴丸をつけた兵士が取り返した三鏡を片手に持っている。当時の合戦の様子が詳細にわかる貴重な資料。

166《春日権現験記絵(春日一巻本) 伝冷泉為恭筆 一巻 江戸時代 19世紀 春日大社
寛治御幸事。白河院が乗った牛車を鶴が迎えている。日本画で鶴は白く描かれることが多いのでてっきりタンチョウヅルだと思い込んでいたが、この場面の鶴は灰色で目の周りが赤いのでマナヅル。今後は鶴の書き分けにも注意してみてみよう。

167《春日権現験記絵(陽明文庫本) 巻一 [詞書]近衞家𠘑筆[絵]渡辺始興筆 一巻 江戸時代 享保20年(1735) 京都・陽明文庫》
竹林に貴女姿の四宮が現れて、子孫繁栄を約束する土地との神託を藤原光弘が受ける。

169《春日権現験記絵(徳川美術館本) 巻十 一巻 江戸時代 19世紀 愛知・徳川美術館
南都教懐上人の夢。高野山にて教懐上人は腰の病になり立ち上がれなくなった。昔を思い出して回復を春日明神に祈ったところ、貴女が現れて西の空に飛び去る夢を見た。目が覚めると病が癒えていた。貴女(四宮)の顔が描かれていない。次の場面は、癒える或る人の夢。維範阿闍梨入滅時に、教懐が来迎聖衆の先頭で腕を広げ、維範を迎え入れる様子が描かれる。一般的な来迎図であるが、阿弥陀の姿がない。ジブリかぐや姫の物語に描かれる来迎のシーンを思い出して胸が熱くなった。

170《春日権現験記絵(紀州本) 巻十一 [詞書]林康満筆[絵]冷泉為恭ほか筆  一巻 江戸時代 弘化2年(1845)》
地獄観光。興福寺の舞人であった狛行光が病死し、閻魔様の前で裁かれることになったのを春日明神が救った。地獄からの帰りに春日明神に案内されて地獄巡りをする。狛行光はダンサーにしては貧相な体つき。色地獄には緑色の着物の美女が描かれている。

173《春日権現験記絵(帝室博物館本) 巻十三 永井幾麻筆 一巻 昭和2年(1927)》
盛恩が居眠りしていたら四宮がやってきて学問所を見学にきたと語る。

第四章 奉納された武具

春日大社には多くの武具が奉納されています。こうした奉納品が伝わったのも、春日大社が公家・武家をはじめ多くの人々の深い祈りに支えられてきたことを物語っています。本章では、春日大社に伝わる国宝の甲冑や刀剣などを一堂にご覧いただきます。

178《◉ 金装花押散兵庫鎖太刀 [刀身]伝長船兼光 一口 [刀装]南北朝時代 14世紀[刀身]南北朝時代 貞治4年(1365)春日大社
柄、鞘ともに鑢地の鍍金銀板で包んだ兵庫鎖太刀。墨書の花押は足利一門のものとみられ、社伝では義満奉納とする。刀身も備前兼光一派の刀工の手になる優品である。切先大きめで腰高。

185《◉ 赤糸威大鎧(梅鶯飾) 一領 鎌倉時代 13世紀 春日大社
梅や鶯などを透彫にした金物の華やかさが、兜や胴の力強さと見事に融合した日本甲冑の傑作。

192《◉ 籠手 一双 鎌倉時代 13世紀 春日大社
源義経所用と伝えられる著名な籠手。もと興福寺勧修坊に伝わった。保存状態がよく華麗を極めたつくりは他に類がない。波に枝菊を高彫りし蝶の金物を据える。

第4章の後に記念撮影コーナーがありました。
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春日大社では節分万灯篭として、節分の夜に境内3000基の灯篭が灯されるのだそうです。火が灯される前に舞楽が奉納されます。

 

第五章 神々に捧げる芸能

春日大社では数多くの神事、祭事が執り行われていますが、その中でも12月に行われる若宮おん祭は国の重要無形民俗文化財に指定されています。本章では、こうした祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品をご紹介します。

195《春日若宮祭宵宮詣図屛風 六曲一隻 江戸時代 18世紀 春日大社
図中、石灯篭や太刀がやたらと大きく描かれている。

202《◎ 舞楽面 納曽利 一面 平安時代 12世紀 春日大社
納曽利は龍が舞い遊ぶ様を表わしたとされる舞。舞楽面は平安時代にさかのぼる作で、大きく見開いた眼や顎を別材で作り、舞の動きに合わせて表情に変化が出る仕組み。

215《鼉太鼓(複製) 一基 昭和51年(1976) 春日大社
展示室によく入れたなと思うほど巨大。 

第六章 春日大社の式年造替

春日大社では社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行われ、平成28年(2016)に迎える式年造替は60回目を数えます。本章では、式年造替に関わる記録とともに、今回の式年造替で撤下され注目を浴びた獅子・狛犬などをご覧いただきます。

243《御間塀 二枚 昭和50年(1975) 春日大社
四つの本殿の間にある御間塀に描かれた壁画で、絵馬の源流とも言われる。昭和50年、58回目の式年造替の際に新調されたもの。春日大社の参拝は幣殿の前、特別拝観を申し込んだ場合は中門の前なので、中門の内側にある御本殿は本来見ることができないものである。

244《瑠璃灯籠 一基 鎌倉時代 13世紀 春日大社
春日大社に約一千基ある釣灯篭の中で最も古いとされる瑠璃釣灯篭。通常紙で張られる部分に青緑のガラス玉がすだれのように連なっている。展示品はくすんで黒くなっているが、明かりを灯すと青く光る。

247《獅子・狛犬(第一殿) 二軀 鎌倉時代 13世紀 春日大社
本殿を護っていた獅子・狛犬で、今回の式年造替で撤下された。穏やかな顔をしている。

 

今回も東博は物量で仕掛けてきましたね。一巡りするのに途中、缶コーヒー分の休憩を入れて4時間半かかりました。つい先日、出光美術館源氏物語に浸ったばかりだったので、春日権現験記絵がとても楽しめました。しかし展示替の後、再訪するかは微妙なところ。

 

本館18室で春日大社展に関連した作品をいくつか鑑賞しました。

《竹林猫 1幅 橋本雅邦筆 明治29年(1896)》
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竹林と猫。

《神鹿 1基 竹内久一作 大正元年(1912)》
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ちゃんと雲に乗ってる。

《牝牡鹿 1対 森川杜園作 明治25年(1892)》
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動物好きの性としてお尻チェック。

トーハクからの帰り道、水でお絵かきされている方に遭遇。
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畳んだ傘の中に水が入っていて、先端につけたスポンジから垂れる水でパンダを次々に描いています。お見事。

消耗したので、上野駅構内で家に帰るためのエネルギーを補給しました。
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日本刀の科学

日本美術 日本刀

先日、静嘉堂文庫美術館で私は無事に日本刀鑑賞デビューを果たしました。

melonpankuma.hatenablog.com

もちろん、私がよく行く東京国立博物館にも刀剣が展示されているのですが、今までは素通りしていたわけです。なぜなら、あそこはあまりにも広大で、興味が薄いところにまで時間を避くわけにはいかないんです。それにも関わらず、夫が日本刀の鑑賞ができるようになりたいなんて言うから、夫に付き合う形で日本刀鑑賞を始めてしまったという。ずっと避けてきたのに。

日本刀を鑑賞する時に地鉄や刃文を観察しますが、私の場合、下手に金属材料としての鉄の知識があるばかりに、鏡面研磨された鉄を見るとつい金属組織へ思いを巡らせてしまって、観察の方向性が変わってしまうのです(この気持ち、材料屋ならわかるでしょ?)さらに言えば、日本刀を神聖視しすぎる方の発言に非科学的なものを感じ取って、自分の中にある科学的真理の追究を第一とする部分と美術を愛する者としての立ち位置がなかなか両立しずらくなることもあるわけで。

逆に、先入観から色々な誤解が生じていた部分があったことは、上記の展覧会に行ってよくわかりました。例えば、刀身の形(長さ、細さ、厚み、切っ先の形、反り)などは刀の重さや強度に関わってくるものだから、使用感の良さがひとつの指針なんだろうと思っていたし、刀文(じんもん)や鍛え肌はその製法によって生まれるものなんだろうと思い込んでいました。でも、違いました。日本刀は美術品だといわれますが、それはその言葉どおりの意味で、あれは造形物なんですね。刀身は実用性を備えつつ美しさをより求めているし、刀文も鍛え肌も反りもそれを作り手が意図して作るものだということです。

 

前置きがとても長くなりましたが、そんなこんなで、日本刀を科学で切ってみたらどうなるかという本を読みました。物づくりをする視点から日本刀をみる本です。こういうの、大好き。

日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る (サイエンス・アイ新書)

日本刀の科学 武器としての合理性と機能美に科学で迫る (サイエンス・アイ新書)

とても面白かったです。図表もわかりやすくて刀剣入門書としても優れていたし、私の知りたいところにしっくりはまるという感じでした。焼入れによる刀身の残留応力によって鋼を超える強化機構が成り立っているとか、樋の有無での曲げ強度の比較検証、衝撃応答実験など、実験好きならやってみたいことが網羅されています。これは、たまりません。日本刀を科学の刀でバッサバッサ切っていく筆者の姿はまさに侍のよう。

こんなに爽快な読書感を得たのに、こちらの本の定価は1000円。もっと取っていいんじゃない?

 

かくして、明らかに美術鑑賞の視点から外れたままですが、静嘉堂文庫美術館の展示とこちらの本で日本刀の魅力に触れることができたので、次回トーハクに行ったら刀剣の展示室も素通りせずに見てみようと思います。